2010年08月
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愛の惑星#1210 (前編)
愛 の 惑 星 #1210
相変わらず、新太(アラタ)はバカだし…………俺もバカだ。
「はぁ~…」
漏らした溜め息は、予想以上に大きく室内に響き渡る。
そりゃそうだ。ここは風呂場で、もっと言えば、バスタブの中。声が響かないわけがない。
「どうしたんだよ、槙(シン)。溜め息なんかついちゃって」
そう言った新太の声も、よく響くわけで。
だから、つまり、そういうことだ。
ついでに言うと、新太もバスタブの中。
「……狭ぇんだよ」
男2人で、同じ湯船に浸かって…………バカだ。
「いいじゃん、いいじゃん。狭くなーい」
「狭ぇよ! つーかもう上がる!」
湯船から出ようと立ち上がろうとした瞬間、背後から新太に抱き締められて、バランスを崩した俺はそのまま湯船の中に引っ繰り返る。
「プハッ!」
思い切り水飛沫が上がって、俺は頭までお湯に浸かって、そんな俺を新太が慌てて引っ張り上げて…………俺はもう散々だ。
「新太……てめぇ…」
「ゴメン、ゴメーン」
全然反省の色がない新太に、もう怒るどころか、何も言えなくなってしまう。
「いいじゃん、どうせ洗うんだし。あ、お詫びに俺が洗ってやろうか?」
「……丁重にお断りさせていただきます」
ダメだ。
このバカには何を言ったって、効きやしない。
「はぁ…」
もう抵抗する気力も失せて、俺は新太の足の間に体を入れて、その胸板に背中を預けた。
「もー槙ってば、そんなに溜め息ばっかついてると、幸せが逃げちゃうぞ!」
「おめぇのせいだ、おめぇの!」
「何でよ。俺、槙のこと幸せにする自信、あんのになぁー」
「何言ってんだバカ! つーかお前っ…!」
尻に当たる固い感触に、俺は振り返ってギッと新太を睨んだ。
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愛の惑星#1210 (中編)
もう、ホントのバカだ。
こんな奴のために、少しでも悩んでしまった自分が悔しい。
何でコイツ、俺相手に勃つわけ?
僕だって、男の子なんですよ、一応。
アッコに新太のを受け入れて、アンアン喘がされて、気持ち良くなってイッちゃうけど。
それでも一応、男の子なんですが。
「ねぇねぇ、このまま風呂場でやっちゃう?」
ものすごい嬉しそうな顔して、俺のこと覗き込んで来て。
最初っからそのつもりだったくせに。
「ヤダ」
新太のペースに呑まれっぱなしなのが嫌で、ささやかな抵抗。
「何でだよー」
「嫌なもんは嫌なの。新太とセックスすんの、もうヤなの」
「何で?」
新太の声が、少し優しくなる。
ふざけた感じは少しもなくて、子供に問い掛けるような、そんな声。
「俺たち男同士だもん」
「だから、嫌なの?」
「……そう」
「なら、槙が俺に抱かれるの嫌なら、槙が俺のこと抱く?」
「えっ!?」
また冗談でそんなこと言ってるのかと思った。
冗談だとは思ったけど、その言葉にビックリして新太の顔を見たら、思いがけず真剣な顔をしてて、言葉が続かなかった。
「槙がセックスすんのが嫌なら、もうこういうこと、しないし」
「…………それは、別れるってこと?」
やっぱ、恋人同士なのに、体の関係がないって、変なのかな。新太は嫌なのかな。
「何でだよ。お前、別れたくてそういうこと言ってんのかよ?」
「ちが……新太こそ、」
「お前が嫌なら、我慢するし。槙のこと好きだし。別れたくないし」
言ってて恥ずかしくなったのか、新太は俺から視線を逸らす。
「俺だって、新太と別れたくないし」
「なら何でそんな泣きそうな顔すんだよ!」
「泣きそうじゃない!」
俺が思ってた以上に、新太が俺のこと考えてくれてたんだって思ったら、何か嬉しかった。
新太はバカだけど、優しい。
さっき俺が引っ繰り返ったせいで、お湯が半分も零れてしまった湯船の中。新太が俺のこと抱き寄せる。新太の顔が近付いてきて、キスされるって思ったけど、唇が触れる寸前、新太が少し迷うような表情で止まった。
「……キス、していい?」
唇に新太の吐息が掛かる。
さっき俺がセックス云々、男同士が、何て言ったもんだから、キスするのを躊躇ったみたいだ。
俺は何も答えず、自分からその距離をゼロにする。
瞳を閉じる瞬間、新太の驚いたような表情が見えた。
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愛の惑星#1210 (後編)
初めて風呂でセックスした。
いつもより声が響いて、いつもの数倍恥ずかしかった。
「ほら」
ちょっとのぼせ気味の俺がベッドで横になってると、新太がスポーツドリンクのペットボトルを投げて寄越した。
「サンキュ…」
新太が端に座って、ベッドが少し軋む。
「なぁ、槙」
「んー?」
「お前さぁ、いっつもそうやって悩んでんの?」
「何がー?」
「男同士、とかさ、そういうこと」
サラリ、新太の手が俺の前髪を掻き上げた。
「…別に」
「俺、お前のこと、好きだよ」
「知ってる。俺だって新太のこと好きだし」
答えたら、新太が笑った。
「ならさぁ、別に気にすることなんか何にもないじゃん。好きなんだから!」
あぁ、答えはこんなにも簡単だった!
*END*
愛の惑星#1210(1,2,10:あい、にー、じゅう=I need you) ロレンシー様より。thanks!
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (1)
不夜城とはよく言ったもので、男と女、金、愛、欲望――――あらゆるものが渦巻く街は眠らない。
そんな街には不釣り合いのような、逆にそのギャップが受けるとも言えるような、童顔ハニーフェイスの男の子 岩井瑛貴(あきたか)は、今日も元気に慣れた道を急ぐ。
見た目は夜の街に似合わない瑛貴でも、この街で働き始めて4年になるので、キャッチや客引き、非合法な目的で近付いて来る輩をかわす術なら備えている。
何しろ瑛貴はこう見えて、この街でも群を抜いて人気のホストクラブJADEで働いているのだ。
そしてこう見えて瑛貴は、JADEのNo.1ホストなのである――――ということはなく、内勤として毎日がんばっているのである。
瑛貴がJADEで働き始めたのは、高校を卒業して間もなく。
その見た目に違わず、水稼業には無縁な性格の瑛貴が、残念ながら大学受験に失敗し、氷河期とも言える就職戦線にも勝ち残れずに、いわゆるニートな毎日を過ごしていたところへ、ホストクラブを何軒も展開する叔父が現れたのである。
初めての就職先がホストクラブだなんて、何の志もなかった瑛貴は激しく抵抗したのだが、いつまでも息子を無職にしてはおけないという両親の熱意により、瑛貴の抵抗はあえなく終わりを迎え、夜のお仕事はスタートした。
ただ、当時瑛貴はまだ18歳だったので、ホストではなく内勤業務に就くことになり、そして今日に至るのである。
「アッキー、おはよー」
「あ。朱美(あけみ)さん、おはよーございまーす」
目いっぱい髪を盛り上げた派手めの女性に声を掛けられ、瑛貴はペコリと頭を下げる。
瑛貴は主に1部営業の内勤に入っているため、出勤のとき、同じくこれから出勤という業界の女の子に声を掛けられることが多いのだ。
何で夕方におはようなの? と思っていたのも今は昔、初めは1人で出勤させるのも危なっかしかった瑛貴も、この4年で鍛え上げられ、今ではすっかりこの街に馴染んでしまった。
ちなみに『アッキー』というのはもちろん、『瑛貴』という名前からとったあだ名で、この界隈で瑛貴のことを知っている者は、大体そう呼ぶ。
「今度JADEに遊びに行くから、よろしくねー」
「あ、はい。みんなに伝えておきます」
「じゃなくて、アッキーに会いにー」
「あはは、ありがとうございまーす」
すっかり馴染んだとはいえ、内勤としての自覚をしっかりと持っている瑛貴は、自分に向けられるこの手の言葉を、社交辞令としてしか受け取ったことがない。
それは、自分に対して卑屈になっているわけでも、この華やかで現実味のない世界に惑わされないよう気を付けているわけでもなく、何で俺に声が掛かんの? みんな冗談が上手だねーと、天然丸出しな思考なだけなのだが。
しかしホストではないものの、フロアに顔を出す瑛貴を気に入る客も多く、指名を入れたがる者もいるのだが、瑛貴自身がこの調子なので、今までに席に着いたことはない。
実は瑛貴を攻略するためJADEに通っている客もいるのだと、真しやかに噂されていることを、瑛貴本人は知らない。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (2)
街が夜の賑わいを見せる少し前、開店準備を始めるホストクラブやキャバクラ、性風俗店などの従業員が溢れ始めている中、瑛貴は男2人に囲まれている女の子を見つけた。
ナンパか、しかし男のほうは見るからにこの業界の人間そうだから、恐らく彼女はキャッチに引っ掛かってしまったのだろう、よく見かける光景だ。
瑛貴と同じくらいの年格好だが、けれどあの子、この街で働くにはちょっと地味かなぁ、でもお客さんだとしてもちょっと雰囲気違う? と、人のことを言えない外見の瑛貴は、そんなことを思う。
(あー…)
結局断り切れなかったのか、彼女は困り顔で、男たちに連れて行かれそうになっている。
しかも、空店舗になっている店の脇の路地に行こうとしているあたり、男たちは人目に付かないよう狙っているのだろう。
(俺、開店準備、しないとだしなー…)
面倒なことに巻き込まれるのはゴメンだ。ロクなことがない。
かわいそうだけれど、自分のことは自分で何とかするのがこの街の流儀だ。下手に係わってとばっちりを食いたくはないし、ここは見なかったことにして、さっさと店に行こう。
「…………」
気付かない振りで路地を通り過ぎた瑛貴は、しかしすぐに足を止めた。
ただそこがちょうど営業中のイメクラの前だったので、慌てて視線を逸らす。
