2010年06月
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僕らの青春に明日はない (90)
リップ用のリムーバーを取り出した和衣は、そのボトルを祐介に見せ付ける。
もちろん祐介は、微妙な顔をしている。
「このくらいなら、ティシューで拭けば落ちるから…」
「ダメダメ! ちゃんと落とさなきゃ。俺がやったげる!」
ちゃんと落とさないとお肌が…というわけではない、単におもしろがって、和衣はリムーバーを付けたコットンをシャキーンと構えて、祐介のほうへとにじり寄る。
「ちょっ…和衣っ…!」
「ダーメ!」
観念しなさい! と和衣は祐介のももの上に乗り上がって、祐介の唇に薄りと付いていたグロスを拭き取ってあげる。
祐介はますます微妙な顔で、眉を寄せていた。
「あ、ちゃんと落ちてる」
「そりゃ落ちるでしょ…」
口紅を落とすためのものなんだから、落ちて当然。
コットンに付いたグロスを見て、当たり前のことを言う和衣に、祐介は溜め息混じりに突っ込んだ。
「祐介、何でそんな顔? そんなに嫌だった?」
「いや…何か変な味…」
「味!?」
「だって口の中に、多少は入るじゃん。何かすっごい微妙…」
唇を拭うためのものなのだから、多少口に入ったところで体に害はないだろうが、何とも言えないリムーバーの味に、祐介はティシューで唇を拭き直した。
「おいしい味だったら、お化粧落とすの、楽しくなるのにね」
のん気というか、天然というか……相変わらずな発想をしつつ、和衣はコットンを自分の唇に近付けたが、すぐに祐介にその手を掴まれた。
「え、何?」
「ちょっ和衣、新しいコットン使いなよ。それ、今俺の口拭いたヤツ!」
「あ、そっか。えへへ、間接キス?」
「何言ってんの…」
祐介が言いたいのは、そういうことではないのに。
結局任せておけなくて、リップも、祐介がみんな落としてあげた。
「よし、あとは顔洗うだけ! シンク使わせてね?」
クレンジングと洗顔フォームの2つを持って、和衣はベッドを下りた。
狭い寮の一室で顔を洗うには、キッチンスペースにあるシンクを使うしかない。
浴場にはちゃんとしたスペースもあるのだが、化粧したまま部屋を出たくないので、人の部屋ながらシンクを使わせていただく(だいたい和衣は、朝も面倒がって、自分の部屋のシンクで顔を洗って済ませているのだが)。
「そういえば衣装なんだけど、和衣がいらないなら、ちょうだい、て言ってたよ?」
「いらないよー、こんなの」
クレンジングクリームを顔中に塗りたくりながら、和衣は嫌そうにそう返した。
間違ってもスカートなんかいらないし、シャツもカーディガンも合わせが逆なので、やはり着たくはない。
1度和衣が着たものでも、ちゃんと洗濯をすれば、愛菜や眞織だって着てくれるだろうから、そっちのほうがいい(制服ショップに売るとか何とか、怖いことを聞いた気もするが、それは聞かなかったふりで)。
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僕らの青春に明日はない (91)
「ありがとー。…………ん? 何?」
祐介から借りたタオルで顔を拭いていたら、何だか祐介の視線を感じて、和衣はタオルから顔を上げた。
「いや…化粧した顔もかわいかったけど、やっぱ何も付けてないほうがいいよね」
「…………」
俄かに熱くなった頬をごまかそうと、和衣はもう濡れてはいない顔を、もう1度タオルでこすってみる。
だって絶対に顔が赤い。
常々、無意識に祐介の心を打ち抜くような行動や言動の多い和衣だが、同じように祐介だって、自覚なしに殺し文句を吐くのである。
(もぉ…祐介のバカ…!)
そう言いつつ、こんなことでいちいち照れている和衣も、相当バカかも…とは思うが。
「ねぇ祐介」
自分だっていつも祐介を惑わしていることを棚に上げ、こんなにもドキドキさせた祐介に、ちょっと仕返しをしたくなって。
「お化粧、ちゃんと落ちたから…」
「ぅん?」
「グロスの付かないキス、しよっか?」
予想外の和衣の言葉に頬を染めた祐介の返事を待たず、和衣はチュッとその唇を奪った。
*****
「イェ~イ、旅行け~~~んっ!」
ジャーン! と、いつぞやを思い出させる間抜けな効果音を自分で言いながら、真大は女装コンテストの商品である旅行券を、大きく掲げて翔真の前に登場した。
ちなみに本日は、女子高生姿ではない。
何しろ真大が元気よく飛び込んで来たのは、自宅アパートの部屋ではなく、寮の一室である、翔真の部屋だったからだ。
ノックすることの意味を本当に理解しているのか、相変わらず真大はノックとほぼ同時にドアを開けるので、まったく油断していた翔真は、驚いた弾みに机の角に足の小指をぶつけてしまった。
「翔真くん、翔真くん、賞品の旅行券だよ~!」
「いや真大、ちょっと待て…」
痛みに蹲る翔真は、はっきり言ってそれどころではない。
学園祭での女装コンテストで優勝し、見事10万円分の旅行券を獲得した真大の喜びは分かるが、今は少し待ってくれ。
「翔真くん大丈夫? だよね」
「軽っ! しかも何も答えてないのに、大丈夫とか決め付けられたし」
ようやく痛みから解放されつつある翔真は、すかさず突っ込む。
全面的に真大が悪いとは言わないが、責任の一端ならあるような気がする。
「もぉー、じゃあどうすればいいの? 舐めたげよっか?」
「アホか! イッテー…」
本気で心配する気あるのか? と訝しんでいる翔真には絶対に言えないが、痛みに堪えて、しかもちょっと涙目になっている翔真を見て、真大は内心、
(翔真くん、かわいい…)
とか思ってしまった。
もちろん、"あの"ときを想像して、である。
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僕らの青春に明日はない (92)
「えーもう、翔真くん、聞いてなかったの? もっかい最初からやりましょうか?」
「結構です」
別に聞こえていなかったから、聞き返したわけではない。
少しでもこの呆れ具合が伝われば、と思ったのだが、どうやらそれは翔真の儚い期待に過ぎなかった。
「賞品の旅行券だよ~。4万円分!」
ビラッと4万円分の旅行券を扇状に広げ、真大はそれを翔真に見せ付ける。
やる気満々だった真大は、もちろん自分のために旅行券を獲得する気も満々だったので、和衣と違って、分け前を遠慮なんかしない。
メイクや衣装を手伝った女の子2人が3万円ずつ、真大が4万円で旅行券を分けた。
ちなみに彼女たちは、ずっと一緒にいてくれた翔真にも、旅行券を分けたほうがいいのでは? と提案したのだが、翔真が断って受け取らなかった。
どうせ旅行は、真大と行くことになるのだ。真大がすでに4万円分も受け取っているのに、さらに翔真まで貰ったら、絶対に貰い過ぎだ。
真大以外と旅行に行く気もないので、これでいい。
「どこ行こっか、ねぇ~」
「んー…」
「温泉とか?」
「真大、温泉好きなの?」
真大のことだから、もっとアクティブに遊べる場所に行きたがるのかと思いきや、意外な提案だ。
しかし、それで終わらないのが真大だ。
「部屋に露天風呂とか付いてる旅館でー、お風呂エッチとか、どう?」
「どう? じゃねぇよ」
それは、温泉に旅行に行きたいというよりは、単にお風呂でエッチがしたいだけなのでは?
