恋三昧

【18禁】 BL小説取り扱い中。苦手なかた、「BL」という言葉に聞き覚えのないかた、18歳未満のかたはご遠慮ください。

2012年07月

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暴君王子のおっしゃることには! (61)


「…お前、一伽に、いざというとき血吸わせてくれ、て言われて、そんなことするメリットがないとか言っただろ?」
「あぁうん、言ったかも。え、何で航平が知ってんの?」
「一伽がみんな喋るから! アイツ、一応お前のその話には納得してて、だったら、何か尽くさないと、て思ったみたいで」
「え、俺に? 一伽が俺に尽くすの?」

 侑仁の中の一伽のイメージからして、一伽が人に尽くしている姿なんて、まったく想像が付かないのだが…。
 でも侑仁にしても、本気で一伽に血を吸わせる見返りを求めていたわけではなくて、どちらかというと、血を吸われたくないからそう言ったようなものなのだが。

「でも絶対に何も出来ないじゃん? だから俺らも一応気ぃ遣って、いろいろ諦めさそうとしたんだけど、全然言うこと聞かないし、そんで、尽くすにしても、お前に彼女いるなら、やっぱりあんま行かないほうがいいだろ、てなって」

 そこまで説明されて、ようやく侑仁は、一伽から来た2通のメールの意味を理解した。
 というか、ここまで説明されなければ分からないことを、たったあれだけのメールで済まそうとされても…。

「つかアイツ、そんなに俺んち来たいの?」

 確かに一伽は侑仁の家をかなり気に入っている様子だったが、そうまでして来たがるほどのことだろうか。
 一伽は女の子が大好きなんだし、そんな無理に尽くそうとしてまで侑仁の家に来なくたって、血を飲ませてくれるかわいい女の子の家にでも行ったほうがいいような気もするのだが。

「お前んちに行けば、クーラーのある涼しい部屋で、何もせずただ寛げる」
「はい~?」

 以前、航平が一伽から聞いた、侑仁の家に行きたい理由を話してやれば、やはり侑仁も呆れたように声を上げる。
 当たり前だ。

「え、でもそれ、どうしても俺んちじゃないとダメなの? 別に誰んちでもよくね? それこそ女の子の家でもさ」
「それは俺もそう思う。でも一伽が言うには、女の子の家に行ったら、絶対にヤッちまうから、ダメなんだって。何もしないで寛ぎたいから」
「いや、そんなのアイツの気持ちの問題じゃん。しかも、何もしないで寛ぐなら、全然尽くす気ねぇし」

 航平がすべてを白状すれば、侑仁は尤もなことを主張する。
 さすがにここまで話を聞いて、侑仁も素直に、彼女はいないなんてメールを返信しはしないだろう。となると、そのとばっちりは、やはり航平が食うのか…。

「つかさ、アイツって結局、涼みたいの? それとも血が飲みたいの? どっちなの? どっちもなの?」
「あぁ?」

 航平が暗い気持ちに陥りつつあったら、しかし侑仁は、航平が思っていたほどの反応を返してこない。
 もっとこう…ふざけんなよ! みたいな感じで来ると思っていたのに。

「どっちて…、お前の血はいざってときなんだから、涼みたいだけなんじゃね?」

 飽く迄も一伽が吸血したいのは女の子の血だから、侑仁の家に寛ぎに行って、毎回血までごちそうになろうとは思っていない様子だった。
 というか、話を聞いていくうち、むしろ涼みたい気持ちのほうが強い気さえした。

「ふぅん。涼みたいだけなら、別にいっか、来ても」
「えぇっ!?」

 航平の話を聞いて侑仁が結論を出すと、航平は腰を抜かさんばかりに仰天した。
 侑仁は逆に、航平のその様子に驚いてしまう。

「何航平、どうしたの」
「おま…一伽が家に来てもいいの? 嘘だろ。嫌だろ?」
「いや、そんなに積極的に来てほしいとは思わないけど、血を吸われるんじゃないなら、別に来たって構わないよ?」
「マジか…!」

 侑仁としては、それは素直な気持ちだったのだが、航平を驚愕させるには十分すぎたようで、彼は今日一番の驚いた顔をして固まった。

「航平、すごい顔してるね。そんなにビックリするほどのこと?」
「そりゃビックリするだろ! お前、アイツが家に来るんだぞ!? それ嫌じゃない、て何だよ!」

 キョトンとする侑仁に、航平は興奮気味に捲し立ててくる。そんな本気で全力拒否する航平が何だかおかしく思えてきて、侑仁は思わず笑ってしまった。
 侑仁だって、特別一伽に来てほしいわけではないけれど、航平もそこまで拒まなくても…。



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暴君王子のおっしゃることには! (62)


「何笑ってんだ!」
「だって航平、すごい必死なんだもん。そんなに嫌なの?」
「嫌だ! 絶対嫌だ、あんなんに来られたら! お前、アイツがどんだけか知らないから、」
「分かるよ、俺んち来たことあるもん」

 侑仁の家で、我が物顔で寛いでいた一伽を思い出したら、ますますおかしくなってきた。
 でも笑うと航平の怒りが増すから、何とか我慢する。

「つか、じゃあ航平、何で一伽のこと雇ってんだよ、そんなに嫌なのに。アイツ、そんなに仕事できんの?」
「仕事~? 仕事はまぁ…………普通だな」
「何だよ、普通なのかよ!」
「普通。でもまぁ辞めさすほどのことでもないし」

 一緒に仕事をするということは、1日のうちにかなりの時間を一緒に過ごすということなのに、一伽のことをこんなに力いっぱい嫌がっておきながら、それは別にいいとか、一体どういうこと…?
 侑仁的にはちょっと矛盾を感じるが、航平がいいならそれでいいか、と口を出すのはやめた。

「そんで一伽に何て答えんの? 来てもいいて言うのか? そしたらマジで押し掛けてくるぞ、アイツ」
「だからいいってば。航平、俺が1人そんなの好きじゃないの、知ってるでしょ?」
「そうだけど、家に1人なのと、一伽と2人きりなのと、どっちを取るか、て言われたら、絶対1人のほうを取る、俺は」

 やはり航平は、その部分は頑として譲る気はないらしく、コブシを作ってまで主張してくる。
 でも、そこまでなのに、一緒に働くのはいいんだよね。

「まぁ勝手にしろよ。その代わり、後で困っても面倒見ねぇぞ?」
「分かってるってば」

 航平に嫌な顔をされつつ、侑仁は一伽に、今は彼女がいないというメールを送った。



光宏 と 雪乃

「ねぇみっくん…」

 いつもどおり光宏の家に来て食事を作った雪乃は、本日のメニューであるグラタンとサラダに、光宏が口を付け始めると、浮かない表情で声を掛けた。

「ん? グラタンうまいよ?」

 このタイミングに、この表情で声を掛けたことからして、今日の料理の出来映えを気にしているのだろうと、光宏は素直に感想を述べたのに、雪乃は俯きがちに首を振った。

「じゃあ? どうした?」

 今日はスーパーに寄って来ているから、普通なら、大好きな山下さんに会えた喜びで、鬱陶しいくらいにテンション高めなのに。もしかして、行ったはいいけれど、山下さんに会えなくて元気がないとか?
 そうだとしたら、そんな雪乃を慰めてやらなければならないんだろうか。それって、ものすごい自虐…と光宏は思う。

「何かさぁ、俺何やってんのかなぁ、て思って」

 しかし雪乃の口をついて出た言葉は、光宏が思っていたものとは違って、どうしたものかと、光宏はフォークを置いた。

「何かあった?」

 雪乃が唐突に、そしてはっきりしない言い方をするときは、何かがあった証拠だ。
 そうでないときは、いいことでも悪いことでも、勝手にベラベラと喋りまくるから。

「…俺、山下さんに彼女がいるかどうかも知らないの」
「へ…へぇ…?」
「そしたらいっちゃんにね、ユキちゃん、山下さんの友だちじゃなくて、彼氏になりたいんでしょ? だったらそこ知らないとダメじゃん、て言われた…」
「まぁ…確かに」

 雪乃がすごく落ち込んだ様子なので何も言えないが、一伽の言うことは尤もだと思う。友だちになるにしろ、彼氏になるにしろ、ただ見ることが出来て喜んでいるだけでは、何も始まらない。
 もちろん光宏は、今雪乃に打ち明けられるまでもなく、そのことには気付いていたけれど、わざわざ雪乃に伝える優しさもなく、今に至っているのだが。



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暴君王子のおっしゃることには! (63)


「しかも、山下さんのこと知ってから結構経つのに、何してんの? て。全然進展してないじゃん、て言われた」
「それで、俺何してんだろ、て思っちゃった、てこと?」
「…ん」

 確かに、それをはっきり指摘されたら、俺何してんだろ…とは思うだろうなぁ…。
 一伽の性格からして、遠回しに何かを伝えるなんてことはしないだろうし。

「スーパー行くじゃん? で、山下さんいるじゃん? 俺さぁ、もうそれだけで幸せ気分いっぱいになっちゃうんだよね。いっちゃんとかみっくんには、山下さんともっと仲良くなりたい! て言ってるけど、何かもうよく分かんなくなってきた…」
「でも山下さんに会えたら、幸せ気分なんだろ?」
「それはそうなんだけど、でもいっちゃんには鈍感! て怒られちゃうし」

 雪乃は大きく溜め息をつくと、ガクッと項垂れた。
 しかし、雪乃が鈍感なのは今に始まったことではないのに、一伽も一体どうして今さらそんなこと…。

「何で一伽にそんなことで怒られてんの?」
「分かんないよぉ。何かいっちゃん、ユキちゃんが好きなのは光宏じゃなくて山下さんでしょ? とか言い出してね、何で急にみっくんの名前が出てくんのかと思ってそう言ったら、ユキちゃんの鈍感! て…」
「……」

 雪乃が光宏の家に来てご飯を作るのは、山下さんに会うため、スーパーに通う口実が欲しいからだ。
 しかし、買い物自体の必要がそんなにないのと、ストーカー臭いという理由からスーパーには数日置きにしか行かないのに、なぜか光宏の家には毎日来ているのだ。
 本来の目的からすれば、光宏の家に行くのはスーパーに行く日だけでいいはずだし、雪乃だって人間の食べ物が食べられないわけではないんだから、自分の家で料理したっていいはずなのに。

『これが、逆に光宏を落とすための作戦で、イケメン店員のほうが口実だったらおもしろいのにねぇ~』

 とは、以前一伽の言った言葉だが、雪乃に限って、そんな器用に裏の裏まで掻いた作戦が出来るわけもなく、いつか山下のためにご飯を作ってあげる日が来る、と信じて、料理の腕を磨きたいだけの行動だ。
 ついでを言うと、作った料理の味見をしてくれる人が欲しいというのもあるだろう。

 とにかく。
 事情を知らない人が見れば、好きだ好きだと言っている山下さんとの関係は全然まったく一向に進展しない一方で、毎日光宏の家に行ってご飯を作っている雪乃の行動は、山下さんでなく光宏のことが好きなんだと思ってしまうものなのに。

 いくら雪乃が光宏の気持ちに気付いていないとは言え、そこで光宏の名前を出されてピンと来なければ、それは確かに、鈍感! と言ってやりたくもなるよなぁ…。
 自分の行動をまったく自覚していない雪乃に、光宏も溜め息をつきたくなった。

「それでどうなの? みっくん」
「何が? ユキが鈍感かどうかてこと?」
「じゃなくて! 俺がご飯作りに来るの、迷惑?」
「あー…」

 話が遠回りすぎて忘れていたが、そういえば最初にそんなこと聞かれてたっけ。

「だから別に、迷惑とか思ってないってば」

 その行動自体を迷惑だなんて思ったことは、1度だってない。
 いくら雪乃の気持ちが自分に向いていないとしても、自分のために(いや、本当は山下さんのためなんだろうけど、その瞬間は光宏のためだと思う)ご飯を作ってくれて、迷惑なわけはない。
 ただ、その口から山下さんの名前が出ると、切なくなるだけで。

「…そうなの? 俺、みっくんがホントは迷惑に思ってるのに、それに気付かないで毎日みっくんち来てるから、いっちゃんが鈍感て言ったのかな、て思って…」
「……」

 いやいやいや。
 雪乃は確かにいろいろ気付けていないけれど、何よりも気付いていないのは、光宏の想いが『迷惑』でなく、『雪乃のことが好き』だということだ。
 まったく、鈍感もここまでくれば大したものだと思う。

 というか、雪乃の場合、それとなく態度で示すとかでなく、面と向かってはっきりと好きだと伝えなければ、分かってはもらえないのだろう。それは光宏も分かる。
 分かっていながら、それ以上のことをしていないのだから、雪乃が何も気付かなくても文句は言えないんだけれど、あんなに一途に山下さんへの想いを打ち明けられた後では、何も出来ないではないか。



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暴君王子のおっしゃることには! (64)


 ならいっそ、迷惑だからもう来ないで、と言い放ってしまえば、楽になれるんだろうか。
 今さら雪乃に好きだとも言えないんだから、雪乃からも嫌われてしまえば、この想いだって諦めが付くかもしれない。

 …いや、それとも、未だに山下さんに彼女がいるかすら知らないほどなら望みなんてないよと言い包めて、自分のものにしてしまうか? ――――なんて、出来もしない想像が頭の中を巡る。

(俺って、もしかして本気のマゾか…?)

 雪乃を突き放すことも奪うことも出来ない自分は、雪乃の一向に進展しない山下さんへの想いが、どんな形であれ決着がつくまで、付き合わされることになるんだろう。
 もう本当に、マゾとしか思えない。

 ――――でも。

「…あのさぁ、ユキ」
「ん?」

 俺にそんな自虐趣味なんかない。
 雪乃のことは好きだけれど、傷付けたくないとは思っているけれど、自分の想いを抑えつけておくのにも、限界があるんだよ。

「やっぱさぁ、…やっぱ明日からは、今までみたいに毎日来ないほうがいいよ」
「……へ…?」

 気付けば、光宏の口からは、そんな言葉が滑り出していた。

「だってユキがウチに来るのは、山下さんに会うのにスーパー行く口実が欲しいだけだろ? なら、そうじゃない日は、別に俺んち来なくてもいいじゃん?」
「そ…だけど…、あ、やっぱ迷惑だった? 俺が来るの…?」
「…そうじゃないよ。ユキがご飯作ってくれるのは嬉しいけど、」
「じゃ…何で?」

 雪乃の声が震えている。
 驚いた表情の雪乃の顔を見つめながら、しかしもう止められないと思った。 

「だって、やっぱおかしいじゃん。ユキが好きなのは山下さんなのに、俺んちに毎日来るなんて。ユキが好きなのは、俺じゃなくて、山下さんだろ?」
「、」

 一伽が言っても雪乃が分からなかったことを、光宏は、丁寧にもう1度繰り返す。
 鈍感な雪乃には、ちゃんと説明してあげないと、何も伝わらないんだから。

「だから……もう俺んちには、来ないで」
「みっ…」

 目の前の雪乃は、まるで信じられないものでも見るかのように、光宏のことを見つめていた。
 迷惑ではないと言いながら、『来ないほうがいい』でなくて、『来ないで』と言い直されたことが、ショックなんだろう。そして今一生懸命に、その言葉の真意を探ろうとしているんだろう。

 でもきっと雪乃は、1人じゃきっと気付けないんだろうな。
 山下さんのことが好きなのに、毎日光宏の家に来ている状況がおかしいことだというのは分かっても、だからって、どうして光宏が『来ないで』と雪乃を拒むのか。

「みっく…何で…?」
「何で、て…」

 言ってしまおうか、全部。
 この想いを、すべて。

 言う、言わない、言う、言わない…………心の中で、まるで花びらを1枚ずつ千切るように、繰り返す。

 言うか、言わないか、けれど雪乃は答えを欲しているじゃないか。
 もう引き返せない。


「何でって――――ユキのことが好きだからだよ」


 そう言った後、呆然としている雪乃に、『だからもう来ないで』と、もう1度伝えた気はする。
 雪乃のことが好きだから、雪乃が山下さんの恋人になるための手伝いをするなんて、これ以上は無理だとも言った気はする。

 でも、一体いつ、どうやって雪乃がこの部屋を出て行ったのかが分からない。
 光宏に、何か言葉を掛けたのだろうか。


 ただ気が付けば、すっかり冷めてしまった食べ掛けのグラタンとサラダだけが残された部屋に1人、光宏は取り残されていた。



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暴君王子のおっしゃることには! (65)


一伽 と 侑仁

 航平に散々脅されたし、一伽も侑仁の家に来る気満々のようだったから、さっそく次の日にでも一伽が現れるのかと思っていたら、実際に一伽からメールが来たのは、あれから10日もしてからだった。
 しかもメールの内容は『今日侑仁の家に行きたいけど、いい?』とかでなく、『今日侑仁の家に行く』だ。
 断定系。
 いきなり押し掛けたら悪いとは思ってくれているようだが、このメール、侑仁に拒否権が与えられていない気がするのは気のせいか?