(いやだから、そういうことじゃなくて…)
瑛貴はクルリと回れ右をすると、イメクラの客引きに声を掛けられる前に、路地まで戻った。
彼女はまだ男たちと一緒で、「やっぱり帰ります」なんて声が聞こえる。
「えーっと、すいません…」
結局瑛貴は、そんなにも非情な人間にはなれないのだ。
困っている人を助けなかったら、自分が後悔しそう。てか、もしあのまま放っておいて、彼女の人生が狂わされちゃったら、一生夢見が悪い。
お人好しな瑛貴は、全然うまくない声の掛け方で、男2人と女の子の間に入った。
「は? 何か用?」
当然のことながら、男たちは「何だ?」という視線を瑛貴に向ける。
瑛貴にしても、声は掛けてみたものの、何かうまい言い分があったわけでもなく、いきなり言葉に詰まってしまった。
「ボク、社会科見学かなー?」
「ギャハハハハー」
男の1人がくだらない冗談を飛ばすと、もう1人が頭の悪そうな笑い声を上げる。完全にナメられているし、バカにされている。
確かに、身長170cmの瑛貴は男2人から見下ろされているし、スーツ姿も七五三ぷりを遺憾なく発揮しているし、こんな状況にわざわざ声を掛けてくるなんて、街の事情に詳しくない素人だと思われて仕方がない。
いや俺、今さら見学するまでもなく、この辺のことならよく分かってますけど――――なんて瑛貴が思ったところで、たった今現在の状況がヤバいことには変わりがないわけで。
「あのね、おにーさんたちお仕事中だから、向こう行ってくれるー?」
「それとも一緒に来る? おもしろい遊び、教えてあげるよー」
ニヤニヤと詰め寄られ、瑛貴は半歩ほど後退った。
女の子は困ったように瑛貴を見た。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (3)
「えっと、けっこー…」
「へー、そんなにおもしろいんだったら、俺、誘われちゃおっかなぁ」
律儀に瑛貴が『結構です』とお断りしようとした言葉を遮るように、後ろからドスの利いた声がして、瑛貴の肩に腕が乗せられた。
突然掛けられた声と、乗せられた腕にビックリはしたものの、瑛貴にとっては聞き覚えのある声だったので、それ以上の驚きはなかったが、男2人は「ヒッ…」と悲鳴を飲み込んだ。
「俺もさぁ、最近退屈してんだよねー。コイツらがいいなら、俺だって行ってもいいよねぇ?」
「あっ、いや、あのっ…」
先ほどまでの態度から一変、男たちは瑛貴の背後に現れた青年を見知っているのか、青い顔でへどもどし出す。
現れたのは、瑛貴と同じくJADEで内勤として働いている泰我(たいが)。
甘い顔立ちとは言い難い強面ヤクザ顔の風体から、主に店のトラブル対策やらボディガードを担っており、男たちが慌て出したのも、恐らくそこに起因するのだろう。
「つーか、もうすぐウチも開店時間になっから、コイツ、連れてってもいーい?」
「あ、あ、あ、はいっ。えっと、JADEの方だったんすか、すいませんっ」
散々瑛貴のことを小バカにしていたのに、瑛貴もJADEの従業員だと分かった途端、男たちは深々と頭を下げ、そして足早に…と言うよりは、猛ダッシュで去って行った。
助かったからいいんだけれど、瑛貴にしたら、何となく納得いかない…。
「瑛貴、お前さぁ、何普通に絡まれてんの?」
「泰我くん…」
男たちがいなくなると、瑛貴の肩に腕を置いて睨みを効かせていた泰我は呆れ顔で溜め息をついた。
「つーか、依織(いおり)、お前も…」
泰我が呆れた顔を向けたのは、瑛貴にだけではなかった。
呆然と、消えていった男たちの後ろ姿を見ていた女の子は、泰我の『依織』という言葉に反応して、2人のほうを振り返った。
「え、泰我くん、この子と知り合いなの?」
「あーまぁ、友だち?」
どちらかというと地味めで、こんなところで遊ぶにしても働くにしても、何だか似合わなそうな女の子なのに(何度も言うが、外見だけなら瑛貴も同じことだ)、まさかホストクラブのボディガードと友人だなんて。
「つーか依織! お前なぁ、こんなとこ来てんじゃねぇよ、危ねぇだろうが。しかもそんな格好で」
「こっち来たから、泰我くんの働いてるお店、見てみようと思ったの。 そしたら何かいろいろあってさぁ、めっちゃ絡まれちゃった」
「おま…ホント、しっかりしろよ!」
「あはは、ゴメーン」
軽く謝る依織に、瑛貴はポカンとしてしまう。
見た目と違い、どうやら依織は相当豪胆な性格をしているようで、いくら友人とはいえ、泰我の睨みに怯む様子もない。
「はぁ…。てか俺ら、もう行かねぇとマズイけど…、依織、来るか?」
「うん、そのつもり」
少しもめげていない依織は、そう言ってかわいらしく笑った。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (4)
普段の瑛貴は、仕事以外にすることないの? と仲間からからかわれるくらい早い時間から出勤しているのだが、今日は依織の一件があったおかげで、いつもよりもだいぶ遅れて到着してしまった。
「めっずらしー、アッキー遅刻ー」
「えっ、遅刻!? マジで!?」
「ウッソー」
無遅刻だけが取り柄の瑛貴は(去年インフルエンザに罹って、無欠勤の記録は途絶えた)(いや、瑛貴の取り柄は無遅刻以外にもあるはずだが)、先に出勤していたホストの優輝(ゆうき)の言葉に慌てたが、すぐに冗談だと分かってホッとした。
つまらない冗談で瑛貴を驚かせた優輝は、アッキー単純なんだからー、と、まだあどけなさすら残る顔を崩して無邪気に笑った。
「あ、アッキーがかわいい子連れてるー」
「ふぇ? あ、七槻(なつき)くん」
「七槻さん、おはようございます!」
瑛貴が優輝を小突いているところに登場したのは、JADEのNo.1ホストである七槻。
ホストになる気のない瑛貴は、最初から七槻と競うつもりもないし、入店したのも瑛貴のほうが少し先だったので、七槻とはフランクに付き合っているが、やはり格下で年下のホスト優輝は、ナンバーワンと話すのも緊張するのか、瑛貴から離れて背筋を正した。
「アッキー同伴出勤ー? カッコい~」
「違うってば。さっきたまたま会って……泰我くんの友だちだって」
瑛貴の後ろにいた依織を目聡く見つけた七槻が、ニヤニヤしながらからかうので、瑛貴は思わずむぅと唇を突き出す。
しかし七槻にとっては、そんなこと別にどうだっていいのか、瑛貴を無視して依織のそばに立った。
「泰我の友だちなんだ。かわいいんだね、名前、何ていうの?」
さすがNo.1ホストとでも言おうか。
とびきりの笑顔を見せながら、依織に視線を合わせる。
「えと…」
「すいませーん、店内でのナンパはご遠慮くださーい」
依織が言葉を詰まらせていたら、2人の間に泰我が割って入った。
金を払って指名している客がいる中、店のナンバーワンが、客でもない子を店内で気軽に口説いてもらっては困るし、それ以前に泰我は、依織の友人として七槻を止めたのだが――――悲しいかな、泰我のフォローは功を奏しなかった。
「えー、だって泰我の友だちなんでしょ? 俺だってお友だちになりたいなぁ」
「ナツが友だちだけで済むとは思えねぇ」
「泰我、何で分かんの? 大丈夫。俺、男でもいけるから」
そう言って七槻は泰我を押し退けて、依織の肩を抱いた。
それはいいとして(本当は全然よくない)、何でもない顔でサラッと爆弾発言をした七槻に、そばにいた瑛貴と優輝は驚いて目を見張った。
七槻が男もいける? JADEのNo.1ホストなのに? ――――しかし2人が驚いたのは、決してその部分ではない。
七槻が男も女もいける両刀遣いなのは、JADEはもちろん、この界隈では公然の秘密……というか有名な話なので、今さらそんなことに驚きはしない。
そうではなくて、七槻の言い方では、依織は女の子ではなく、男ということになるわけで。
「え、それって……依織…さんが、男だって言いたいの? 七槻くん」
「うん」
瑛貴が呆然となりながらも、声を掛けられないでいる優輝に代わって尋ねれば、七槻はあっさりと頷いた。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (5)
しかし。
「七槻…さん? よく俺が男だって分かりましたね」
やっぱり冗談? と、瑛貴が聞き返そうとするより先、依織本人が、諦めたように七槻のほうを向いた。
特に声色を変えてもいなかったのか、自分のことを『俺』と言った以外、依織は先ほどと声も口調もそのままで。
しかしはっきりと、自分が男だと認めてしまった。
「んー…俺も一応、ここのナンバーワンだし? 多少は経験も豊富ですから。でも普通は気付かないんじゃない? アッキー全然気付いてないし」
そう言って七槻は、瑛貴に視線をくれた。
七槻につられて依織も瑛貴のほうを見て、目が合ったけれど、瑛貴は呆けたように何度か瞬きをするだけ。だって、本人がその事実を肯定した今ですら、依織が男だなんて信じられない。
もちろんこの街には、ニューハーフのお姉さまも、女装した男の子もたくさんいるけれど、みんなお仕事用に着飾っているから、依織のように普通の格好をしていると、実は男なのかも…とは、逆に思い難い。
最初に泰我が止めに入ったのは、七槻を咎めるのはもちろんのこと、話しているうちに依織が男なのがバレてしまわないよう、牽制するつもりだったらしい。
「言わないほうがよかった? ゴメンね、男だってこと、内緒だったの?」
「んーん、そうじゃないけど……今までバレたことなかったから、ビックリしただけ」
七槻に顔を覗き込まれ、依織は首を振った。
女の子の格好をしていることを、いちいち言って回るつもりはないが、友人に対しては、どうしても隠しておかなければならないとも思っていないから。
本当に仲のいい友人は数人しかいないけれど、みんな知っている。
もちろん、隠しておきたい場面はあるものの、バレない自信があったし。――――出会って1分で、依織の女装を見抜いた七槻に会うまでは。
「七槻さん、すごいんですね」
「そ? いろんな人、見て来てるからじゃない?」