あまりにも分かりやすい発想に、翔真の突っ込みも雑になる。
「いいじゃん、いいじゃん。今度、ネットか何かで調べよ?」
「はいはい」
コスプレといい、何でコイツ、そういうAVみたいなノリが好きなんだろ…とは思ったものの、しかしそれは何となく自分にも当てはまる気がして、翔真は口に出せなかった。
「あ、そうそう、翔真くん、これ見て!」
「ん?」
真大は持っていたショップの紙袋を、翔真のほうに差し出した。
何気なくそれを受け取った翔真は、これまた何の気なしに袋の口を開き、――――その次の瞬間。
「だあぁ~~~~!!!」
寮の壁が薄いことなどすっかり忘れて、大絶叫した。
「まひっまっ…まひ、真大!」
「何?」
「『何?』じゃないでしょ! 真大さん、何ですか、これは!」
ビックリしすぎて翔真は、お嫁さんを叱るメロドラマの姑のような口調になっている。
しかし真大は、そんなこと気にするふうもなく、ニコニコしていて。
「女子高生グッズ。これ着たら、たちまち女子高生だよ?」
そう、真大が翔真に渡した紙袋の中に入っていたのは、例の女装コンテストで真大が着たなんちゃって女子高生に変身するための、衣装一式だったのだ。
翔真が絶叫するのも無理はない。
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僕らの青春に明日はない (93)
「貰っちゃった、て…、貰っちゃって、一体どうするつもり? 真大さん」
「翔真さんと、制服エッチ」
「お前の頭ん中、それだけかー!」
一体何と言って、あの女の子たちから貰って来たのだろう。
まさかこれからも自分で着るとは言わないだろうから、彼女に着せたいとか? いや、それでも言われたほうは結構引くと思うけど…。
「えっへっへ、今度は翔真くんが着てよー。そんで制服エッチしよ?」
「はぁ~…お前って、ホントにアホだな…。アホすぎてかわいい」
かわいいかわいい、と、翔真は真大の頭を撫でてやった。
そんな呆れ顔で言われたって、真大は何だか釈然としない。
「何それ。かわいいのは翔真くんのほうでしょ? あ、いいこと思い付いた。これ着て、温泉でお風呂エッチは?」
「あのなぁ。お前、何プレイがしたいんだよ」
もう全然意味が分からない。
女子高生と温泉が結び付いていないないし、お風呂エッチの時点で制服は脱いでしまっているから、女子高生が関係なくなっている。
「…そっか。じゃあ、翔真くんに制服を着てもらうのは、また別の機会にしよう」
「お前、俺に温泉で制服着せるつもりだったのかよ…」
しかも、翔真が制服を着るのは、決定事項なのか。
何だかもう頭が痛くなりそう…。
「いいじゃん。翔真くんだって、そういうの好きでしょ?」
「別に好きじゃ…」
「でも嫌いじゃないでしょ?」
「…………。別に、」
…嫌いじゃないことも、ないわけじゃないけど。
でもそんなこと、言ってやらないけれど。
「ふぅん。じゃあ、そういうのが好きな俺は――――嫌い?」
翔真に凭れながら、真大は複雑な表情をしている翔真の顔を覗き込んだ。
まったく、卑怯な質問だと思う。
それに嫌いだと答えられる男が、この世の中に一体いるだろうか。けれど。
「翔真くん?」
「…嫌い」
「えぇっ!?」
途端、真大が悲愴に満ちた顔になる。
ホント、アホすぎて、かわいい。
「――――なわけ、ないだろ、バーカ」
「…………。なっ…あぁーもう! 翔真くんのバカー、今めっちゃ焦った!」
「一瞬でも信じるなよ、お前」
「だって超真面目な顔して言うんだもん! もぉ~」
翔真にしてやられたのが悔しかったのか、真大にしては珍しく、顔を赤くして拗ねている。
でも、たまには、こういうのも。
「バーカ、好きだよ」
嫌いになるわけがない。
――――でも、制服を着せられるのだけは、ご免だけど。
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僕らの青春に明日はない (94)
「え、旅行行こう、て言わなかったの?」
バイト帰りに寄った隣のカフェSpicaで、2人で1つと頼んだ抹茶ロールケーキをつついていた睦月は、結局、祐介を旅行に誘えなかったという和衣の言葉に、思い切り呆れた顔になった。
「うん、言わなかったの」
「…カズちゃん、"言わなかった"んじゃなくて、"言えなかった"んでしょ?」
「違うよ、言わなかったの! 今度言うね、て言ったもん。楽しみに取っておくの」
「あっそ」
全然違うし! と力説する和衣に、睦月は興味なさげな相槌を打つ。
和衣と祐介がいつどこに行こうとも構わないが、旅行券を取ったそのタイミングとテンションで誘わずに、和衣が改めて祐介を旅行に誘えるとは思えないのだが。
「まぁ、がんばって誘ってよ。あ、出掛けたときは、おみやげよろしくね」
「うん、がんばる!」
実は睦月が内心呆れているなど気付いてもいない和衣は、がんばるねー、と張り切っている。
「ていうか、むっちゃんはどこに旅行行くの?」
抹茶仕立ての生クリームをたっぷり乗せて、和衣はロールケーキを頬張る。
和衣は、睦月たちがどこに旅行に行くかも興味があるが、それよりも睦月がどうやって亮を誘うのか、知りたい。興味とかでなくて、参考にしたいから。
「どこ行くのか、知らない。行くのかな?」
「旅行券貰っといて、行かないの?」
他人事のようなことを言い出す睦月に、和衣は先割れスプーンを銜えたまま、小首を傾げる。
「俺の分、亮が持ってんの」
「はぁ? 何それ」
「俺、旅行そんなに好きじゃないからさぁ。亮が連れてってくれるんなら、行ってもいいよー、て。だから旅行券、亮に持っててもらってんの」
「意味分かんないし。しかも何で上から目線?」
それに、一緒に旅行に行く楽しみは、行き先とかを一緒に決めるところから始まっているような気もするけれど。
「…結局ゆっちを旅行に誘えなかった人に言われたくないですー」
「さっ…誘えなかったわけじゃないってば! これから誘うの!」
「はいはい」
睦月の言うことは、ちっとも参考にならなかったし、おまけに軽くあしらわれてしまった。
「あ、先に言っとくけど、『どうやって祐介のこと旅行に誘ったらいい~?』とかって泣き付いて来たって、相談乗らないからね」
「ウグッ…」
先手を打たれてしまった和衣は、スプーンに乗せていたロールケーキを皿の上に落としてしまい、しかもすかさず手を伸ばして来た睦月に、それを奪われてしまった。
「じっ…自分でがんばるもんっ」
「なら、いいけど」
でも何となく、和衣は結局どうしていいか分からなくなってきて、睦月に泣き付いて来そうだし、最終的に睦月はそれを拒み切れないような気がする。
祐介がもっと、男らしくビシッと決めたらいいのに! と、幼馴染みの睦月は思うが、やはりそううまくは行かないようだ。
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僕らの青春に明日はない (95)
隣の席を片付け終えた朋文が、笑顔で睦月と和衣に尋ねて来た。
相変わらず王子様みたいキラキラしているし、動きもスマートだし、笑顔もすてきだし、これで一体どうして、いつも譲に怒鳴られているのか、2人は不思議でならない。
「それか、ケーキのおかわりにする? カズちゃんが女装コンテストで2位だったから、譲がお祝いに、今日は2人ともいくらでもどうぞ、て」
「マジで!?」
ご馳走してもらえるの!? と、先に食い付いたのは睦月だ。
和衣も、ケーキのおかわりに心を奪われそうになったが、次の瞬間、とんでもないことにふと気付き、それどころではなくなった。
「朋文…何で知ってんの? 譲も…」
「何を?」
「コンテスト、2位とか…」
学園祭の前にSpicaに来たとき、和衣が女装コンテストに出るという話は、朋文にしたけれど、その結果はまだ伝えていないはず。
いくら睦月でも、それを伝えるためだけにSpicaには来ないだろうし、他の誰かといっても、この店の客に、和衣と朋文に共通の知り合いなんていない。
とっても嫌な予感がする。
「朋文…?」
「えー、だって、譲と一緒にコンテスト見に行ったからさぁ」
「ッッッ…!!!!」
朋文は事も無げにそう言ったが、和衣のダメージは大きかった。
嫌な予感は、しっかりバッチリ当たった。
和衣は全然観客のほうを見れていなかったけれど、あの会場のどこかに、朋文はいたのだ。
しかし今になって思えば、亮や睦月たちだけでなく、和衣の知り合いなら、いくらでも会場にいた可能性はある。毎年、女装コンテストは人気のイベントだと言うし、多いにあり得る。
そんな中で、あんな失態を…。
「カズちゃん? カズちゃーん?」
「うぅ…、立ち直れないかも…」
「何で? 大丈夫、他のどの子よりも、カズちゃんが一番かわいかったよ?」
まるでドラマか、映画か。
爽やかなスマイルで、サラリと歯の浮くような決め台詞を吐いた朋文に、睦月はポカンとなった後、腹を抱えて笑い出した。
こんな台詞、実際に言って様になるなんて、この男くらいだろう。
ただ、かわいいとはいえ、男子大学生に向かって使う言葉ではないが。
「ううぅ…他人事だと思って…」
和衣が落ち込むのは、何も自分の女装が人と比べて劣っているから、というわけではない。
見当違いな慰めをされたうえ、それに受けて睦月が爆笑するから、和衣の気持ちはさらに沈み込んでいく。
「まぁまぁカズちゃん。おいしいケーキ食べて、元気出そ?」
これまた何の慰めにもならない言葉を掛けて、睦月がさっそくメニューを覗き込んだ。
「おぅ、好きなケーキ頼めよ。今日はご馳走するからさ」
先ほどお客が帰って、店内に和衣と睦月しかいなくなった気軽さで、珍しく譲もカウンターから出て、2人の席にやって来た。
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僕らの青春に明日はない (96)
「も…好きにして…」
「じゃあねぇ」
ウキウキとメニューを見ている睦月とは対照的に、暗い顔でテーブルに伏している和衣に、朋文も譲も何事かと顔を見合す。
せっかく2位になったというのに、この落ち込みようは?
「カズちゃん、朋文たちに女装したとこ見られたの、恥ずかしかったんじゃないの? えっと、俺ガトーショコラにする! カズちゃんは?」
「うー…ベイクド…チーズ、ケーキ…」
落ち込みつつも、今日、抹茶ロールケーキとどちらにしようか迷ったベイクドチーズケーキを頼む。
睦月の言うとおり、これを食べて元気を出そう。
「あ、ねぇねぇ譲ー」
一足先に、紅茶のおかわり持ってくるよ、とカウンターのほうに戻る朋文に続こうとした譲を、睦月が呼び止めた。
「譲はさぁ、何の女装したの?」
「は?」
「女装。昔したんでしょ? かわいかったって、朋文が言ってたからさぁ。ねぇねぇ、どんなだったの?」
この間Spicaに来たとき、朋文から譲の女装はかわいかったと聞かされ、それ以来、睦月はずっと興味があったのだ。このいかつい坊主が、どんなふうに変身したのかを。
しかし、興味津々、無邪気に問い掛ける睦月の言葉に、譲の口元がヒクヒクと引き攣り出す。
ただでさえ、怖いと思われてしまいがちな譲の容貌。それがさらに凄みを増すのだから、普通の人なら、何もしていなくても思わず『すみません!』と謝りそうになるところ、睦月は慣れたもので、何も気にしていない。
それに譲も、いくら睦月が気心の知れた友人とはいえ、お客はお客。店で怒鳴れるわけもなく。
つまりその怒りの矛先は。
「と~も~ふ~み~~~、てめぇ~~~~!」
地を這うような低い声が、朋文の名を呼ぶ。
それに朋文が反応するよりも早く、譲は、優雅に紅茶を注いでいた朋文の元に詰め寄ると、その胸倉を掴み上げた。
「なっなっなっ、ちょっ譲! ギブギブ!」
「うるせぇ~~~!」
どうしていきなり譲が怒り出したのか、まるで見当のついていない鈍感な王子様は、「紅茶、零れる…!」と、これまた的の外れたことを言って、さらに譲の怒りのボルテージを上げてしまう。
「ひいぃ~助けて~~~」
朋文の情けない声が、店内に響く。
けれど。
「ケーキ、まだかなぁ」
「ねぇ~」
たった今、譲の怒りに火を点けたのは間違いなく睦月だが、そもそもそれを睦月たちにバラした朋文が悪い。
勝手に責任転嫁をした睦月は、のん気に次のケーキを待つ。
「朋文~~~!!」
ここにも、過去を消したい男が1人。
*END*
ここまでお付き合いありがとうございました。
秋の話を、冬から始めて春、そして初夏になってしまいました。1度も秋を掠らず!