(いや、いきなり行ったら『侑仁に迷惑が掛かるから悪い』じゃなくて、いきなり行ったら『侑仁がいないかもしれないからマズイ』てことだよな、絶対…)

 あの傍若無人な吸血鬼が、そこまで人に気を遣えるわけがないのだ。
 一応、職場の志信さんという人に、侑仁に彼女がいるなら頻繁に押し掛けるのはマズイのでは? と言われ、『侑仁て彼女いるの?』というメールを送るという、変化球一切なしの直球勝負の気の遣い方はしてきたが。

「はぁ~涼しっ! やっぱ夏は、エアコンの効いた部屋でビールだよな!」

 侑仁家の、1人用にしては大きいサイズのソファで思い切り寛ぎながら、一伽は自分で買って来た6本パックの缶ビールの1つを開けて、グビグビグビーと半分くらいまで一気に飲むと、満足そうにそう言った。
 確か航平や志信には、侑仁の家に行くためには何か尽くさねば! と意気込みのようなものを語っていたようなのに、今の一伽は、侑仁に尽くす気ゼロにしか見えない。
 つか、寛ぎ過ぎ!

「いや、違ぇんだって。侑仁も飲んでいいから。つか、お前が飲め!」

 一伽は、空いていないビールの缶を、風呂上がりの侑仁のほうに突き出して来た。
 確かに風呂上がりのビールはうまいけれど、別に侑仁はそれを期待して風呂に入っていたわけではない。風呂に入ろうと、服を脱ぎ掛けていたところで一伽からメールが来たのだ。
 あの、突如の『彼女いないの?』メールから1週間、一伽から何の音沙汰もなかったものだから、侑仁はすっかり油断して、いつものタイミングで生活をしていたら、今さら一伽からメールが来て、でも一伽のために自分の生活スタイルを変えるのも嫌だったから、そのまま風呂に入っただけのことだ。

「飲んでいいなら飲むけど…、何この本数。俺、お前と飲み明かす気はねぇよ?」

 今日はまだ、週の真ん中、水曜日だ。
 缶ビール6本とはいえ、この酒豪の吸血鬼と2人で、今から全部飲み尽くす気は、悪いがさらさらない。

「俺だってそんな気はねぇよ。じゃなくて、残りはお前にやるっつの。お礼よ、お礼」
「はぁ?」
「だからぁ、俺もさぁ、何もしないとはいえ、手ぶらで侑仁の家に来て涼んでくのも悪いかな、て思ってるわけよ、一応」
「あ、そう」

 ソファの上に寝転がって、パタパタと手足を動かしながら寛いでいる一伽の姿を見る限り、本気でそう思っているとは言い難いのだが、一伽的には、一応、何かしなければという思いはあるらしい。
 というか、その思いだけは人並みなのに、どうしてそれが行動に移ると全然ダメなんだろう…。

「でさ、ホントは何かもっとこう…尽くしてる感満載のことをしてやろうと思ったんだけど、はっきり言って俺、何も出来ないから」
「はっきり言わなくても分かる」
「それによく考えたら俺、侑仁から吸血する気もないわけだし、前に侑仁が言ってたみたいな、何か尽くす…みたいなことはしなくてもいいかな、とか思って」
「おい!」

 血は吸わないかもしれないが、人の家に来て、思い切り寛いでるだろうが!

「待ってよ侑仁、続きがあんの! でね、でね、でも何もないのも悪いじゃん?」
「ぁん?」
「だから、お礼の気持ちを込めて、このビールを買って来てみました!」

 ジャーン! とアホな効果音を口にしながら、一伽は、テーブルの上にばらけたビールを大げさに紹介する。
 あぁ、どうして6本パックのビールなんかわざわざ買って来たのかと思えば、一応、そういう思いが込められていたのか。



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暴君王子のおっしゃることには! (66)


「侑仁もさぁ、俺のへったくそな手料理食うより、こっちのほうがいいだろ?」
「そーですね」

 一伽の料理の腕前は知らないが、本人がそういう食べ物を口にしなくても生きていける種族である上に、自分自身で、謙遜でも何でもなく、『へったくそ』と言っているのだ、まともな飯にあり付けるとは、到底思えない。
 それだったら、確かに缶ビールのほうが、よっぽど気は利いているかも。

(でも、お前のほうが先に飲んでるけどな)

 侑仁の家のリビングで、家主の侑仁よりも寛ぎながら、侑仁より先にお礼で持って来たビールを飲んでいる一伽には、きっと何を言ったって無駄なんだろう。

「はぁ~ホンット生き返るわ~。ホントもうマジ俺んちヒドイかんね。連日連夜の熱帯夜地獄! お前にこの苦しみが分かるのか!? このセレブ野郎がっ」
「だから、そのセレブ野郎て、やめてくんね? 無駄にムカつくから」

 今日で何日目かの真夏日を更新中の毎日。
 一伽がぼやきたくなる気持ちも、分からないではないが。

「でもさ、意外と連絡寄越さなかったよな、お前」

 ビールの缶を開けつつ、侑仁は、一伽が転がっているのとは別のソファに座る。
 別に、一伽が来ないに越したことはないんだけれど、ちょっと気になったので、聞いてみた。

「んぁ? んー…いや来たかったんだけどさ、ユキちゃんが…」

 後半は歯切れ悪く、ゴニョゴニョと言葉を濁しながら、一伽はビールを煽った。
 ユキちゃんという名前には、侑仁も少し覚えがあった。一伽と同居している吸血鬼で、ときどき一伽からも血を吸っているとかいう、ちょっと鈍臭い子(会ったこともないのに、すみません)だ。

「いや、言いたくねぇなら、別にいいけど」
「んー…」

 触れられたくないことなのか、それともただ単に話すのが面倒くさいだけなのか、気のない返事をして、一伽は缶を空にした。

「お前、素飲みしてること忘れんなよ? 酔い潰れたって、今日は泊めねぇぞ」
「ビールくらいじゃ酔わねぇよ」

 一伽の、空き缶を持ったほうの手が、それを侑仁に向かって投げ付けるような動きを見せたので、侑仁は少し身構えたが、しかしその手は、数秒の後、静かにテーブルに缶を置いただけに終わった。

「侑仁ー」
「ん?」
「何かさぁ…、何か……何だろ、何つったらいいのかな」
「何が?」
「…分かんね」

 一伽は、怠そうにソファの上で寝返りを打った。
 侑仁は、落ちるなよ? と思いつつ、今日の一伽の雰囲気が、単に涼んで寛ぎたいだけのものではないことに気が付いた。
 しかし、かといって一伽は、抱えている何かを、侑仁に積極的に話したいわけでもなさそうなので、聞き返さない。

「んー…例えばさぁ、」

 あれで話は終わったのかと思っていたら、まだ続いていたらしい。
 もう1本、新しい缶ビールを開けようとする一伽の手をはたいて、侑仁は冷蔵庫から持って来たミネラルウォータを一伽の手に握らせた。

「…例えば、俺が航平くんのこと、好きだとするじゃん? LOVEで」
「はぁ?」

 突拍子もない話を始めた一伽に、やっぱり酔っ払ってる…と侑仁は溜め息を零した。
 アルコールを摂取したのだから酔って当然なのだが、一体いきなり何の話を始めるつもりだ。

「いや、例えばの話だってば。誰がLOVEで好きになるよ、航平くんのことなんか」
「そこまで言うなよ」

 侑仁は同性愛の傾向がないから、航平のことは親友とは思っても、恋愛感情を以て航平のことを好きだと思ったことはないが、航平は顔だけでなくいい男だから、そこまできっぱり言わなくても…とは思う。



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暴君王子のおっしゃることには! (67)


「例えばね、俺は航平くんのこと好きだとするじゃん? でも航平くんは、俺の気持ちなんか全然気付いてねぇの。つかむしろ、俺の存在なんて、全然気付いてねぇの」
「え、そういう設定の例え話? 何か難しくね? 実際はお前、航平トコで働いてんだし」
「そうだけど…。あ、じゃあさ、今のはなしね。航平くんじゃなくて、まぁ誰でもいいんだけど、俺は、侑仁も知らない誰かに一目惚れしたの。それならいい?」
「はぁ…」

 よく分からないけれど、どうやら一伽のこの話には、最後まで付き合わなければならなくなったようだ。
 だったらいっそ、もっと飲ませて、酔い潰れてくれたほうがマシだったかな…?

「で、俺はその人と仲良くなりたくて、毎日航平くんちに行って、ご飯作ったげるの」
「いや、ちょっと待って。意味分かんねぇ、マジで。何が? 何で?」

 一目惚れした相手と仲良くなりたくて、一体どうして航平の家に行ってご飯を作ってあげることになるのだ、しかも毎日。

「えっとね、その一目惚れした人が、スーパーの店員さんで、その人に会いたいから、俺、そのスーパーに通うことにしたの。で、そのスーパーに通う口実に、航平くんにご飯作ってあげることにしたわけ。そのスーパー、航平くんちに近いから」
「あー…なるほど。え、毎日?」
「うん、毎日。でもね、その人に会いに毎日スーパー行ったら、何かストーカー臭いじゃん? だからスーパーには何日か置きに行くの。でも、航平くんちには毎日行く」

 一伽は起き上がって、ミネラルウォータをがぶ飲みして、ちょっと深呼吸みたいのをしてから、話を続けた。
 くだらない例え話をしているわけではないことは、侑仁にも分かった。

「でもね、もう結構そのスーパーに行ってんのに、俺、未だにその人に彼女が……恋人がいるかどうかも知らねぇの。ダメダメじゃん?」
「ダメ、ていうか、まぁ…」
「そんな調子だから、友だちからも、この鈍感がっ! つって怒られて、俺、凹みながら航平くんちにご飯作りに行ったの。何で俺、鈍感て言われたんだろ、航平くん、本当は毎日俺が来るの迷惑なのに、俺がそれに気付いてないから、友だちは怒っちゃったのかな、て」
「うん」
「で、そのことを航平くんに言ったら、俺が来ること自体は迷惑じゃない、て言うわけ。まぁ実際の航平くんは、超~~~嫌がりそうだけど、今は例え話だからね?」
「分かってるってば」

 航平が一伽を家に入れたくないと思っていることは、一応一伽自身も自覚しているのか。
 それはちょっと、航平に教えてあげないと。

「俺が来ること自体は迷惑じゃないのに、でも航平くんは、俺にもう来るな、て言うわけ。何で? て思うじゃん? 何で迷惑じゃないのに、来ちゃいけないの? て」
「うん、まぁ…、迷惑じゃない、てのが嘘じゃないなら」
「でも俺はそんなの分かんないから、航平くんに聞くわけ。何で来ちゃダメなの? て。そしたら航平くんは言いました――――お前のことが好きだから」
「……」

 例え話に登場したのが、航平と一伽だったせいか、いまいち話に真実味がないんだけれど、これが登場人物をこの2人に置き換えた実話だとしても、一伽が演じた子があまりにも鈍感で、ちょっと侑仁には信じられない。
 話の中に出て来た一伽の友だち(一伽に鈍感! と怒った子)が、実際には一伽だったんだろうことは、予想は付くけれど。

「その…今の話の中の一伽は、航平が自分のこと好きだってことに、全然気付いてなかったの?」
「気付いてなかった。気付かず、毎日せっせと航平くんにご飯を作りに行ってたの」
「航平が哀れだね。でも、どんくらいそういう生活が続いてたのか知んねぇけど、俺が航平なら、こんなになる前にさっさと告っちゃうけどね」

 好きになった相手に、その想いを我慢するなんて、侑仁には考えられないことだ。
 例えばその人に、もう付き合っている人がいるとか、結婚しているとか、そういう状況なら手は出さないけれど、今の場合、一伽は一目惚れした相手に恋人がいるかも知らないくらい何の進展もなかったんだから、ここまで引っ張る前に、告白して自分のものにしてしまえばよかったのに。

「でもソイツは……航平くんは違うんだよ、ずっと言えなかったの」
「何で?」
「知らねぇよ。でも…だって俺は別の人が好きなのに、航平くんに告られたら困るじゃん。困らせたくなかったんじゃない? それに航平くんと付き合うってことは、俺はその一目惚れした人への気持ちを諦めなきゃじゃん? 失恋じゃん?」
「でも、航平とうまくやってくなら、それでいいんじゃね?」
「うまくやってけるかどうかなんて、分かんないじゃん。お前みたいにポジティブ能天気野郎じゃねぇんだよ、ソイツは」
「……」

 侑仁だって別に、自分の考え方が万人に当て嵌まるとは思っていないし、受け入れられない場合があることだって分かっているけれど、それにしても、『ポジティブ能天気野郎』て…。
 きっと一伽は侑仁に、何かしらの深刻な話をしたくて話しているだろうに、どうしていちいち癪に障るような一言を付け加えるんだろう…。



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暴君王子のおっしゃることには! (68)


「とにかく! ソイツはずっと言えなかったの! 言えないで、毎日ユキちゃんがご飯作りに来るのを受け入れてたの! でもユキちゃん全然気付かないし、俺が鈍感て言ったのも全然見当違いなことに思ってるし、そんなだから光宏も我慢できなくなっちゃったのっ!」
「…………」
「…………」
「…ユキちゃん?」
「え…? あっ…」

 言いたいことが侑仁に伝わらないのがもどかしくて興奮してしまった一伽は、ずっと一伽と航平に置き換えて話していたのを忘れて、思わず本当の名前を出してしまった。
 まぁ…、侑仁は雪乃も光宏も知らないから本名を出しても大丈夫だろうけど、だとすると、航平が一伽のことを好きだというへんてこりんな設定の作り話をした、一伽の努力は…。