いろいろな人に接する職業だが、ナンバーワンになるからには、人並み以上に相手の本質が見抜けなければならないわけで。
七槻にしたら、そんなに驚かれるようなことをしたつもりもなかったが、みんなに驚かれて、逆に驚いた。
「つーか依織、食われんなよ、この節操なしに」
「うん」
呆れ顔の泰我の言葉に依織が素直に頷くので、七槻はわざと大げさに肩を竦めた。
みんなが思っているほど、女にも男にも見境がないわけではないのだが、泰我に言わせると、それは単なる七槻基準なだけで、世界の標準からはズレているのだそうだ。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (6)
「はい。友だちはみんな依織って呼ぶから、そう呼んでください」
「ふぅん、友だちは、ね」
「はい、友だちは」
七槻が口の端を上げて、意味深な雰囲気を持たせて言えば、依織もかわいらしい笑顔で繰り返した。
女の子の格好をしているけれど、実は男なんだってことを知っているのも友だち。
本当の名前を呼ぶのも友だち。
依織のことを人よりも少し深く知ることの出来るのは友だちだけだけれど、しかしそれ以上の関係にもなれないのだ。
「りょーかい。俺も依織って呼ぶ。だから依織も俺のこと、ナツて呼んでいいよ」
「ナツ? 七槻だから?」
「そう。お友だちだから、特別ね」
『七槻』が本名かは不明だが、その名前に因んだあだ名は確かに特別らしく、瑛貴や優輝など、この店の大抵の従業員は名前か、それに敬称を付けて呼ぶし、お客は源氏名で呼んでいる。
七槻に憧れている優輝は、出会って間もない(どころか、ほんの数分しか経っていない)のに、『ナツ』と呼ばせてもらえることになった依織を、羨ましそうに見ている。
でも実際のところ、もし自分もそう呼んで構わないと言われたところで、きっと緊張して、そんなふうに気軽には呼べないだろうが。
「もう、お店始まる時間ですか?」
「んー…開店まではまだ時間あるけど、そろそろ準備始めないと? かな? てか、お友だちーて言ったんだから、敬語やめてよ」
ホストや内勤たち従業員の増え始めた店内を見渡して、七槻は少し小首を傾げた。
瑛貴にしたら、いつもより遅い出勤時間なのだが、七槻にしては珍しく早く出勤したので、もう開店準備とか始める時間だっけ? と、実はよく分かっていない。
開店準備も従業員の大切な仕事で、それは年齢や入店歴に関係ないことだが、やはり指名本数の多いナンバークラスではなく、後輩が率先してやることになっている。
もちろんそんな決まりがあるわけではなくて、そんなに優しく面倒見のいい性格ではない七槻だって、従業員として、開店準備や片付けぐらいやろうと思うのだが、逆に後輩に気を遣わせてしまうので、先頭に立ってやらないようにしているのだ。
七槻の言葉に、もうそんな時間になっていると気が付いた優輝は、ヤバッ…! と、七槻や泰我に頭を下げて、急いで開店準備に加わりに行った。
「じゃあ、邪魔になるし、俺、帰ります……おっとと、帰るね」
「え、何で? 今日は遊びに来てくれたんじゃないの?」
「俺、ホストクラブで遊べるほど、お金なんて持ってないよ。泰我くんが働いてるの、どんなとこかなーて、ちょっと見に来ただけ。中に入れてもらえて、すっごいラッキー」
最初に言ったとおり、依織は本当に、泰我が働いている店を見てみようと思っていただけらしく、開店前とはいえ、JADEの中に入れてもらえたことを素直に喜んでいる。
店としても、いくら依織が泰我の友人でも、金のない人間を客には出来ないから、七槻も無理に引き止めることは出来ない。
「じゃあ俺、送るよ。駅まで? それとも…」
そう言って七槻は、さりげなく依織の肩を抱いた。
基本、七槻の営業スタイルは色恋営業なので、その気がなくても、恋人らしい振る舞いをするのはいつものこと。
しかしそこには泰我が割り込んだ。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (7)
「だって、こんなかわいい子が1人で歩いてたら危ないじゃん」
「だったら俺が送ってく」
「店のボディガードさんが何言ってんの? ちゃんと仕事してよ」
泰我の言葉をマネして、七槻もそう返す。
開店準備は手伝わないにしても、営業時間が始まれば、仕事に専念しなければならないのはお互い様だ。
いくら駅までだとしても、今さら店から出るわけにはいかない。
「なら、俺が送ってく!」
そう声を上げたのは、瑛貴だ。
しかしさすがにこれには、七槻も泰我も、「はあああ?」と声を大きくした。
「さっき一緒になって絡まれてたくせに、何言ってんだ」
「つーか、お前だって仕事だろうが」
矢継ぎ早に2人に突っ込まれ、瑛貴はタジタジになる。
よく見知った2人を相手にしてもこの調子なのだ。声を掛けられそうになったときに、さり気なくかわす術なら身に着けている瑛貴だが、いざ誰かに絡まれたときに、役に立つとは到底思えない。
「大丈夫だよ、1人でも帰れるって。駅すぐそこじゃん。みんな、心配してくれてありがとう」
これ以上騒ぎを大きくしたくなくて、依織は3人に言ったが、しかし誰も納得しない。
しかし、店が終わるまでバックルームに待機させておくわけにもいかないし…。
「おい、お前ら、いつまでそこに固まってんだ! することないなら、手伝え」
「あ、アヤくん」
誰もが意見を譲れずにいたところに、キビキビとした声が飛んで来て、視線を向ければ、JADEの代表である綾斗(あやと)が、両手を腰に当てて立っていた。
綾斗は、若いながら見事な手腕でJADEを人気店に押し上げた実力の持ち主で、瑛貴の叔父にも認められている男だ。
ちなみに、綾斗をアヤと気安く呼んでいるのは、この店では七槻だけである。
「だって、このかわい子ちゃん送ってこうとしたら、泰我が止めんだもん」
「ぁん? お客さんか?」
「あー違う違う。泰我のお友だち。ちょっとここに寄ったんだけど、もう帰るって言うからー」
だから俺に送って行かせて? と、七槻は綾斗にかわいくおねだりする。
キリリとした男前な表情の中に、自然とこうしたかわいらしい雰囲気を覗かせるのが、女の子を虜にする七槻の武器なのだ。
しかし。
「アホかっ」
七槻最大の武器も、この世界の長い百戦錬磨の綾斗には少しも通用せず、あっさりと一蹴されてしまった。
「もう店始まるのに、何言ってんだ。しかもナンバーワンが、指名客でないヤツを、簡単に送って行こうとすんなっ」
「イタタタ、アヤくん、痛いっ」
もともと綾斗は、声が大きいほうなのだ。
それなのにわざわざ七槻の耳を引っ張って、耳元で声を張り上げられたのでは堪らない。耳を引っ張る力よりも、大きな声のせいで耳が痛い。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (8)
「えぇーっアッキーがぁ~? ズルイー」
七槻の耳から手を離した綾斗は、瑛貴のほうを向き直って、ビシッと言い放った。
もちろん七槻からは大ブーイング。泰我も、不安で不満に満ちた顔をしている。
「綾斗さん! ナツはともかく、瑛貴でいいなら、俺だっていいじゃん」
「泰我には今、別に頼みたい仕事があんの」
「でも、瑛貴だけじゃ危ない…」
「瑛貴も、女の子くらい1人で送れるようにならねぇとダメだからな」
まだ何か言いたげな泰我を制して、綾斗はそう締めると、泰我を連れていった。
それにしても、やはり何も言われなければ、綾斗さえも、依織が男だとは気付かないらしい。
「…えっと、仕事が始まる前の忙しい時間に、ありがとうございました」
「んふふー、依織、今度は時間があるときに遊ぼうねー」
ペコリと頭を下げた依織に、七槻は明るく手を振る。依織を送らせてもらうことは出来なかったが、それをしつこく根に持つような性格ではないのだ。
「つーかアッキー、彼女に勘違いされないようにね?」
店の出入り口に向かう途中、すれ違う七槻が、ニヤリとしながら、さり気なく瑛貴の耳元で忠告した。
七槻は一発で見抜いたが、一見しただけでは女の子にしか見えない依織と歩いていたら、小さな街だし、瑛貴は(いろんな意味で)顔が知られているから、女の子を連れて歩いていたと、すぐに噂になりそうだ。
それが単なる噂だけで済めばいいが、瑛貴の彼女の耳にでも入れば、浮気を疑われないとも限らない。
「別に、そんなの…」
実際のところ、依織は男なんだし、浮気でも何でもない。
しかし瑛貴の脳裏には、最近連絡をさぼりがちな彼女の顔が浮かぶ。
(連絡しないと怒られるかな…)
しかし瑛貴が振り返れば、七槻はもう、開店準備の仲間に加わっていた。
「あの…ゴメンね、仕事あるのに…」
店を出たところで、依織が本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
「別にいいよ、マジで。だって綾斗さんも、あ、あの最後に来た人、あの人ウチの代表なんだけど、綾斗さんがいいって言ったんだし」
「そっか」
ナンバークラスのホストでもない限り、1人2人欠けてもスムースに仕事が出来るくらいの人間が出勤しているので、依織を送るために瑛貴が不在になっても、大したことではない。
そういうこまめなサービスが、次からのお客、そして売り上げに繋がると綾斗は考えているのだ。
それに、客として金を払っても、人気のある七槻に送ってもらえることは少ないので、七槻が依織を送るのは問題があるが、内勤の瑛貴なら。
「アッキー…だっけ?」
「ぅん?」
「みんながそう呼んでたから。俺もそう呼んでいい?」
「いいよ」
そう言えば、店に着いてからもバタバタしていて、瑛貴は依織に名乗りもしていなかった。
依織に『アッキー』と呼ばれるのは、ちょっと新鮮な感じがする。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (9)
「俺も最初に連れて来られたときは、すげぇビビったよ? うわっ、ホストいっぱいいる、て思った」
「何でアッキーがビビんの? ホストになるつもりで来たのに?」