訪問してくださるみなさんをはじめ、コメント、拍手、ランキングクリックしてくださるみなさん、大変励みになりました。
ありがとうございました。
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キスに溺れて眠りたい
これがあの普段の色男かと思うと、ホント笑っちゃう。
「拓海~、起きろ~」
拓海と同じシーツに包まりながら、目覚まし時計の音に反応して眉を寄せている拓海の眉間を、人差し指でグリグリと押す。
「ぅう~…」
「たーくーみー」
グリグリ、グリグリ。
「うー……あだだだだ……え? は? あ? 悠ちゃん?」
「おはよ」
「お、はよ…? って、え? 何? 痛ぇ…」
寝起きでまだわけの分かんない様子の拓海は、俺が指で押してた眉間をさすってる。ふはは、バカみたい。
「もう起きる時間ですよー」
2度目のアラームが鳴り出した目覚まし時計を取って、拓海の顔面に押し付ける。
「だぁ~うっせぇ!!」
「だったら起きなさーい」
アラームを止めようと、目を閉じたまま手を伸ばしてくる拓海。俺はその手とは反対のほうへと時計を動かす。
「悠ちゃん、うるさい…」
「うるさいじゃない、もう起きるの。間に合わなくなったら、どうすんの?」
「あー…うー……」
「ホーラ、観念して起きなさい。あっ!」
まだウダウダしてる拓海の耳元に目覚まし時計を近付けてたら、すかさず拓海の手がアラームを止めてしまった。
「あーもうっ! バカ!! いい加減にしないとぶっ飛ばすぞ!!」
もともと気の長いほうじゃない。
あと1回怒鳴って起きなかったら、絶対ぶっ飛ばしてやる!
「たーくー……」
「んー……起きる、起きるから……ねぇ、チュウして?」
「はぁ!?」
「チュウしてくれたら起きる~」
ゴシゴシ目を擦ってるけど、全然開きそうもない拓海の目。なのに口ばっかりは達者なんだから。
「ねぇ、悠ちゃーん…」
「んー…」
ちょっとだけ考えて。
俺は片方の手を、拓海を跨ぐようにして突いて、顔を近づける。そしたら、うっすらと拓海の目が開いた。
バカ、起こしてやんだから、目ぇ開けんなよ、ムードねぇなぁ。
まずはそっと唇を寄せて、すぐ離す。
でも、拓海が『これで終わり?』って言う前に、もっかい触れる。今度はちょっと長めに。拓海の唇を舐めてから、舌を滑り込ませる。
ここまでは予期してなかったのか、拓海の体がピクッとなったのが分かった。でもやめない。舌を絡める。
「ん…ぅん」
たっぷりと拓海の舌を味わって、それから唇を離す。2人の間が銀の糸で繋がって。俺は手の甲で自分の口元を拭った。
「悠…」
「起きてv」
2人の唾液に濡れて、ツヤツヤしてる拓海の唇に、もっかいキスする。
「ゆっ…」
ようやくちゃんと目が覚めたみたい。
何か顔赤いみたいですけど。フフ、俺がこんなキスするなんて、思ってなかった?
「……悠ちゃん、俺にこんなキスしといて、それで終わりだと思うなよ~」
「何が?」
「1回ヤらせて?」
言うと思った。
でも残念でした。
「時計を見なさい、拓海くん。もう起きなきゃ学校に間に合いませーん」
「な゛っ!? そりゃねぇだろ、ちょっ…悠ちゃん!」
「チューしたら起きる約束でしょ? はい、起きた起きた」
ワタワタしてる拓海を放って、俺はさっさとベッドを降りる。
「悠ちゃん~」
「さっさと起きない罰です」
「ちっくしょ~!!」
*END*
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そのキスは涙の味がした (前編)
いつもながらに熱烈歓迎されて、遥斗は中に通される。
「あのさ、マコ……別に逃げたりしないから、そんなにギュッと抱き付かれると、歩きづらい…」
背後からキュウキュウと抱き締めてくる真琴をくっ付けたまま、勝手知ったる真琴の部屋へと向かう。
「だってさぁ、あ~はーちゃんだぁ、て思って。俺、今はーちゃんが超不足してんの」
「はいはい」
すっかり甘えモードの真琴の頭を後ろ手に撫でながら、部屋に辿り着くと、遥斗は、背中にへばり付いた真琴をベッドに落とした。
「あーもう! はーちゃん、ひどい!」
「もう大人なんかだから、甘えないの」
「ひどい、ひど~い!!」
子どもみたいにベッドでジタバタする真琴に溜め息をつきつつも、遥斗はカバンを床に放って、ベッドの縁に腰を下ろした。
「マコの甘えんぼ」
クシャリと髪を掻き混ぜると、真琴は満足そうに最高の笑顔を見せた。
「せっかく今日はマコが見たいって言ってた映画、借りてきたのにな」
「マジで!?」
「うわっ!」
喜びのあまり、真琴がベッドから飛び起きて遥斗に抱き付くものだから、まったく身構えていなかった遥斗は、その勢いのままベッドに倒れ込んでしまった。
「マーコ! 危ないでしょ?」
ギリギリ、ベッドから落ちずに済んだ遥斗は、子どもを叱るときのような口調で真琴を呼んだ。
「ゴメン……だって嬉しかったんだもん!」
咎められても、真琴は遥斗に抱き付いたまま、その肩口に鼻を摺り寄せていて。結局は真琴に甘い遥斗は、イイ子イイ子と、真琴の頭を撫でてやった。
「はーちゃん、早く見よ?」
「……マコ、ちょっと離れて」
「ヤダ」
「このままじゃDVDセットできないんですけど…」
遥斗は至極当然のことを言ったというのに、それに対して真琴は、「しょうがないなぁ」なんて言いながら、ようやく遥斗から離れた。
DVDをセットしてリモコンを持って振り返ると、ベッドに背中を預けて床に座る真琴が、腕を広げながらニコニコ待っている。
(まさか、その腕の中に収まれと?)
ガタイがいいというわけではないが、身の丈180cmの男が、自分よりも小柄な真琴に背中から抱き締められる姿は、どうもいただけない。
けれど真琴はそうする気満々のようで、「はーちゃん、こっち来て! ここ座って!」と手招きしている。
「あのさ、マコ…」
「ここ座って?」
「座ってもいいけど……そうするとマコ、テレビ見えなくない?」
「あ、」
身長が10cmも違うのだから、いくら遥斗がスタイル抜群で、座高より足のほうが長いとは言っても、真琴の視界を思いっ切り遮ってしまうのは明らかだ。
「んー…じゃあ、こっち!」
真琴がポンポンと指し示したのは自分の隣で。わざわざクッションを引っ張り寄せて、遥斗の座る場所を作ってやった。
その仕草1つ1つを愛おしく思い、遥斗は頬を緩めた。
言われたとおりに遥斗が隣に座ると、真琴はさっそく、遥斗の肩を抱き寄せた。
本当は自分のほうが甘えたいくせに、まるで遥斗のことを甘やかしているような感じだ。
(まぁ、マコが満足そうだから、いっか)
肩に感じる、温もり。
遥斗は素直に真琴の肩に身を預けた。
こちらもお久しぶりです、はーちゃん&マコちゃん。タイトルは1204様から。thanks!
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そのキスは涙の味がした (後編)
構われないのは寂しいけれど、本当に見たがっていたもののようで、借りてきて良かったと、遥斗は嬉しくなる。
遥斗も画面に集中し、映画がクライマックスに差し掛かったところで、不意に真琴の鼻を啜る音が聞こえて、遥斗はそちらに視線を向けた。
(あー……マコ…)
涙もろい真琴は、すでに目にいっぱいの涙を溜めている。素直な涙。そんな真琴を、遥斗はかわいいと思う。
遥斗は映画の後半、殆ど真琴ばかり見ていた。
零れ落ちる涙。遥斗の指先が、真琴の頬に触れる。
「はーちゃ…?」
「映画、見てて」
真琴の視線を画面のほうへと促す。遥斗は少し身を動かすと、真琴の髪の間に指を挿し入れ、涙に濡れた頬にキスをする。
「ちょっ…」
「ダメだよ、こっち見ちゃ」
何度もキスして、涙の痕を舌で辿る。
真琴の体はビクビクと震え、遥斗のほうを見ようとするけれど、そのたびに遥斗にテレビのほうを向くように諭される。
しばらくして遥斗の唇が離れ、ホッとしたのも束の間、映画の感動のシーンに触発されて、真琴は再び号泣。
すると遥斗の指がまた、頬を辿る。
「……も…、や…」
観念したように、真琴は遥斗の胸に頭を凭れた。映画はエンドロール。遥斗の言いつけどおり、何とか最後まで持ち堪えたけれど。
「はーちゃんのバカぁ…」
「何が? マコこそ、こんなに泣いちゃって、明日目が腫れても知らないよ?」
胸元の真琴の顔を上に向けさせる。涙でグチャグチャになった顔。それでもかわいく見えるのは、欲目ではないと思う。
「……お母さんに何か言われたら、はーちゃん、言い訳してよね。はーちゃんが借りてきた映画見てこうなったんだから」
「マコの泣き虫。目、閉じてごらん?」
「何で?」
「いいから」
不思議顔の真琴の、濡れた頬を拭ってやり、素直に目を閉じた真琴に、遥斗は頬を緩める。それからそっと、まぶたにキス。
ビクッ。
予想していなかった行動だったのだろう。真琴の肩が大きく跳ねた。うっすら目を開けると、まだ至近距離に遥斗の顔があって、真琴は再びギュッと目を閉じた。
今度は反対のまぶたにも。
柔らかな唇の感触。
「はーちゃ…」
「……ん…」
静かに唇が離れて。ゆっくりと目を開ける。
「……何でまぶただけなの?」
「明日、マコの目が腫れてませんように、ってことで。ねぇ、ちゃんと補給できた? 遥斗不足の真琴さん?」
……………………。
「まーだ!」
もっと…とねだるように、真琴は遥斗の首に抱き付いた。
*END*
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それでも好きなんだよ
あーあー…。
「うん、うん、それは分かってんだけどさぁ」
もう1時間。
かれこれ1時間は経ちますよ。
「えー、でもぉ…」
熱心に慶太が話をしている相手。
それは俺なんかじゃなくて、………………携帯電話。
こいつはもう1時間も俺を放って、携帯電話でお話し中。
俺だってそんなに心の狭い男じゃないけど、こればっかりは。いや、電話の相手が例えば俺の知らない慶太の友人だったらまだしも、相手は歩!