「別に誰にも言わねぇから、続き、話してみ? お前だって、自分と航平に置き換えて話すんの、キモいだろ?」
「キモい」

 そこは遠慮なく『キモい』と言い放った一伽は、侑仁のことを信用して、自分と航平という設定で話していた例え話を、実際の雪乃と光宏で話すことにした。

「続き…てか、今言ったとおりなんだけどさ。ユキちゃん、光宏が自分のこと好きだったなんて、本気で全然気付いてなくて……急にそんなこと言われて、すごいビックリしちゃって」
「ま、本気で全然気付いてなかったら、そりゃビビるよな。でも別にいいじゃん。ユキちゃん? は、その光宏さんじゃなくて、スーパーの店員さんが好きなんだろ? 告られたって、その気がないなら断りゃいいだけだし」
「でもそしたらもう、友だちじゃいられない」
「告られた時点で、友だちじゃいられねぇよ」

 ずっと友だちだと思っていた相手から愛の告白をされて、気まずくなって、どうしたらいいか分からなくて……なんて、何てベタな少女マンガのような展開だろう。
 それこそ、まったく全然気付いていなかったのだから、告白されても、ユキちゃんさんはきっと何も答えられなかったんだろうな。

「…やっぱりもう、2人は友だちに戻れないかな?」
「さぁ。一般的にはそうだろうな。だって今さら、相手のこと友だちと思えるか? お互い」
「無理だよね、やっぱ」

 一伽も分かっていて聞いたので、大して期待はしていなかったのだが、やはり侑仁の答えは、一伽の考えを嬉しいほうに覆してくれるものではなかった。

「で?」
「え?」
「結局一伽は何の話がしたかったわけ? 俺にその…ユキちゃん? の恋バナ聞かせてさ。俺、そんな赤の他人に恋のアドバイス的なことする気、ねぇよ?」
「…別に、お前からアドバイス貰おうなんて思ってねぇよ」

 一伽は再び、コロンとソファに寝転がった。
 いちいち侑仁に突っ掛ってくる態度は相変わらずだが、一伽はまだ何か考えているようで、ソファの上でもぞもぞしている。

「俺が…」
「ん?」
「俺がユキちゃんに鈍感て言ったから?」
「何が?」
「俺がユキちゃんに鈍感て言ったから、ユキちゃん、そのこと気にして光宏に話して、だから光宏、ユキちゃんにもう来ないでとか言って、告って、そんで、」
「おい、ちょっと待てよ、一伽」

 想像の中でどんどんと話を進めていく一伽に、侑仁は慌ててストップを掛けた。
 まさか一伽は、その雪乃と光宏の2人がこうなったことの責任が、自分にあると思い込んでいるのだろうか。

「いや、だってお前、鈍感つっただけなんだろ? そんくらい言ったところで…」

 一伽の性格からして、雪乃に鈍感と言ったのが、今回初めてだとは思えない。
 なのにどうして一伽は、今に限ってそんなに責任を感じているのだ。

「…その前に、ユキちゃんが好きなのは光宏じゃなくて、山下さん…そのスーパーの店員さんなんでしょ、とも言った。でもユキちゃん、それでも全然分かってなくて、何でそこに光宏が出てくんの? みたいなこと言ってさ、だから俺もカッとなって、鈍感! つっちゃった」
「それは確かに、鈍感だなぁ…」
「でも俺がそんなこと言ったから、ユキちゃんが気にして、光宏に話しちゃったんだもん…」

 一伽は側にあったクッションを胸に抱えて、侑仁とは反対のほうを向いて丸くなった。



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暴君王子のおっしゃることには! (69)


「お前、それで責任感じてんの? そりゃお前の言葉が切っ掛けだったかもだけど、お前が何もしなくても、ユキちゃんの鈍感さに光宏さんの我慢の限界が来て、同じことになってたかもじゃん?」

 一体一伽に何を言ったらいいか分からず、侑仁はフォローにもならない言葉を掛けてしまった。
 一伽は、ピクリとも動かない。
 そんな一伽の後ろ姿を見つめながら、侑仁は、今日ここに来たばかりのときの一伽のテンションが、ただの空元気だったことに、ようやく気が付いた。
 こんなことがあったから、無理にテンションを上げていたのかもしれない。

「一伽?」
「…俺のせいじゃないかもしんないけど、でもユキちゃんが、めっちゃ落ち込んでる」
「……」
「自分が光宏の気持ちに気付いてなかったせいで、光宏のこと、ずっと傷付けてたんだ、て思ってる」

 それは……確かに雪乃が鈍感で、光宏の気持ちに全然気付けなかったのも悪いかもしれないが、かといって、こんなことになったすべてが雪乃のせいかといえば、それも違うだろう。
 もし光宏が、もっと早く自分の気持ちを伝えていたら、それこそこんな展開にはならなかったのかもしれないし。
 だから、誰が悪いなんてこと、ないと思う。

「でもユキちゃん、めっちゃ落ち込んで、引きこもっててっ…」

 今家に1人でいる雪乃のことを思ったら、急に切なくなって、一伽はガバッとソファから起き上がり、侑仁のほうを振り返った。
 しかし、その次の瞬間。

「おいっ!」

 振り返った一伽の目元が濡れていると侑仁が思ったのは一瞬で、一伽の体はそのままグラッと傾いて、ソファから転がり落ちた。

「おい大丈夫かよっ! 一伽!?」
「イテ…」

 侑仁は慌ててソファから飛び降り、床に落ちた一伽を抱き起した。
 素飲みとはいえ、ビールは350ml缶1本しか飲んでいないし、その後に水も飲ませたから、酔っ払ってふら付くとは思えなかったのに。

「大丈夫かっ? おい!」
「へーき…。ゴメ…俺、帰る…」
「はぁっ? バカ、無理だろ」

 とりあえず侑仁は、一伽をソファに引っ張り上げて、寝かせてやった。
 一伽を泊める気などさらさらなかったが、見れば一伽の顔色は悪く、単に酔いが回ったのではないことは明白で、具合が悪いのなら、このまま帰らせるわけにはいかない。

「ヤ…帰る…」
「だから、無理だっつの!」

 連日の猛暑に、自分の家がいかに最悪かを熱弁していた一伽が、今は頑なに帰りたがっていることを侑仁は訝しく思ったが、とにかくこんな状態で1人外に出したら、行き倒れるのがオチだから、侑仁は何とか一伽を止める。
 本当は、一伽にそこまで義理を尽くす必要なんてないんだろうけど、ここで無理に帰して、もし一伽の身に何かあったら、絶対に後味が悪いから。

「侑仁、離して…」
「バーカ、自力で起き上がれねぇヤツが、何言ってんだ」

 もしかして、雪乃のことが心配で、どうしても帰りたいのだろうか。
 そうだとしても、今の自分の体調を考えて言ってくれ。

「違う、侑仁…」
「あぁっ?」
「血が飲みたい…」
「え…」
「だから侑仁、お願…離して…、気持ち悪ぃ…」

 すっかり蒼褪めた顔で、一伽は驚いて固まった侑仁の手を解く。
 侑仁には、『自力で起き上がれねぇヤツ』と言われたけれど、そのくらいの気力なら、まだある。今ならまだ、間に合う。
 人間の前でコウモリの姿になるのはちょっと気が引けたが、今はそれどころではないし、侑仁は何だかそういう部分に理解があるようなので、構わないだろう。
 一伽はフラフラと、カーテンの引かれた窓のほうへと向かう。

「おいっ、ちょっ一伽!」

 焦ったような侑仁の声を背後に聞きながら、一伽は窓を開けると、コウモリへと変身した。



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暴君王子のおっしゃることには! (70)


 侑仁は今、自分の目の前で起こった出来事を、俄かには信じることは出来なかった。

 だって、一伽がコウモリになった。
 人間の姿をしていたはずの一伽が、突然、コウモリの姿になったのだ。

「え…、一伽…?」

 具合が悪いのに無理して帰ろうとしていた一伽が、しかしなぜかフラフラと窓のほうへ向かって、侑仁は、玄関と間違えているのか? でも窓から落っこちたらどうしよう! と焦ったのだが、そう思ったのも束の間、一伽はそのままコウモリに変身して、開けた窓から飛び立った…………かと思ったら、そのままポテッと床に落っこちた。

「一伽? おい、大丈夫か!?」

 吸血鬼がコウモリに変身する――――それは伝説だとか、都市伝説的な話の中だけのことだと、侑仁も思っていなかったばかりではない。
 一伽が吸血鬼だということは、航平からも言われたし、何よりも自分が吸血されたこともあって、疑ってはいなかったが、まさか目の前でコウモリになろうとは。
 しかも、窓から飛び立っていくのかと思いきや、そのまま床に落っこちようとは。

「一伽っ」
「うぅ…」

 しかし、先ほどまでの具合の悪かった様子からして、コウモリの姿になった一伽が飛び立てなかったのは、やはりそのせいなのだろうと思ったら、のん気にボケッともしていられない。
 とにかく侑仁は、床にペタンとなっているコウモリの一伽を拾い上げた。

「おい、大丈夫か? 一伽?」

 コウモリの姿になっても、人間の言葉って通じるのだろうか。
 とりあえず僅かながら、意識はあるようだけれど…。

「一伽、なぁ、お前そのままのカッコで血吸えんのか? おい聞こえるか? 一伽?」
「ん…」
「おわっ!?」

 かすかな呻き声のようなものを発した一伽は、ピクピクと体を動かし、再び、そしていきなり、人間の姿へと戻った。
 コウモリの姿だからこそ、侑仁は一伽を手の上に乗せていられたのだけれど、人間の一伽がいくら小柄とはいえ、やはり人間サイズだから、手のひらで受け止め切れるものではなくて、侑仁は一伽に思い切り伸し掛かられる状態となってしまい、後ろに引っ繰り返った。

「イッテ…」
「んー…侑仁…」
「チッ…っとに、」

 侑仁は面倒くさそうに吐き捨てながらも、一伽の体を、仰向けに抱え直した。

「一伽、ホラ。血」
「へ…?」
「吸えよ」
「…………」

 ぶっきらぼうに言い放ちながら、侑仁はTシャツの首元を広げた。
 しかし一伽は、何も言わずに侑仁を見つめているだけだ。

「一伽、吸えって」
「だって…」
「いいから」

 侑仁だって、出来れば血なんか吸われたくないけれど、血が足りなくてぶっ倒れてしまった一伽を目の当たりにしてまでなお、それを拒むことも出来ない。
 この間、侑仁の家に泊まった翌朝、腹が減ったから血を飲みたいと喚いていたときより、完全に事態が深刻なのは、考えるまでもなく分かるし。

「ん…」

 一伽はのっそりと体を起こすと、侑仁の首に腕を回した。
 侑仁はギュッと目を閉じる。

「ッ…」

 一伽の顔が首筋に近づく気配がした次、あの、クラブで初めて吸血されたときのように、一瞬の痛みが走った後は、ただ熱い感覚だけが広がっていく。
 初めてのときは何が何だか分からなくて混乱していたが、吸血されていると分かった今は、怖いかと言われたらそうでもない気はするが、そんなにいい気もしない。
 一伽に吸血させている女の子たちは、まぁその前にいろいろ気持ちいいことをしているとはいえ、本当に気前よくその首筋を差し出しているんだろうか。



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暴君王子のおっしゃることには! (71)


「んっ…んー…――――ぷはっ…!」
「ッ…」

 やはり無意識には早く終わってくれ、と思っていたようで、侑仁は頭の中で無駄に余計なことをいろいろ考えていたが、しばらくして、一伽がようやく侑仁の首から顔を上げた。

「ふ…はぁ…、ごちそうさまでした」
「はぁ…」

 自分で飲んでいいと言った手前、文句は言えないが、本当、出来ることならこんなこと、もう絶対にしたくない!

「侑仁、ありがとう」
「どーいたしまして…」

 吸血し終えた一伽は、どうやら元気を取り戻したようで、侑仁の首から腕を解いて離れた。
 しかし侑仁は、立ちくらみのときのような感覚がして、立ち上がれそうもなかったので、とりあえずその場にしゃがみ込んだまま回復するのを待った。

「ったくお前、そんななのに、何で俺んち来てんだよ…。こういうときは、血吸わせてくれる子のトコ行けよな…」
「飲んで来たもん」
「は?」

 別に来るなとは言わないが、血を吸わないことが大前提なのだから、こんなことにならないように、ちゃんと吸血してから侑仁の家に来てほしいものだ。
 そう思って侑仁が睨めば、吸血して元気になった一伽は、ふて腐れたように唇を突き出した。

「侑仁の家来る前に、血吸って来たの。マリちゃんから」
「いや、マリちゃんとか知らねぇし。え、お前、血吸うのって、1日1回でよかったんじゃねぇの? 血吸って来たのに、そんな…ぶっ倒れるほど、て何…?」

 それは純粋な疑問。
 前に1日3食なのかと聞いたら、血は1日1回でいいと、一伽本人が言っていたのに。

「ホントは1日1回でいいんだけど…、…………今、ユキちゃんに毎日血飲ませてるから」
「毎日?」

 確かユキちゃんは、知らない人からは血が吸えないから、知り合いからのほかに、週に1, 2回は一伽から吸血しているとかいう、鈍臭い(ゴメンなさい…)吸血鬼だということは、前に一伽から聞いた。
 その彼が、友人だと思っていた男からの恋心にまったく気付かず、毎日ご飯を作りに行き続けていた鈍感な彼が、今は毎日、一伽の血を吸っているの?