ホストクラブに来て、ホストがいっぱいいる! という感想もないだろう、依織は声を上げて笑うが、瑛貴の場合、意思に関係なく無理やり連れて来られたところもあるから、最初は本当にビックリしたのだ。
「それに俺、ホストになるつもりないし」
「は? ホストクラブで働いてんのに? え、アッキー、ホストじゃないの?」
「俺、内勤だよ」
「それってホストと違うの? てか、ホストクラブて、ホスト以外の人も働いてんの?」
ホストクラブと言うからには、働いている人は皆ホストだと思っていた依織は、瑛貴の言葉に首を傾げる。
瑛貴も自分が勤めるまで知らなかったのだが、ホストクラブには、ホスト以外にもウェイターや厨房担当、ホストをどのテーブルに着かせるか指示する付け回しや事務作業を行う内勤がいて、店を支えている。
ホストが内勤を兼ねている店もあると言うが、JADEは内勤だけでもそれなりの人数がいる。
「そうなんだ。ねぇねぇ、じゃあやっぱ、泰我くんもホストじゃないんでしょ?」
「うん、あの人も内勤」
「だよねー、変だと思った。泰我くん、あんな怖そうな顔してて、ホストなんて、絶対嘘だー、て思ってたの」
友情に厚くて心優しい泰我だが、見た目は強面なので、ホストというイメージではない。
やっぱりねー、と依織は笑っているが、しかし実は、泰我のことを指名したいと言うお客も、中にはいたりするのだ。
「でもさ、やっぱホストって凄いんだね。あの、七槻さん」
「ぅん?」
七槻からは、ナツと呼んでいいと言われたけれど、やはり本人もいないところで、いきなりそんなに気安くは呼べないのか、結局依織は『七槻さん』と呼んでしまった。
「だってさ、会ってすぐに、俺のこと男だって分かった」
「うん、それは俺もすごいと思った。俺は……ゴメン、全然分かんなかったけど」
「んー…それはアッキーが普通だと思う。てか、そうであって欲しい。そんな一瞬で見破られるなんて……俺的には、絶対バレないと思ってたのに」
そう言って依織は、本当に悔しそうな顔をした。
バレない自信があるからこそ、堂々と女の子の格好をしているのに。
「依織は……女の子の格好するのが、好きなの?」
「は?」
「あ、いや、あの…」
女装を見破られて悔しがる依織に、思わずそんなことを聞いてしまった瑛貴は、慌てて口を噤んだ。
その人がどんな格好をしようと、それには何かしらの理由があって、追及しないのが暗黙のルールなのに。この世界に身を置いてそれなりに長い瑛貴だが、相変わらずこういう部分は、いつまで経ってもうまくない。
「別にいいけど。…あのね、俺ね、女の子になりたいの」
余計なことを言ったとあわあわしている瑛貴に、依織は気にしないで、と笑ったが、その直後に続けた言葉が結構な爆弾発言だったので、瑛貴はさらに慌ててしまった。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (10)
「あー…んーん、別に心は女なのに、男の体で生まれてきちゃったとか、そういうんじゃなくて」
実は依織は、心と体の不一致に悩んでいるのかと思ったら、しかしそれはあっさりと否定された。
ならばどういうことなのかと思いつつ、そんな踏み込んだことまで聞いていいのかと、瑛貴は返す言葉がなくなってしまう。
「俺ね、いつも誰かに優しくされてたいの」
依織は静かに目を伏せた。
隣を歩く瑛貴には、優しくされたい思いが、どうして女の子の格好をすることに結び付くのか、それが分からない。
「だってみんな、女の子には優しいでしょ?」
しばらく黙ったまま歩いていたら、ポツリ、依織が口を開いた。
「え、え? えと、ゴメ…よく意味が分かんないんだけど…」
「みんな、女の子には優しいから、女の子ていいなぁ、て。だから俺、女の子になりたいの」
まだ意味分かんない? と顔を覗き込まれ、けれど瑛貴は何と答えたらいいか分からなくて。
人に優しくされたい気持ちなら、依織だけでなく、少なからず誰にでもあって、それは分かるけれど、女の子にはみんな優しいというのは、依織の偏見のようにも思えるし。
「…俺、男にも優しいけど」
世の中にはいろいろな人がいるから、女性にだけ特別に優しい人もいれば、誰に対しても優しくない人もいるけれど、大抵の人は、男にも女にも大体同じくらい優しいと思う。
しかし瑛貴の言葉に、依織は首を振った。
「でもアッキーだって、女の子にのほうが、もっと優しいでしょ?」
「そ…かな?」
飽くまで依織は自分の考えを曲げるつもりはないらしく、そんなにきっぱり言われてしまうと、我の強くない瑛貴は、そうなのかな…と思い直してしまう。
今日だって、依織が女の子だから絡まれているところに声を掛けたわけではないつもりだけれど、依織に話せば、そんなことないと言われてしまうだろう。
生まれながらの体が男でも、様々な理由から女性の体になったり、服装や格好を女性のものにしたりする人は大勢いて、瑛貴も色々と見て来たが、依織のようなタイプは初めてだ。
「駅見えて来たー。ありがとうアッキー、もうここで大丈夫だよ」
「あ、うん…」
ロクに話も出来ないまま、大した距離ではない駅までの道のり、すぐに到着してしまった。
最初に依織が絡まれている場面に出くわしたせいか、必要以上に心配してしまっていたけれど、駅までなんて、本当にあっという間なのだ。
「ねぇねぇアッキー」
「ぅん?」
「アッキーさっき、男にも優しいて言ったよね?」
「…言ったけど?」
瑛貴も人間なので、好き嫌いのタイプはあるし、まったくの無関係の人間より、家族や恋人、友人のほうを優先するだろうけど、優しさの度合いを、単に相手の性別だけで変えたことはないつもりだ。
依織に改めて問われ、戸惑いつつも答える。
「ならさ、お願いがあるんだけど……聞いてくれる?」
依織は立ち止まって、瑛貴の顔を覗き込んだ。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (11)
無理だと言ったら、やっぱり男には優しくない! と言われてしまったら―――瑛貴は身構えつつも、足を止めた。
「何、依織」
「あのね。俺、男だけど……アッキー、俺と友だちになってくれる?」
「………………。……は?」
よほどの無理難題を吹っ掛けられるのかと思ったら、まるで想像とは違うことを依織が言うので、拍子抜けついでに思考が止まり掛けた。
しかしポカンとしている瑛貴の態度をどう受け止めたのか、依織が暗い顔をするので、瑛貴は慌てて、そういうつもりではないことを伝える。
「そうじゃなくて! え、依織のお願いて、それ? え? 友だち?」
「…うん。やっぱダメ?」
「何で! 全然ダメじゃないし! てか、何でダメとか思うわけ?」
「だって俺、男だし」
「は? え、別にそれって関係なくね?」
友情にしろ愛情にしろ、つまりはその人と相性がいいかどうかなだけで、性別だけで決める問題ではない気がするのだが。
依織はどうしてか、自分が男であることを大変卑下しているけれど、瑛貴はそういうことで人の好き嫌いなんてしない。
「友だちになろ? 依織」
「うん!」
不安そうな顔をしていた依織が、ようやく笑って頷いたので、瑛貴もホッとした。
「あ、ねぇ依織、また来る? 店」
「んー…でも俺、ホストクラブ行けるほどお金持ってないし…。ゴメンね、せっかく送ってくれたのに、全然お客になれそうもなくて」
「そういうつもりで言ったんじゃなくて、えと、えっと…」
どうやら瑛貴の言葉は、全然うまくない営業トークと思われたらしい。
なり立てとはいえ、友人相手にそんな営業をするつもりはないのだが、まさかそんな勘違いをされるとも思わず、うまい訂正の言葉が出て来ない。
「アッキー?」
「だって……また会うの、だって連絡先とか分かんないし、依織がまた来てくんなきゃ…」
友だちになろうとは言ったものの、結局のところ、瑛貴は依織の名前と泰我の友人であることくらいしか知らないから、依織がまたJADEに来てくれない限り、会うことだって出来ないのだ。
「あぁ、そういうこと? だったらケータイの番号、交換しよ?」
瑛貴の言わんとすることが分かったのか、依織はクスクス笑いながらカバンを探り出した。
いきなり電話番号とか聞くなんて、何かナンパぽいなぁと瑛貴は躊躇ったのだが、別に見知らぬ女の子に声を掛けたわけでもなし、寧ろ、また店に来てと言うより、そのほうがスマートだったかもしれない。
何をするにも不器用な自分に苦笑しつつ、瑛貴は携帯電話を取り出した。
依織の携帯電話はシンプルな黒のもので、それはちょっと、女の子が好んで持ちそうなものとは違う感じ。
赤外線機能で電話番号とメールアドレスを交換すれば、依織は携帯電話を操作しながら、「ふーん」と呟いた。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (12)
「アッキーて、岩井瑛貴て言うんだ」
「そうだよ」
結局、先ほどは『アッキー』としか名乗っていなかったから、赤外線で送られてきたデータを見て、依織は瑛貴のフルネームに気付いたようだ。
「ねぇ、アッキーていっつもこの時間に出勤して、何時まで仕事してんの? やっぱ朝までとか?」
「うぅん、お店12時までだから。片付けとかしても、終電に間に合う時間に帰れるんだよ? 2部の人は、朝から昼まで働いてるけど」
風適法により、午前0時から日の出までの営業を禁じられているため、JADEも他店同様、二部営業の形態を取り入れていて、瑛貴は夜7時から12時までの1部営業で働いている。
だが今は、深夜営業中止によって落ち込んだ売り上げをカバーするのと、様々な客層に対応するため、日の出から昼までの2部営業もあるのだ。
「じゃあ、昼間は寝てるとか、そんな生活じゃないんだ?」
「昼夜逆転みたいな? 違うよー、ちゃんとお昼前に起きてるし」
いわゆるイメージの世界のホストクラブを、そのまま想像している依織に、瑛貴は笑ってしまう。
ホストクラブに健全か不健全かを言うのも変だが、JADEはわりと健全運営なお店なので、むちゃな勤務時間を強いられることはないのだ。