そうあの歩ですよ。
お前、明日学校あんだろ? そこでまた歩と会うんだろ!?
なのに何で、久々に会った恋人の俺をほったらかしにして、小一時間も電話中なんだよ!?
「慶太ー」
相手にされないのがつまんなくて、足先で慶太の脇腹をつつくと、ビクッと慶太の体が跳ね上がって、直後、キッと睨み付けられた。
コワッ! こいつって目力あるから、睨まれると結構怖いんだよなぁー。
でも俺、めげない!
もっかい慶太のほうに足を伸ばすと、それに気付いた慶太が、俺の足を叩いて落とした。
「テッ…」
ものすごい邪魔そうに俺のことを睨んで、慶太は俺の足が届かない範囲まで逃げていった。
おいっ! そりゃねぇだろ!?
「けーいーたー」
「もう、相川さん、うるさい」
携帯電話の受話口に手を当てて、迷惑そうにしている慶太。
でももう絶対に怯まない!
「テレフォンタイムは終わりです、慶太くん」
「え? ちょっ…相川さん!?」
慌てる慶太をよそに、慶太の手から携帯電話を取り上げる。電話の向こう、『慶太、どうしたのー?』なんて、のんきな歩の声がする。
「じゃ、そういうことだから、バイバイ歩」
『え? 智紀? は? え?』
まさか慶太の側に俺がいたなんて思ってもみなかったのか、歩は驚いた様子だったけど、それを無視して電話を切った。
「あ、相川さん…??」
「もうお預け食わされんのは、終わりだよな?」
「ちょ、ちょ、ちょっ、待っ…」
慶太の携帯電話をベッドのほうへと放って、抵抗しようとする慶太の両手を掴んだ。
「相川さん、あの、ちょっ…」
さっきまでキツイ視線で俺を睨んでた目が、ちょっと怯えを含んだようにオドオドと俺を見てる。
バカ、そんな顔したら、余計襲いたくなるだろ?
「相川さ……ま、待って…!」
「待てませーん」
ジタバタしてる慶太を封じ込めて、その唇を奪う。
「このままここでヤられんのと、おとなしくベッドに向かうとの、どっちがいい?」
唇に吐息が掛かるほどの距離で、とっておきの甘い声を出す。
すでに赤くなっていた慶太の顔が、ますます赤くなってって。その真っ赤な耳を食む。
「ひゃっ…!」
ビクッとなった慶太を抱き寄せる。
「どーすんの、慶太」
追い詰めるように、慶太の耳元で囁く。
熱く潤んだ瞳で見つめられて。
「…………ベッド……」
慶太のその言葉を聞き終わる前に、俺は慶太を抱き上げた。
歩なんかに、ぜってぇ負けねぇ!!
*END*
相変わらず…どうも相川さんより歩くんを優先してしまいがちな慶タンでした。
タイトルは「約30の嘘」様より。thanks!
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Pure Blue (1)
Hinata
「陽向(ヒナタ)、ゴメンっ!! ホンットーにゴメン!!」
「あ、いや…」
固いフローリングの床に正座して、深々と頭を下げるのは、eternityのリーダー朔也(サクヤ)くん。
俺はベッドの上。
つまりこの人は、冷たいフローリングの上で、同じグループのメンバーである俺に向かって、朝っぱらから土下座をしているわけで。
俺はと言えば、この国民的トップアイドルから土下座をされるという、日本中の女の子を敵に回しかねないこの状態に、寝ぼけた脳細胞も相まって、ただ間抜けな声を上げるだけ。
「ゴメンなさいっ!!」
「いや、あの…」
とにかく頭を上げてくださいって言おうとして、でも声が掠れてうまく喋れなかった。
じゃあ、とりあえずパンツ一丁で土下座なんてしてないで、服を着てください、て言おうかとも思ったけど、素っ裸でグチャグチャなシーツを纏っているだけの俺には言われたくないだろうから、黙った。
「陽向、体、大丈夫!?」
「はぁ…」
夕べ、朔也くんに抱かれた。
抱っこされたとか、ギュッと抱き締められたとかじゃなくて、セックスをしたってこと。
ちなみに、酔った勢いです。
じゃなきゃ、どう間違ったって、朔也くんが俺を抱くわけがない。
俺はもともとバイで、男に抱かれることに抵抗はないから気にしてないんだけど、朔也くん的には、酔った勢いでヤッちゃったことも、その相手が男で、同じグループのメンバーだってことも、相当なショックみたい。
行きずりの女の子とヤッちゃって、後々面倒を起こすよりは、こっちのほうがまだマシだとは思うけど…。
「陽向!」
「はい?」
「こんなことしといてこんなこと言うの、ホントにあれなんだけどっ!」
「はい」
「なかったことにしてください!!」
「……はい」
そりゃそうだよね。
押しも押されもせぬ国民的トップアイドル、ちょっとニッコリ微笑めば、女の子なんて簡単に落とせちゃう(実際はそんなことしないだろうけど)朔也くんが、酔っ払ってたとは言え、男を抱いちゃうなんて。
人生最大の汚点に違いない。
「いいですよ、なかったことにして」
本当は。
朔也くんのことは、"そういう意味"で、ちょっといいなって思ってたから。
なかったことにするのは、惜しい気もしたけれど。
俺の考えと朔也くんの思いは、どうやら交わることのない、平行線上にあるみたい。
eternityは「気付かせないで、恋心」に出てくるアイドルグループです。
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Pure Blue (2)
Sakuya
陽向と、寝てしまった。
セックスをしてしまった。
男とヤッてしまった。
そして、なかったことにしてしまった。
あの日は聡と陽向と一緒に飲んでて、すげぇ楽しくて、そんなにいっぱい飲んだつもりもなかったのに、でも気が付いたら俺はベッドの上で、陽向とセックスしてた。
何してんだとは思ったけど、アルコールで麻痺した頭は、それよりも快楽を選んだ。
陽向とのセックスは気持ち良かった。
俺の下で喘ぐ陽向を、男だって分かってんのに、ちょっとかわいいとか思った。
今になってみれば、何でそのまま続けちゃったのか、て思うわけ。
最中、『何してんだ』て思った時点で、何でやめちゃわなかったのかって。
でもでも、陽向も抵抗しなかったし!
いくら俺のほうが鍛えてるからって、本気で抵抗すればどうとでも出来たはずなのに。
男がオカマ掘られようとしてんだよ?
普通、死ぬ気で抵抗すんじゃん?
「陽向、男に抱かれんの、初めてじゃなかったりして…………って、」
なぁーんちゃって。
超つまんねぇ…。
つーか、たとえ陽向が"ソッチ"のほうの人だとしても、酔った勢いで抱いちゃダメでしょ、俺!
でも陽向は、責めなかった。
ひどい言葉で俺を罵らなかった。
サイテーな俺に、何も言わなかった。
そして。
なかったことにしてくれって俺の言葉に、すんなり賛成してくれた。
そりゃそうだよね。
いくら酔っ払ってたからって、男に抱かれちゃうなんて。
人生最大の汚点だ!!
……でも、その汚点を作ったのは俺だ。
俺は、サイテーな男だ。
けど、なかったことにした。
明日からは、いつもどおり。
俺たちの思いは、たぶん1つだ。
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Pure Blue (3)
Hinata
「うぅ~ん」
ベッドの上。
柔らかいブランケットに包まって、もぞもぞ、うだうだ。
何となく、体がダルイ。
「陽向、どうしたの? 具合悪い?」
「んーん」
勝手知ったる唯人の家。
人んちのベッドで、何してんだ、俺。
「陽向?」
ウダウダしてる俺の頭を撫でる、唯人の手。
気持ちいい。
…………眠い。
目を閉じると、何だかそのままウトウトしてきちゃう。
「何、恋煩い?」
「どうかな」
体が、ね。
覚えてるんだよね。
朔也くんとのセックス。
最近、ご無沙汰だったせいかな。それとも朔也くんが上手だったからかな。
「いい男、見つけたとか?」
唯人の手が止まって、俺は目を開けた。
目が合う。
唯人は、俺がゲイだってことを知ってる、数少ない人。
ゲイって、今は結構知られるようになったけど、それでも自分がそうだと打ち明ければ、引かれること必至なマイノリティだ。
なのに唯人は、普通だった。
俺のカミングアウトを、気味悪がるでもなく、笑うでもなく、ごく普通だった。
だから今でも親友でいられるんだけど。
「カッコいい人?」
「うん。……でも、叶わないって知ってるけど」
「そうなんだ」
「ん」
だって、なかったことにしちゃったし。
ちょっと、もったいなかったかな。
「んぅ~…」
「何、どうした、陽向」
「…………寂しい」
「俺に言ってどうすんの?」
「甘やかして」
「十分すぎるほど、甘やかしてると思いますが」
はぁ~…、これで今一緒にいるのが、例えば数少ないゲイ友だったら。
去年別れた元カレだったら。
最近お付き合いしてるセクフレの彼だったら。
"そういう"つもりで、うんと甘やかしてくれるのに。
でも唯人は、ゲイじゃないし、ましてや恋人じゃない。
キスの1つでもしちゃったら壊れてしまう、脆くて儚い友情で結ばれた親友。
「唯人ー」
「ん? 何?」
「俺、唯人と友だちで良かった」
「……そっか」
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Pure Blue (4)
Sakuya
CDの発売日が近いから、プロモーション活動で、メンバー全員で会うことが多いこのごろ。
"アレ"以来、陽向と会うのが億劫だったけど、実際に会ってみたら、陽向は今までとまるで何も変わらない。
確かに俺は、なかったことにしてって言ったけど、それにしたって陽向は、俺らの間に本当に何もなかったかのように、不自然さは何もない。
避けられるかと思えばそうでもないし、かといって変に話し掛けてくるでもなくて。
本当に申し訳ないけれど、ちょっとホッとしてる俺がいる。
「あれ、朔也、疲れてる?」
収録が始まるまでの、少しの時間。
ソファに寛ぎつつ目を閉じてたら、聡の声がした。
確かに体は少し疲れてるかも。
新曲のプロモーションのほかに、ドラマの撮影も始まったしね。
「……ちょっとね」
「ふぅん」
近くに気配を感じて目を開ければ、聡が隣に座ってた。
「寝る?」
「寝ない。起きれなくなるから」
「起こすけど?」
「平気」
だって、寝ると夢に出てきちゃうんだもん。
陽向が。
あのときの、陽向が。
俺の下で乱れまくってた、いつもとはまるで違う顔をした陽向が。
……って!