「さっき言ったじゃん、ユキちゃん、今めっちゃ凹んでんの」
「それと、お前から毎日血吸うのと、何の関係があんの?」
「凹み過ぎて、引きこもってる」
「は?」

 引きこもりの吸血鬼?
 人間の引きこもりなら、食べ物とか、ネットでも何でも購入しようと思えば出来るけど、吸血鬼の必需品である血液ばかりは、そう簡単には手に入らないから、なかなか厄介だなぁ。

「でも吸血しないわけにはいかないから、俺が飲ませてやってんの」
「だからお前も、1日1回じゃ足んないってこと?」
「そのとき飲む量にもよるけど…ここんトコずっとユキちゃんに飲ませ続けてるから、俺自身、不足気味だったのかも…。侑仁、ゴメンなさい」
「いや、いいけど…。急にしおらしくなんなよ、気持ち悪ぃな」

 初めて侑仁から血を吸ったときなんて、無理やり飛び掛かって、首に噛み付いてきたくせに。
 侑仁がいいと言って吸わせたのに、そんなに申し訳なさそうな顔をされたら、それ以上言えなくなってしまう。

「だって、吸わない約束なのに吸っちゃって、それでもう家来んな、て言われたら困るもん」
「それが目的か!」
「えへへ」

 悪びれたふうもなく笑った一伽は、しかしその後、キュッと立てた膝を抱え込んだ。
 小柄な一伽がそういう格好をすると、本当にこじんまりとした感じになる。

「…ユキちゃんてさぁ、鈍感なくせに繊細なんだよねぇ」
「みたいだな」
「ユキちゃんがもうちょっと……今の10倍くらい敏感でさぁ、それから、俺の10分の1くらい図太い神経だったら、いろいろと楽だったのに」
「図太いって……おめぇ、自分の性格よく分かってんじゃねぇかよ」

 せっかく自分の性格が図太いことを自覚しているんだから、もうちょっと控え目にするとか何とか出来ないのだろうか。
 いや、何も出来ないから、今もなお、この状態なのか…。



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暴君王子のおっしゃることには! (72)


「…今日はもう帰ろっかな、ユキちゃん待ってるし」
「あっそ」
「それだけかよ」
「引き止めてほしいのかよ」
「期待してねぇし」

 一伽は膝に顔をうずめて、鼻先をグリグリと膝にこすり付けている。一体何がやりたいのやら。
 でももしかしたら、あのとき一瞬だけ見えたような気がした涙がまた出て来て、それをごまかしたいのかな。

「一伽、」
「あーあ、何で光宏、ユキちゃんのことなんか好きなんだよ、超ややこしいじゃん。つか、山下さん何でそんなイケメンなんだよ、会ったことねぇけど。ユキちゃんが惚れなきゃ、こんなことなんなかったのに」

 めちゃくちゃなことを喚きながら、一伽はゴロンと床に大の字になった(帰るんじゃないんですか)。

「なっちまったもんはしょうがねぇじゃん。今さらどうにもなんねぇよ」
「…まぁまぁそうだけどさ。つか、侑仁くんカッコイー」
「ウザ」

 一伽は、顔だけは侑仁から背けたまま、手足をパタパタさせている。
 何だかむずかる子どものようだ。

「…もしさぁ、山下さんに彼女とかいなかったら、俺はやっぱり、ユキちゃんの一目惚れの恋を応援したほうがいいのかな?」
「そんなん、ユキちゃんがどうするかじゃねぇの? 今でもソイツに行く気あんなら、応援でも何でもしてやりゃいいじゃん?」

 光宏という、雪乃のことが好きな彼の存在もあるけれど、結局は雪乃の気持ちがどうなのか、というところだと思う。
 例えばその山下さんに恋人がいるのなら、雪乃は光宏と恋人として付き合うのかといえば、雪乃が光宏のことを友だち以上には見れないのなら、やっぱり恋人同士にはなれないのだから。

「でも光宏…」
「ん?」
「…何でもない」

 侑仁に背を向けるようにして起き上がった一伽は、「帰る」と一言言って、今度こそ侑仁の家を出て行った。



光宏 と 一伽

 光宏が、勢い余って雪乃に想いを告げたその翌日以降、さすがに雪乃は光宏の家に来なくなった。
 それが自分の告白のせいだということは分かっていたが、光宏は自分から連絡を取る勇気がなくて、結局あれ以来、雪乃とは音信不通だ。

 1人の夕食も久し振りで、何だか落ち着かない。
 けれどそれよりも、雪乃が今ちゃんと食事できているのか心配になる。
 食事とはもちろん吸血のことで、見知らぬ人から吸血できない雪乃は、もともと週に1回くらいは光宏の血を吸いに来ていたのに、もう10日も来ていないから。

(今さら俺の血吸いになんか、来ないだろうけど…)

 でも、こんなことになっても、やはり光宏は雪乃のことが好きだから、心配にはなる。
 ただ…もしかしたら光宏が知らないだけで、雪乃はそんなこと光宏が心配しなくてもいい環境なのかもしれないけれど。

(だって、めっちゃイケメンだったし…)

 光宏は、昨日の帰りに寄ったスーパーで見掛けた、店員の山下さんのことを思い出した。
 料理の出来る光宏は、雪乃が来なくなっても食べることには困らないけれど、買い物は雪乃に任せ切りだったので、久々にスーパーに寄ったのだが、そうしたら、レジにいたのが例の山下さんだったのだ。
 男である雪乃を好きな時点で、同性愛の気がまったくないとは言えないが、それでも雪乃以外の男にときめくかと言えばそうではない光宏が、山下のことは普通にイケメンだと思った。
 あれなら雪乃が一目惚れするのも無理はない。
 というか、光宏なんて、同じ土俵に乗れるレベルではないと、はっきり自覚した。



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暴君王子のおっしゃることには! (73)


(最初から勝ち目なんかなかったんだよ、俺なんて)

 だったら初めから諦めていればよかったんだ、雪乃を好きな気持ち。
 もっと早く山下さんのことを知って、さっさと雪乃への気持ちを諦めていたら、今だって雪乃と友だちのままでいられたのに。

 ――――今さらもう遅いけれど。

「ちょっ光宏くん、溢れてる、溢れてる!」
「…へ?」

 慌てた大橋の声がして、光宏がそちらに視線を向けたら、のんびりしている光宏にしては珍しく、ひどく焦った顔をして、光宏のほうへ手を伸ばしていた。
 どうして大橋がここに?
 あ、今は仕事中か。

「めっちゃ零れてます!」
「は? え? うわっ!」

 大橋にガシッと手首を掴まれ、何事かと思ったら、掴まれた手の先で、ジンジャーエールがグラスから溢れ返っていた。

「わっ、ちょっ、えぇっ!?」

 気付いたときには目の前に大惨事が広がっていて、咄嗟のことに頭が付いていかなかった光宏は、ビンを真っ直ぐにすればいいだけなのに、それも出来ず、結局ビン1本分の自家製ジンジャーエールを床にぶちまけていた。

「あー…」
「………………」

 大橋は、非難とも呆れともつかない声を上げて光宏を見るが、光宏は、あまりのことに何の反応も出来ず、空となったジンジャーエールのビンを片手に持ったまま、ただポカンと口を開けていた。

「…とりあえず拭いたほうがいいんじゃない? ママに怒られないうちに」

 そんな中、的確なアドバイスをしたのは、カウンター席にいた常連客の茉莉江だった。
 cafe OKAERIのママこと笠原美也子の食べ物に対する情熱たるや、もしジンジャーエールが丸々1本ダメになったことが知れたら、光宏の明日はない、と言えるほどだから。

「あ…ちょ、モップ! あ、大橋、2番さんにジンジャー…――――うわっ!?」
「光宏くん!?」

 茉莉江に言われ、ようやく我に返った光宏が、慌てながらも、オーダーのあったジンジャーエールを早く出すように大橋に指示し、自分はモップを取りに奥へ戻ろうとした――――が。

「……」

 もう少し落ち着いて行動すればいいだけの話だったのだ。足元は、たった今自分が零したばかりのジンジャーエールで、ビショビショに濡れているのだから。
 急いでモップを取りに行こうとした光宏は、濡れた床に足を滑らせて、見事なまでのフォームで床に尻もちを突いた。

「………………」
「………………」
「………………」

 この状況に、さすがに店内もシンッ…と静まり返る。
 いい加減、美也子だって何かあったことに気が付いて、厨房から出てくるかもしれない。光宏は、ジンジャーエールがどんどんズボンに染み込んでいるにもかかわらず、呆然としたまま、立ち上がることすら出来なかった。

 ――――カチャ。

 静寂に包まれた店内に、ノブの回る音。
 全員の視線が、厨房へと繋がるドアに向いた。とうとう美也子が出て来るのだ。営業時間中は料理に明け暮れて、一切フロアには顔を出さない美也子が、ついに姿を現すのだ。

「ヒィッ…!」
「、」
「!?」

「おーい、一伽様のお成りだぞぉー」

 大橋が神に祈りながら、デカい図体をカウンターの陰に潜めたのと同時、ドアの開く音がして、みんなが息を詰めたのに、しかし厨房のドアは開かずそのままで、何事!? と思ったら、陽気な一伽の声が店の出入り口から響いた。



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暴君王子のおっしゃることには! (74)


「え…、いっちゃん…?」

 光宏は床に尻もちを突いたまま、大橋は隠れ切れていないがカウンターの陰に隠れたままだったので、出入り口のほうを向き、声を上げたのは、これまた茉莉江だった。
 美也子ではなかったのだ。一伽が、お客様として来店したのである。

「あれ? 光宏とか大橋いないの?」

 一伽は店内をぐるんと見回すと、何とものん気なことを言っている。
 今この店で起こった惨事を知らない一伽は、光宏と大橋を除く全員の視線を受けながら、ズカズカと定位置であるカウンター席に着いた。

「あ、いんじゃん大橋。はみ出してんぞ」

 やはり大橋は、全然身を隠し切れていなかったので、早々に一伽に見つかってしまった。
 みんなよりもだいぶ遅れて、やって来たのが一伽だと知った大橋は、のそのそと立ち上がった。

「で、光宏は? いないの?」
「いや、いることはいるんだけど…」

 絶妙のタイミングの悪さでやって来た一伽に、さすがに茉莉江も口元を引き攣らせながら、視線を一伽からカウンターのほうへ向けた。
 それにつられて一伽もカウンターのほうを向いたが、椅子に座った一伽の目の高さでは、いつもと変わらぬ景色しか広がっていない。

「光宏くん…いい加減、立ったら…?」
「はい…」

 茉莉江に声を掛けられ、光宏は居た堪れない気持ちになりながら、何とか立ち上がった。

「うわっ、何だよ、いたのかよ、光宏」

 一伽にしたら思いも寄らない場所からいきなり光宏が登場したので、怪訝そうに眉を寄せた。
 何かしらのことで屈んでいたとしても、いつもだったら光宏は、お客が来れば(それがたとえ一伽でも)、挨拶くらいするのに。でも、あれ? 大橋も何か隠れてたな。

「…何なの、お前ら。今日は何かそういうサービスの日?」
「違ぇよ。つか大橋、ジンジャーエール、2番さん」

 店員がカウンターにかくれんぼする、て一体どんなサービスだよ…と光宏は一伽を軽くあしらって、大橋に、今度こそジンジャーエールを持っていくよう指示した。

「とりあえずモップ……いや着替え…、いや、やっぱモップ…」

 ズボンをビチョビチョに濡らしたまま、光宏が右往左往している。一伽がいない間に何があったのかは知らないが、こんな光宏を見ることはめったにないので、何だかおもしろい。
 でも、一応真剣な話をしようと思って来たのに、そんな間抜けな格好でウロウロされても。

「ねぇねぇ茉莉江さん、何があったの? ジンジャーエール祭り?」
「ブッ、何その祭り! 超ウケるんだけど!」

 光宏がジンジャーエールをぶちまけてからずっと、何だかシリアスな空気が漂っていたのに、一伽が来た途端、いつもの調子に戻ってしまい、茉莉江は手を叩きながら笑いこけている。

「…光宏くん、ここ俺が拭くんで、早く着替えて来てください」
「う…うん」

 大橋にまで呆れ顔でそんなことを言われ、光宏は大人しく奥に引っ込んだ。

「何アイツ、いっつも着替えのおパンツ持って仕事来てんの?」

 出された水をがぶがぶと一気に飲み干して、氷もガリガリと全部食べて、一伽はボケたのか本気で呆れたのか、そんなことを言いながら、大橋にグラスを突き出した。
 その様子に、大橋はのっそり首を傾げる。

「水だよ、みーず。おかわり!」
「水…。え、注文は?」
「ランチプレートー」

 メニューを見ることもなく、一伽はそう注文して、大橋から2杯目の水を受け取った。
 大橋は一伽からの注文を厨房に伝えると、モップを持って来て、光宏が零したジンジャーエールを拭き取っていく。



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暴君王子のおっしゃることには! (75)


「で、何があったの?」

 結局何があったのかさっぱり分からない一伽は、食後のコーヒーを飲んでいた茉莉江に尋ねた。
 大橋に聞くよりも、絶対にこっちのほうがいいと思ったから。

「何か光宏くんがジンジャーエールぶちまけちゃって」
「ジンジャーエール祭りだから?」
「いや、多分何も祭ってはいないと思うけどね。で、そんなのママにバレたらどうなるか分かんないでしょ? だから早く片付けないと、てバタバタしてたら、光宏くんが足滑らせて引っ繰り返ったの」
「それでアイツ、おパンツ、ビショビショにしてんのか」

 一伽が入って来たとき、光宏の姿が見えないと思ったら、いきなりカウンターの中から現れたのは、そういうわけか。
 確かに、ジンジャーエール零してダメにしたなんて美也子に知れたら、本当、どうなるか分からない。

「てか光宏くん、今日何かボーッとしてるよね」
「今日だけじゃないですよぉ、昨日も一昨日もあんなです」

 茉莉江の『今日』という言葉を否定しつつ、大橋がランチプレートを持ってやって来た。
 実は茉莉江は昨日まで買い付けでフランスに行っていて、cafe OKAERIに来るのは久々だったので知らなかったが、大橋の話だと、光宏はもう1週間以上もこんな調子なのだという。

「ふぅん、珍しいね、光宏くんがそんななんて」
「ねぇ」
「大橋くんはしょっちゅうボーッとしてるのにね」
「ねぇ」

 大橋は、自分のことを言われているのに、全然気にしたふうもなく、茉莉江の言葉に相槌を打っている。
 そんな2人を眺めながら、一伽は、光宏分かりやす! と、心の中で思った。光宏がいつになくボンヤリしているのは、雪乃とのことが原因で間違いない。1週間以上も、という期間からしてもそうだ。

(ホントにもう…、ヘタレなんだから!)