「もうここまで来れば大丈夫だよ。アッキー、ありがとう」
「あ、うん」
結局、駅の改札口まで一緒に来てしまっていた。
会社帰りのサラリーマンやOLなどで、駅は混雑している。
「じゃあね」
依織は手を振りながら、改札機を抜けていった。
*****
依織を送って店に戻ると、すでに開店時間を過ぎていて、七槻はテーブルに着いていたので、何も聞かれず瑛貴はホッとしていたのだが、翌日、瑛貴が出勤したら、なぜかもう七槻が店にいた。
嫌な予感がして、瑛貴はわざと七槻を避けてバックルームに行こうとしたが、やはりそれは許されなかった。
「アッキー、おはよー」
ニヤニヤした顔の七槻が、背後から肩を組んで来た。
「…おはよーございます」
「んだよ、アッキー。人の顔見て、そーんな嫌そうな顔しなくてもいいんじゃなぁい?」
「別に普通の顔だけど。ていうか七槻くんこそ、何でこんな時間から出勤してんの? 下の子、むだに緊張させないでよ」
瑛貴の表情の意味も、七槻がこんな時間から店に来ている理由も、お互い分かっているうえで、わざとそんなことを言って、相手を牽制する。
「で? それで? どうなったわけ?」
「何が?」
瑛貴の言葉など端から気に掛ける気もないのか、普段はこんな時間にはいない七槻の存在に、若いホストが動揺しているのにも構わず、七槻は瑛貴に絡む。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (13)
「何もないよ。普通に駅まで送っただけだし」
「嘘つけよ、駅まで行ってくんのに、あんなに時間掛かるわけねぇだろ?」
「ちょっと話とかしてたから。つーか七槻くん、重い! せっかく早く来てんだから、開店準備手伝いなよ」
まさか本当に、瑛貴に昨日のことを聞き出すためだけに、早く店に来たとでも言うのだろうか。
うんざりしながら、瑛貴は七槻を引き剥がした。
「あーん、アッキーがつれないよー」
「えっ、えっ、あのっ…」
「七槻くん!」
七槻が拗ねたふりで、そばにいた若いホストに甘えるように縋り付く。
あまりに突然の出来事に、その若いホストの思考回路はフリーズしたのか、突っ立ったまま身動き1つ出来なくなってしまっているので、仕方なく瑛貴が救出してあげた。
「何してんの、七槻くん」
「アッキーが悪いんじゃん」
「何でっ」
あーもう意味分かんないっ! と、瑛貴は頭を抱える。
しかしここで瑛貴が七槻の相手をしてやらないと、かわいそうな犠牲者が増えるばかりだ。仕方なく瑛貴は七槻を連れて、バックルームへと向かった。
「そんで、そんで? 依織とはどうなったの?」
「だーかーらー、どうともなってません!」
瑛貴は、黒のスーツから、貸与されている制服に着替える。
どうせ制服になるのだから、出勤にスーツでなくても…と思うのだが、瑛貴の場合、そうしたルールがないと、Tシャツ短パンで出勤しかねないので、叔父が厳命しているのだということは、瑛貴の知らないところだ。
「嘘ばっかー。何の下心もなしに送ってったとか、絶対言わせねぇ」
「何で。俺、七槻くんと違って、"男もいける"とかないから。普通に友だちになっただけだから」
「でもお友だちにはなったんだー」
「悪い?」
何でこんなに七槻に絡まれるのか、分からない。
もしかしたら七槻は、本気で依織のことが好きになったのだろうか。
「七槻くん、依織のこと…」
「ぅん?」
「…何でもない」
もし七槻が依織のことを好きなのだとしたら、勝ち目はないなぁ、とか思って、勝ち目って? 別に依織のこと、そういう意味で好きなわけじゃないし! と、瑛貴は一気にいろんなことを考えていたのだ。
のん気に顔を覗き込んで来る七槻の体を押しやって、瑛貴は横を通り過ぎようとする。
「アッキー」
バックルームを出ようとしたところで、七槻に手首を掴まれた。
「何、もう七槻くん、いい加減に…」
「アッキーはさ、意外と…てか、マジで単純な子なんだから、いろいろ気を付けなよ?」
「は? どういう意味? てか単純て……ちょっとひどくない?」
「擦れてないってこと、いい意味で言ったらね。でもそれが裏目に出ることだってあんだから」
「意味分かんないし」
どうして急に七槻がそんなことを言い出したのか、しかもひどく真剣な顔。
瑛貴が困惑気味に押し黙っていたら、七槻は静かに手を解いた。
「アッキー、彼女のこと、大事にしなきゃダメだよ?」
「それ、七槻くんに言われたくないんだけど」
「…だな」
自嘲気味に笑う七槻を残して、瑛貴はバックルームを出た。
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カテゴリー:繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス
テーマ:自作BL小説 ジャンル:小説・文学
繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (14)
恋人である真夕子(まゆこ)は、瑛貴より2つ年上で、水商売には縁のない普通のOLだ。
それほど気乗りせずに参加した合コンで知り合って、でもなぜか不思議と気が合って、それからの付き合い。もうすぐ1年。
真夕子は普通のOLだから、平日の昼間は仕事をしているけれど、それに対して瑛貴は夜のお仕事だから、彼女が帰宅する時間に出勤する。
恋人としては、すれ違いの生活かもしれないけれど、お互いの時間を調整して、一緒にいる時間を作る努力はしていると思う。
だから、七槻の言葉を気にしたのではない。断じてそんなことはない。
誰に何か言われたわけでもないのに、瑛貴は心の中で言い訳しながら、真夕子へメールを送ったのが、依織を駅まで送った日の翌日。
真夕子の昼休みの時間を狙ってメールを送り、あまり連絡を取れずにいたことを詫びてデートのお誘いをすれば、拍子抜けするほどあっさりとOKの返事が来た。
(…七槻くん、大げさなんだから)
真夕子を待ちながら、瑛貴は、彼女に勘違いされないようにと言った七槻のことを思い出した。
彼女を大事にしろとか、いつも違う女の子や男の子と一緒にいる七槻に言われたくない。
(んー……もし俺が、普通に会社とか入ってたら、こんな感じだったのかなー)
通り過ぎていくサラリーマンを目の端で追い掛けながら、瑛貴はふと思った。
デートの待ち合わせは彼女の仕事が終わる時間で、普段なら瑛貴はもうJADEにいるから、仕事を終えたサラリーマンやOLが溢れるオフィス街は、かえって新鮮な感じがする。
もし面接を受けた会社に合格していたら、今ごろはあんなふうにサラリーマンになっていたのだろう。
(だとしたら、こういうスーツじゃまずいんだろうけど)
相変わらず瑛貴のスーツ姿は七五三としか言いようがないのだが、仕事柄、スーツなら何着か持っている。
ただその仕様が、普通のサラリーマンが着るようなトラッド系ではないので、スーツを着ているとはいえ、オフィス街で、瑛貴の姿は若干浮いている。
大体今日は仕事でないんだから、スーツを着るつもりもなかったのに、真夕子がちょっといいところで食事をしようと言ったので、結局スーツ姿となってしまったのだ。
間違えて仕事行っちゃったらどうすんの? と瑛貴がごねたら、降りるべき駅を丁寧に教えられる始末。
確かに瑛貴の私服といえば、夏ならTシャツにハーフパンツといった具合で、内勤とはいえ、本当にホストクラブに勤めているの? と疑われかねない格好だから、真夕子が何か言いたくなる気持ちも、分からないではないのだが。
(ご飯、どこ行くんだろ)
本当はこんなとき、食事をする場所は男性がリードするものなんだろうけど、女性の喜びそうなおしゃれな店なんてまるで知らない瑛貴は、その辺のところは真夕子に任せ切りだ。
『つーか彼女さん、そんなんでよく瑛貴に愛想尽かさないよな』
『母性本能? よっぽど強いんじゃない? 並大抵の母性じゃ無理だと思う』
全然リード出来ていない瑛貴に、泰我と七槻からは好き放題言われているのだが、それは瑛貴自身が一番よく分かっているので、何も言い返せない。
(…そういえば真夕ちゃん、依織のこと、何も言わなかった)
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (15)
真夕子はまだ知らないのだろうか。
いやそれ以前に、瑛貴と依織が駅に向かう姿を街の大勢に見られたとしても、その中に真夕子の知り合いでもいなければ、話が伝わるはずもないのだ。
それに、いくら依織が女の子に見えたとしても、実際はそうでないんだから、一緒に歩いていたことを、変な意味に誤解されるまでもない。
いや、もし依織が本当に女の子だとしても、その直前に柄の悪い連中に絡まれていたことを思えば、駅まで送っていくのは浮気以前の問題だ。
七槻が意味深に言うものだから、ついいろいろ考えてしまったが、別に何も気にすることはないのだと、瑛貴は思い直した。
大体、依織は男だ。
瑛貴は同性愛への理解はあるけれど、自分自身もそうかと言えば、恋愛対象は男ではなくやはり女なので、依織とは友だち以上の関係になんて、なりっこないのだ。
「あ…」
お腹空いたなー、真夕ちゃん遅いなー、と、待ち合わせた駅前で瑛貴がのん気に思っていたら、駅から溢れてくる人波の中に見知った顔を見つけた。
女の子の格好をしているが、あれは依織だ。
というか、女装以外の姿を見たことがないから、逆に男の格好をしていたら気付かなかったかもしれない。
声を掛けられるような距離ではないのに、何とはなしに依織を目で追っていた瑛貴は、その隣を歩く男の姿に気が付いた。
依織と同じくらいの年格好の男は、しかし依織より頭1つ分くらい背が高く、ジーンズTシャツというラフなカジュアルスタイルながら、スタイリッシュな雰囲気がある。
友だちかもしれないけれど、しかし依織はまるで恋人にするように、その男と腕を組んでいる。というか、依織は女の子の格好をしているから、普通に恋人同士に見える。
(えーっと…どういうこと??)