ヤバイヤバイヤバイ!!
こんなとこで、そんなの思い出してどうするっ!!
つーか、陽向だし!
男だし!
なかったことにしたんだし!!
「朔也、大丈夫か? 何か変な顔してるけど…」
「あー……うん、何とか…」
本当に心配そうな顔で俺を覗き込む聡の向こう、唯人と1冊の雑誌を見てる陽向が視界に入る。
(唯人とは、普通に仲いいんだよなー…)
いや別に、俺だって仲が悪いわけじゃないけど。
でも嫌われてもおかしくないようなこと、しましたけどね。嫌われても……ていうか、軽蔑されてもおかしくないようなこと。
でも、律儀でまじめな陽向は、俺との約束を忠実に果たして、今までどおり。
それを寂しく感じる俺は、とてつもなく身勝手な男だ。
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Pure Blue (5)
Hinata
最近、唯人の家ばっか来てる。
だって居心地いいんだもん。
(あ、この朔也くん、カッコいー)
ブランケットに包まって、先月号のアイドル雑誌を広げる。
こういうときって、普通にファン目線だ。
これだけカッコよくてでアイドル然としてて、男前なんて、そうそういるもんじゃない。
それが同じグループにいるんだもん、それだけですごい奇跡だ。
「何見惚れてんの?」
うつ伏せで覗き込んでた雑誌に影を落としたのは、ヒョイとそれを覗き込んできた唯人。
ポタッと、紙面に雫が垂れる。
「ちょっ唯人、頭拭けよ。垂れてる!」
「朔也じゃん。陽向の好きな人って、朔也なの?」
「違うよ。カッコいいとは思うけど」
「ふぅん」
だって、これだけの人よ?
ゲイじゃなかったとしても、男が見たってカッコいいと思うっしょ?
「陽向ー、ケータイ鳴ってるよ」
「んー貸してー」
ベッドでグダグダしながら言ったら、面倒くさそうに、それでも唯人が携帯電話を放ってくれた。
「あー…」
背面ディスプレイに表示されたのは、人に見られてもいいように偽名で登録した、ある人の名前。
髪の毛を拭いてる唯人がチラッとこっちを見たのが分かったけど、俺はさらに丸くなってブランケットに潜り、電話に出た。
電話の相手は、まぁ何て言うか、広い意味でお友だち。
でも携帯電話には偽名で登録しなきゃいけなくて、年は一回りも上で、会ってすることはセックスなんだけど。
まぁ要は…………セックスフレンドです。
で、こういう時間に電話が掛かってくるってのは、つまり、そういうことです。
「行くの?」
電話を切って、もそもそベッドを下りれば、ドライヤーを出してる唯人に声を掛けられた。
「…ん、行く。ゴメンね、唯人」
「何で俺に謝るんだよ」
「いや、何となく」
「明日も仕事なんだからな」
「分かってる。じゃあね」
ちょっと心配そうな顔をしてる唯人に申し訳なく思いながら、でも俺の心と体は正直で、唯人じゃ埋めてくれない寂しさは、やっぱり彼に会うことでしか解消できない。
アイドルなのに、ゲイだし、男のセクフレとか作っちゃって、ヤバいよなぁとは思うけど、相手も結構イイとこの企業で、それなりに地位もある人だから、バレたらまずいのはお互い様。
他に関係を持ってる人もいないから、このことがバレる心配はまずない。
「さむ…」
外の空気は思いのほか冷たくて。
俺はマフラーを口元まで引き上げると、心の片隅で、ちょっといいなって思ってた朔也くんとは、似ても似つかない彼のところへ急いだ。
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Pure Blue (6)
Sakuya
スケジュールの関係で、ホテルに宿泊。
残念ながら1人1部屋にはなれなくて、どうやら2人1組らしい。
こういう場合、前なら聡と一緒の部屋になることが多かったのに、何だか聡くん、最近、希尋ととぉーっても仲良しさんになっちゃったみたいで。
ホラ今日も、さり気なく同室になろうとしてる(別にいいけど、隣の部屋に聞こえないようにね)。
てことは、唯人と陽向が一緒の部屋になるだろうから、俺は亜津季とか…て、思ってたんだけど。
「ッ、危ねっ! 亜津季、バカ、まだ寝んなっ」
部屋割りを決めている最中だというのに、すでにおねむモードの亜津季は、立ったまま寝そうになって、ガクリと膝が崩れたところで唯人に支えられた。
「ねむ…寝る…」
「あー、分かった分かった、もう寝るからっ。ホラ、部屋行くぞっ。朔也と陽向は? いいよね?」
根っからの世話焼き体質の唯人は、睡魔に襲われてどうにもならなくなっている亜津季を立たせながら、面倒臭そうに俺たちのほうを見た。
唯人からは、もう何でもいいから部屋に入っちゃいたい感が漂ってて、今さら部屋割りがどうとか言い出せる雰囲気じゃない。
陽向もそれを感じ取ったのか、黙って唯人から部屋のキーを受け取った。
「じゃ、お休み」
フラフラしている亜津季を連れて唯人が部屋に入ると、陽向は肩を竦めて俺のほうを見た後、キーを差し込んだ。
「朔也くん、疲れてるでしょ? 先にシャワー使ってください」
部屋に入ると、適当に荷物を解きながら、陽向はこちらを見ることもなくそう言った。何となく無駄な会話をするつもりがないのが分かって、俺は素直にそれを受け入れる。
こんな疲れた日は、ゆっくり湯船に浸かりたい気分だけれど、2人で1つの部屋に詰め込まれたホテルのユニットバスじゃ、床を濡らさないようにシャワーを浴びるのが精いっぱいだ。
体中の泡を落として、頭からシャワーを浴びる。
熱いような、冷えたような、おかしな感覚。
あの日のこと、確かになかったことにしようとってことにしたけれど、それにしても陽向には微塵の警戒心も見えなくて、逆にこちらが不安になる。
口では納得したように言っても、普通、酔った勢いで襲っちゃったようなヤツと、同室になるなんて、嫌じゃないのかな。
あのことでこれ以上ギクシャクはしたくないから、そういう態度はありがたいけれど、それにしたって。
「はぁ…」
これ以上、もやもやと考えったって、仕方がない。
過去は変わらないし、陽向の態度は今までどおりだし、俺だって普通に振舞うしかない。
覚悟を決めてバスルームから出ると、陽向は携帯電話を握り締めたまま、寝息を立てていた。
メールの返事とか待ってるうちに、寝ちゃったのかな?
「陽向、風呂空いたよー。陽向ー」
気持ち良さそうにスヤスヤしてるのを起こすのはかわいそうだけど、風呂を明日の朝にするんだとしても、このまま寝ちゃうのはまずいから、陽向の肩を揺さぶって、起こしに掛かる。
「ひーなーたー」
「……ん、ぅん…」
陽向はもぞもぞと身じろぐけど、なかなか起きない。
もしかして、思ったよりも寝起きが悪い? さっき寝たばっかのはずなのに。
何度かゆっくりと瞬き。ぼんやりと夢うつつに、顔を覗き込んだ俺のことを見ている。
寝惚けてる?
陽向の手が伸びてきて、俺の頬に触れた。眠いせいか、少し体温の高い指先が頬を辿り、髪の毛に触れる。
「ひな、た…?」
そっと、毛先に絡む、陽向の指。
俺は固まったまま、動けない。
「――――……え……」
ボンヤリとしていた陽向の焦点が、俺へと定まる。
「朔也、くん…?」
するり。
陽向の指先が、俺の唇に触れた。
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Pure Blue (7)
Hinata
セクフレの彼にメールして、返事を待ってるうちに、寝てしまっていた。
ふと肩を揺さぶられる感覚に意識が戻って来て、やっと寝ているんだってことに気が付いた。
言い訳するとすれば、直前まで彼とメールしてたからとか、ここが自分ちじゃなくてホテルだったからとか、何かここんとこずっと心がポッカリ寂しくて甘えたかったからとか、いろいろ出来るんだろうけど。
俺は何を思ったか、起こしてくれてる朔也くんをセクフレの彼と勘違いし、あまつさえ甘えるような仕草までしてしまっていた…!!