 光宏が、侑仁くらい強気な男だったらよかったのに。
 雪乃が山下さんのこと好きでも、まだ全然進展してないならって、どんどん仕掛けてって、自分のほうに気持ちを向けさせるくらいの器用さとか強引さが、光宏にあったらよかったのに。 だって獲物は、毎日自分のほうから光宏のテリトリーにやって来ていたんだから。

 まったくもぉ! と一伽は、奥に着替えに行っている光宏のことを思いながら、バクバクとご飯を掻き込む。

「じゃ私帰るわね。いっちゃん、バイバーイ」
「んん、まりふぇさん、バイバ…んぅ、」

 ランチプレートの鶏のから揚げを口いっぱいに頬張っていた一伽は、立ち上がった茉莉江に慌てて挨拶をするが、口の中がいっぱい過ぎて何を言っているのかさっぱり分からない。
 そんな一伽を笑いながら、会計を済ませた茉莉江は出て行った。

 昼どきの、一番混雑する時間帯はもう終わったものの、店内にはまだそこそこお客さんはいるが、みんな思い思いに時間を過ごしている。
 だから別に大橋が、カウンターの中でボーッとなっていたって構わないことは構わないんだけれど。
 でも。

「…なぁ大橋」
「……――――何ですか?」
「人が食ってるトコ、ジロジロ見てんじゃねぇよっ」
「ほぇ?」

 ただボケッとしていただけなのだが、その視線の先が一伽だったものだから、一伽は食事をしている姿を思いっ切り見られている状態で、それが気になって仕方ないのだ。
 しかし、一伽が口汚くそう言ってみても、大橋は何だか分かっていない様子で、コテンと首を横に傾けた。

「お前がやってもかわいくねぇよっ」
「何がです?」

 きっとかわいらしい女の子がやれば、その仕草も似合うんだろうけど、いくらイケメンとはいえ、身の丈180㎝の男が小首を傾げても、別にかわいいものではない。
 あーもうっ。
 大橋ののんびりペースは、一伽の性に合わない。



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暴君王子のおっしゃることには! (76)


「何騒いでんだよ、お前ら」
「あ、」
「やっと戻って来たか、このおパンツ野郎!」

 『お前ら』というか、騒いでいたのは一伽1人だったのだが、戻って来た光宏に、大橋ともども怒られてしまった。
 しかし一伽はケロッとした顔で、テーブルを叩いた。

「…一伽、お前さ、何でそういうふうにしか言えないの?」

 一伽の口の悪さにはもう慣れたものだが、今はいろいろ疲れているし、精神的にも参っているから、出来ればそっとしておいてほしいのに。

「俺様がわざわざ会いに来てやったのに、お前がジンジャーエール祭り繰り広げてるからだろ」
「何だよ、ジンジャーエール祭りって」

 知らなかったわけではないが、一伽がcafe OKAERIに来るのも久しぶり、つまり光宏が一伽に会うのも久しぶりだったので、ちょっと忘れ掛けていたが、そういえば一伽って、いちいちこういうキャラだった。

「で、何でわざわざ俺になんか会いに来たんですか、一伽さん」
「フン、そんなの言わなくたって、俺が何の話に来たかくらい、分かってんだろ?」
「……」

 一伽は意味ありげに光宏を見遣ると、最後のから揚げを口に放り込んだ。
 一伽がここに来るのは、単に腹が減っているからだけでなく、要は光宏に言ってやりたいことがあるからだ。そして今、光宏に言ってやりたいことといったら、やはり雪乃のことだろう。

 光宏は一瞬だけ大橋に視線をやった後、再び一伽を見た。
 一伽も大橋のことを見たが、大橋は2人のほう…というか、その向こうの店内の様子を…というか、やっぱり2人のほうを見ているような、見ていないような。
 一伽と光宏の雰囲気を察して少し離れてみるとか、そんな気遣いを見せる気はさっぱりない。大橋もまた、雪乃とは違って意味で、鈍感な男なのだ。

「…話なら、仕事が終わったら聞くから」

 大橋の存在はともかく、ここは、まだお客も多い昼下がりのカフェなのだ。おまけに光宏はそこの店員だから、カウンター越しに、超プライベートのシリアスな話をしている場合ではない。

「仕事終わったら? 夜てこと? まぁ、光宏が晩メシ奢ってくれんなら、夜でもいいけど」
「あのな、食わなくたって平気なヤツに、何で飯奢んなきゃなんねぇんだよ」
「じゃあママに、光宏が1人ジンジャーエール祭りしてた、て言い付けてやるっ」
「バッ…ちょっ!」

 とりあえずジンジャーエールを床にぶちまけたうえに、そこに滑って転んでズボンをビショビショにした痕跡は隠滅したが、多くの目撃者は存在するのだ。
 一伽はその瞬間は見ていないけれど、光宏がズボンを着替えに行ったことは知っているし、誰か1人でも口を滑らせれば、バレることは必至だ。

「ふふん、何ごちそうになってやろうかなぁ」

 ランチを完食したばかりなのに、もう夕食のことを考えてニンマリしている一伽に、光宏は大きな溜め息を零した。



*****

 光宏は一伽と違ってクラブとかで遊ぶ人ではないし、まぁ今回は話がメインでご飯は二の次だ(と光宏は思っている)から、一伽が行きたがった派手な店はやめて、無難に個室のあるお店に入った。

「さぁ食うぞ~!」
「……」

 もともと人間ような食事をしなくたって、血さえ吸っていれば生きていける吸血鬼なのに、一伽の前には、本当に1人で食べ切れるのか…? と疑いたくなる量の料理が並んだ。
 それに対して、それほど食欲旺盛なほうではない光宏の料理は少なめだ。
 確か(一伽が勝手に決めた)話では、光宏が夕食を奢ることになっているわけで、言っても無駄だとは思うが、奢ってもらうくせに、遠慮とか知らないんですか。

「しょうがねぇじゃん、俺、腹減ってんの!」
「腹減って、て…、そんなこと言ったって、お前の空腹はこんなんじゃ満たされないだろ?」

 人間の食べ物を食べたところで体に害はないし、腹も満たされるが、根本的な空腹感は吸血でしか満たされないくせに。



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暴君王子のおっしゃることには! (77)


「でも腹減ってんのー! 言っとっけどな、俺今、毎日ユキちゃんに血吸わせてやってんだぞ。そりゃ腹も減るっつの」
「、」

 まさかこのタイミングで雪乃の名前が出されるとは思っていなかった光宏は、何の心構えもしていなかったから、あからさまに焦った顔で一伽を見た。
 しかし、分かっていてわざと言ったのだろうに、一伽は気付かぬふりで、バクバクととんかつを頬張っている。

「っ、な…、だったら、こんなトコで俺とメシなんか食ってないで、血吸いに行けばいいだろ?」
「もう吸って来たってば。てかさぁ、俺、ホントは1日1吸血でいい子なのに、最近そんだけじゃ足んないんだよ。昨日も結局2回吸血しちった」

 昨日、侑仁の家に押し掛けたとき、吸血してから行ったにもかかわらず、途中で完全に血不足でぶっ倒れ、侑仁からも血を吸わせてもらったのだ。自分で言うのも何だけど、吸血鬼って、ホンット不便!

「2回? 言っとくけど俺、お前に血吸わせる気なんかないからな」
「俺だってお前の血なんか吸いたくねぇよ。つか、どうせお前の血は、ユキちゃん限定なんだろ?」
「限定て、別に…」

 光宏は、血を見ること自体が怖いくらいヘタレでビビりだから、そもそも吸血されることが嫌なだけで、一伽だから吸わせたくないわけでは…。
 でもそれでも、雪乃には血を吸わせていたのだから、一伽の言い分も間違ってはいないのだが。

「つか、いいから、さっさと話始めろよ! 何のためにお前と一緒にメシ食ってると思ってんだよ」

 話は仕事が終わった後に聞く、と言ったのは光宏だが、光宏的には一緒に夕食までは考えておらず、互いに仕事が終わり次第、話を聞くだけのつもりだったのだ。
 一伽も口では夕食を奢れと言っていたが、光宏は、まさかそれが本気だとも思っていなかった。
 なのに、cafe OKAERIの閉店後に姿を現した一伽は食事に行く気満々で、やはり光宏は、単に話を聞くだけでは済まず、なぜか一伽に夕食を奢るはめになったのだ。

(一緒にメシ食うのはまぁいいけど、何でコイツに奢らなきゃなんないんだ…?)

 大体、話があるのは一伽のほうで、それを聞いてほしくて光宏のところに来たはずなのに。
 普通だったら、一伽が光宏に奢って然るべきなのでは?

「今さぁ、ユキちゃん、絶賛引きこもり中なんだよね。で、血も吸いに行かないから、俺が毎日吸血させてやってんの」
「引きこも…」
「まぁそれに関しては、俺もいろいろ考えちゃって、ちょっとした自己嫌悪? 何か俺、悪いことしちゃったよなぁ…みたいな。何か凹んでたんだけど、でもやっぱ、俺悪くねぇ! て思い直して、」
「は? はぁ…」
「で、お前に一言言ってやろうと思ってさぁ」

 光宏は、雪乃が来なくなってからのこと、雪乃の様子も、どんなことがあったのかも分からないのに、一伽は自分の思っていることだけをベラベラ喋るから、やっぱりさっぱり分からない。
 雪乃が引きこもってる?
 外に出ないのなら、一緒に住んでいる一伽の血を吸うことになるだろうが、そうすると、何だか後ですごく恩に着せられそうで、出来れば遠慮したい気もするが…。

「ユキちゃん、光宏が自分のこと好きなの気付いてなかったせいで、光宏の傷付けた! て落ち込んで引きこもってんだよね」
「…」
「でさ、俺も最初は、俺がユキちゃんに余計なこと言ったのが原因かなぁ、て思ってたんだけど、よく考えたら、こんなのユキちゃんが鈍感なのが悪いんだしさ、つか、もっと言ったら、光宏がずっとはっきりしないでたくせに、いきなりキレて好きだとか言っちゃったのが原因じゃん?」
「まぁ…」
「ね、俺悪くないっしょ?」
「……」

 確かに一伽は切っ掛けの1つを作っただけに過ぎず、ここまでの事態を引き起こした大きな原因とは言い難いが、そうだとしても、どうしてここまで自信たっぷりに開き直れるんだろう…。
 まぁ、雪乃が落ち込んでいることを気に掛けて、少しの間とはいえ、責任を感じるくらいにはなったのだから、まだマシなほうか。



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暴君王子のおっしゃることには! (78)


「…で、俺に一言言いたい、て何?」
「一言つか、言いたいことはいろいろあるんだけどさ、えっと、まず…お前、これからどうする気? ユキちゃんのこと。諦めんの? それとも告っちゃったし、その勢いでガンガン攻めてくの?」
「は? いや、何でそんなことお前に言わなきゃなんねぇの?」

 それは光宏も、仕事が手に付かなくなるくらい(あの鈍い大橋に気付かれるくらい)考え込んではいるが、だからと言って、結論が出たとしても、それを一伽に話す気はない。
 大体一伽だって、そんなことを知ってどうするつもりなんだ。

「だって、それによって、俺の生き方だって大きく左右されてくるわけじゃん?」
「はぁ? 何でお前の人生が左右されるんだよ」

 なぜかとんでもなく大げさなことを言い出す一伽に、光宏は眉を寄せたが、しかし、コイツはこういうものの言い方をするヤツなんだ…と思い直し、咳払いを1つした。

「光宏がユキちゃんのこと諦めんなら、山下さんに彼女だか彼氏がいないか調べ上げてどうにかするし、お前がまだ諦めねぇ、つーなら、それなりにする」
「それが、左右されたお前の生き方?」
「俺としては、お前でも山下さんでも、別に他の誰かでもいいんだけどさ、とにかく早くユキちゃんを元気にして、脱・引きこもりさせてほしいのわけ! 落ち込んでるユキちゃん見るのもツラいけど、毎日吸血される俺だってツラいんだから。だから、早く方向性を定めて、手を打ちたいの!」

 要は、雪乃が落ち込んで引きこもっている限り、一伽は雪乃に血を吸わせてやらねばならず、それが体力的にもキツくなって来ているから、早くどうにかしたいということか。
 確かにそのためには、光宏がどうするつもりなのかを知らないと、起こした行動が無駄になりかねない。

「それに、このままじゃユキちゃん、バイトもクビになる…」
「え、マジで? 休んでんの? でも何かうまく言ったんだろ?」
「一応、具合が悪い、とは言った…。でももう1週間以上だし、これ以上、具合が悪いて言い続けるのも無理があるし、言ったら言ったで、なら仕事を辞めて治療に専念したら? てことになりそう…」

 人出が足りないからこそ雇っているバイトに、そんなに長く休まれては店も困るから、よろしくない傾向だが、このまま雪乃が引きこもっていたら、そう遠くないうちに首を切られてしまうかもしれない。
 そうなって困るのは、雪乃と同居している一伽だ。
 2人の稼ぎを合わせて何とか生活しているのに、雪乃の収入が絶たれたら、一体どうしたらいいのか、一伽は見当もつかない。

「だから! お前がこれからどうすんのか、はっきりさせろ!」
「そんなこと言われたって…」

 そんな状態の雪乃をかわいそうには思うが、そんな簡単に、自分の気持ちだって整理できない。
 雪乃への気持ちを諦めるには、やはりまだまだ時間は掛かりそうだが、かといって、雪乃の気持ちが自分にないのに、一伽が言うような、『告った勢いでガンガン攻める』なんてことも、出来そうもない。

「もぉ~~~、何で光宏ってそうなの!?」
「なっ何が? つか、一伽、声デケェ」

 時間的にお客は酔っ払いが多いから、一伽が少しくらい大きな声を出したって、うるさがられたり、人に話を聞かれたりすることはなさそうだが、それでも内容が内容だから、あまり大きな声は出してほしくないのに。

「俺が聞いてんのは、お前がどうしたいか、てこと! ユキちゃんのこと好きなんでしょ? 付き合いたいんでしょ!?」
「そっそーだけど! つかホント、声デケェから!」
「付き合いたいなら、何でそうなるように、何かしねぇの? ユキちゃんが山下さんと仲良くなるの、その手伝いまでしてさ、ただ見てるだけで……ホント、何なの!?」
「だってそんなの、……そんなの…」

 どうして一伽は分からないんだろう。コイツも鈍感か? だって、好きな人がいると言ってきた子に、自分の想いなんか伝えられるわけがないじゃないか。
 相手を困らせるのはもちろんだし、フラれるのは目に見えているのだ、自分だって傷付く。

「…でも、結局傷付いたじゃん、光宏。ユキちゃんだって凹んでる」
「だからそれは、俺があんなこと言っちゃったからで…」
「言いっ放しで終わりかよ」
「え…」
「お前がユキちゃんのこと好きだけど諦めるて言うなら、俺はそれでも構わないけど、でももう言っちゃったじゃん、好き、て。言わないでお前が苦しんでんのはお前だけの問題だから別にいいけど、でももう言っちゃったんだから、今までとは違うじゃん。勢いで言ったのかもしんねぇけど、最後までちゃんとフォローしろよ!」
「……」



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暴君王子のおっしゃることには! (79)


 一伽の言うことがあまりにも尤もすぎて、光宏は反論する術を失った。
 確かに言うとおり、雪乃に想いを告げてしまった以上、もう今までとは違う。雪乃への想いを諦めるのかどうかを抜きにしても、雪乃とちゃんと話をしないと。

「明日中にユキちゃんを社会復帰させなかったら、ユキちゃんに血を吸われるごとに、お前の店行ってただメシ食ってやるかんな!」
「ちょっ、それは!」

 だからお前は、人間の食べるものを無理に食わなくたって平気だろうが!

「ホラ!」
「えっ!? ちょっ…」

 とんでもないことを言う一伽に慌てていたら、向かいの一伽から何かを思い切り投げ付けられて、さらに慌てる。
 しかし、投げられたそれは大きなものでもなかったから、当たっても痛くはなかったけれど、胸に当たって膝の上に落ちたその代物に、光宏はギョッとした。

「えっ、何この鍵」
「ウチの鍵」
「はぁっ? ウチ、て……お前んち?」
「そーだよ! 明日中に社会復帰させんのに、今から行かなくて間に合うのかよっ」
「え? あ…」

 口は悪いし、傍若無人だし、自分本位なんだけれど、でもやっぱり一伽は、雪乃や光宏のことをそれなりに気に掛けてくれているのだ。
 それを、こんなふうにしか言えないだけで。

「なっ…何笑ってんだよっ!」
「笑ってねぇよ。ありがと、一伽」
「はぁっ? 何お礼とか。バ…バッカじゃね? べ…別にお前らのこと心配してるわけじゃないんだからなっ」
「え、別に、鍵貸してくれてありがと、て意味だけど?」
「ッ…」

 お礼を言われて、素直に『どういたしまして』なんて言える性格の持ち主ではない一伽は、光宏の言葉1つでアタフタしてしまう。
 光宏も、分かっていて、反撃とばかりに言ったのだが、ここまで分かりやすく反応されるとは。

「きょ…今日はまだユキちゃんに血吸わせてないんだから! お前が行ってたぁ~っぷり吸われちゃえよ!」
「はいはい。つか、俺が先に行っていいわけ? お前がここ奢ってくれんの?」
「ちょっバカ! そうじゃねぇだろっ!」

 すっかりペースを乱された一伽は、慌ててとんかつを頬張った。



雪乃 と 光宏

 ベッドすらない6畳2間の狭いアパートの一室で、この暑いのにふとんに潜り込んでウダウダしていた雪乃は、いつの間にかメソメソと泣いていた。

「ううぅ…」

 ――――お腹空いた…。

 一伽が仕事に行ったきり帰って来ないので、今日はまだ全然血を吸っていない雪乃は、先ほどから空腹に苛まれているのだ。
 いっちゃん、何で帰って来ないの? とうとう俺に愛想尽かして、出てっちゃった? と超マイナス思考で考えていたが、しかし雪乃は徐々に焦り始めていた。

(ヤバい…死んじゃう…!)

