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暴君王子のおっしゃることには! (123)
「へぇ、リコがなぁ。あの女、なかなかやるよなぁ」
「感心してる場合じゃねぇって、航平」
保留はさせられたが、リコの告白を断ったはずなのに、侑仁はリコと付き合うという噂が友人たちの間で広まっているらしい事実を、目の前に座る航平に打ち明けたところ、侑仁に同情するというよりは、単純にリコに感心し出すから、侑仁は頭を抱えた。
リコがどこまでの意味を持って、『侑仁に告白した』というメールをニナたちに送ったのかは分かりかねるが、そのおかげで、話が完全に独り歩きしてしまっている。
「もーホント、勘弁してよ。俺、一伽に言われるまで全然知らなかったんだぜ? ニナたちも、一伽とか海晴に言うくらいなら、まず俺に確認しろっつの」
「一伽?」
「航平ちの子!」
「俺の子じゃねぇよ!」
侑仁と航平に共通の『一伽』といえば、もちろんあの一伽しかいないわけだが、航平がわざわざ聞き返して来たから、侑仁が分かりやすく説明したら、即行で否定された。
もちろん一伽は航平の子どもではないが、しょっちゅう一緒にいるわけだし。
「で、何でお前は、一伽に言われるまで知らねぇんだよ。つか、何で一伽が知ってんだ」
「だからー、リコがニナたちにメールしたらしいんだけど、それをアイツらが一伽に喋ったんだって! いや、喋ったつか、そのネタでずっと飲んでたらしい…」
「…あぁ、そんで一伽が酔い潰れてお前んちに泊まり、次の日、仕事を…」
「それは、航平が休んでいい、て言ったんでしょ!」
侑仁だって、出来れば一伽を仕事に行かせたかったけれど、どうにも間に合いそうにないから電話してみたら、航平自身が、一伽の様子がおかしかったから休ませる、と言ったのだ。
今さらそのことを蒸し返されて、侑仁のせいにされても困る。
「しっかし…、侑仁がリコと付き合う、て話だけで、酔い潰れるほど盛り上がれるもんかぁ?」
「付き合わねぇってば!」
あの日、一伽が帰った後、その噂がこれ以上広がるのを食い止めるべく、侑仁は急いで海晴に電話したのだ。
侑仁の話を聞いた海晴はしばらく絶句していたが、すぐにニナたちにも伝えると約束してくれたから、大丈夫だとは思うけれど…。
「付き合わんかもだけど、お前の知らんとこでは散々盛り上がってたんだろ? その挙げ句、全然関係ないのに、酔い潰れた一伽引き取るはめになるとか、どんだけだよ」
「しょーがねぇじゃん」
電話を掛けて来たときの、海晴の情けない声ったら!
ヤンチャな見た目と違って、海晴は結構気を遣うタイプなので、侑仁に電話するまでに相当悩んだに違いない。
侑仁も、海晴がシェアハウスに住んでいて、一伽を連れて帰れないのは知っているし、頼るところが侑仁しかないとなれば、お人好しかもしれないが、引き受けるしかない。
「侑仁、お前、あれだな。ホント、一伽のこと、大っ好きだな」
「は?」
ビールのジョッキを煽りながら、航平が意味深な感じでニヤリと笑って見せたが、侑仁は意味が分からない様子で首を傾げた。
「俺だったら、酔い潰れたん泊めるなんて、絶対嫌だわ」
「だって海晴がかわいそうじゃん」
何を突然言い出すのかと思えば、結局話はそこに戻ってしまった。
しかし先ほども言ったけれど、侑仁は、一伽が好きとかそういうことでなくて、海晴がかわいそうと思ったから、面倒くさいけれど、酔っ払いを引き取ったのだ。
「かわいそうじゃねぇよ。そんなの、一伽と一緒に飲んだアイツが悪いんだろ? そうなんのが嫌だったら、最初から一緒に飲まなかったらいいんだよ」
「けど航平だって、一伽のこと誘ってcraze来たじゃん!」
初めて侑仁が酔い潰れた一伽を連れて帰ったのは、航平が一伽をクラブに連れて来た後、ほったらかしにしてどこかに行ってしまったときだ。
そんな航平に言われたくない。
「まぁまぁまぁまぁ、そこはあれだけど」
「何」
「でもお前が一伽のこと好きなのは、あれだろ?」
「何が?」
航平の話は『あれ』ばかりで、よく分からない。
なのに航平は、何で分かんねぇんだよ! という顔をしているから、侑仁も困る。
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暴君王子のおっしゃることには! (124)
「は? 航平、さっきから何言ってんの?」
「何て……お前こそ何とぼけてんだよ!」
「はぁ?」
今日の航平は、まったくもって意味が分からない。
何か遠回しに侑仁に伝えたいんだろうなぁ…ということは分かるんだけれど、遠回し過ぎて、全然伝わってこない。
「だからお前、一伽のこと好きなんだろ?」
「俺が? 何で? 酔い潰れたの、泊めたから?」
わざわざ航平がこんなふうに言ってくる『好き』の意味が、いわゆる『LIKE』ということでないのは、侑仁にも分かる。
しかし今のところ、航平と一伽のことでした話といえば、酔い潰れたのを泊めたことくらいで、それで航平がそう言うのなら、侑仁は四六時中、いろんな人に恋していなければならない。
「お前、アイツ以外で、男にそこまで優しくないだろ?」
「そんなことねぇよ」
「なら俺が潰れても、お前、自分ちに泊めて、面倒見るか?」
「えー? だって航平、俺よりずっと酒強いじゃん。航平が潰れるくらいなら、とっくの昔に俺が潰れてるよ!」
自分がそこまで泥酔していたら、相手が航平だろうが一伽だろうが、面倒を見るのは勘弁願いたい。
事実、大昔だが、航平のヤケ酒に付き合って飲んでいたら、侑仁のほうが先にダウンして、航平に介抱してもらったことがあるくらいなのに。
「でも前に海晴が潰れたとき、お前、床に放置してただろ! 一伽もそうだったか?」
「海晴は俺んちで飲んでたときでしょー? リビングで飲んでて潰れちゃったからそのままにしただけで、外で潰れたの連れて帰ってきたら、ベッドまで連れてくよ。リビングからベッドまでなん距離ないから、外から来たなら、ベッドまで行ったって手間なんか一緒じゃん。でしょ?」
「ま…まぁ…」
航平にしたら、結構鋭いことを言ったつもりでいたのに、あっさりと侑仁に返されて、つい納得させられてしまった。
確かに、酔っ払いの世話なんて面倒くさいから、帰ってきたらそのまま床に投げ出したくもなるが、リビングからベッドまでの距離なんて高が知れているから、そこまで来たのなら、ベッドまで連れて行ったって、そう変わらないか…。
「でもお前、その、海晴が潰れた一伽連れて来て泊めたとき、次の日、お前も仕事休んだんだろ? 一伽のために!」
「だって、アイツ寝てて全然起きねぇんだもん。いくら何でも、家空けるのに、寝てるの放置して置いてけないよ。信用してないわけじゃないけど、何かあったらヤダし」
「そりゃまぁ…」
確かに航平も、他人を家に残して仕事に行くのは、ちょっと気が引ける。
まぁ、侑仁くらい気心の知れた相手なら考えないでもないが……でもやっぱり嫌かも。
「けどお前、最初に一伽に会ったとき、襲い掛かられたとか言ってたじゃん。なのに、何でその後もそんなに面倒見がいいんだよ」