「わっわっわっごごごごごごゴメンなさいっ!!」
慌てて朔也くんから手を離し、まさに言葉どおり俺は飛び起きた。
「…陽向、寝惚けてたの? 彼女と間違えた?」
若干顔を引き攣らせつつ俺を見てた朔也くんが、苦笑しながら体を起こしたので、俺はベッドの端まで逃げていって、大げさなほどブンブンと頭を振って頷いた。
寝惚けていたのは間違いない。
完全に寝惚けてた。
けど、間違えたのは、"彼女と"じゃない、"彼と"だ。
顔が熱い。
「風呂、空いたから」
「――――ぁ…は、はい!」
俺はベッドを飛び降りて、寝巻き代わりに置いてある浴衣を引っ手繰り、バスルームへと駆け込んだ。いや、逃げ込んだ。
「はぁ…」
バタン! と勢いよくドアを閉めた後、そこに寄り掛かったら、足の力が抜けて、その場にズルズルとへたり込んでしまった。
「何してんだ俺…」
とにかく冷静になろうとして、けれど冷静になったらなったで、自分の仕出かしたことの重大さに、恐ろしくなった。
(心臓が痛い…)
とりあえずシャワーを浴びて、頭を冷やして、いっそ湯船にお湯を溜めてゆっくり入ろうか、そうすればきっと上がるころには朔也くんも寝てるはず。
でもお湯が溜まるまでこんなところいるなんて、ちょっとキツイ。ゆっくり浴びればいい、ゆっくり。
「冷た…」
思い体を何とか動かして湯船に入りシャワーを出せば、温度調節がうまく出来なくて、殆ど水って言っていいほどのぬるま湯が降って来た。
こんなのいつまでも浴びてたら、絶対風邪引いちゃうよって思う反面、もしお湯全開だったら火傷しちゃってたよ…なんて呑気なことを考えてる自分もいる。
「はぁ…」
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
なかったことにしたのに、意識しないって決めたのに、知らずに前よりももっと朔也くんのこと、気にするようになってた。
そりゃ朔也くんのこと、やましい気持ちで見たことは、何度かあるけど。
でも朔也くんとセックスするなんて、天地が引っ繰り返ったってあり得ないことだから、自分の気持ちを、憧れだとかファンの子が抱くような恋心だとかと同じだって、思い込ませるのは簡単だった。
なのにこんなことになっちゃって、自分の気持ちをどう整理していいか分からない。
なかったことにしなきゃいけないのに、そんなに簡単に割り切れない自分。
おかしいよ。
酔った勢いじゃなかったとしても、1回だけのエッチとか、あるじゃん。普通に男と女のカップルだって。
別に酔っ払ってたからとか理由を付けなくたって、その場限りのお遊び、てことで、そっから先の関係を求めないことなら、いくらでもある。
例えば今のセクフレの彼だって、何となく利害も一致してるし、体の相性もいいから続いてるけど、別にいつ切れたっておかしくない関係。
そういうのと一緒だと思えばいいのに。
なのにどうして俺は、朔也くんとの関係だけに、意味を持たせたがるんだろう。
(いや、そんなの、もうとっくに理由なんて分かってるけど)
だからって、どうにか出来るわけじゃなくて。
何て残酷。
やっぱり気付かなきゃよかったよ。
こんなことになる前から抱いていた感情は、憧れだとか、ファン目線の情熱的な想いだとか、そんなんじゃなくて。
(―――――ずっと好きだったんだ…)
―――――ガンガンガンッ!!
『陽向、大丈夫!?』
―――――え…?
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Pure Blue (8)
Sakuya
寝惚けての行動とはいえ、あの陽向の仕草は、心臓に悪い。
陽向の彼女のことなんて全然知らないけど、やっぱ彼女にはあんな風に甘えるわけ? いやいやいや、別に知りたいわけじゃないし。
「はぁ…」
ベッドに身を投げた。
もう寝よう。
陽向より先に寝よう。
きっと陽向的にも、そのほうがいいって思ってるはず。だって風呂から上がって俺が起きてたら、絶対また気まずいだろうし。
(……………………眠れねぇ…………)
別に何を意識してるわけでもないし、体はひどく疲れてて、睡眠を欲してるのも分かっているけれど、一向に眠くならない。
はぁ…陽向には悪いけど、眠れないなら眠くなるまで起きてるよ…。
何時になったんだ? て備え付けのデジタル時計に目をやれば、日付が変わってしばらくしてた。
ふと、思う。
陽向がバスルームに逃げ込んでから、もう50分以上経ってる。
湯船にお湯を張って入るならそう長い時間じゃないかもしれないけど、シャワーだけなら、どう考えても長い。
具合が悪くなって倒れてるわけじゃないよね? そんな物音もしなかったし。
そっとバスルームに近づけば、中からはシャワーの音がする。それ以外の音はしなくて。
「…陽向?」
軽くノックをして、返事を待つ。
無事なら無事で、それでいいんだ。
でも反応はない。
シャワーの音に邪魔されて、聞こえないのかもしれない。
もう1度ノックする。さっきよりも強い力で。
「陽向、大丈夫なの? 陽向?」
バンバンとドアを叩いて反応を窺うけれど。
「陽向、大丈夫!?」
どう考えてもおかしいって思ってノブを捻れば、鍵の掛かっていないドア。
急いでバスルームに駆け込めば、シャワーカーテンを引いていないせいで、床にまで水滴が飛び散ってて。
肝心の陽向は、バスタブの中にペタンと座ったまま、頭からシャワーを浴びてて。
「陽向!?」
「――――……え…?」
ゆっくりとこちらを向いた陽向の顔はすっかり色をなくしてる。慌ててシャワーを止めようとして触れたそれは、お湯なんかじゃなくて、水だ。
もしかして陽向は、何10分もこの冷たいシャワーを浴び続けていたのだろうか。
「朔也、くん…」
とにかくシャワーを止めて、乾いたバスタオルで陽向を包めば、すっかり冷え切っているその体に驚かされる。
「朔也くん…どうし……何でそんな顔…」
人が心配してるってのに、陽向は呑気にそんなこと言ってくるから、ホントに1発くらい殴ってやろうかと思ったけれど、陽向の顔を見たら、あまりにも絶望に満ちた表情に、何も言えなくなった。
「とにかく、もう上がろ? 風邪引いちゃうよ」
まるで幼い子に言って聞かすようにして、陽向の体をあらかた拭き終えると、引っ張るようにしてバスルームを出た。
ホントは喉に悪いし嫌なんだけど、そんなこと言ってられなくて、空調を最大にして部屋を暖める。
「陽向、これ着て?」
一応持ってきてたスウェットの上下を陽向に渡す。
備え付けの薄っぺらい浴衣よりも、こっちのほうがまだマシでしょ?
「朔也くん…」
「話なら後で聞くから! とにかく今は風邪引かないようにするのが先決!」
「朔也くん、俺…」
ブワッ…と、陽向の黒目がちな瞳に、薄い涙の被膜が出来て。
零れ落ちる。
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Pure Blue (9)
Hinata
何だかよく分からないけれど、いつの間にか俺は朔也くんに連れられてバスルームを出て、強すぎるくらいの空調で温められた部屋で、朔也くんのスウェットに着替えさせられた。
もう何が何だか分からなくて、でも朔也くんが優しくて、俺のドロドロとした醜い心が心底嫌だったり、いい年して風呂場で何やってたんだって情けなく思ったり、もうわけが分からない。
「陽向…」
朔也くんの指が頬に触れて、それが涙を拭う仕草なんだって分かってやっと、俺は自分が泣いてるってことに気が付いた。
「陽向、ゴメンね?」
何で朔也くんが謝るのか、分からない。
謝るなら、きっと俺のほうだ。
朔也くんに、抱いちゃいけない思いを抱いて、なかったことにしてくれって約束も反故にして、1人で参っちゃってる。バカみたいだ。
「俺のせい、だよね?」
「……何が、ですか…?」
「あのときのこと……ゴメン…。なかったことにしてくれとか、俺、サイテーだよね」
「違…そんなこと、ない、です…」
緩く首を振って、それだけは否定する。
だって俺は、あのとき拒まなかったし。
酔っ払った朔也くんが俺を抱こうとしたとき、抵抗しようと思えば出来たのに、そうしなかった。抱かれてもいいって思ったんだもん。
「朔也くんが悪いわけじゃないです、俺が…」
あのとき、ちゃんと断ってたら。
朔也くんをこんなに困らせずに済んだのに。
1回だけでもいい、だなんて。もうこんなこと、朔也くんに抱かれるなんて、そんなこと、2度とないって思ってしまったから。
「俺が悪い、みんな…」
そこまで言ったら、ボロボロ涙が零れてきて、言葉が続かなかった。
俯いて、両手で一生懸命に涙を拭うけど、ダメだった。
「陽向? どうしてそんなこと言うの? 陽向?」
あぁ、どうしてこの人は。
そんなに優しい声、出さないでよ。
宥めるみたいに、優しく背中なんか撫でないでよ。
どうせその声も、手も、何もかも、俺のものになんかならないのに。
「朔也くん、ゴメンなさい。俺、……………………あなたのことが好きです」
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Pure Blue (10)
Sakuya
空気が止まるとは、まさにこのことを言うんだろう。
陽向の口から零れ落ちた、あまりに衝撃的な言葉。
冗談を言う雰囲気では決してなくて、陽向もそれを十分に分かっているはずだから、その言葉は、好きだと言ったその言葉は、紛れもなく本当で。
「朔也くん、には言ってなかった、けど……俺、ゲイなんです…」
「……マジで?」
続けての衝撃的な告白に、俺は何とか心拍数を落ち着けながら聞き返した。
「はい…。でも、だからって、朔也くんのこと、ずっとそんなふうに見てた、わけじゃなくて……ヒック…、だって朔也くんはノン気だし、メンバーだし、無理なの、分かってたから…」
肩を震わせながら、陽向は懸命に言葉を紡ぐ。
「だから、あの日、朔也くんが俺を抱こうとしたとき……抵抗しなかった。もうこんなこと、2度とないって、思ったから…。サイテーなのは、俺です…」
「………………」
「ゴメンなさい、こんなこと言って気持ち悪いですよね、すいません、でも言っとかなきゃ、ずっと朔也くんが自分を責めちゃうんじゃないかって思って、ホント、俺のせいです、全部」
俺に口を挟ませないつもりなのか、陽向は早口で一気にそう捲し立てた。
「…別に、気持ち悪いだなんて、思わないけど……ちょっとビックリしただけ」
「…、優しいですね、朔也くんは」
「そんなことないよ」
陽向が、ゲイ。
そんな雰囲気、今まで微塵も感じたこと、なかった(もちろんそんなこと感じさせないように、細心の注意を払ってただろうけど)。
……てことは、さっき寝惚けた陽向が間違えたのは、彼女じゃなくて、彼氏?