 1日1回は吸血しないと体的にはヤバいが、最悪、1日吸血しない日があったところで、いきなり死んでしまうわけではない。
 しかし、このままずっと一伽が帰って来なかったら、雪乃はずっと血を吸うことが出来ないわけで、そうなれば餓死ということだって、十分に考えられる。

 自分の鈍感さのせいで光宏を傷付けていたと分かった後、もう死んでしまいたいくらい落ち込んでいたのに、いざ本当に死んでしまいそうな状況になると、やっぱり死にたくないと思ってしまう。
 これから狩りに出て、血を吸わせてくれる人を見つけられる自信はないが、このままふとんの中で野垂れ死にするよりはマシだと、雪乃は泣きながら起き上がった。



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暴君王子のおっしゃることには! (80)


 窓は全開、扇風機はフル稼働でも、やっぱりこの熱帯夜、部屋の中は凄まじい暑さで、しかも雪乃はふとんになんか潜り込んでいたものだから、結構汗だくだ。
 今は汗なんか気にしている場合ではないけれど、あんまり汗まみれだと、血を吸わせてもらう以前に、近づいていっただけで嫌がられそうだ。

「お…お風呂…」

 とりあえずシャワーを被って、汗だけでも流して、ご飯に行こう。
 あぁそれより先に、血を吸わせてくれそうな人に連絡……でも、ずっとバイト休んでるのに、バイト先の人には連絡しづらいし、や…やっぱりいっちゃん…。

 これ以上迷惑は掛けられないと思いつつ、今はそんなこと気にしていられないくらい切羽詰っているので、仕方がない、やっぱりここは一伽に頼ろう…と、雪乃は携帯電話に手を伸ばした。
 一伽は今どこにいるんだろう。連絡したら、すぐに来てくれるかな。…というか、連絡は付くんだろうか。電話を掛けても、出てくれなかったら、何にもならない…。

「ぅー…」

 扇風機の前に正座して、雪乃は携帯電話の発信履歴から、一伽の電話番号を呼び出す。
 そういえば、このところ電話もメールも、一伽ばかりだ。すっかり社会との繋がりを失ってしまっている。

「いっちゃん…」

 カチャン。

「!?」

 一伽の携帯電話を1コール鳴らしたところで、部屋のドアの鍵が開く音がして、雪乃はパッとドアのほうを振り返った。
 チャイムでなく、鍵を開けるということは、雪乃以外にこの部屋の鍵を持っている一伽が帰って来たということだ。雪乃はホッとして、電話を切った。
 やっぱり一伽は、雪乃のこと、見捨ててなんかいなかったんだ。

「いっちゃん、お帰…」
「うわっ、暗っ!」
「へ…?」

 お帰り~! と、一伽に飛び付こうとした雪乃は、聞こえた声に驚いて、その場にへたり込んだ。
 ドアを開けた声の主も、室内の暗さに驚いているようだ。
 いや実は、窓を開けているので、電気を点けていると虫が入って来てしまうから、部屋の明かりをすべて消しているのだ。

「え、何で電気…。ユキ、いないの…?」
「いる…」
「何だ、いるのかよ。電気点けるよ?」

 声の主は光宏で、壁にある電気のスイッチを探っているようだ。
 雪乃はノロノロと立ち上がると、玄関へと向かった。

「みっく…」

 パチッ…と音がして、玄関の明かりが灯る。
 廊下の電気も消えていたようで、ここだけがぽっかりと明るい。

「何でみっくん…」

 まさか光宏がこんなところに来るなんて思ってもみなかったし、先ほど光宏が、『ユキ、いないの?』と言ったことからも、雪乃に用事があるんだろうけど、そんなのますます意味が分からなくて、雪乃はただ呆然としてしまった。
 だって光宏は雪乃に、『もう来ないで』と言ったのに。

「ゴメン…、やっぱユキとちゃんと話がしたくて…」
「話…?」
「ダメ…かな? あ、出掛けるとこだった? 電気…」
「ちが…、虫入ってヤダから、消してただけ…。出掛ける、ていうか…」

 血を吸いに行かなきゃ、とは思っていたけれど、わざわざ光宏が会いに来てくれたのに、それを差し置いて吸血に行くのも悪いし、ましてや今さら光宏から血を吸わせてもらうわけにも…。
 というか、話って?
 自分が悪いのに、雪乃がこんなダメダメ状態だから、怒りに来たんだろうか。



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暴君王子のおっしゃることには! (81)


「あ、虫!? あ、じゃあこの電気もっ、あ、つか上がっても? いや、ダメならあの、帰るけどっ…」

 雪乃が部屋を暗くしていた事情が分かり、光宏は慌てて電気を消し直した。
 しかしよく考えたら、自分は一伽に背中を押されて、雪乃と話をする気満々で来たけれど、雪乃のほうの気持ちを全然考えていなかった。雪乃が光宏の顔を見るのも嫌なら、話をするどころではない。
 一伽には、もっとしっかりしろとド突かれそうだけれど、これが光宏の性格なのだ。

「…んーん、上がって? すっごい暑いけど」

 扇風機は回っているが、室内は外とほぼ同じ温度だ(一伽が侑仁の家に逃げ出したくなるのも分かる)。
 それでもよければ…と、雪乃は光宏を部屋に上げた。

「…いい加減、電気点けたほうがいいよね?」
「虫入るんだろ?」
「窓閉める…」

 どうせ開けていたところで、大した風が入ってくるわけではなく、本当にただの気持ちの問題でしかないから、閉めたところで、そう変わらないだろう。
 雪乃は窓を閉めてカーテンを引くと、部屋の電気を点けた。

「ていうか、雪乃、血は?」
「え…」
「今日、まだ血吸ってないんだろ? 平気なの?」
「平気………………ではない」

 もうこれ以上、光宏にダメなところは見せたくないのに、やはり体は正直で、答えるより先にお腹が鳴ってしまったので、仕方なく雪乃は正直に打ち明けた。

「…とりあえず、吸う?」
「は?」
「え、いや…吸ってないんでしょ? 今日。吸う? 俺のでよければ」
「いいの!? …ですか?」
「何その微妙な敬語」

 今まで敬語で会話したことなんかないし、今日も今の今までタメ口だったのに、どうしていきなり敬語? しかも、1回普通に言ったのに、付け加えるようにして。
 もしかして、申し訳ないと思う気持ちが、微妙に表れた?

「ホントにいいの? 俺今お腹空いてるから、いっぱい吸っちゃうかもよ?」
「だからいいってば! つか、そうやって間を置かれたほうがビビるから、やるならさっさとやって!」

 畳の上に座り込んだ光宏は、ギュッと目を閉じた。自分から吸っていいとは言ったものの、やはり怖いらしい。
 申し訳ないとは思いつつ、やはり雪乃は空腹には勝てずに、いつものように『いただきます』を言う間もなく、光宏の首筋に歯を立てた。

「んんーっ…」

 いっぱい吸っちゃうかもよ? と言った雪乃の言葉どおり、久しぶりの吸血は、いつもよりも長いような気がした。
 単に光宏が怖がりだからそう感ているだけかもしれないし、自分から吸っていいと言ったのに、途中で、やっぱもうダメ! とか言えないよな…とか、そんなことが光宏の頭をグルグル回る。
 そして最終的には、何で俺ってこんなにヘタレなの…? と、吸血されながら、自己嫌悪に陥るのだ。
 本当、雪乃だけでなく、光宏にも、一伽の10分の一の図太さでいいから、あればいいのに。

「ふぁっ…ごちそうさまでしたっ!」

 いろいろとウダウダ悩んでいたくせに、とりあえずお腹が膨れれば一先ずは満足になるのか、雪乃は元気な声を上げた。
 しかし目の前の光宏が、少し蒼褪めた顔で床に手を突いているのを見てハッとした。

「あ、みっくん大丈夫? ゴメ…つい吸い過ぎちゃった…」
「いや、大丈夫…」
「ホント? ホントに大丈夫?」

 ここ最近、一伽の血ばかり吸っていたから、光宏は人間なのに、つい加減を忘れてたくさん吸ってしまった。
 今さら吸った血を戻せと言われても出来ないけれど、雪乃の吸血のせいで光宏がどうにかなってしまったらどうしよう…と、雪乃は今になって焦る。
 やっぱり、空腹をギリギリまで我慢してから吸血するのって、よくない。全然我慢が利かない。



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暴君王子のおっしゃることには! (82)


「ゴメンなさい…」
「だから、いいってば。もう平気?」
「…ん」
「最近、一伽の血しか吸ってなかったんだって?」
「なっ…、何でそれ…あ、いっちゃん…?」

 雪乃はそのことを誰にも言っていないんだから、もし他の誰かが知っているのだとすれば、一伽が話したに他ならない。
 その一伽が今日に限って未だに帰って来ておらず、代わりに光宏がこの部屋の鍵を持って現れた……ということは、まさか光宏はここに来る前に一伽と?

「あー…うん。さっきまで一伽と一緒だった。で、ちゃんとしろ、つって怒られた」
「怒られ…? え、ちゃんとしろ、て?」
「ちゃんと、ユキともっかい話しろって」

 本当は自分でそう決心してここに来たんだ、て言えれば、嘘でもそう言ってやったら、少しは様になったんだろうけど、そういうのは、光宏の性分ではないから、結局本当のことを言った。

「いっちゃん、みっくんにそんなこと言ったの…?」
「まぁ、そんなこととか、いろいろ」

 自分の人生が左右されるとか、雪乃が社会復帰しないと収入が減って生活に困るとか、自分勝手な理由もたくさん並べたけれど、結局は光宏と雪乃のことを心配しているの、素直に言えないだけだった。
 あの傍若無人な一伽にここまでしてもらって、自分では1歩も進めないなんて、そんな情けない話ってない。

「でも…、一伽にちゃんと話しろて言われて、でも正直、何話せばいいんだろ…て思いながら、ここ来た」
「……」
「ユキがめっちゃ凹んで引きこもってる、て一伽から聞いて、それは俺の……俺があんなこと言っちゃったせいで、ちゃんと謝らなきゃとは思ったけど、でもあのとき言ったことはホントだから、なかったことにはしたくないし……だからあの…何だろ、何ていうか…」

 雪乃に何を話そうかずっと考えながらここへ向かって、でも考えが纏まらないまま到着しちゃって、とりあえず雪乃に吸血させて、それで話を始めたけれど、やっぱりうまく話せなかった。

「ユキは、山下さんのことが好きじゃん? だから、…どこまでがんばれるか分かんないけど、ちゃんと自分の気持ちにけりを付けて、ユキと山下さんのこと応援しなきゃ、て思って…」
「え…?」
「俺もさ、買い物行って山下さん見たんだけど、すっげぇイケメンだったな。ユキが好きになるのも無理ない、て思った。ホント、もうマジ勝ち目ねぇ! て思ったもん」

 肩を落として苦笑いする光宏に、雪乃は何も言えなかった。
 一伽に言われて、ちゃんと雪乃と話をしなきゃって、でもその内容が、雪乃が何となくだけれど思っていたのとは違ったから、頭の中が真っ白になってしまったのだ。

 光宏は雪乃のこと好きだけれど、あのとき好きて言ったことをなかったことにはしたくないのに、でも、その気持ちにけりを付けて、雪乃と山下さんのことを応援するの?

「だから…、いや、俺らはもう友だちには戻れないかもだし、俺がユキのこと傷付けたのにこんなこと言うのも何だけど……もう引きこもるのやめて、次に進も?」
「……」
「もっとがんばって、山下さんと仲良くなって、そんで…」

 光宏の話を聞きながら、雪乃はなぜだか悲しい気持ちになっていた。
 山下さんのことが好きで、がんばって仲良くなって……て、それはずっと思っていたことだけれど。

「ユキ?」
「ぁ…うん」
「ユキが吸血する人いなくて困るなら連絡くれていいし、…嫌でなかったら、ウチの店にもご飯食べに来て? …え、何? いや、別に嫌なら無理しなくてもいいんだけどっ…」

 黙って光宏の話を聞いていた雪乃は、最後、なぜか首を横に振っていた。
 それを、もう自分にこれ以上会うのは嫌なのだと受け止めた光宏は、慌てて言葉を付け加えたが、そうしたら雪乃は余計に大きく首を振った。

「え、え、何? どうした?」
「みっく…」
「え、あの、ゴメ、泣くほど嫌だった!? あの、ホント、」
「ちが…」

 雪乃の瞳に涙が浮かんでいることに気付いて、光宏はさらに慌てたが、雪乃は「違う」と言いながら涙を拭って首を振る。



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暴君王子のおっしゃることには! (83)


「違う…、違うぅー!」
「えっちょっ、ユキ? え!?」

 溢れた涙が零れたかと思ったら、後は次から次に雪乃の頬を伝い落ちていく。
 目の前で、人にこんなに泣かれたことがなかったから、光宏はどうしたらいいのかが本当に分からなくて、え、え…と焦った声を上げながら、ハンカチで雪乃の頬を拭ってやった。

「何でっ…、何でみっくんが応援するとかっ…」
「いや、その…迷惑なら何もしないけど…」
「そ…じゃなくてっ!」
「え? あの…え? あの…俺に会うのももう嫌だった? ゴメ…ユキに何か話さなきゃ、て思って、ゴメン、俺だけがそんなふうに思ってた? ホント、ゴメン! ユキの気持ちとか全然考えないで、来ちゃっ…」
「違うってばぁ!」

 焦る頭で、己の全思考回路をフル回転させながら、光宏が導き出せるすべての答えを言ってみたのだが、結局は雪乃に『違う!』と一蹴されてしまった。
 きっといつもだったら、もっと冷静に考えられるんだろうし、後になって思い返せば、今の自分は蹴りを入れたいくらい鈍感なのかもしれないけれど、雪乃の涙を見てすっかり動揺してしまった光宏は、もうそれ以上、何かを考えることが出来なくなっていた。

「みっく……ホントにそう思ってるの?」
「え?」
「俺が山下さんとうまくいったらいいと思ってるの? 応援してくれるの?」
「え? あ、う…うん」

 ハンカチを持った光宏の手を押しやって、雪乃は自分の手の甲で、ゴシゴシと涙を拭いた。

「俺…バカだから、みっくんがそう言うなら、本気にしちゃうよ?」
「え…うん…」
「…分かった。じゃあ応援して? 俺、がんば…」

 がんばるから――――その言葉は、最後まで声にならないうちに涙に代わって、雪乃の頬を伝い落ちた。
 今拭ったばかりなのに、涙がまた溢れていって、それを見られたくなくて、雪乃は光宏から体ごと顔を背けた。