「その後って……それ、航平が一伽のこと、連れてくるだけ連れて来て、放置してった日のこと?」
「ぅ…、いや、それだけじゃなくて、あの、その後いろいろ…、結局一伽、しょっちゅうお前んちに行ってんだろ?」
航平が一伽をクラブに連れて行ったあの日のことは、航平にとって分が悪いから置いておいて、しかし侑仁は、一伽が家に押し掛けるなんて大変だと忠告したにもかかわらず、侑仁は嫌がりもせずに、一伽を家に招いているのだ。
最初の印象も、2度目の出会いでもいい思いはしていないはずなのに、どうして。
「何でそんなにしょっちゅう一伽を家に呼べんだよ」
「えー? 別に一伽だけじゃないよ? 俺、結構しょっちゅう、いろんな友だち家に呼んでるよ? 航平だって、よく俺んち来るじゃん」
「お…おぅ、そうだな…」
それは確かにそうだった。
こう見えて侑仁は意外と寂しがり屋というか、1人でいるのが好きでないから、友人たちを家に招くか、みんなと外に遊びに出掛けていることは多い(1人暮らしを始めたころは、寂しすぎて無理…と本気で言っていた男だ)。
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暴君王子のおっしゃることには! (125)
おかしいな。
航平は、侑仁が一伽のことをやけに特別扱いするから、一伽のことが好きなのだろう、と侑仁を問い詰めようと思っていたのに、あっさりと躱されてしまう。
それも、嘘をつくとか、適当にごかますとかでなく、しっかりと事実を述べることによって。
そう、侑仁の言うことは、いちいち正論だ。間違ってはいない。
間違ってはいないんだけれど、何ていうかこう……何かしっくりこない。何かが違う気がする。
「でも! しょっちゅうなのはともかく、俺だったら1回でも嫌だ、一伽のこと家に上げるなんて。でもお前は別に平気なんだろ? それこそまさに、一伽のこと好きな証拠だ!」
「…あのさ、航平こそ、一伽のこと何だと思ってんの?」
いろいろな人を家に招いている中で、一伽だけが、1回でも呼んだら好きだという証拠だなんて、そんなのむちゃくちゃだと侑仁は思う。
どうして航平は、そこまでして侑仁が一伽を好きだということにしたいのだろう。
航平だって、侑仁の前では一伽のことをひどく毛嫌いしているような言い方をするが、実際はそこまでではないくせに(何だかんだで心配はしているし、仕事だって辞めさせていないから)。
なのに、一伽を家に上げただけで、侑仁のことをそんなふうに言うなんて、何だか理不尽だ。
「別に一伽、普通だよ? 家に来たって。まぁ、自分ちかよっ!? てくらい寛いでるときはあるけど。いや、それがしょっちゅうだけど」
「それのどこが普通なんだよ!」
「でも俺んち来るヤツ、大体みんなそんな感じじゃね? 航平だって、結構そうじゃん」
「いちいち俺を引き合いに出すな!」
まるで自分の家のように寛がれたくないから、航平は一伽を家に呼びたくないのだ。
航平だって、侑仁の家で寛いでいるかもしれないが、絶対に一伽よりはマシなはずだ(一伽が侑仁の家でどんなふうに過ごしているかは知らないが)。
「でも一伽て、航平のことかなり恐れてるじゃん? だったら航平ち行ったらシャンとしてるかもよ? 1回家に呼んでみたら?」
「はぁ~!? 何でアイツが俺のこと恐れんだよっ。全然何も言うこと聞かないのに!」
「そうなの? でもこないだ、航平が休んでいいて言ったの、クビにされるんだったらどうしよう! とか、めっちゃ焦ってたよ? 遅刻したら、めっちゃ怒られる! とか言ってたし。だから俺、航平の前じゃ、一伽てすげぇ大人しいんだろうなぁ、て思ってた」
「どこがだよ!」
当たり前のような顔をしてそう言う侑仁に、航平は声を大きくして突っ込んだ。
営業時間中はそれなりに仕事をこなしているが、後片付けはダラダラしているし、航平が何か言っても口答えばかりしているし、一伽が航平を恐れているとか、大人しくしているとか、そんなの絶対にあり得ない。
それなのに、一伽のことをそんなふうに見れるなんて…………やっぱり侑仁は、一伽のことを特別に思っているに違いない。
「もういい、何も言うな、侑仁。もう分かったから。お前は一伽のことが好きなんだよ。特別なんだ」
「何で航平が断言すんの?」
侑仁からしたら、航平のほうが、よっぽど一伽のことを特別扱いしているように思えるのに。
しかし航平は、『侑仁は一伽のことが好き』という持論を崩そうとはしない。
「別に俺、一伽のことも航平のことも、同じくらい好きだけどなぁ」
「一緒にすんな!」
「じゃあ航平のほうが好き」
「キモいっ」
「じゃあどうすりゃいいのよ」
何を言っても取りつく島のなくなってしまった航平に、侑仁は溜め息をついてグラスを傾けた。
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暴君王子のおっしゃることには! (126)
一伽が侑仁の家に来るときは、先にメールは来るものの、その内容といったら、『これから行ってもいい?』でなく、『これから侑仁の家に行くから』とかそんな感じの断定系だ。
でも侑仁も、都合が悪いときは普通に断っていたし、そういうときは一伽も素直に応じていたから、特に何も問題はなかった。
それなのに、だ。
「何で今日に限って、こんなメール…?」
帰宅した侑仁が受信したメールは一伽からで、『今日、侑仁の家に行ってもいい? 何か用事とかある? 疲れてるとかだったらやめとくけど』なんて、妙に殊勝な内容だった。
用事があるかどうかを聞くのはともかくとして、問題はその後だ。いや、問題でも何でもないけれど、『疲れてるとかだったらやめとくけど』なんて、今までに1度だって、一伽から言われたことはない。
こんな気の遣える子だっけ?
「何なんだ?」
不審に思いながらも、侑仁は了承の返事をした。
今日は別に何もないから、来たかったら来ればいい。それが侑仁のスタンスだ。航平はあんなふうに言っていたけれど、もし予定が入っていたり、今すでに誰かが来ているなら、侑仁は、それを蹴って一伽を優先しない。
(…一伽のことかぁ)
夕食を作りながら(面倒くさかったので、適当チャーハン)、侑仁は先日の航平とのやり取りを思い出す。
航平は、侑仁が一伽のことを特別な意味で好きだと断言したけれど、果たしてそうなんだろうか。
単に航平が、一伽のことを嫌だ嫌だと言い過ぎているだけで、とりわけ侑仁だけが一伽のことを特別扱いしているとも思えないんだけれど。
(んなこと言ったら、海晴とかどうなんの?)
家に呼んでいないというだけで、海晴だって結構一伽と一緒に飲んでいるようだし。
それを言うなら、ニナやエリーだってそうだ。ましてや2人は、一伽の大好きな『女の子』だし、くっ付く可能性があるとしたら、そっちだと思う。
なのに航平は、侑仁のことだけを言うのだ。
大体、侑仁にしたら、航平のほうこそどうなのだ、と言いたい。
侑仁に対して、一伽のことをあんなにボロクソに言っていたくせに、でも結局は、様子がおかしいとか、ちゃんと心配しているし。
(でも一伽て、仕事のとき、航平の言うこと聞かねぇの?)