「セクフレ、です」
「、」
あまりにも似つかわしくない言葉が、陽向の口から零れ落ちて。
「あ…大丈夫です。相手もそれなりに立場とかあって、バレたらまずいのはお互い様なんで……大丈夫です」
「別に…」
「ね、朔也くんが自分のこと責めちゃうような、そんなヤツじゃないんです、俺は。だから、ホント……気にしないでください…」
そのまま俯いてしまった陽向。
どうしてそんなに、自分を傷つけるようなことばかり言うの?
「俺は…陽向のこと、嫌いじゃないよ?」
「…は? やめてください、そんなこと言うの。優しくされたら、余計に惨めだ…」
「そりゃ…陽向の言う"好き"とは意味が違うかもだけど、でも陽向がこのまま俺から離れていっちゃうの、ヤダ…」
「そんなの、勝手です! だって、これからだってずっとメンバーとして一緒にやってかなきゃいけないのに…、いっそ嫌いだとか、気持ち悪いとか言ってくれたほうがマシです!」
声を荒げて顔を上げた陽向の目からは、新しい涙が落ちていく。
俺は、それを拭うことも出来なくて。
「そんなこと、言えるわけない…」
「……ひどい人だ…。俺ばっかりこんなに好きにさせておいて、でも朔也くんはそんな中途半端な優しい感情だけで、俺を繋ぎ止めておこうとするなんて…」
「……ゴメン」
「謝らないでください…」
陽向は首を振りながら、手の甲で涙を拭った。
「俺は別に、同情とか友情が欲しいわけじゃないんです。それなら唯人で十分だ。そうじゃなくて、俺は心から愛してくれる人がそばにいてほしい。それが無理なら、体だけの関係で十分なんです」
「でも俺だって、陽向のこと、好きだ!」
「、ウソ…嘘だ…。やめてください、そんなこと言うの…うぅ…」
拭っても拭っても溢れてくる涙。
泣かせてるのは、俺だ。
「だって……あの日から、陽向のことが頭から離れない…。なかったことにしてくれって言ったくせに、俺のほうがなかったことになんか、出来なかった…」
「……」
「だいいちさ、いくら酔ってたって、ホントに気がないなら、男なんか抱くわけないよ、俺。酔っ払ったって、男と女の体の区別くらい、つくし」
「朔也く…」
「まだ、陽向の思いの深さまでは届かないかもだけど、でもやっぱ好きだよ…。陽向が、そのセクフレんトコ行くって思ったら、超ヤダし」
信じてくれ、なんてそんなこと、軽々しくは言えないけれど。
俺のことを好きだって思ってくれたその気持ち、なかったことになんかしてほしくない。
子どもみたいなこと言ってるって、分かってるけど。
「なら、今、抱いてください」
「陽向…」
「シラフでも、ホントに俺のこと抱ける? 気持ち悪いとか思わずに」
最後の賭けだとも取れる陽向の言葉と、何かしらの決意を秘めた顔。
俺は陽向を押し倒して、キスをした。
「陽向、」
……好き。
どうか、この思いが伝わるように。
信じてもらえるように。
*END*
こんなところでぶった切ってスミマセン~。続きも書きたいと思いつつ、このお話の書き方だと、エチシーンは書きにくかったんで。。。
またいつか、どこかで。
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1. 元凶はあいつ (1) (2) (3)
2. 貯金総額-30円
3. こんにちは、借金取りです (1) (2)
4.それうちの客ですから (1) (2) (3)
5. 利子の変わりにちゅーさせて (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
■楽園にガラスの靴 (title:約30の嘘さま)
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■新しい言葉を生み出したい。愛を伝えるために。 (title:明日)
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■世界はほんの少しの溜め息で出来ている (title:明日)
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カテゴリー:借金取りさん、こんにちは。
1. 元凶はあいつ (1)
コンビニのバイトを終えて、駅からもバイト先からもうんと離れた古くて小さいボロアパートに、ボロチャリで帰ってくる。
6畳1間。
トイレ共同、風呂なし。
マンガかよって思うけど、これが現実だから笑える。いや、笑えねぇけど。しかもここに男2人で暮らしてんだから、マンガなんてもんじゃない。
でも帰るところはここしかないから、帰ってくるけど。
だいたい、疲れて帰ってきた先に待ってるのが男ってのがヤだよなぁ。
これで、ドアを開けたらかわいい女の子が夕飯でも作っててくれたら、すげぇテンション上がるのに。
なのに俺は、コンビニから内緒で貰ってくる、余った賞味期限切れの弁当を片手に、フラフラ帰ってきて(でも同居してるあいつの分の弁当を貰ってくることを忘れない俺って、超健気!)。
つーか、女の子だって、こんな借金まみれの男じゃ、寄って来ないっつーの。
「はぁ…」
空しくなるから、考えるのはよそう…。
歩くとカンカンうるさい錆びた鉄の階段を上って、部屋に向かう。
2階の一番端の部屋。
これが普通のアパートなら、角部屋だって喜べるかもだけど、この部屋の場合、窓から見える景色は墓場だし、西日がめちゃめちゃ差すしで、最悪の環境。
だからこそ、家賃が格安なんだろうけど。
「あれ?」
鍵が開いてる。
無用心な奴め。
まぁ、空き巣とか入ったところで、盗むもんなんか何もないけどね―――……って、
「え?」
あれ?
何か、部屋の中、違和感…。
もとから物は少ない部屋だけど、それにしても何か部屋の中がガランとしてる。いつもは生活感丸出しの、汚くて狭い部屋なのに。
「………………えーっと……あっ! ふとん!」
いつもは畳んで部屋の隅に置きっ放しにしてる、2人分のふとんがない。
え、何? 押入れに片付けたってこと? 何のために? 今さら部屋の中片付けてどうしようっての?
つーかそんなことする暇があるなら、働けよ!
とりあえず、この部屋の中で何かをしまえる場所は押入れしかないから、そこを開けてみるけど、
「……は? 空?」
押入れの中も空っぽ。
何も入ってない。
「はぁ!? え? え? マジ!?」
まだ名前の登場してない彼ですが、名前は直央(ナオ)くんです。
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- 1. 元凶はあいつ (1) (2010/06/22)
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テーマ:自作BL小説 ジャンル:小説・文学
1. 元凶はあいつ (2)
え、マジで空き巣!?
つーかあんなボロっちい煎餅ぶとんなんか盗んでどうすんの!?
「何だよ、それ……」
何か急に力が抜けて、その場にペタンと座り込んだ。
盗まれたものにどれほどの愛着があるわけでもないけど、なきゃ生活に困る! 夏ならまだしも、この時期にふとんがないのは、マジ困る!
「マジかよ…」
項垂れつつ、とりあえずアイツが帰ってくるのを待つことにする。このご時世に、携帯電話なんていう気の利いたものを持ってない2人だから。
「寒ぃ…」
築何十年ってアパートだから、当然、隙間風だって入ってくる。外から帰ってきたってのに、上着が脱げないって、どんな環境だよ。
とりあえず温まる手段として、お湯を沸かしてココアを入れることにする。これはバイト先の店長から貰ったもの。きっと俺の生活を見兼ねたんだと思う。時々メシとか連れてってくれて、超いい人!
「……あれ?」
そこでまた、俺は異変に気付く。
蛇口を捻っても、水が出ない。
「あれ? え? 何で?」
今月、ちゃんと水道料払ったから、止められるはずないのに。
「何で?」
どんなに捻っても、水は出ない。
あ、つーか、水が出たところでヤカンも鍋もないから、お湯沸かせねぇ! じゃない! それより水が出ないことのほうが一大事だ!
「アッ! ガスコンロもない!」
ますますお湯なんか沸かせない!
ってか、何だよ、何なんだよ、この状況!! 水が出ないってことは、まさか…。
「やっぱり!!」
恐る恐る電灯のヒモを引っ張ってみたけど、点かない!!
「マジで!?」
何なんだ!?
何がどうなってんだ!?
書いたのが冬だったんで、何か冬設定…。すいません。
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カテゴリー:借金取りさん、こんにちは。
テーマ:自作BL小説 ジャンル:小説・文学
1. 元凶はあいつ (3)
とりあえず冷静になれって自分に言い聞かせて、外に停めてあるボロチャリを跨いで、大家さんちに向かう。
がんばって漕いで、10分。風が冷たい。
大家のじいちゃんは、俺が来ると、ちょっとビックリした顔をした。
「あの…何か水とか電気が止まっちゃってんですけど…」
「あぁ、それなら」
打ち明けた俺に、じいちゃんはとくに驚いたふうもなく、事情を話し始める…………それは、今の俺を打ちのめすのに、十分すぎるほど十分なものだった。
「今日、あの部屋を引き払っただろう? だから次のモンが入るまで、止めておかんとだからなぁ」
「………………え……?」
…………えーっと……。
「引き払ったって……」
「ん? だから、別のところに引っ越すんだろう? 今日、挨拶に来たがな」
「アイツが!?」
「あぁ。お前さんは仕事だから来れないとか言って」
はぁ~~~~~!!!!????
いや、確かに仕事はしてたけどさ。
何だよ、引っ越しって! 引き払ったって何だよ!! 俺、全然まったく何にも聞いてないけど!!
「ど……どこに引っ越すって言ってました!?」
「さぁ…。何だい、一緒のところに越すんじゃないのかい?」
「あ…いや……、ってことは、もうあの部屋……入れないってこと、ですか…?」
「ん? どうした? 忘れもんかい?」
「あー……はい…」
そういえば、コンビニで貰ってきた弁当、置いてきちゃった…。
「あの……あの部屋って、もう次に借りる人、決まっちゃってんですか?」
もし誰もいないなら、もっかい継続して俺が借りられないかな? …………なんて思ったんだけど…。
「あぁ、明後日にはもう次の人が越してくるよ」
ガッ!! 明後日! 早い!!