依織は普段から女の子の格好をする人で、しかも実は同性を恋愛対象とする人で、隣を歩く男性は、依織の恋人なのだろうか。
依織は、いつも誰かに優しくされたくて女の子の格好をしていると言ったけれど、もしかしたらあの人と付き合いたくて、あの人に優しくされたくて、女装しているのかもしれない。
(あの人、依織が本当は男だって知ってんのかな)
知っていてあんなふうに腕を組んで歩いているのなら、恋人なのだろう。
でももし知らないのだとしたら、依織は女の子だと偽って一緒にいるのだろうか。
(いや別にいいんだけど)
依織とは、友だちにはなったけれど、実際に会ったのはまだ1回きりで、互いのことなど何も知らない関係で、依織に恋人がいるかどうかなんて知る由もなくて、第一瑛貴だって、真夕子のことを依織には話していない。
大体、女子高生でもないんだから、いちいち恋人の有無を友だちになんか話さない。
「アッキー、お待たせ」
「うわぁーっ!」
依織の姿はもうなくて、しかし瑛貴は頭の中で依織のことをぼんやり考えていたものだから、真夕子が来ていたことに気付かずに、肩を叩かれたのに驚いて、素っ頓狂な声を上げてしまった。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (16)
「ゴメ…ビックリして…」
「いや、驚き過ぎだし。あたし、結構向こうから手振ってたんだけど」
全然気付いてなかったの? と真夕子が拗ねた表情を作るので、瑛貴は素直に謝った。確かに、いくら何でも驚き過ぎだ。
「ゴメンね、真夕ちゃん。ね、ご飯行こ? てか、どこ行くの?」
「もぉ…」
反省の言葉もそこそこに、瑛貴の気持ちは食事へと向く。しかも連れて行ってもらう気満々。
七槻の言うとおり、よほど母性本能が強くなければ、呆れて愛想を尽かしかねない。
「真夕ちゃん」
「んー?」
「好き」
瑛貴は依織のことを頭から追いやって、真夕子の手を取った。
*****
JADEの1部営業が終了すると、アフターに行かないホストや内勤たちで、店の後片付けをする。
アフターをこなさないホストでも、開店準備と同様、若い後輩ホストたちに気を遣わせないよう、ナンバークラスは積極的には参加しない。
瑛貴も、内勤ながらJADEの中では入店歴が長いので、本当は後片付けをせずとも他の子はたくさんいるのだが、どうせ暇だし…と、終電の時間までは片付けを手伝っている。
こちらは七槻などとは違って、先輩としての貫録が、残念ながら少なめなので、残っているからといって、むだに周りを緊張させたりしないのだ。
しかも瑛貴は出勤も早いから、1日の中で一番長く店内にいる従業員かもしれない。
「アッキーてホント暇人だよねー」
「うっさい。勤労意欲があるて言え」
優輝にからかわれつつ、瑛貴はそう反論する。
言うほど勤労意欲が旺盛なわけではないが、別に暇潰しに仕事に来ているわけではないのだ。
「だってさー、アッキー仕事来んのも早いし、終わったら駅までダッシュじゃん」
「終電逃したくないからだもん。俺、駅で寝るとか、ファミレスで時間潰すとか、そういうの無理だし」
「乗り過ごしたら、朝までオールで遊ぶとかー」
朝まで遊んで始発で帰って、それから寝て起きれば、すぐに仕事に行く時間だ。
瑛貴の場合、遊ぶのが仕事に行く前というだけで、まったくプライベートな時間がないというわけでもないし、全然友だちがいないわけでもない。
たまにだったら、みんなに付き合って朝まで遊ぶことだってあるのだ。
「じゃあ、今日これから遊び行く?」
あまりにも優輝が瑛貴のことを暇人だと言うので、ついそんなことを言ってみれば、なぜか優輝のほうが渋い顔をした。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (17)
「何だよ」
せっかくのアッキーからのお誘いだけど…と、優輝は顔の前で両手を合わせる。
1か月ほど前から付き合っているらしい優輝の彼女のことを、瑛貴は何も知らないのだけれど、よく仕事が終わった後に会っているので、似た職業の子なのかもしれない。
「また今度誘ってよー」
「いや、もう次はないな」
「何でだよー、アッキーのケチー」
笑って小突き合ってから、優輝は帰っていく。
帰るにしても、遊びに行くにしても、そろそろ店を出なければ。
「お疲れ様でしたー」
店内にまだ残っていた数人のホストに挨拶をして、瑛貴も店内を出る。
今日は駅までダッシュしなくても、終電に間に合いそうだ。
街はまだ賑やかで、煌びやかで、人が溢れていて――――眠らない街。
優輝が、何ですぐに帰るの? と瑛貴に問うわけだ。
「アッキー!」
そう言えばメールのチェックしてない…と、瑛貴が携帯電話を取り出そうとポケットを探っていたら、背後から声が掛かって、ビクリと肩を竦めてしまった。
「へっ? え? 依織!?」
「アッキー仕事終わったの?」
まさかこんなところで再会するなんて思ってもみなかった、そこにはピンクのワンピース姿の依織がいた。
「依織! 何でこんなとこいんだよ!」
「え…何でって……来たらダメだった?」
声を掛けた途端、瑛貴に声を荒げられ、依織は驚いて目を見開いた。
呆然としている依織に、瑛貴もハッとした。こんな頭ごなしな言い方、来たのが迷惑だと言っているように思われてしまう。
「いや、じゃなくて! だって依織、この前ここで絡まれただろ、危ないじゃんか」
「あ…そっか。でも大丈夫だよ、平気」
「何でそんなこと言えんだよ」
「だってアッキーだって平気なんだもん。俺だって平気」
「おい」
「嘘、嘘。心配させてゴメンね」
瑛貴が心配してくれているのだと分かって、依織はホッとしたのと同時に、申し訳ない気持ちで謝った。
よく考えたら、瑛貴との出会いは、依織が絡まれているところから始まったのだ。瑛貴が多少過剰に反応しても仕方ない。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (18)
「そうなんだ」
「アッキーもう帰んの? あ、終電?」
「え、あ、うん…。依織は?」
遊びの帰りとはいえ、わざわざ会いに来てくれた依織と、このままバイバイするのはちょっと寂しい。
「アッキーが帰るなら、俺も帰ろうかな。駅まで一緒に行こうよ」
「うん」
2人で並んで駅まで行くのは、初めて会った日と同じだ。
駅までの道は、遠くない。
「ねぇ、依織って、いっつもこの辺で遊んでんの?」
「えっ? 何、急に」
「俺、仕事終わるとすぐ帰っちゃう人なんだけど、一緒に働いてるヤツに、終電逃したら朝までオールで遊べばいいじゃん、とか言われちゃってさー」
「アッキー、あんまオールとかしないの?」
「あんま。しかも普段、駅と店の往復しかしないから、この辺、全然知らないの。依織、近くで遊んでたんだろ? 普段からよく来んのかな、て思って」
「あ…そういうこと。いやそんな、この辺に詳しくて遊び慣れてるヤツが、あんなよく分かんないヤツらに絡まれると思う? 今日はたまたまだよ」
依織が首を振って答えれば、瑛貴が、依織が詳しかったら教えてもらおうと思ったのにー、などと言い出すので、思わず笑ってしまった。
いくら普段あまり遊ばずに終電で帰るのだとしても、ほぼ毎日通っている人間が、そこまで知らないはずもないだろうに。
「アッキー何線? 俺、ホームまでお見送りしちゃおっかな」
「え、それでお前、間に合うの? ここまで来といて乗り遅れたとか、超間抜けじゃね?」
嬉しい申し出だけど、それで依織が乗り遅れてしまったのでは申し訳ない。
しかし依織は、大丈夫! と携帯電話で時間を確認しながら言い、冗談でなく本当に改札を抜けた後、瑛貴が電車に乗るホームまで一緒に来てしまった。
「アッキー、今度もっとちゃんと時間があるときさー、遊ぼうよ。オールとかじゃなくていいから」
「いーよ」
「ホントー? 約束だよっ?」
依織は無邪気に笑う。
間もなく電車が来るとアナウンスが入る。終電を待つホームは混雑している。きっと依織が乗る電車もこんなだろうから、本当は少しでも早くホームへ向かったほうがいいのに。
「じゃあね」
「アッキー、バイバーイ」
傍から見たら、女の子に見送りされる男って何なんだ? とか思われてるんだろうなぁ、などと思いつつ、瑛貴は酒臭い車内に乗り込む。
(いや、依織は女じゃねぇけど)
扉が閉じて、発車する。
依織の姿が遠くなる。
瑛貴はドアに寄り掛かって、目を閉じた。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (19)
相変わらず瑛貴の出勤は早い。
たまには開店準備を休んでもいいと、代表の綾斗に言わしめるくらいに。
「アッキー! アッキーアッキー!」
「はぇ? あ、有華(ゆか)さん。おはよーございます」
まったく元気いっぱいに瑛貴を呼んだのは、JADEの隣の隣のビルに入っているキャバクラで働いている有華だった。
ハーフアップした髪と煌びやかな装いは、これから出勤するところなのだろう。よく転ばないな、という高いヒールの靴を履きながら、瑛貴に駆け寄ってきた。
「アッキー、いつからアフターなんてするようになったの~? あたしが指名しても、いっつも全然席に来てくんないのに~」
「はい?」
笑いながらも悔しがる素振りを見せる有華に、瑛貴は本気で頭の中をクエッションマークだらけにする。
内勤である瑛貴を指名したがる客は時々いるが、瑛貴は有華に限らず、指名されても誰の席にも着いたことがないし、もちろん閉店後にアフターに付き合ったこともない。
それどころか、優輝にからかわれるくらい、まっすぐに終電の待つホームへと向かっているのに。
「え、有華さん、何の話?」
「昨日の話ー。アッキーがかわいい子連れて歩いてんの、あたし見たんだからぁ」
「え? え? 昨日? ――――あっ…」
そういえば、昨日は依織と一緒に駅まで行ったのだ。有華が言いたいのは、そのことなのだろうと、瑛貴は漸く気が付いた。
しかし、確かに女の子の格好をした依織はかわいいけれど、有華が言う『かわいい子』の意味とは違う。
「やっぱアフターだったんだー。アッキーいつからホストに転身したの~? 今度あたしにも付き合ってくれるぅ?」
「いや、だからあの子はお客じゃなくて」
瑛貴は慌てて否定する。