先日仕事を休むはめになったとき、クビになったらどうしよう…! とか大げさなことを言って航平のことを怖がっていたくせに、航平に言わせれば、『全然言うことを聞かない』なのだから、何だかおかしい。
そういえば、航平が一伽をcrazeに連れて来て侑仁と再会したとき、一伽は航平に反抗しようとしては、抑え付けられていたっけ。
でもふと思ったけれど、一伽の仕事中の様子て、当たり前だが、全然知らない。
侑仁と一伽は友人同士という関係だが、航平とは仕事の関係なのだから、そりゃ様子も態度も違うだろうけど…。
そんなことを思いながら夕食を作っていたら、玄関のチャイムが鳴った。
時間的に一伽だろう。
早く出ないとうるさいから、侑仁は手を止め、玄関に向かった。
「お邪魔しま~」
「挨拶を略して言うんじゃありません」
「うへ」
やはり来たのは一伽で、びっしょりと掻いた汗を拭っていた。
冗談でだが、侑仁がそう言って注意すると、へらっと笑う。
「今日も暑かった~。いつになったら涼しくなんの? はい、これおみやげ」
一伽はコンビニの袋に入った2本の缶ビールを、侑仁に渡した。
当初は6本パックを持って来ていた一伽だったが、いつも飲み切れずに数本残るから、いつの間にか侑仁の家の冷蔵庫がビールだらけになってしまい、侑仁がストップを掛けたのだ。
一伽としては、それ以外に出来ることがないから続けたかったんだけれど、『手ぶらで来ても、上げるから』と侑仁に言われ、1人1本ずつということで、2本だけ買ってくるようになった。
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暴君王子のおっしゃることには! (127)
「うん。…ん? お前も食いてぇの?」
「んーん」
いつもだったら、『あぁ~涼しっ!』とか言って、ソファに思いっ切りダイブして、侑仁を待たずにビールを開けているくせに、今日はなぜか侑仁の後に付いて台所のほうに来るから、何か食べたいのかと思ったのに。
「何だよ、どうした?」
「いや…、何か、侑仁がまだ何かやってんのに、勝手に『わぁ~』てやったら悪いかな、と」
「はぁ?」
いやまぁ…、その心掛けはいいことだけれど、未だかつて、一伽の口からそんなセリフ、聞いたことないのですが…。
一伽に限らず、侑仁の家に来る友人たちは、わりかしみんな、自分の家にいるみたいに寛いでいるから、別に今さらそんなに気にしなくてもいいのに。
「何急に」
「別に何でも」
「ふぅん? まぁいいけど、俺ももう向こう行くから、先行ってて」
「…ん」
侑仁が言うと、頷いた一伽は、パタパタとリビングに行った。
いつも思うのだが、一伽の歩き方て、ペンギンみたいだ。それか、何かそういうアニメのキャラ、いたっけかな。
「…何立ってんの?」
一伽はいらないと言ったけれど、侑仁が食べていると、いつも絶対に『俺も食べたい』的な感じになるので、一伽の分も取り分けてリビングに行けば、なぜか一伽はソファに座らず、立ったままそこにいた。
「や、座るけどさ」
侑仁に言われると、一伽はしかしダラ~とソファには転がらず、ちょこんとお行儀よく座った。
「ホラ、お前の分。どうせ食いたくなんだろ?」
「あ…ありがと」
「は?」
一伽の前にチャーハンを置けば、聞き慣れない言葉が耳に入り、侑仁はギョッとして一伽を見た。
今コイツ、『ありがとう』て言った?
いや、言うべきセリフとしては合っているんだけれど、一伽に、こんなに素直に礼を言われたことなんかない…。しかも、言った本人も相当照れ臭かったのか、顔を背けて、侑仁のほうを見ようとしないし。
「お前…、今日どうした?」
「何が? あ、ありがとう」
一伽にグラスを差し出すと、また『ありがとう』と言われた。
礼を言われて疑うのもおかしいが、本当に今までにないこと過ぎて、どうしたものか…。
「おい、何があったんだよ」
「別に何もないってば」
もう1度尋ねてみても、一伽はどうしてもしらばっくれるつもりらしい。
しかも、普段だったら何度も聞き返されると、それだけで『しつけぇんだよっ』とキレるのに、今日はそれすらなくて、かえって不自然。
しかし、これ以上しつこくするのも何だし、何をどう聞いていいかも分からないので、侑仁は溜め息をつくと、プラスティックのレンゲを手に取った。
いつもと同じはずなのに、何だかいつもと違う感じがして、ちょっと嫌だ。
「…ん?」
無言でチャーハンを口に運んでいたら、前方から視線を感じたので、顔を上げてみると、レンゲを銜えた一伽がジッと侑仁のことを見ていた。
「んだよ」
「何か……侑仁、怒ってる?」
「何で? 怒ってないけど」
「だって何か……いつもと感じ違う」
「そりゃおめぇだろ」
いつもと様子が違うのは一伽のほうで、その意味が分からないから、何となく侑仁は楽しい気持ちになれないではいるけれど、別に怒ってはいない。
一伽だって、毎日おもしろいことだらけではなくて、いつもと違って大人しいときだってあろうことは、侑仁にも分かるから(現に友人の雪乃が落ち込んでいるときも、元気がなかったし)。
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暴君王子のおっしゃることには! (128)
「変つーか、いつもと何か違うとは思うけど。またユキちゃんが引きこもったか?」
「んーん、ユキちゃんは元気。ウザいくらいに」
「そこまで言うなよ」
ちょっとだけいつもの調子になった一伽に侑仁が笑えば、一伽も「うへへ」と変な笑い方をした。
「で、何があったんだ?」
「…………、だってさぁ、航平くんがそうしたほうがいい、て言うんだもん」
「航平?」
拗ねた顔でレンゲを放り出した一伽を見ながら、侑仁は、一伽が働く店の店長であり、先日、侑仁と一伽のことを一方的に決め付けていった、友人である航平の顔を思い出した。
一体航平が一伽に何を言ったのか知らないが、まさか、この間のやり取りのことが、その入れ知恵に関係しているとか?
「航平に何言われたんだよ」
「…何か、ちゃんと行儀よくしなさい、みたいな、そういうこと。あんまりこう…ダラ~てしてちゃダメとか。ちゃんとしないと、侑仁に愛想尽かされるぞ、て言うから」
「何やってんだよ、航平…」
お店ではなかなか航平の言うことを聞かないらしい一伽に、航平が懸命に教え込んでいる姿が、目に浮かぶ。
突然そんなことを言われた一伽は、きっと『何で? 何で?』としつこかったに違いない。そして航平が『何でもや!』とキレかかって、強制終了……そんなところだろう。
「つか、そんなの今さらだろ。今まで散々やって来といて……愛想尽かすなら、とっくに尽かしてるっつの」
「俺もそう思ったんだけど…、でもやっぱ、それでもちゃんとしてたほうがいいかな、て思って。侑仁もそのほうがいいでしょ?」
「そのほうが、つーか……お前、それで疲れねぇの?」
確か一伽は、涼しいところで寛ぎたくて侑仁の家に来ていたはずでは?