「だから、忘れものがあるなら、早いうちに持っていってくれよ?」
「……はい…」
いつもと変わらない1日のはず、だったのに。
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カテゴリー:借金取りさん、こんにちは。
テーマ:自作BL小説 ジャンル:小説・文学
2. 貯金総額-30円
そして消えることのない、借金―――総額500万円。
つまり、アイツは俺1人に借金を押し付けて、夜逃げしたってこと。あ、昼に逃げたんだから、夜逃げって言わないのかな……って、そんなこと言ってる場合じゃないけど。
人間、最大限のピンチに陥ると、逆にパニックにならないもんなのかな。っていうか、どうしたらいいのかって考えるまでに、脳が追い付いてないっつーか。
とりあえず誰もいない公園で、貰ってきた弁当を食べる。明日のこととか考えて、全部食べちゃわないほうがいいのかな。明日はスタンドのバイトだから、弁当貰えないし。
「はぁ…」
ひとまず腹を満たして、それから次のことを考えることにする。
考えるって言ったって、俺がこれからすることは、どっか寒さを凌げるところを見つけて夜を明かして、朝になったらスタンドにバイトに行って、終わったらまた寝る場所探して……あ、これから住むところも見つけないと。
それから、それから……
「はぁ…」
溜め息しか出ない。
これから1人、住むとこもないような奴が、500万円も返していけるのかなぁ…。
とりあえず今の全財産は3,283円だし…………あ、通帳! 通帳にいくらかあるかも! カードはあるんだし、それを下ろせば…!!
ちょっと希望が湧いてきて、俺は弁当の空をゴミ箱に捨てると、チャリを漕いでATMを目指した。
今はコンビニだってお金が下ろせる、便利な世の中。でも時間外だし、手数料取られるかもだから、とりあえず残高照会だけ。
チャラチャラした若者で賑わってる、夜のコンビニ。俺は一直線にATMに向かう。残高、残高。
「えーっと……、………………、…………え?」
…………見間違い? あ、操作、間違えた?
「えっと、えっと…」
操作を取り消して、もっかいチャレンジ。
動揺して、ちゃんと操作できなかったんだよな、俺。きっと。うん、そうに違いない。
「えーっと……」
…………えっと……えっと、えっと……えっとぉ……。
「残金……マイナス30円……??」
何回見ても、マイナス30円。
いや、残金がマイナスになるの、初めてじゃないけど……今月、水道代が引かれて、電気代が引かれて、えっと、家賃はアイツの通帳からで……えっと…えっと……マイナス? ほかにそんなに使うこと、あったっけ?
でもどんなに考えたって、変わらないのは、俺の通帳に残金はマイナス30円ってこと。
夢も希望もない。
ホントに何にもない。
――――いや、借金があった。
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3. こんにちは、借金取りです (1)
身も心も、ホンットに寒い。
寒さ凌ぎのためにコンビニにいようと思ったけど、おでんとか肉まんの誘惑に負けそうだから、やめておいた。
「どこ行こうかなぁ…」
アパート、次の人が入るの明後日って言ってたから、今日ぐらい泊まっても大丈夫かな? 鍵はあるし……つーか、普通に鍵開いてたじゃん。
そうしよ。
今日だけ。今日だけあそこに帰ろう。ふとんはないけど、とりあえず寒さは凌げる。
もうチャリを漕ぐ元気もなくて、押して帰る。マジ寒ぃ。
「はぁ…」
うるさい階段を出来るだけ静かに上る。
外階段とか廊下にに電気なんて気の利いたもんはないから、月明かりだけを頼りに、突っ掛からないように気を付けながら。
トボトボ部屋に向かうと、ドアの前に人影を見つける。
もしかしてアイツ、帰ってきた!? やっぱ1人で逃げたんじゃなかった!? ―――なんていう、俺の淡い期待は、儚くもあっけなく崩れ去った。
「あ…」
「やぁ、どうも」
思わず立ち竦んでしまった俺を見つけて、ニコッと笑う1人の男。名前は徳永さん。顔だけ見れば、いい男なんだけどなぁ、笑顔もカッコいいし。でも…。
「こんにちは、借金取りです」
そうなんです。
この人、借金取りさんなんです。
「遅かったね。こんな時間まで、バイト?」
「……いや…その……」
「つーか、何で部屋の中が空っぽなのかな? もしかして黙ってどこかに引っ越すつもりだった?」
ふるふる。それにだけは首を振っておく。
俺はどこにも逃げるつもりなんかない。
「あの……今日って、返済日、でしたっけ…?」
「ん? それ、どういう冗談?」
「えっと…」
こ、怖い…!
笑ってるけど、目が全然笑ってない!!
「今月の返済日、昨日なんだけどなぁ」
「あ…、そう…でした、っけ…?」
つーか、今月の返済って、アイツじゃん!
何、それも払わないで、いなくなっちゃったわけ!?
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3. こんにちは、借金取りです (2)
「す…すいません…」
「俺もさぁ、こんな時間に大変なわけ。残業手当もつかないしね」
「すいません…」
「言うことは、それだけ?」
「あの…来月まで……バイト代入ったら、倍で返すんで…」
「おもしろくないねぇ、その冗談」
俯いてたら、徳永さんが顔を覗き込んできて、しっかり目を合わせられる。
どうしよう……財布の中見せて、これしかないんですって言ったら、今日は見逃してくれるかな?
「とりあえずさぁ、返すもんは返してもらわないと、俺としても困っちゃうわけ、非常に」
「それが…」
「返せっつーんだよっ!」
―――ガンッ!!
「ひぃっ…」
痺れを切らした徳永さんが、元俺の部屋のドアを、思いっきり蹴っ飛ばした。静かな周囲に嫌な音が響き渡る。
っていうか、これでもしドアが壊れちゃったら、それって、俺が弁償しなきゃなのかな? マズイよ、それは!
「1週間! 1週間でいいんで、お願いします! マジで俺、今3,000円くらいしか持ってなくて、あの、あの……」
俺は必死に頭を下げた。
どんなに強く言われたって、ホントにこれだけしか持ってないんだから、返しようがない。
というか、たった1週間で何をどう出来るってわけでもないけど、とりあえず今は、騒ぎが大きくならないうちに帰ってもらわないと…。
「……チッ、分かったよ。1週間だな?」
「え…」
思い掛けない、徳永さんの言葉。
「1週間だけ待ってやるよ」
「ホント!?」
「その代わり、1週間後にはきっちり返してもらうからな?」
「はい!」
よ…良かった…。
「それと……逃げようったって、逃げられると思うなよ?」
ホッとしかかってる俺に、ドスの効いた徳永さんの声。
「は…はい!」
階段を下りて去っていく徳永さんの足音が、何だかいつもよりうるさく聞こえた。
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4.それうちの客ですから (1)
徳永さんには1週間って言ったけど、1週間で10万円なんて揃える術はない。
コンビニもスタンドも、バイト代が入るまでにはあと20日以上ある。だいたい俺のバイト代なんて、借金の返済と、光熱費の支払いで殆ど消えちゃうんだ。
だからアイツと1月交替で返済してたのに……これから先、今の収入で、アイツの分までなんて払えるわけがない。
アパートは引き払ったから家賃は払わなくていいけど、でも食費はどうする? コンビニ弁当だって、毎日貰えるわけじゃないし…。
もう1個バイト増やそうかな。何か住み込みとか、そういうの。でも、こんなボロボロの奴、雇ってくれるとこなんて、あるのかな?
隙間風のひどい部屋の隅で、小さく丸まって、目を閉じた。
*****
翌日は、とりあえず食事は昨日のコンビニ弁当の残りで何とかして、スタンドのバイトを終わらせた。
顔色が悪いって、店長にも先輩にも心配されて。でも昨日のことは話さない。
心配はされても、それ以上のことはしてもらえないし。だって変に同情でもされたら働きづらくなるし、まさかお金を借りるわけにもいかないし。
「はぁ…」
何とか短期間に、いっぱい稼げないかなぁ。
もし俺が女の子だったら、水っぽい仕事とか、風俗系とか、何とか手段はあるけど……いかんせん俺は男だ。
男でもそういうの……出来んのかな? でもそういうの、よく知らないし…。
あー……腹減って、考えらんない…。
どうしよう、明日は何も食うモンがないのに、コンビニのレジなんか出来んのかな? 食いモン目の前にして…。
つーか、今日はどこに帰ればいいんだ? もうあの部屋には、別の誰かが引っ越してきてるはずだから、もう俺の家じゃない。
どうしよう、マジどうしよう…。
「どうぞー」
ビクッ!
ボーと歩いてたら、いきなりビラ配りのお兄ちゃんが、俺の前にチラシを差し出してきた。
こういうのって、普段あんまり受け取らないんだけど、今日はあんまり思考力が働かなくて、差し出されるがまま、それを受け取った。
まぁあとでゴミ箱ポイしちゃえばいいっか。
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4.それうちの客ですから (2)
"担保・保証人一切不要"
"今すぐお金の必要な方"
そんな文字の躍る、やたらと字のいっぱい書いてある、目のチカチカするようなチラシ。消費者金融のか。
年利0.8%って……500万円借りると、いくら返すことになるの? 5×8=40…………んーと…。でもまぁ、そんなに高くはならないよね。
あとは……
「20分以内にお振り込み…」
マジ!? これなら、1週間以内に徳永さんにお金が返せる!
「お兄さん、興味あります?」
「へっ!?」
声を掛けて来たのは、さっき俺にビラを渡したお兄ちゃん。
何かニヤニヤしてて、ヤな感じ。
「えっと…」
「良かったら、話聞きます?」
「えと、あの…」
聞きたい気もする、けど…。何か胡散臭い。
「立ち話もなんだし、ウチの店、行きませんか?」
「え…」
「じゃあ、行きましょう」
「え? え?」
じゃあって何!? まだ何も答えてないじゃん!
まだ何の返事もしてないのに、そのお兄ちゃんは、グイグイ俺の腕を引っ張って、"ウチの店"に連れて行こうとする。
でも、でも、ホントに大丈夫なのかな?
「あの、ちょっ…」
やっぱ、やっぱやめる!
怖い!
何かヤバイ気がする!
でもお兄ちゃんはちっとも腕を放してくれなくて。
瑞原直央、人生最大のピンチです!! 今まで散々いろんなピンチに出くわして来たけど、今が一番のピンチ!
ひぃ~誰か助けて!!
……でも誰も助けてくれる人なんていなくて。強引に腕を引かれて、よく分かんない雑居ビルに連れて行かれてしまった。
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