「ま…まずは山下さんに彼氏とか…彼女がいないか、調べないとだよねー。それ知らなきゃなのに、俺、今まで何してたんだろね。いっちゃんがね、コウモリになって、後付いてったら? とか言うんだよ? それのがよっぽどストーカー臭いよね」

 雪乃は、涙声で、早口に捲し立てる。
 自分で言っているのに、胸が痛くて痛くて、どうしたらいいか分からない。

「俺、結構あのスーパー行ってたじゃん? 山下さん、ちょっとは俺のこと、覚えてくれてるかなっ? いきなり告ったらさ、やっぱ引かれちゃうよね? 何て声掛け…」
「ユキっ!」
「ッ…」

 大好きな山下さんのことを話しているはずなのに、ボロボロと涙が止まらなくて、でも光宏に泣いていることを知られたくなくて、一生懸命瞬きをしたり、零れる前に指先で拭ったりしていたのに、話し終わる前に、光宏に後ろから抱き締められていた。

「な、に…みっく…。どうしたの…? 友だちはこんなことしな…」

 もう友だちには戻れない、と光宏は言ったから、2人はもう友だちではないのかもだけれど、でも雪乃が山下さんと仲良くなって恋人同士になるなら、余計にこんなことしちゃダメだ。
 だから雪乃は光宏の手を解いて、そちらを向き直ろうと思ったのに、光宏は雪乃のことを離してくれなかった。

「みっくん?」
「ゴメン、ユキ」
「みっくん、さっきから謝ってばっかだ…。応援してくれるんでしょ? 俺と山下さんの…」
「ゴメン、無理…。さっきはそう言ったけど、やっぱ無理。ユキが山下さんと付き合うなんて嫌だ。俺、やっぱりユキのことが好きだよ」

 光宏は、雪乃を抱き締める腕に、さらに力を籠めた。
 何もしなくても汗が流れてしまう、狭くて暑苦しいアパートの一室。それでも光宏は、抱き締めた雪乃のことを離したくなかった。離せば雪乃が、光宏の手の届かないところに行ってしまう気さえした。

「俺、山下さんのこと好き、てゆってるのに?」
「…うん、でも好き。だから山下さんなんかに渡したくない、ユキのこと。山下さんがまだユキの気持ちに気付いてないなら、ゴメン、ズルいかもだけど、先に俺が奪う」

 光宏は、雪乃を腕の中から解放して、自分のほうを向かせた。
 雪乃の肩を掴んで、その瞳を見つめたまま、もう1度言う。



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暴君王子のおっしゃることには! (84)


「ユキのことが好きだから、だから……山下さんじゃなくて、俺と付き合って? …ください!」
「…うん」

 まるで一世一代のプロポーズをするときみたいに、ガチガチに緊張しながら光宏が想いを告げれば、雪乃は涙を拭って笑顔で頷いた。

「え…ホントに?」
「うん」

 自分で告白しておきながら、雪乃があんまりあっさりと返事をくれるものだから、もしかしてまた意味がちゃんと伝わってないのかな…とか、もしかしてこれって夢? とか思って、光宏はつい聞き返してしまった。

「俺ね、山下さんに会えると、すごい嬉しかったんだ。山下さんのこと、大好き! て思ってた。でも…みっくんち行かなくなって、1週間とか10日とか、あのスーパーにも行かなくて。そんなの、みっくんち行かなくたって、山下さんに会いたかったら行けばいいのに、でもそんなに行きたいわけでもなくて」

 そんなに口達者ではない雪乃は、それでも懸命に言葉を考えて、自分の思っていることを、光宏に伝える。

「だってさ、そのときいろいろ凹んでて…、それなら、山下さんの顔見たら元気になれるかも! とか思うじゃん? 俺のことだし。なのに全然そんな気にならなくて……それよりみっくんに会いたかった」
「俺に?」
「…ん。みっくんに会いたかった。またご飯作りに行きたかった。でもみっくんに『もう来ないで』て言われたから、やっぱ行けないんだ…て思って、また凹んだ」

 会おうと思えば会いに行ける大好きな人がいて、もう来るなと言った友人もいた。
 それなのに雪乃は、山下さんではなくて、光宏に会いたかったのだ。

「何でこんなにみっくんに会いたいのかな、て思って……俺、みっくんのことが好きなんだ、てやっと分かったの。でも、分かったときには、みっくんに『もう来ないで』て言われた後だったから、ガーンてなってた」

 光宏の気持ちに全然気付かないでいた鈍感さにも呆れるけれど、自分の気持ちすら分かっていなかったなんて、本当に一体自分は何なんだろう…と、かなり落ち込んだ。
 こんな雪乃のこと、光宏は絶対にもう呆れ果てて、愛想を尽かしてしまったに違いないと思ったら、また落ち込んだ。

「…俺、マジこんなで、あの……今さら言わなくても分かってると思うけど、超~~~鈍感だし、またみっくんのこと悲しませるようなことしちゃうかもだけど、」
「ユキ」
「でも、…でもみっくんのこと好きだから……お付き合いしたい、です…」

 あまりに真正面に想いを伝えたので、何だか恥ずかしくなってきて、雪乃は俯いた。
 光宏の顔をまともに見れない。顔が熱いのは、熱帯夜のせいなんかじゃない。

「こないだユキに『もう来ないで』て言ったの、取り消してもいい? また、俺んち来てくれる?」
「ご飯作りに?」
「今度は一緒に作ろ?」
「うん!」

 誰かのことを想って料理の練習をしに行くんでなくて、今度は光宏と雪乃の2人で、2人のために。
 今までのような歪な形の行動でなくて、愛し合う2人が、相手のためにしてあげるの。

 好きだから。

 ね?



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暴君王子のおっしゃることには! (85)


一伽 と 侑仁

「――――……そして2人は末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

 クーラーの効いた涼しくて快適な侑仁の家で、ソファに寝転がってビールを飲みながら、一伽は、光宏と雪乃がお付き合いすることになった話をしてやった。
 侑仁からしたら不器用すぎる2人だが、この傍若無人な吸血鬼が(素直にはなれないものの)相当心配していたので、侑仁もそれなりに気にはしていたのだが、どうやら2人はうまくいったらしい。
 それにしても、一伽はなぜ、最後を昔話調にまとめたんだろう。もしかして、もうすでに酔っ払ってる?

「あ~よかった! これで俺、心置きなく侑仁の家に来れる!」
「ちょっと待て、そういうことか!」
「だって、ユキちゃん引きこもってる間、血も飲ませてやんなきゃだけど、めっちゃ凹んでるからさぁ、1人にしておけないっつか、俺ばっか寛いでても悪いかな、とか思っちゃって! この俺が!」

 侑仁は一伽の言い分に思わず突っ込んだが、自分の性格をよく分かっている一伽は、自分が柄にもないことをしたのは自覚しているらしい。
 何だかんだで、友だち思いではあるようだ。

「でもさぁ、ウケるのが、ユキちゃん、今度から光宏の働いてるカフェで一緒に働くんだよ。何それ! ラブラブすぎて恥ずかしくね?」
「マジで? あー…それはちょっと照れるな、周りが…」

 10日間もバイトを休んでしまった雪乃は、結局仕事を辞めざるを得なくなって、そのままニート一直線になりかけたのだが、それを救ったのは光宏だった。
 もともと光宏は、理不尽にも、雪乃を社会復帰させなかったら、一伽にタダ飯をたかられるはめになっていたこともあり、それだけは阻止すべく、自分の働くカフェでも仕事を提案した。
 しかし美也子がこれ以上人を雇う気がないことも分かっていたので、先日自分がジンジャーエールを1本ダメにしてしまったことを打ち明け、その責任を取って自分は辞めるから、代わりに雪乃を雇ってほしいと申し出たのだ。

「マジで!? ソイツ超すごくね!? そこまで!?」

 そこまで雪乃のことを想っているからなのか、そこまで一伽にたかられるのが嫌だったのか、その辺はあまり追及しないでおくが、とにかくすごいことはすごい。
 それに、光宏もすごいが、店長である美也子も、何だかすごい。

「え、でもじゃあ、光宏さんが店辞めちゃったんなら、一緒には働かないんじゃん?」
「いや、結局光宏も辞めないことになった」
「へ? そうなの?」

 あの日、光宏が1人ジンジャーエール祭りを繰り広げたことは、大橋も、茉莉江をはじめとした他のお客も、もちろん一伽も黙っていたが、実は美也子はすべて知っていたのだという。
 あのとき、厨房から出て行ってみようかとも思ったらしいが、料理の手を止めるのが嫌だったので、行かなかっただけなのだそうだ。

 ジンジャーエールをダメにされたのはムカついたが、まぁ失敗は誰にでもあることだし、自分で零したジンジャーエールに滑って、すってんころりんしている光宏はおもしろかったから、まぁいっか、となったらしい。
 だから、今さら光宏にそのときのことを持ち出されて、店を辞めたいと言われても、美也子の中ではもう済んだことになっていたので、結局光宏を辞めさせることはなかったのだ。

「で、ユキちゃんも雇ってあげることに?」
「世の中にニートが蔓延るのを阻止したいらしい」
「蔓延る…」

 美也子に、世の若者をどうにかしてあげたい気持ちがそこまで強いのかは分かりかねるが、とにかく雪乃が社会復帰を果たし、光宏が一伽にたかられずに済んだことはよかったと、侑仁は思う。
 まぁその分、侑仁の家で、嫌というほど寛いではいるが。

「ねぇ侑仁、今度一緒に、光宏んトコにメシ食いに行こうよー」
「はぁ? 今度は俺に奢れって?」
「違ぇよ。光宏とユキちゃんが一緒に仕事してんの、冷やかしに行くのー」
「お前ね、そういう性格、ちょっとは直したほうがいいよ?」

 そのカフェの売り上げに貢献すること自体は何ら構わないし、毎回でなければ、一伽にメシくらい奢るのもいいけれど、そこにどうして、うまくいった2人を冷やかす、というオプションを付けなければならないのか…。
 普通にメシでいいだろう、と侑仁は突っ込むが、一伽は素知らぬ顔だ。



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暴君王子のおっしゃることには! (86)


「でもさ、cafe OKAERIのご飯、おいしいから、今度行こうよ。まぁ俺は奢んないけど」
「はいはい」

 お前には何も期待していないよ、と侑仁がビールを煽ったところで、侑仁の携帯電話が音を立てた。

「はい?」

 一緒にいるのは別に彼女でも何でもなく一伽なので、侑仁は気にすることなく電話に出る。
 一伽も電話の相手には興味がないらしく、次のビールを開けている(興味がないのは別にいいけれど、もう少し気を遣うとかはしてほしい…)。

「え、今から? んー…、いや今ちょっと…え? いや、彼女じゃねぇけど、人が…」

 いや、人ていうか…と付け加えた侑仁の言葉に、一伽はソファに転がったまま、侑仁に視線を向けた。
 どうやら侑仁は、電話の相手に何か誘われたが、一伽がいるので、その誘いに乗るのにやや躊躇っているようだった。

「あー…ちょっと待って、聞いてみる。…なぁ一伽、俺のダチからなんだけど、今から来ねぇ? つってんだけど、お前も行く?」
「俺? どこに?」

 行こうかどうしようか迷っている侑仁に、電話越しの友人は、今侑仁と一緒にいる一伽も一緒にどうかと誘ってくれたらしい。
 侑仁は相手に、一緒にいるのが彼女ではないと言っただけで、一伽のことを全然話していないのに、気安く誘ってくれるなんて、フレンドリーだなぁ。あ、それだけ侑仁に来てほしいということか。

「craze。こないだ航平と一緒にお前も来たじゃん。ホラお前が潰れたとき」
「うっせ」

 余計なことを付け加えた侑仁に、一伽は唇を突き出す。
 確かにcrazeは、航平の奢りで一伽が連れて行ってもらったクラブで、一伽は侑仁の友人のニナと散々飲んで酔い潰れ、侑仁に大変お世話になった、ある意味思い出の場所だ。

「行ってもいいなら行くけど、侑仁の奢り?」
「何でだよ」
「ケチー」
「嫌なら来んな」
「行くもん!」

 来るなと言われれば行きたくなるのが、へそ曲がりで素直でない一伽だ。「行くもん行くもん行くも~ん!」とソファの上でジタバタし始めた。
 まだ酔っ払ってはいないだろうけど、何となくこの間の二の舞になるのではないかと侑仁は心配になったが、もうすっかり行く気満々の一伽を止める術はなかった。



一伽 と 海晴 と ニナ と エリー

「いっちゃん、久し振り~! 会いたかったのー! 誰か侑仁と一緒に来る、てゆってたから、誰かなて思ってたのー」
「俺だよー!」
「嬉しー」

 賑やかなフロアを抜けると、テンション高めのニナが、笑顔で一伽を迎えてくれた。
 この間は2人して飲みまくって酔い潰れてはしまったけれど、ニナと飲むのは楽しかったから、一伽も『わーい』と近づいていって、ハイタッチを交わした。

「侑仁、遅ぉ~い!」

 ニナとはまた違ったテンションの、甘ったるい声が侑仁を呼んだ。一伽が知らない女の子だ。
 黒のストレートヘアで、一見するとクールな印象を与える顔立ちだが、笑った顔と甘い声があどけなさとかわいらしさを醸し出している(でも、ちょっと計算ぽいかな)。

「侑仁、どーして最近遊びに来なかったのぉ? 海晴に聞いても知らないって言うしー」
「まぁいろいろ…仕事とか」

 その子に腕を絡められながら、尋ねられた侑仁はそんなふうに答えるが、一伽は最近も結構侑仁の家に行っているし、夜遊びが全然出来ないほど残業ばかりでもないのに、どうして侑仁、そんなこと言うんだろう。



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暴君王子のおっしゃることには! (87)


「ねぇねぇニナちゃん、あの子、侑仁の彼女?」
「あー違う違う」

 そんな2人の様子を眺めていた一伽が、ホワイト・ルシアンなんて強いお酒を平気な顔して飲んでいるニナにこっそり尋ねれば、ニナはにんまり笑って首を振った。

「彼女になりたがってる1号よ、リコは」
「リコちゃんてゆーんだ? つか、1号て?」
「だって、侑仁の彼女になりたい子なんて、いっぱいいるもん。その中でも、リコが一番熱心なのよ」

 ニナは平然とそう言って、意味ありげな視線を侑仁に向けた。
 そういえば、一伽が侑仁の家に寛ぎに行こうと考えていたとき、志信のアドバイスもあって、侑仁に彼女の有無を確認したら、いないと言われていたんだっけ。
 リコは、そのころからがんばっているんだろうか(でも侑仁は、一伽と初めて会った日、全然違う雰囲気の女の子をナンパしようとしてたけどね)。

「つか侑仁てモテるんだー、ムカつくー」
「そりゃモテるっしょ。イケメンだし、無駄に優しいし」

 一伽も大概ヒドイことを言っているが、ニナの言い分も、さりげなくヒドイ。
 せっかくの優しさに『無駄』とか付けなくてもいいのに。

「あ、リコがまたがんばってるー」

 リコに口説かれている侑仁を見ていたら、グラスを2つ持ったエリーがやって来た。
 姿がないと思っていたが、やはりニナとエリーはセットのようだ。

「はい、これ、いっちゃんの分ー。ドリンク頼んでたらね、いっちゃん見えたから、買って来たの。奢りよ?」
「ありがとー……て、これ何?」
「カミカゼ。だっていっちゃん、強いお酒好きでしょ?」
「…」