これからの人生のために礼儀を身に着けるべく、ちゃんとする路線に変更したのなら、それでもいいけれど…。
「疲れ……ん、でも大丈夫! 俺、これからはちゃんとする!」
「え? あ、そう? まぁどっちでもいいけど」
「…………。侑仁、どっちでもいいの?」
コブシを握って気合を知れていた一伽は、侑仁の答えに、拍子抜けしたような顔をした。
「俺んち来るのに、そんな…ちゃんとお行儀よくするぞ! て感じのヤツいないから、おもしろそう気はするけど、あんまりかしこまられると、俺のが落ち着かない」
「じゃあ、今までのがいい?」
「どっちでもいいって、俺んちは」
侑仁は友人を家に呼ぶことが多いし、来てくれた人はみんな、自分の家のように寛いでもらって構わない…という性格の人だから、そこは一伽も同じように、自分の好きなようにすればいいと思う。
がんばってちゃんとしようとしている一伽を見るのも、何だかおもしろそうだから、それはそれでいい気もするが。
「でもお前、俺んちでちゃんとするようになって、その分、他で発散し過ぎんなよ?」
「え、どういうこと?」
「だって、いきなり性格とか変えんのって難しいじゃん? 今まで俺んちでダラァ~てしてたの、ちゃんとするようになったら、ストレス溜まらね? で、それを発散するために、よそでさらに傍若無人ぶりを発揮するようになったら大変なことに…」
「ほ…他でも、ちゃんとするもん…」
「マジかよ」
それが出来そうもないことは、一伽自身が一番よく分かっているのか、全然自信がなさそうな声で、ボソッとそう言った。
「でも! 少なくても、侑仁の前ではちゃんとする!」
「いや、俺の前でちゃんとするなら、誰の前でもちゃんとしろよ」
「え?」
「俺の前だけとか、それじゃお前、リコと同じだろ」
「あ…」
侑仁に言われて、自分の宣言がそういうことなのだと気が付いたのか、一伽はハッとした顔をした後、視線を落とした。
友だちの前と、仕事や社会的な立場とで態度が違うのは誰しもそうだけれど、友だちの中で、人によって態度を変えるのは、やっぱりいいこととは言えない。
少なくとも侑仁は、そういう人間を好きになれない。だからこそ、リコからの告白も断ったのだし。
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暴君王子のおっしゃることには! (129)
「だから、それが出来んのかっつの」
顔を上げた一伽は、再び力強く宣言した。
が、問題は、それが出来るかどうかである。いい心掛けではあるけれど、今までの傍若無人ぶりからして、口で言うほど簡単なことではない気がするのだが。
「じゃあ……誰の前でもちゃんと出来るように、侑仁の前で練習する」
「練習……ぶはっ!」
一生懸命な一伽には悪いと思ったが、一伽のその発想に、侑仁は思わず吹き出してしまった。
まぁそうだよね。何事も、練習て大切だよね。でも…。
「何笑ってんだよっ!」
「バカ、蹴んな。ちゃんとしてるヤツは、そんなことくらいで蹴らねぇんだぞ」
「あわわわわ」
笑いを堪え切れなかった侑仁に、さっそく一伽の蹴りが飛んできたが、侑仁が適当にそんなことを言ったら、一伽は本気にしたのか、慌てて足を引っ込めた。
「お前がちゃんと出来るなんて、夢のまた夢だな」
「出来るつってんだろっ! あっ…イデッ、クソッ!」
そう言いながらパンチを繰り出そうとした一伽は、ヤバイ! と、すぐに手を下げようとしたが、その拍子にテーブルに手をぶつけて、1人で勝手に怒っている。
まったく、忙しいヤツだ。
「あーもう疲れた!」
早々に根を上げた一伽は、バタリとソファに倒れ込んだ。
「お前、ちゃんとするとか……相当練習しないとじゃね?」
「う゛ー…」
笑いながらチャーハンを食べ終えた侑仁を、一伽はソファに寝転んだまま、見つめていた。
一伽 と 航平
その日は朝から、すこぶる一伽の機嫌が悪かった。
触らぬ神に…のつもりなのか、志信はずっと存在感を消しているので、当然一伽の怒りは航平が受け止めるはめになったが、それも仕方のないことだった。
何しろ、一伽の怒りの矛先は、最初から航平に向いているのだから。
「じゃ、お先に失礼しまーす…」
小声で言って志信がそそくさ帰っていくと、モップ掛けをしていた一伽が、航平に視線を向けた。
今日の一伽は、キビキビというほどではないが、そこそこ黙々と動いていたので、後片付けももうすぐ終わる。
いつかのキビキビ・シャキシャキとは言わないが、普段からせめてこのくらいでしてくれたらいいのに(…とは、今の不機嫌丸出しの一伽には言えないが)。
(てか、コイツのどこが俺を恐れてんだ! 侑仁のヤツ、何言ってんだ!)
侑仁の話では、一伽はやけに航平のことを恐れているようだったが、やはりどう考えても、そんなことはない。
現に今も、航平のほうが、なぜかハラハラしているし。
「…航平くん」
「あいっ!?」
一通りモップを掛け終えた一伽が、背を向けたまま、航平を呼んだ。
心の中でだが、いろいろと文句を言っていた航平は、焦って声が裏返ってしまった。
「航平くんのバカ! 全然ダメだったじゃん!」
「え? え? 何が!?」
クルッと振り返った一伽が、鋭い睨みを利かせて来たので、航平はさらに慌てる。
一伽の言葉が足りな過ぎて、何のことだかさっぱり分からない。
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暴君王子のおっしゃることには! (130)
「お、おぅ、言ったけど…」
「したら侑仁、何か、何してんのお前、みたいな感じだったんですけど! しかも、ちゃんとしててもしてなくてもどっちでもいい、とか言われたし! 俺、やり損じゃん!」
一伽は、昨日の侑仁の家での出来事を、航平にぶちまけた。
侑仁の家に行くと言った一伽に、ちゃんとしてないと愛想尽かされるぞ、と言ったのは航平で、侑仁とは一伽よりも長い付き合いの航平がわざわざ言うのだから…と、一伽は真に受けてそのとおりにしたのだが、侑仁には不審がられるばかりだったし、一伽がちゃんとしていたほうがいいのかと思えば、どちらでもいいと言われるし。
「やり損て…、お前なぁ、それでも、ちゃんとしてたほうがいいに決まってんだろ! 損じゃねぇよ、ちゃんとしろ!」
「ちゃんとはするけど! でも何で航平くんがそんなこと言うわけ!? 俺が侑仁にどんなだって、航平くんには関係ないじゃんっ!」
侑仁の前だけでなく、誰の前でもやっぱりちゃんとしなくちゃ…とは、確かに昨日一伽は思ったけれど、そんなこといちいち航平に言われたくはない。
これでも一伽は、仕事中、接客だってちゃんとしているし、後片付けだって……ダラダラはしているかもしれないがが、やっていないわけではないのに。
「もー、航平くんの言うことなんか聞くんじゃなかった!」
プイッと子どもみたいに顔を背けて、一伽は不機嫌丸出しに、モップを片付けに行く。
キレた一伽に、航平も一瞬カッとなったが、ふとあることに気付いて、その怒りも鎮まった。
「なぁ一伽、何でお前、そんなに素直に俺の言うことなんか聞いたんだよ?」
「、」
その背中に尋ねたら、一伽はピタリと足を止めて、ゆっくりと振り返った。
「お前普段、俺が何言ったって全然聞かないのに、何で昨日はそんなに素直になったんだよ。なぁ」
「べっ…別にっ」
大体、文句があるなら、昨日航平が入れ知恵した時点で、言えばよかったのだ。
いつもの一伽なら、そうなのだ。『はぁ?』でも『何言ってんの?』でも『余計なお世話なんだけど』でも、気に食わなかったら、一言言ってくるのが一伽なのに、昨日は、『そっか』と素直に頷いただけだった。
結果が一伽の思っていたようでなかったから、今さら怒ってはいるけれど、侑仁に関して航平に指図されたこと自体は、別に怒るほどではなかったということだ。
つまり一伽は、侑仁について、航平のアドバイスを参考にしたかったわけで。
「お前、侑仁のこと好きなのか?」
「なっ…」