依織はお客ではないし、しかも瑛貴もホストになってはいない。
この誤解を解いておかないと、次に有華がJADEに来たとき、またややこしいことになってしまう。
「有華~、違うわよー」
「あ、真美(まみ)ちゃん」
今度あたしも指名する~、と瑛貴に腕を絡ませている有華に、同じ店で働く真美が近寄って来て否定してくれたので、瑛貴はホッとする。
今の有華には、瑛貴が何を言っても通用しない気がするから。
「有華が言ってんの、昨日、アッキーが一緒に歩いてた子でしょ? ピンクのワンピ着た」
「そうそう、仕事終わった後、一緒に歩いてたからぁ、アッキー、アフターするようになったんだーて思ったのー。違うのぉ?」
有華は、語尾を甘ったるく伸ばしながら、かわいらしく小首を傾げている。
「有華、違うよ、あれ、アッキーの彼女だもん」
「ウッソ、そうなのぉ?」
「えーーーー違うし!」
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (20)
瑛貴は思わず声を張り上げてしまった。
内勤とはいえ、瑛貴はホストクラブに勤めているし、歩いていた時間も閉店後だったから、アフターなのだと有華が勘違いしたのはまだ分かるとして、真美は一体何を思って、彼女だなどと言うのだろうか。しかもそんなに自信たっぷりに。
しかも、必死に瑛貴が否定するにもかかわらず、有華はなぜか真美の言葉のほうしか信じない。
「だって昨日アッキー、その子とホームんとこでバイバイしてたじゃん。ダメよぉ、彼女に見送りされてちゃ。ちゃんと彼女、お家まで送ってあげないと」
「いや、だから!」
どうやら真美のほうは、瑛貴が終電に乗るとき、依織と別れるところを見ていたらしい。
あんなに混雑しているホームだったのに、何というタイミングだ。
「えぇーアッキー彼女いたの~?」
「だからー!」
真美の言葉をすっかり信じてしまったのか、有華は大げさに騒ぎ出す。
確かに瑛貴に彼女はいるが、それは真夕子であって、依織ではない。というか、依織は女の子ではないのに。
「別に隠さなくたっていいよぉ。アッキーに彼女いたって、ちゃんとJADEには通うから~」
「そうじゃなくて! 大体アイツ、おと…、――――ぁ…」
「ぅん?」
「あ…いや…」
依織は男なんだと言おうとして、瑛貴ははたと口を噤んだ。
瑛貴だって、依織が本当は男だということを、本人が肯定しても俄かには信じられなかったのだ。事情を知らない有華や真美が、瑛貴が言ったくらいで信用するとも思えない。
それに、そんなことを瑛貴が勝手にバラしてしまっていいのかとも思う。
七槻に女装を見破られたとき、泰我がいたから隠しても仕方ないと思ったのか、依織はごまかさなかったけれど、バレなければ、自分からいちいち明かさないだろう。
それを本人のいないところで、勝手に露見させてしまうというのも。
「アッキーて、あーゆー子がタイプなんだぁ」
「ちが…」
「彼女、もっとお姉さんタイプかと思ってたー」
「あ、私も!」
「…」
瑛貴がうまく否定できないものだから、2人の中で、瑛貴の彼女は依織ということになってしまっている。
困ったなぁ…と思いつつ、この2人が依織と話をする機会はないだろうし、真夕子と会うこともないだろうから、面倒くさいし、無理に誤解を解かなくてもいいか、と瑛貴は思い始めた。
昨日たまたま瑛貴が女の子(の格好をした依織)と歩いていたから、好奇心で話し掛けて来たのだろうけど、別に瑛貴の彼女がどこの誰だということまで追及する気はないだろうから。
「あのっ、もうホント、その話題は勘弁してください…! てかもう時間になるんで、俺っ…」
「あーアッキーが逃げたぁ~」
「お店で待ってますんでっ!」
瑛貴は深々と頭を下げると、2人から逃げるように走り出せば、有華と真美は、笑いながら手を振っていた。
それにしても、この狭い街で、瑛貴が依織と歩いている姿を、知り合いにまったく見られないとは思っていなかったが、まさかそのことをわざわざ話してくる人がいるとは、思ってもみなかった。
七槻が気を付けろと言っていたのは、こういうことだったのか。
でもまぁこんな話題、どうせすぐに忘れ去られてしまうに決まっている。何も気にすることはないだろう。
瑛貴はそう思って、店へと向かった。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (21)
その間に真夕子とは何度かメールをやり取りしたり、電話をしたりしたけれど、依織からは何の連絡も来なかったが、もとがメール無精の瑛貴は、それを気にはしていなかった。
「アッキー、アッキーアッキー、たいへ~ん! あぅっ!」
「あぁっ、有華さん!」
走って近付いてきた有華は、瑛貴のもとに辿り着く前に、高いヒールのせいで足がガクッとなって、転び掛けている。
瑛貴のほうが慌てて有華に駆け寄った。
「大丈夫? 有華さん」
「あぅ~…めっちゃ痛い~」
「えっ? ケガしてない!?」
「だい、じょうぶ…。それよりアッキー、たいへ~ん」
「何が?」
瑛貴の腕に掴まりながら、有華は何とか体勢を立て直した。
「アッキー、ちゃんと彼女と会ってる? ちゃんとラブラブしてるっ?」
「はい?」
ケガまでしそうになりながら駆け寄ってきて、大変だと言った後に続く言葉が、これ?
瑛貴は有華の身を案じつつ首を傾げるが、有華はガッシリと瑛貴の手を掴んでいる。
「ねぇ、どうなの?」
「どうって……普通ですけど…」
真夕子とのメールも電話もいつもどおりで、有華がこんなにも騒ぎ立てるほど変わったこともなかったし、お出掛けと言うほどではないが、ちゃんと会ってもいる。
なのに有華は、疑わしげにジッと瑛貴を見つめている。
「え…いや、普通ですけど…」
瑛貴はもう1度繰り返す。
有華がどう思おうと、普通は普通なんだから、それ以上、答えてみようがない。
ものすごくドラマチックな大恋愛でもないが、特別な波瀾万丈もない、ごく普通の恋愛。
「…アッキーがそぉ言うならいいんだけどぉ」
有華はサイドの髪に指を絡ませながら、上目遣いに瑛貴を見た。
「有華さん」
「だって、こぉゆうの、あたしが何か言うのも…」
「ここまで言っといて」
「…えっとー」
瑛貴に冷静に詰め寄られ、有華は少し逡巡してから口を開いた。
「あたし昨日、アッキーの彼女見たんだけどー」
「え、有華さん、俺の彼女、知ってましたっけ?」
「知ってるよぉ、先週見たばっかだもん」
「は? 先週?」
真夕子を有華に紹介した覚えはない。
元から知り合いという2人でもないし、一体どこで知り合う機会があっただろうか。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (22)
「え? え? あっ…あれは!」
そこまで言われて、瑛貴は漸く気が付いた。
有華は、依織が瑛貴の彼女だと思い込んでいるのだ。
この間、真美と一緒に有華に聞かれたとき、あれ以上深く追及されることもないと思って、誤解を解かないまま話を終わらせてしまっていたのだ。
「ちが、だからあの子は、」
「あの子、昨日、アッキーじゃない男の人と一緒に歩いてたんだよー、腕組んで」
「いや、だから!」
有華は、瑛貴の彼女だと思い込んでいる依織の浮気を指摘したいのだろうが、その相手は恐らく、先日瑛貴も見掛けた、依織の本当の恋人だろう。
本当の恋人同士なのだから、腕だって組むに決まっている。
「だからあたしー、アッキーちゃんと彼女と会って、ラブラブしてんのかな? て心配になっちゃったわけ!」
「あ、はは…そう…」
もう、苦笑いするしかない。
もし一緒に歩いているところだけで、そんなふうに判断されてしまうのだとしたら、瑛貴のほうが依織の浮気相手になってしまう。
まったく全然そんなことはないけれど、依織の彼氏に申し訳ないことをしてしまった。
「だってさぁ、その人、アッキーと全然雰囲気違うんだもん。アッキーがちゃんとラブラブしてあげないから、違うタイプに走っちゃったのかなぁ、て」
「いや、あのね、」
想像の世界で、勝手にどんどん話を広げていく有華に、瑛貴は頭を抱えたくなった。
こんなことなら、あのときちゃんと誤解を解いておけばよかった。
「だぁーってさぁ、一緒に歩いてんの、めっちゃオッサンなんだもん。いきなりフケ専に走り過ぎ! て思っちゃったぁ」
「はぇ? え? オッサン?」
「そぉー。40後半くらい?」
「え? え?」
確かに、見た目と実際の年齢に大きなギャップがある人はいるけれど、瑛貴が先日見掛けた依織の恋人らしき男は、どう見ても40代後半には見えない。
仕事柄、有華の眼力が優れているとしても、今の彼女の言い方からして、見掛けた男は、"見た目は若いが実は40代後半"ではなく、"見た目が40代後半"ということだろう。
とすれば、瑛貴と有華の思い浮かべている人物像は、あまりにかけ離れている。
「ねぇねぇ有華さん、それって、どんな感じの人? 背が高くて、スラっとした感じの人じゃなかった?」
「えー、そんな感じじゃなかったよぉ。背は普通くらい? だって彼女さんと同じくらいだったしー。てか悪いけど、スラってゆーより、何か野暮ったい感じのリーマンだった」
「…………、そう…」
有華から聞けば聞くほど、瑛貴の脳裏に思い出される男とは違うことばかりで、やはりそれが同一人物とは思い難かった。
年齢的に言えば、父親と言っても苦しくはないが、有華が浮気だと思ったということは、雰囲気は恋人同士だったわけで、その相手が父親だとは考えにくい。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (23)
「え、いや…」
急に言葉少なになった瑛貴に、有華がしおらしく謝って来た。
先週、彼女を見た~とはしゃいで間もなく、その彼女が別の男と歩いているのを見たのだ。騒ぎたくなるのも分かる。
ただ、そのすべてが誤解なのだけれど。
「有華さん、いろいろ教えてくれて、ありがと。今度会ったとき、聞いてみる」
「今度会ったときじゃ遅いってー。すぐ言わなきゃ!」
「あー…うん、まぁ…」
これで本当に依織が自分の彼女だったら、すぐにでも問い詰めたいところだけれど、依織との関係はそうでない。
何か問い詰めたいのだとしたら、それは本当の恋人のほうだ。
瑛貴と有華、どちらが見た男が依織の本当の恋人か分からないが、2人同時に恋人にはなれないのだから、どちらかが浮気になるわけなのだから。