 笑顔でグラスを差し出すエリーに聞いたら、あっさりとそんな返事が。何となくいろいろ誤解もあるようだが、アルコールは嫌いではないので、一伽はありがたく頂戴する。
 それに侑仁はリコにかまけているから、一伽が飲んでいたって何も言われないだろう――――そう思ったのに。

「…おい、」
「ッ、」

 ゴクッと一伽が一口飲んだところで後ろから肩を掴まれて、驚いて振り返れば、そこにはひどく嫌そうな顔をした侑仁がいた。隣にはリコがいて、早く行こう、と腕を引いているのに。

「お前、マジで今日は飲み過ぎんなよ? 分かってんだろうな?」
「…」

 …侑仁がいなくなった隙に、いろいろ飲んじゃおっかなぁー、て思ったの、どうしてバレちゃったんだろう。
 前に一伽が酔い潰れたのも、この3人で席に残されてたときだったっけ。一伽は全然まったく覚えていないけれど、侑仁には大変ご迷惑をおかけしたようで…。

「いっちゃんなら大丈夫よ、侑仁。ねっ?」
「今日も、ちゃんと侑仁がお持ち帰りするから」

 一伽が何と答えよう…と珍しく言い淀んでいたら、代わりにニナとエリーが答えてくれた。
 しかし、何の根拠もない、むしろ不安だらけのニナとエリーの言葉に、侑仁は頭を抱えた。この2人と一緒だから全然大丈夫ではないのだし、お持ち帰りしたくないから飲み過ぎるなと言っているのに。

「とにかくマジで…」
「ねぇ侑仁、まだぁ?」
「え? あ」

 今日は間違っても一伽の面倒を見るつもりはない、とはっきり言ってやろうと思ったのに、それより先にリコに腕を引かれて、侑仁は結局、言いたいことを伝え切れないまま、フロアに引っ張られていってしまった。

「リコちゃん、今日こそ侑仁のこと、ゲットかな?」
「無理なんじゃなぁい? あれで落とせるなら、とっくに彼女になってるって」

 残された一伽は、リコの誘いに一応は乗っている侑仁を見てそう言ってみたが、ニナはバッサリと切り捨てた。
 一伽的には、リコが侑仁の彼女になろうが、別の誰かが彼女になろうがどうだっていいんだけれど、侑仁に彼女が出来ると、侑仁の家に行きづらくなって、せっかく手に入れた居心地のいい空間を手放さなければならなくなるのが切ない。



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暴君王子のおっしゃることには! (88)


「ま、侑仁とリコのことはいいじゃん。ウチラはウチラで飲もうよ。それとも踊るっ?」
「んー、とりあえずこれ飲んだら」

 じゃカンパーイ、とノリで、3人でグラスを合わせる。
 侑仁には飲み過ぎるなと念を押されたから気を付けるけれど、カミカゼはかなり強いお酒だから、量は飲まなくてもいろいろ気を付けないと(…と、何を飲むときも、最初はそう思っているのだ、一伽も)。

「あ、海晴~! 海晴も一緒に飲もっ?」

 エリーが誰かに向かって手を振るので、一伽もそちらに視線を向けたら、グラス片手の男が歩いてくる。
 侑仁よりいくらかワイルドな感じで、ちょっとヤンチャ系? (何度も言うが、一伽にとって、男なんてどうでもいいことなのだが。)

「侑仁は? まだ来てねぇの? 俺が電話してから、だいぶ経ってね?」
「来たよー。今リコと踊ってるー」
「あっそ、ならいいんだけど」

 辺りを見回した男は、侑仁がいないことに首を傾げたが、エリーにそう言われてあっさりと納得した。
 どうやら侑仁に電話をしてきたのはこの男で、それはリコに頼まれてのことだったようだ(つまりリコは、一伽というおまけがいたとしても、侑仁に来てほしかったのだろう。侑仁と一緒にいたのが彼女でなくてよかったね)。

「つか、お前…」
「ぅん?」

 ふと一伽のほうを見た男が、なぜかギョッとした顔をする。
 侑仁に電話をくれたのがこの男なら、侑仁と一緒にいた一伽に来てもいいと言ったのもこの男なわけで、それなのに、何でそんな顔?

「海晴、いっちゃんとお友だち?」
「いや、友だちていうか…、お前らこそ?」

 男の名は、海晴というらしい。
 海晴も一伽のことは友だちではないと言っているから、一伽がこの男のことを忘れているわけではなく、本当に知らない人なんだろう。
 しかしそんな顔をするところを見ると、やっぱり知り合い? 侑仁と一緒に来るのが一伽だと思っていなかったから、一伽が来てビックリしているんだろうか。

「エリー、いっちゃんとお友だちよ? ニナもそうでしょ? 海晴は違うの?」
「違わないわよ。だって海晴が、いっちゃんも一緒に来ていい、てゆったんだから。ね?」

 ウェーブの掛かった髪に指を絡ませながら、エリーがコテンと首を傾ければ、海晴の代わりにニナが笑って答えた。

「『いっちゃん』? え、コイツが侑仁と一緒に来たの? マジで?」
「そうよ? 海晴どうしたの?」

 さすがにニナもエリーも、海晴の態度を訝しく思い始めたのか、怪訝な顔をする。
 一伽だって、こんなに言われたら、何だかおもしろくない。文句の1つでも言ってやろうかと思ったら、しかしそれより先に海晴が口を開いた。

「いや…前、侑仁に襲い掛かったヤツとすげぇ似てたから…」
「侑仁に? いっちゃんが? 襲い掛かったの?」
「や、さすがに違うよな。何かすげぇ似てたから、一瞬ビビっただけ」

 悪ぃ、と言いながら海晴は頭を掻くが、海晴の言葉に一伽が記憶を辿らせれば、思い当たることが1つだけあった。
 初めて侑仁と会ったとき、空腹すぎた一伽は、何とかご飯にあり付こうと侑仁に飛び掛かったのだ(一伽的には飛び付いただけで、襲い掛かったつもりは……ないこともないが、まぁない)。
 相変わらず男のことなんて記憶する気が更々ない一伽は、あんまりよく覚えてないけれど、そういえばあのとき、侑仁の他に誰かいた……それが、この海晴だったんだろうか。

「あー…あのさ、海晴が言ってるの、その侑仁が襲われた、て……もしかしてクラブのトイレで…」
「うん? あーそうそう。侑仁が『首噛まれた!』とか言い出して。何それ、とか思ってたら、ソイツがまた侑仁に飛び掛かって来て、でも何か急に力尽きてぶっ倒れちゃって」
「…」

 念のために海晴に聞いてみれば、ますます海晴の言っている人物が、自分に重なる。
 どうしよう、一応言ったほうがいいんだろうか。あのとき侑仁に襲い掛かったのは、やっぱり自分です、て。



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暴君王子のおっしゃることには! (89)


「何それ、マジで侑仁襲われたの? で、その後どうなっちゃったわけ?」
「俺がスタッフ呼びに行って戻ってきたら、ぶっ倒れてたヤツは目覚ましてて、侑仁のおかげで助かったとか何とか…。でも侑仁は何も言わねぇからよく分かんねぇんだよ」
「ふぅん?」

 よく分かんない…とニナとエリーは首を傾げる。
 そりゃそうだ。今、冷静になって一伽自身が聞いてみても、意味が分からない。空腹だったとはいえ、何してんだ、あのときの自分!

「えーっと、みなさま、ここで1つ重大な発表が…」
「何いっちゃん、急に」
「実はそのとき侑仁に襲い掛かった男こそ、この僕ですっ! てへっ」
「「「………………」」」

 やっぱり言わないわけにはいかないよなぁ…と思って、それでも、あんまりひどいヤツに思われないよう、かわいく言ってみたら、3人ともポカンと一伽を見るだけで、何も反応してくれなかった。
 『えぇ~、ヒドッ!』みたいな反応も嫌だけれど、何も言ってくれないのも、ちょっとツラいのですが…。

「え…、いっちゃん、侑仁のこと襲ったの? つか、首噛んだ?」
「そういう新しいプレイに挑戦してんの?」

 ニナとエリーはまだわけの分からない様子だが、あのとき実際にその現場を目撃していた海晴は、再びギョッとして、唖然となった。
 確かに一伽はあのときの男に似ているが、あのとき侑仁も結構怒っていたし、あんなことがあったのに、その後、侑仁の家に遊びに行くまでになるとか、どう考えても不自然だから、やっぱりただの似ている別人でした、てオチのほうが、すっきりしたのに。

「いや、襲ったていうか……襲ったわけじゃないよ!」
「じゃあ何したの?」
「血吸った」
「血~?」

 こうなったら全部話して納得してもらうしかない! と一伽は開き直って、聞かれたことに正直に答えれば、ニナはますます不思議そうな顔をした。

「血吸うってことは、吸血鬼てこと?」
「そういうこと」
「マジで!? いっちゃん吸血鬼なの!? すご~い! アタシ、吸血鬼に会うの初めて!」

 自分が吸血鬼であることを打ち明けると、ニナはその事実に純粋に感動して舞い上がり、その隣でエリーも、「私、いっちゃんで2人目よ」とテンションを上げている。
 ただ海晴だけは、すんなりと受け入れられないのか、まだポカンとなっている。

「え…吸血鬼…?」
「そうですけど?」

 コイツも吸血鬼の存在を信じていない系か、と一伽は少しウンザリする。
 侑仁と会ってから知ったのだが、世の中には吸血鬼の存在を半信半疑に思っている人間が結構いるらしいのだ(不愉快!)。どうやら海晴もそういうタイプの人間らしい。

「信じてないわけじゃないけど、マジで初めて会ったから、すげぇビックリした…」
「前も会ったじゃん」
「だってあのときは吸血鬼だなんて思ってねぇし! 普通に変質者としか思ってなかったから!」
「何だとぅ!」

 吸血鬼の存在を信じないのもムカつくが、変質者呼ばわりされるのは、もっと腹が立つ。
 一伽の一体どこが変質者だと言うのだ。

「だって普通そうじゃね? 背後からいきなり飛び掛かって来て、首に噛み付いて来たら、そりゃ変質者だろ」
「…いっちゃん、何やってんの?」
「俺が悪いんじゃないもん…」

 海晴の言葉に、さすがにニナも呆れ顔になるが、一伽はがんばってそう開き直る。
 いや、一伽が悪いのかもしれないけれど、あのときはご飯にあり付きたい一心だったんだもん。死ぬか死なないかの瀬戸際だったのだから、多少の無茶だってやむを得ないと思う。

「あんとき、ホントは別の女の子に声掛けようとしてたのに、侑仁が先に声掛けちゃって、そのせいで逃げられちゃったんだもん、その子に。俺、超腹減ってたのに」
「何それ。ナンパしようとして、被っちゃったってこと? いっちゃん、だっさ~!」
「ナンパじゃないもん! いやナンパだけど、俺はあのとき切実だったの!」

 何かこの説明、何回もしてる気がする! と思いながらも、一伽は笑い転げているニナに、必死に訴え掛ける。
 変質者扱いされたままなのも嫌だけれど、女の子ナンパしようとして、結局逃げられちゃった、ダサい男とも思われたくない。



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暴君王子のおっしゃることには! (90)


「侑仁のせいでナンパ失敗したから、侑仁に襲い掛かったの?」
「だから襲ったんじゃないってばー! ご飯したかっただけだし!」
「侑仁に飛び掛かっちゃうくらい、お腹空いてたんだ?」
「じゃなきゃ、男の血なんか吸わない」

 何度も言うけれど、一伽は女の子が好きで、血を吸うのだって、そういう子限定なのだ。あんな切羽詰った状況でなければ、男の血なんか吸うわけがない。

「えー、じゃあ侑仁だけ特別?」
「違うってば。侑仁が特別なんじゃなくて、あのときの状況が特別だったの! じゃなきゃ侑仁の血だって…」

 飽くまでも空腹すぎたのが原因だと言おうとした一伽は、ふとその後にも、欲望に負けて侑仁の血を吸ったことを思い出した。
 いや、でもあれは、侑仁が指切って血なんか流すから、何かもったいないって思っちゃったからで……うん、俺のせいじゃないな。

「とにかく! 俺は女の子の血がいいのっ」
「うひゃひゃ、そこまで女の子が好きなのに、たまたまバッティングしちゃったせいで、血吸われたのかよ、侑仁~!」

 一伽の必死の主張に、今度は海晴が笑い出す。
 やっぱり侑仁にとっては災難だったんだろうか。でも、うまかったからいいようなものの、一伽にしたって、男の血を吸うなんて災難みたいなものだけれど。

「つか、あんなむちゃくちゃした後で、普通に友だちになってんのがすげぇよ」
「でしょ~?」
「いや、お前じゃなくて、侑仁がだよ」

 海晴が『すごい』と言ってくれたのでノッてみたら、サラッと突っ込まれた。
 どうして? 一伽がすごいんじゃないの?

「でも、お前もある意味すげぇけど。何かどんな天変地異が起こっても、お前だけは生き残りそうだよな」
「それって褒めてる? てか俺、一伽くんですけど? お前お前、て何だよぉ!」
「あーはいはい、一伽くんね」

 海晴と話していると、どうも自分のペースが崩される! と思って、どうでもいいことに突っ掛ってみたら、笑いながらあっさりと躱されてしまった。

「つかさ、吸血鬼て毎日吸血しないとなわけ?」
「そーだよ。最低1日1吸血ね。結構メンドイっしょ?」
「いや、人間だって基本1日3食だし」
「でも人間なら、食いたいモン買って食えばいいじゃん? コンビニ行くとか外食するとかどうにでもなるけど、血吸う場合、どうしたっていちいち誰かに声掛けないといけないからね」

 こういう基本的なことは初対面の人間にはよく聞かれることで、もう何回となく答えているから、答えるのももう飽きたていうか、面倒くさいんだけれど、ニナとエリーも興味があるみたいだから、真面目に答えることにする。

「あぁそれで女の子ナンパしようとして侑仁と被ったのか」
「ったく、侑仁はただ女の子と遊びたいから声掛けただけかもしんないけど、俺のほうは大変だったんだからね!」
「でもお前、女の子がいい~! て、そんだけ言ってるてことは、そこまで空腹じゃないときは、それなりにしてんじゃねぇの? 血吸うときに」
「…」

 海晴の言い分に、一伽は思わず言葉を詰まらせた。
 まだ会って間もないというのに、どうして海晴はそんな、見てきたようなことを言うんだろう。まったくそのとおりすぎて、返す言葉がない。

「でっ…でも、大変は大変だろ? ナンパするか、いちいち誰かに連絡しなきゃいけないんだからっ」
「連絡て?」
「だって、知らない人に声掛けて、いつも血吸わせてもらえるとは限んないし。だから、俺が吸血鬼だってこと知ってて、血吸いたくなったら連絡してもいいよ、て言ってくれる子に連絡して、吸血することもあんの」

 どちらにしたって、誰かしらに声を掛けなければならないわけだから、人間より吸血鬼のほうが面倒くさい生き物だと思う。
 一伽は、わりといつでも誰かそばにいてほしいタイプだからいいけれど、もともと1人が好きな吸血鬼とか、1人でいたい気分の日とかは、かなり厄介だ。



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