半分は鎌を掛けたつもりだったのだが、航平がそう言うと、一伽はまさに、図星を突かれました、という顔で、真っ赤になって絶句するものだから、これ以上、疑う余地はなかった。
「やっぱりそうなんか、ふぅん」
「なっ…何それっ、つか、そんなの航平くんに関係ないじゃんっ、何ゆってんの!?」
「…………。お前て、嘘つくの、意外と下手くそなんだな」
「ッ…」
勝手に納得した航平に、一伽は慌てて噛み付いたが、それももう効果はなく、あっさりと返された。
一伽はいつでも小さな暴君で、自分の欲求にも感情にも素直に生きているから、それを隠す術を知らない。だから、自分のことについて、咄嗟の嘘が出ないのだ。
そんなことまで航平に指摘され、悔しいけれど、一伽はやはり黙るしかなかった。
「まぁまぁ、そんな顔すんなよ」
「な、にが…」
一伽をいじめるつもりはないので、航平はからかう素振りをやめて、真面目な顔で一伽に近付いた。
「別にお前が侑仁のこと好きなの、とやかく言うつもりはないから」
「じゃあ何のつもり? 何で昨日、あんなこと言ったの? 侑仁の反応分かってて、俺にあんなこと言ったんじゃないの?」
すっかり航平を警戒している一伽は、モップの柄を握り締めて、ジッと航平を見つめた。
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暴君王子のおっしゃることには! (131)
「なら何?」
「そんな深い意味なんかねぇよ。昨日の時点じゃ、お前が侑仁のこと好きなんて知らなかったし。ただ、お前の態度がひどすぎるから、そのうち愛想尽かされんぞ、て思っただけで」
「でも侑仁、そんなの今さらだ、て言った」
「今さらて思われるくらい、侑仁の家に行きまくってんのか、お前は」
一伽の行動なんていちいち把握していないから、一伽がどのくらい侑仁の家に行っているかは知らないけれど、一伽のこの傍若無人ぶりに愛想を尽かすのではなく、そんなことを言い出すのが今さら、というレベルに達しているのなら、相当行っているのだろう。
侑仁は、一伽がしょっちゅう家に来ることを、他の友人たちがよく来るのと同じことのように言っていたが、航平にしたら、それは絶対に違うと思う。
いくら友人たちが自由に寛いだとしても、一伽ほどやりたい放題なことはないはずだ。
「ねぇ航平くん。俺、どうしたらいい?」
「知るか」
「でも航平くんのせいで、わけ分かんなくなっちゃったんだから、どうにかして」
「俺のせい、て何だ!」
航平に自分の気持ちがバレてしまったのなら、と一伽は開き直ったのか、いつもの調子に戻って、そんなことを言い出した。
ちゃんとしないと侑仁に…と言ったのは航平で、一伽はそれを受けて侑仁の前でちゃんとしてみたのだが、侑仁の反応は結局いまいちだったし、誰の前でもちゃんとする、と宣言するはめになったのだ。責任は航平にあると思う。
「俺、関係な…」
「侑仁に、ちゃんとしないと愛想尽かされんぞ、て航平くんに言われた、て言っちゃったんだよね」
「ちょっ、バッ、何言ってんだ!」
「ホントのことじゃん」
形勢逆転。
一伽はニヤリと不敵に笑った。
「お前はぁ…」
「しょうがないじゃん、航平くんが余計なこと言うから」
「余計なことて何だ! 大事なことだろうが! ホント侑仁のヤツ、何でこんなヤツのこと好きなんだよっ」
「えっ!?」
「あっ…」
怒りに任せて航平はついペラッと口を滑らせてしまったが、一伽はもちろん、それを聞き逃していてはくれなかった。
瞬時に聞き返され、航平もすぐさま自分の失言に気が付いたが、時はすでに遅かった。
「航平くん、今何つった!?」
「な…何も言ってな…」
「嘘つけよ、このヤロ~~~」
「おま、店長に向かってっ…」
一伽は両手で航平の胸倉を掴み上げた。
手にしていたモップは当然離れ、床にうるさく転がった。
「ちょお待て! 喋るから、まず放せ! はーなーせー!!」
「航平くん!」
無理やり手を引き剥がされ、一伽は肩で息をしながら航平を睨んだ。
「…別に、侑仁から直接聞いたわけじゃないから」
「じゃあ、」
「見てたら分かる。でも侑仁は認めない」
「……」
一伽は航平の言葉を否定するでも、問い質すでもなく、黙って聞いていた。
同じような話なら、以前に海晴やニナ、エリーともした。みんな、侑仁は一伽のことが好きだって、見てれば分かるって言う。でも、侑仁本人の口からは、聞いたことがない。
「…なら別に、俺のこと好きなわけじゃないんじゃん」
あのときは、侑仁がリコの告白にオッケーしたと思っていたから、一伽のことを好きなわけではないという結論に達したけれど。
侑仁がリコと付き合うのではないと分かった今でも、侑仁がそれを認めていないのなら、結局、侑仁が好きなのは一伽ではないということだ。
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暴君王子のおっしゃることには! (132)
「すまん」
「…別にいいけど。最初から期待してないし」
一伽は自分の気持ちを自覚したものの、別に侑仁とどうこうなろうなんて、端から思っちゃいない。
単に恋に臆病なだけなのかもしれないけれど、周りがどんなに囃し立てたって、自分が侑仁の恋人になれるとは思っていないから、勘違いなんかしない。
…ただ、期待を持たされると、悲しいかな、やっぱり舞い上がってはしまうけれど。
「お前、侑仁と付き合いたいんじゃねぇのかよ?」
「無理じゃん? 侑仁、男が好きなわけじゃないんだし」
「でもお前だって女の子大好きなくせに、侑仁のこと好きになったんだろ?」
「おんなじように、侑仁が、男だけど俺のこと好きになってくれるとか、航平くん思ってんの?」
「ないかー?」
「ないよー」
100%ないとは言わないけれど、そんな都合のいい展開、限りなく0%だ。
だから一伽は、初めからそんな妄想もしないし、無意味な夢も見ない。
「ならお前、これからも侑仁と友だちといる気か?」
「んー…友だちではいる。別に侑仁と疎遠になる理由ないしね」
あれあれ? 好きという自分の気持ちを押し殺して、友だちとしてでいいから側にいたいと思うなんて、どこかの誰かさんみたいだ。
一伽は光宏と違って、ドMじゃないんだけれどな。
「お前がそれでいいなら、別にいいけど」
「いいよー。俺、女の子大好きだもん。かわいい女の子と、いっぱい遊ぶ」
「いや、いっぱいでなくていいだろ。遊ぶんじゃなくて、彼女作れよ」
女の子のこととなると、一伽は途端に軽い、チャラい感じになって、それはいつものことなんだけれど、こんな話の後だと、それも何となく痛々しい感じに見える。
無理してる感、満載…。
「つかさ、航平くんこそ、彼女いないの?」
「はぁ?」
「俺の心配するより、自分の心配したら~?」
「なっ…、おま、ホントぶっ飛ばすぞっ、ゴルァ!!」
「ひゃははは」
老婆心とは思いつつ、一伽の心配をしてやったというのに、最後の最後に、恩を仇で返すような一言…。
一伽は航平の鉄拳から逃げるべく、モップを拾って、サッと逃げて行った。
「ホントにアイツは~…」
一伽の背中を追い掛けられなかった航平は、深い溜め息をついた。
一伽
航平には、『かわいい女の子と、いっぱい遊ぶ』と言った一伽だったけれど、店を出た後、吸血のために連絡を取った女の子とは結局、気持ちいいようなことは特にせず、吸血だけして帰宅した。
何となくそんな気になれなかっただけで、多分、侑仁のことを気にしたわけではない。
「ただいまー……て暗いし! ユキちゃん、また電気消して窓開けてんの? もぉー」
玄関のドアを開けたら、室内の電気が全然点いていなくて、一伽は、また雪乃が虫が入って来るのを気にして電気を消しているのだと思い、ブツブツ言いながら中に入った。
しかし、一伽の言葉に、何の返事もない。
もう寝るような時間だっけ? と、時間を確認しようと携帯電話を取り出した一伽は、メールの受信マークを見つけた。
「ユキちゃん…」