(いや、でも――――)
もしかしたら、瑛貴が見掛けた恋人とは別れて、今度はうんと年上の恋人が出来たのかもしれない。
あまりにも有華が断定的に言うので、瑛貴もついその気になっていたが、何も依織が浮気をしているとは限らないのだ。
「じゃあ仕事終わったら、聞いてみる。もう仕事行かないと、遅刻するし」
「ギャッ、ホントだぁ!」
別に、仕事が終わってから、このことを依織に聞くつもりはない。
しかしそう言っておかないと、有華の憤りは収められそうにないし、この場の収拾もつかなそうなので。
「じゃあね、アッキー。あ、また情報ゲットしたら、教えるねー」
「えー…」
それは有り難いような、ちょっと困るような、そんな申し出だったが、瑛貴の返事を聞く前に、有華は店へと駆けて行った。
*****
何となく、依織に連絡してみようかなぁ、と瑛貴が思ったのは、最後に依織に会ってから、10日目のことだった。
"最後に会ってから"と言っても、依織にはまだ2回しか会ったことはないけれど。
(でも、何て言おう…)
JADEの開店前、相変わらず無駄に早く出勤した瑛貴は、しかし開店準備には参加せず、バックルームに籠って、携帯電話を片手に頭を悩ませていた。
依織にメールしてみようと思ったものの、何と打ったらいいのか思い付かないという、まったくアホみたいなことで。
瑛貴の場合、携帯電話はもっぱら事務連絡用にしか使っていないので、特に用事がない場合、何を打ったらいいのかよく分からないのだ。
今どきの若者らしくないと言われたって、そう簡単に電話無精もメール無精も治せない。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (24)
携帯電話を開いたり折り畳んだりしながら、瑛貴は唸り声を上げた。
大体、何を打てばいいかも分からないのに、どうしてメールしようなんて思い付いたのかと思う。
(どうしてって…――――そんなの分かってんだけど…)
なぜ急にメールをしようと思ったのかなんて――――何となくでも何ともない、生来のメール無精がいきなり治ったからでもない、有華の言葉を気にしているからに他ならない。
だって有華が、あまりに浮気だと騒ぎ立てるから、本当のところを知りたくて。
どうして瑛貴と有華、2人が見た男は違うのか。そのどちらとも、恋人同士のように腕を組んで歩いていたのか。
依織の恋人って――――
そう打ち込みそうになって、瑛貴は依織の名前を変換する前に、文章を消した。
全然さり気なくも何ともない、ストレートすぎる言葉を続けてしまいそうで、瑛貴はメールの画面を閉じて、携帯電話も折り畳んだ。
実際のところ、女の子の格好をする依織は、男を恋愛対象としているのかも、瑛貴は知らない。
2人のうち、どちらかが恋人なのかもしれないし、どちらもただの友人なのかもしれないし、どちらも浮気なのかもしれない。
何も知らない。
何も知らない瑛貴が、メールまでして、何を一体聞くつもりなのか。聞いてどうするつもりなのか。
でも聞いてみたい気もするし。
「うぅー…」
依織に、一緒に歩いていた男のことを聞きたいと思う反面、そんなこと聞いてもいいのかと思う気持ちもあって、瑛貴はなかなかメールが打てない。
つくづく不器用な性格をしている自分に、瑛貴は溜め息を零した。
「あぅ~あ~う~あ~」
「何してんだ、お前」
「ぅ~うわぁあわわぁっ!」
瑛貴が1人でジタバタしていたら、バックルームにやって来た泰我に不審そうに声を掛けられて、驚いて携帯電話を投げ出しそうになった。
「え、もう店始まる時間!?」
「違ぇけど。つーかお前、今暇? 暇だよな?」
「え、別に暇じゃ」
開店の準備を手伝わなかったばかりか、もしかして開店時間を過ぎてしまっていたのかと、瑛貴が慌てて携帯電話をしまおうとしたら、どうやらそうではないらしい。
しかも、なぜか勝手に瑛貴を暇だと決め付けた泰我は、瑛貴の言葉に耳を貸す気はないのか、「だったらちょっと付き合え」と立てた親指でドアを指す。
瑛貴は慣れているから平気だけれど、この風体でこのセリフと仕草、知らない人間なら心臓が持たない。
「だから暇じゃないってば」
「こんなとこでボーっとしてたくせに、暇じゃねぇとか言わせねぇ」
「ボーっとしてたわけじゃないもん」
一応、瑛貴なりに一生懸命悩んでいたのに、この言われようはちょっとひどい。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (25)
「綾斗さんに買い物頼まれたんだよ。あれもこれもとか言って、いつの間にかめっちゃ多くなってんの。だからお前も道連れ」
「げぇー」
綾斗は、出勤してから店を空けられないのもあるが、わりと人使いが荒いので、泰我や瑛貴はよくこうして使われている。
用事を言い付けられた泰我は、誰でもいいから一緒に連れて行こうとしたのだが、開店準備をがんばっている若いホストに声をかけるのも悪いし…と思っていたら、バックルームにちょうど瑛貴がいたのだ。
完全なるとばっちりの瑛貴は、渋々と泰我の後に付いていく。
「ねー泰我くーん」
「あぁ?」
少し前を歩く泰我が、振り返りもせず、面倒くさそうに返事をする。
日の暮れ切っていない繁華街は、明るく柔らかな日差しの中で、疎らにネオンが輝いている。また有華に会ったら面倒だな、と思ったが、店の前を通り過ぎても、その姿は見えなかった。
「泰我くんてさぁ、依織とどういう関係なの?」
「はぁ?」
「あ、いや、友だちなのは知ってんだけど、あの、何て言うか……何繋がり、ていうか…」
言葉足らずだったせいか、妙な言い回しになってしまっていたことに気が付き、瑛貴は慌てて付け加えた。
「学校のころの、友だち、とか? 同級生?」
「学校て! 俺、学校なんて殆ど行ってねぇし。前働いてたとこで知り合ったんだよ。つーか何、お前、依織と何かあったわけ?」
「…何もない」
何だか最近、妙にいろいろあった気がするけれど、実際のところ、依織とは何もない。
まだ2回しか会ったことはないし、メールも電話も殆どしたことがないし。
「アイツもさぁ、依織も、いろいろ複雑なヤツだけど、仲良くしてやってよ」
「え? うん」
泰我がやけに改まって言うので、瑛貴も、そんなこと言われなくても仲良くするつもりだけど…とは言えず、素直に頷いた。
「で、泰我くん、何買うの?」
「あ? これこれ。ホラ」
泰我がポケットの中から、しわの入ったメモを取り出して、瑛貴に渡す。
そこには、キレイとは言い難い字で、買ってくるものリストが記されている。結構な量。
本当にまったく人使いが荒い。
「これからはさぁ、買い出しがあるときは、その分、給料上乗せしてほしいよなぁ」
「買い出し手当とか? いいね、それ。まぁあの綾斗さんが、そんなことしてくれるとは思えないけど」
これも仕事の内だ! の一言で片付けられてしまいそうだ。
綾斗も、決して人が悪いわけではないのだが、殊に金が絡むとシビアになるので、瑛貴くらいのレベルでは、何も太刀打ちできないのだ。
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繁華街☆激濃ムラサキヴァイオレンス (26)
泰我から渡されたメモを見ながら、瑛貴は思う。
せっかく2人で来たのだから、手分けをしたほうが早く終わりそう。それに何より、泰我と仲良く一緒にお買い物、という気分ではない。
「あー…時間ねぇし、別々に行くか」
買い出しリストを半分に分けて、とりあえず別行動ということで。
この後はJADEに戻らなければならないのだから、特に待ち合わせはせず、それぞれ店に戻ることにして、2人は別れた。
「もぉー、綾斗さんも綾斗さんだけど、泰我くんだって人のこと言えないよね」
たまたまバックルームにいた瑛貴を、無理矢理買い出し仲間にさせるあたり、泰我だって十分人使いが荒いと思う。
そしてそれと同時に思うのが、自分のお人好しさ加減だ。何だかんだ言いながらも、結局断り切れていない。
「はぅ…」
結局、メールどころではなくなってしまった瑛貴は、肩を落としつつ目的の店へと向かった。
さっさと買い物して、もう1度メールの文章を考えよう。
(てか、普通に「遊ぼ」とかのメールでいいじゃん)
依織が腕を組んで歩いていたのが真夕子だったら、瑛貴にとっても大問題だが、相手は瑛貴の知らない人物なのだ。これ以上、深入りする必要なんてない。
そんなことを聞くんじゃなくて、友だちとして普通に遊びに誘うようなメールでいいのだ。
(でも…)
誘ったからには、依織と遊ばなければならないのだろう。
いや別に遊びたくないわけではないし、依織と一緒にいるのは楽しいからいいんだけれど、有華や真美に彼女だと勘違いされているから、何となく依織に会いづらい。
かといって、女装して来ないでと言うのは、好きでその格好をしている依織を全否定しているようにも思えるし。
「あ゛ー…こんなことなら、依織は男だって言っとけばよかった…」
今さら嘆いても遅いが、せめて依織が彼女ではないことだけは、ちゃんと説明しておけばよかった。
有華の中で依織は、瑛貴の彼女であり、しかも40代後半の男と浮気中ということになってしまっていて、今さら本当のことを言ったところで、何も通用しない気がする。
「あーーーーーー……」
これから仕事だというのに少しも気分が晴れなくて、買い物を終えた瑛貴は、子どものように、その袋をブンブンと前後に揺らす。
どうしたらいいか分かんない~~~~~と乱暴に手を動かす瑛貴は、はっきり言って、これが人に頼まれた買い物だということを、すっかり忘れている。
そして、周囲に人がいるということも、ことごとく忘れている。
「あーもうっうわっ!」
「わっ!?」
ブンッ! と瑛貴が袋を大きく前に振り上げたタイミングと、路地から人が出てくるタイミングは、まさしく同じだった。
つまりそれは、瑛貴の振り上げた買い物袋が、その人に直撃するということで。
あぁもう。
ついていない気分のときは、得てして、よくないことが重なるものなのだ。
「すいません、すいませんっ! ――――て、え、依織…」
「あ…」
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