送信者は雪乃で、今日は光宏のところに泊まるから帰らない、との内容だった。
律儀な雪乃は、一伽と違って、ちゃんとメールを寄越すのだ。
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暴君王子のおっしゃることには! (133)
生意気ー、とか言いながら、一伽はシャワーを浴びに向かった。
気ままな一伽は、帰りが遅くなることも、そのままお泊りしちゃって、一晩帰って来ないこともしょっちゅうあるが、雪乃が外泊なんて、もしかしたら初めてかもしれない。
「ユキちゃんも大人になったということか」
…その相手が光宏というのが、何となくムカつくが。
カラスの行水を終えた一伽は、真っ直ぐ冷蔵庫に向かい、缶ビールに手を伸ばしたが、『たまには飲まない日がないとダメ』と言った雪乃の言葉を思い出し、隣にあった麦茶に変更した。
何素直に言うこと聞いてんだろ…と思いつつ、一伽は、グラスになみなみ注いだ麦茶を一気に飲み干す。
「うー」
流しの中に適当にグラスを置いて、一伽はふとんにダイブした。
まだ髪はビショビショだが、いつもと違い何か言う人もいないので、気にしない。
「んーうーんー」
枕が濡れるのも構わず、一伽は足をパタパタさせながら、ふとんの上を右に左に転がった。
…こんなことしていたら、いつもだったら雪乃が黙ってはいないのに。
もともと一伽のほうが仕事の終わる時間が遅いし、一伽はその後に吸血したり、時にはそのまま遊びに行ったりするから、一伽が帰宅して雪乃がいない、ということがなかった。
なのに今は、一伽1人。
(ユキちゃん、光宏んちにお泊りかぁ…)
当たり前だが2人は恋人同士で、もしかしたらこれからは、こういうことが増えるのかもしれない。
別にいいんだけれど、そう思ったら何となく寂しくなって、一伽は鼻先を枕に擦り付けた。
今ごろ雪乃は、光宏とよろしくやっているんだろうか、なんて下世話なことを思いつつ、一伽は寝返りを打つ。
それにしても2人は日中、cafe OKAERIでずっと一緒にいるのに、仕事が終わった後も一緒とか、何だかすごいと思う。恋人同士というのは、そういうものなのだろうか。
一伽は、女の子との経験はすごく多いけれど、『ちゃんと恋人としてお付き合いをした』ことは、実は少ないから、その辺のところが、ちょっとピンと来ない。
(そういえば、ユキちゃんがcafe OKAERIで働き出してから、行っていない…)
いつか冷やかしに行ってやろうと思っていたのに。
避けていたわけではないが、あれ以来、何となくcafe OKAERIには足を運んでいなかった。
(てか、侑仁に一緒に行こうとか言ったんだっけ)
引きこもっていた雪乃が立ち直り、cafe OKAERIで働き始めたことを侑仁に報告したときに、今度一緒に行こうという話をした。あれって今も有効なんだろうか。
…いや、有効も何も、友だちなんだから、一緒にご飯くらい別にいいのか。
でも、侑仁と一緒に行くなんて、何だかちょっと恥ずかしい。光宏や雪乃に……光宏は侑仁の存在を知らないからいいけれど、雪乃に何て思われるか…。
(いやいやいや、それは自意識過剰でしょ)
普通に、友だち同士でランチに来ているとしか思われないに決まっている。
でも、男同士でランチとか! あんなおしゃれカフェに男2人で行くて……まぁ絶対ないとは言わないけど、あんまり見掛けない光景かも…。それが恥ずかしい。
うん、恥ずかしいのは、それだ。
相手が侑仁で、雪乃たちにどう思われるかが恥ずかしいんじゃなくて、男2人でカフェ、というシチュエーションが恥ずかしいのだ。別に俺は自意識過剰じゃない。
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暴君王子のおっしゃることには! (134)
宵っ張りの一伽にしたら、寝るにはまだ早い時間だったけれど、それでも、いつもは目を閉じたら3秒の早業で眠りに就けるのに、今日は全然眠くならない。
熱帯夜……寝苦しくて眠れないのかな、と思ったが、窓を開けたカーテンが扇風機の風でなく揺れていて、外の風が入ってきているのだと気が付いた。涼しい風。
残暑とはいえ、時期的にはもう、日中暑くても、夜になれば涼しくなる季節だ。なのに眠れない。
「ぅむー…」
やっぱり麦茶じゃなくて、ビールにすればよかったかな…と、ビールだらけの冷蔵庫を思い出す。人間のように、毎日の食事のために冷蔵庫を使うわけではないから、どうしても中身は飲み物だとか、嗜好品になってしまうのだ。
一伽は大抵アルコールしか入れないけれど、雪乃は麦茶を作ったり、今年の夏は、熱中症対策! とか言って、経口補水液を作ったりもした(吸血鬼も熱中症になるんだろうか)。
でももう、夜はこんなに涼しくなって、もうすぐ昼間の暑さも和らぐ季節になる。
ようやくこの、灼熱地獄の部屋ともおさらば出来る。
「あ、」
しかしそこで一伽は、ふと気が付いた。
涼しくなってきて、この部屋で普通に過ごせるようになったら…――――『涼しいところでゆっくり寛ぎたいから』という、侑仁の家に行くための口実が使えなくなってしまう。
もともとは口実も何も、本気でそう思って侑仁の家に行っていたんだけれど、今となっては、その理由を自分に言い聞かせている状態だ。
侑仁は、友だちが家に来るのに理由なんて…と思っているだろうけど、自分の気持ちを知ってしまった一伽にしたら、やっぱり何か理由がないと落ち着かないから。
「どうしよう…」
これから、どうやって侑仁の家に行こう…。
今までみたく普通に、侑仁の家に行きたい、とメールすればいいんだろうけど、もし『もう涼しいのに、まだ来んの?』みたいな返事が来たら…と思うと、躊躇の気持ちが生まれる。
でも侑仁は、一伽のこと友だちて思ってくれているから、そんなことは言わないと思うけど、でもやっぱり不安。
「んぁ~あーあーどうしよぉー」
ゴロンゴロンとふとんの上を転がる。
どうしようも何も、別に今までと同じでいいんだけれど……でもやっぱり。
そういえば、誰の前でもちゃんと出来るように、侑仁の家で練習する、なんて言ったんだっけ。それを新たな口実にして、侑仁の家に行けばいいのか…。
今思い返すと、随分アホなことを言ったものだ。
しかし侑仁はそのこと、笑いはしたけれど、呆れた様子もなかったし、そんなことで来るなとも言わなかった。
ならそれを、一伽の心の中の、新たな口実にしよう。それなら、侑仁の家に行ける。
(でも…)
こんなに侑仁のことを意識しているのに、侑仁の家に行って、平気なんだろうか。
一伽は光宏ほど大人でもないし、器用でもないし、……ドMでもない。
雪乃が『山下さんカッコいい!』と騒いでいたころ、光宏は自分の気持ちを抑えて、友人として雪乃を受け入れていたけれど、一伽にも同じ真似が出来るだろうか。
今は侑仁に、LOVEで好きな人はいないようだけれど、いつそんな人が現れるか分からないし、そうなったら一伽は…。
(そうなったら…)
でも、そうなったとしても、友だちなら、一伽がちゃんと侑仁のことを友だちだと思えているなら、大丈夫。
それなら、ずっと侑仁の側にいられる。
ずっと。
…その晩、なかなか眠れずにいた一伽が落ちたのは、もう外が明るくなり始めるころだった。
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暴君王子のおっしゃることには! (135)
いつもの時間に携帯電話のアラームが鳴って、一伽は目を覚ましたのだけれど、頭が痛くて焦った。
昨日の夜は、飲み過ぎてなんかいない。それどころか、アルコール何か1滴も飲まずに、麦茶で済ませたのに。
「か…風邪!?」
窓を開けっ放しで寝てしまったせいだろうか。
明け方、かなり涼しかったし…。
でも、一伽はそんなことくらいで風邪を引くほど柔ではないし、窓を開けて寝たわりに喉とかも痛くないし……これは風邪というよりも、寝不足か?
昨日、ふとんに入ったのは早かったけれど、なかなか寝付けなかったのは事実だし。
でも、夜遊びで睡眠時間があまり取れなかったときも、こんなにはならなかったから、やっぱりちょっと風邪気味ではあるのかな。
「うー…ダリィ…」
けれど、この間も体調不良で仕事を休んでしまったばかりだし(いや、飲み過ぎだけど…)、今日は絶対に休むわけにはいかない! と、一伽はモソモソとふとんから出た。
勤労意欲はそんなになくても、負けん気なら人一倍なのだ。
「げ、寝癖!」
食事は1日1回の吸血でいいから、朝食の時間を含めず、身支度を整える時間だけを考慮して毎日起きているので、いつもどおりに支度をすれば間に合うはずなのだが、鏡を覗いたら、すごい寝癖でビックリした。
そういえば昨日、髪の毛が濡れたままふとんに入り、結局そのまま寝てしまったのだ。
「もぉ~最悪!」
自分が悪いことは百も承知なのだが、文句を言わずにはいられない。いつもなら、関係ないのに雪乃がとばっちりを受けて、その文句を聞くはめになるのだが、今日はいない…。
そんな寂しさに気付かない振りで、一伽は髪の毛を濡らして、何とかセットしようとする。
職業柄、見た目は非常に重要なのだ。
「ギャッ、クマも出来てるっ!」
女の子ではないので、顔のクマやらシミやらをいちいち気にすることはないのだが、今日のこれは、寝不足感、丸出し過ぎる…。
ヒドイ顔過ぎるとは思うけれど、それこそ女の子ではない一伽は、そういうものをメイクでカバーする術がないから、このままで出勤するしかない。
「ホンット、最悪っ!」
寝癖も直らないし、頭は痛いままだしで、結局一伽は、志信の家に行った翌日よりも最悪な気分で仕事に向かうはめになった。
*****
「ねぇ一伽くん、大丈夫?」
志信の家で一伽やが暴挙を働いて以来、触らぬ神に…状態で、出来る限り一伽と距離を置いていたのだが(それは別に志信が一伽のことを嫌になったわけではなく、近寄ると一伽が怒り出しそうだったから。あれで嫌いになるなら、もっと昔に嫌になっていた)、さすがに今日の一伽の様子に心配になり、志信は自分から声を掛けた。
「…何が?」
仕事中に私語は慎むべきだけれど、ちょうどレジを終えた客が店を出て行ったところで、店内に誰もいなくなったので、一伽は志信を振り返って返事をした。
ちゃんとお客の有無を確認できるなんて、何か大人だなぁ、なんて見当違いなことを思いながら。
「俺、もうすぐお昼の休憩だけど……交代する?」
「は? 何が?」
「先に休んだら?」
「え、何で?」
基本、3人で店を回している店内は、時間をずらして休憩を取っているのだが、時計を見ると、もうすぐ志信が休憩に入る時間だった。
しかし、突然交代しようと申し出られた一伽は、わけが分からずに首を傾げた。
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暴君王子のおっしゃることには! (136)
「顔? クマのこと?」
「それもだけど……顔色も悪い」
そう言われて一伽は、何となく頬に手をやった。
朝、鏡を見たときは、寝癖とクマくらいしか気にならなかったけれど……志信がわざわざ言ってくるくらいだから、相当悪いんだろうか。
「大丈夫だよ、寝不足なだけだし」
別に無理をしているわけでも、反発しているわけでもなく、本当に大丈夫だと思ったからそう答えたのに、志信は素直に納得してはくれず、首を振った。
「じゃあ寝なよ。1時間でも、寝ればスッキリするよ?」
「…」
普段から、食事である吸血は仕事の後にしているので、昼食を昼の休憩に充てなくてもいいから、それをすべて睡眠時間にすれば、結構寝られると思う。
志信の言い分は尤もだったが、どうして志信が急にそんなことを言い出すのか分からなくて、一伽は何も言葉を返せなかった。
「いや…、そんくらい具合悪そうなんだけど、今の一伽くん」
「マジで? そんなに?」
もしかして、さっきレジをしたお客にも、疲れてんなぁ、この人…とか思われたんだろうか。
だとしたら、ちょっと恥ずかしい。
「そうだ、お前、先に休憩しろ」
志信と一伽のやり取りに入って来たのは、店長の航平だった。
航平も、今日の一伽の調子の悪さを、ずっと気に掛けていたのだ。
「どうせ志信が休憩から戻ってきたら、お前が休憩に入んだから、ちょっと交代しろ。何かあってからじゃ遅ぇんだからな」
「…ん、分かった」
航平にそこまで言われて、一伽はコクンと頷き、スタッフルームに下がった。
スタッフルームには資料やパソコン、在庫なども置いてあるが、ちょっとした休憩も出来るようになっているのだ。
「一伽くん、どうしちゃったのかな」
「寝不足、なんだろ?」
「それは分かってますけど。いつもだったら、先に休憩に入っていい、なんて言われたら、飛び跳ねて喜ぶのに、今日は、大丈夫だから、て遠慮されたんですけど」
「…」
航平には何となくその原因が分かったけれど、志信に言っても仕方がないし、一伽に何かしてやれることもないし、とりあえずこれ以上体調不良になる前に、休ませてやることしか出来なかった。
「…やっぱり、あの人が原因ですか?」
「えっ、何が!?」
志信の言葉に、航平はビクンと肩を跳ね上げた。
一伽に負けず劣らず、航平も嘘のつけない人だ。
「お前、何か知ってんのか…?」
「なーんも。俺、侑仁さんに会ったこともないし」
「…やっぱり知ってんじゃねぇか」
志信はどうも策士の風情があるから、油断できないと航平は思う。
一伽はきっと志信のことを、ただ単に空気の読めない男だとしか思っていないだろうが、航平が思うに、志信は計算尽くだ。今のところ自分への害がないからいいけれど、絶対に敵に回したくはない。
「志信、時間見計らって、適当に交代しろよ?」
「はーい」
悔しいけれど、志信には口で勝てそうもないので、余計なことを言って墓穴を掘る前に、さっさと話を切り上げた。
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暴君王子のおっしゃることには! (137)
せっかくちゃんと仕事に来たのに、志信なんかに心配されているようじゃ、おしまいだ。
(つか志信も…)
前に志信に家に行ったとき、志信に散々言われて、一伽は本当に嫌な思いをしたんだけれど、今になって思い返してみると、一伽も結構ヒドイことをして来た。
…ビールの缶、投げ付けてきちゃったし。
それなのに志信は、寝不足で体調がいまいちな一伽のことを心配してくれる。
普通はそんなこと、出来ないんじゃないかなぁ、と思うのに。
(…だとしたら、志信も俺のこと好き、てことになんじゃん)
あのときの志信の話では、一伽にあんなにヒドイ目に遭わされたのに(一伽はそんなつもりはないけれど)、それでも嫌がりもせずに一伽の面倒を見てくれるから、侑仁は一伽のことが好きだというのだ。
でもその説からしたら、今の志信だって、それに当てはまらないでもない。
しかし、そんなことは、絶対にないわけで。
だとしたらつまり、侑仁が一伽のことを好きだ、というのも、絶対にないわけだ。
(だよなぁ…。航平くんの話じゃ、侑仁は俺のこと、他の友だちと同じに思ってるみたいだったし…)
本人がそう言うのだから、間違いない。
周りがどんなに盛り上げたところで、本人が否定しているのだから、どうしようもない。
「うー…」
せっかく志信が交代してくれたのだ。
ちゃんと寝て、休まないと。
…でも、目を閉じると、侑仁の顔が浮かんできてしまう。
(もうヤダよ…)
*****
志信のおかげでゆっくり休めたので、その日の残りの仕事は、元気を回復してこなすことが出来た。
寝不足+風邪気味てだけで、こんなに具合が悪くなるなんて……もう年? いやいや、まだ24だし。
「お疲れ様でしたー」
「おぅ。今日はちゃんと寝とけよ?」
「はーい」
無理はせず、でもダラダラはしないで後片付けを終えると、一伽は航平に挨拶をして店を出た(いつものごとく、志信はさっさといなくなった。一伽のことは心配していたけれど)。
店の外は、以前ほどムッとする熱を持った空気ではなくて、改めて、季節が変わったのだと思い知る。
侑仁と出会ってから、季節が1つ変わろうとしているのだ。
侑仁に会いたいな…と思ったけれど、遊びに行った分、寝るのが遅くなって、また今日みたいなことになるわけにもいかないから、やっぱり今日はまっすぐ帰ることにする。
携帯電話を開いても、雪乃からはメールが来ていないから、今日は家にいるだろう。
「――――ねぇ、ちょっと」
「ぅ? え、リコちゃ…!?」
呼び止められて、振り返ったらそこにいたのがリコだったので、一伽は心底驚いた。
リコとは、クラブでのあの一件以来、会うのは久しぶりだ。
けれど一伽は、瞬時に気が付いた。リコの瞳が、あのときと同じだ。
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暴君王子のおっしゃることには! (138)
「え?」
「どうしてアンタなの? 何で?」
「な…何が?」
一伽は聞き返したけれど、リコが言いたいのが侑仁のことだというのは、何となく分かっていた。
侑仁は、リコの告白を断ったというか、リコにそれを保留させられたのだという。あれからどのくらい経っただろうか、もしかしたらリコは今日、侑仁に2度目の返事を聞きに行ったのかもしれない。
「どうして…! あたしだって、こんなに侑仁のこと好きなのにっ…」
リコの言葉が、一伽の胸に刺さる。
知っている。リコがどんなに侑仁のことを好きか。
最初は、ただ何となく、がんばっているリコのことを、冷やかすような気持ちで見ていただけだったけれど、自分も侑仁のことが好きだと分かった今は、リコの気持ちがよく分かる。
「何でっ…? 何でアンタなの…?」
「違う…、違うよ、リコちゃん…」
一伽だって、侑仁に選ばれたわけじゃない。
侑仁を好きな気持ちは同じだし、侑仁に好きになってもらえない状況も同じ。みんなリコと同じだ。
「でも侑仁はっ…!」
涙を浮かべたリコが、一伽の胸倉を掴んだから、何も身構えていなかった一伽は、そのままガクッとなったが、何とか持ち堪えた。
通り過ぎていく人たちが、2人に不躾な視線を送る。別れ話の縺れか、三角関係か……ドラマのような修羅場に興味はあれど、巻き込まれたくはない、といったところか。
「おいお前、何してんだっ!」
いくら一伽が普段より体調が悪くても、男だし、吸血鬼だから、人間の女の子であるリコに力で負けるわけがないので、ちょっとくらいこういう態度に出られても、怖くはない。
それに、いくら相手が先に手を出して来たとしても、女の子に対して同じように返せるわけもないから、ここはリコが落ち着くまで待とう…と思っていたら、それより先に、別の声が2人の間に割って入った。
航平だ。
「航平…」
リコがハッとしたように、一伽から手を離した。
一伽は一瞬、どうして航平がここにいるのか分からなかったが、一伽が店を出た後、戸締りなどをしてから出てくれば、ちょうど今くらいになるのだと気が付いた。
「リコ、お前、」
「航平くん、そんな怒んないで」
航平が、静かながら怒りに火を点けているのが分かった一伽は、航平がリコに詰め寄る前に、そう言って止めた。
航平も、侑仁とリコの間に起ったことは知っている。一伽がその事実を知っているということも。
それを踏まえたうえで、今ここにリコがいて、一伽に問い詰めている姿を見たら、想像できることは1つしかなかった。
しかし一伽は航平に助けを求めるわけでもなく、リコを責めるのでもなく、ただ静かに声を掛けた。
「何でもないから、大丈夫だから、航平くん、お願い、そんなに怒んないで?」
「別に…怒ってるわけじゃないけど…」
本当は、怒っていないと言ったら、嘘になるけれど。
でも一伽本人にそう言われたら、航平は黙るしかない。
「航平くん、ゴメンなさい、店の前で」
「あ…いや、それはいいけど…」
一伽にそんなに素直に謝られると、調子が狂う。
航平は、一伽とリコを交互に見た。リコは突然現れた航平に驚いて、怒気を失ってからは、ただ困ったような、泣きそうな顔で立ち竦んでいるだけだった。
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暴君王子のおっしゃることには! (139)
「え!?」
もう1度謝った一伽は、戸惑うリコの手を引いて歩き出した。
伝わるかどうかわからなかったけれど、航平には、『大丈夫』と目で合図をした。
「ちょっ…何?」
別に一伽は、リコをどこかに連れ込んで、どうこうしようなどという気はなかった。
ただ、話をするのに、店の前では航平もいるし、人も多すぎるから、1つ先の路地を曲がって、誰もいないことを確認して足を止めた。
「何よ、何なの?」
「だって…、あそこじゃ話出来ないじゃん」
「話なんて…」
リコはキッと一伽を睨んだけれど、睨もうとしたけれど、それはうまくはいかなかった。ただ、涙が零れないように、堪えているだけの表情だった。
けれど一伽は、それに気付かない振りをしてやった。
「侑仁は…、侑仁はリコちゃんの告白、断ったかもだけど、俺のことも、他の友だちとおんなじふうにしか思ってないみたいだから」
「は!? えっ…」
思いがけず一伽がそう打ち明けたものだから、リコはポカンと口を開けたまま固まった。
先ほど、店の前で一伽に声を掛けたときほどのテンションはなかったが、一伽に何か言われたら、怯まず返すつもりだったのに。
「…直接侑仁から言われたわけじゃないけど、航平くんには、そんな感じのこと言ったみたい」
「侑仁が? 嘘でしょ?」
「ホント」
「…じゃあ、アタシがフラれんのも、しょうがないね」
リコは、溜め息混じりに肩を竦めた。
それから2人して、何となく、植込みのコンクリートのところに腰を下ろした。
お互い、別にすごく話したいことがあるというわけでもないし、一緒にいるのが楽しいという雰囲気でもないのに、このまま話さずに別れる気にはならなかったから。
「しょうがない、て?」
「だって、そりゃそうでしょ? 侑仁、アンタの……あ、ゴメン、名前何だっけ?」
「一伽」
「…侑仁、一伽くんのこと、超好きそうにしてるじゃない? なのに友だちとしか思ってないんだとしたら、アタシなんて全然ダメじゃん?」
リコは、大きく息を吐き出した。
一伽はチラリと様子を窺う。
「リコちゃん、いつから侑仁のこと好きなの?」
「…忘れた。ずっと前。会ってすぐかも」
「一目惚れ?」
「かもね」
なぜかリコは、一伽の質問に嫌がりもせずに答えてくれる。
その姿は、今まで一伽が感じていたリコの印象とは、随分と掛け離れているような気がした。
「一伽くんは? いつから? 好きなんでしょ? 侑仁のこと」
「…言ったらリコちゃんが怒るから、言いたくない」
「今さら怒んない」
「ホントに?」
「ホント」
「絶対ね?」
「分かったってば」
念入りに、しつこく確認してくる一伽に、リコは別に怒るでもなく、逆に吹き出した。
一伽の中でリコは、当たり前かもしれないが、相当怒りっぽいキャラが出来上がっているようで、それがおかしかったのだ。
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暴君王子のおっしゃることには! (140)
「そんなに最近? マジで?」
「つか…、リコちゃん、侑仁に告ったの、ニナちゃんたちにメールしたでしょ? それ聞いて…」
リコが侑仁に告白したことを知って、それによって一伽はようやく自分の気持ちに気が付いたのだ。
さすがにそれを本人に言ったら、怒りそうだ…。
「ニナから聞いたの? アタシが侑仁に告ったって。そういえば一伽くん、アタシがフラれたのも知ってたよね?」
「…ニナちゃんから、リコちゃんが侑仁に告ったの聞いて、でもわざわざそんなメール寄越すくらいだから、きっと侑仁、オッケーしたんだなぁ、て話してたの」
「そしたら、フラれてました、て?」
「その後、侑仁に会うことあって…、断った、て聞いた」
「侑仁から聞いたんだ? じゃあ、もう少し考えて、て言ったのも聞いたの?」
「実は…」
意外にもリコは、一伽の話を聞いても怒り出さなかった。
笑顔を見せていたけれど、その横顔は少し寂しそうだった。
「…侑仁に、もっかい返事聞いたの?」
「今日ね。ダメだったけど」
「ダメ…だったんだ」
「じゃなきゃ、一伽くんトコ来ない」
でしょ? とリコに顔を覗き込まれ、一伽は返事に困ったが、小さく頷いた。
「つか、一伽くんでダメなら、アタシなんかダメに決まってるけど」
「そんなこと…」
「だってアタシ、性格悪いし、好きになってもらえる要素ないじゃん?」
「…………」
一伽は、リコに突っ掛かられてばかりだったから、リコに対して決していい印象は持っていないけれど、まさかリコが自分でそれに気付いているとは思っていなかったから、ちょっとビックリした。
「性格キツイし、すぐ感情的になるし、独占欲も結構あるし、…こんなんじゃダメでしょ」
「ダメかどうかは分かんないけど…、でもリコちゃん、侑仁の前ではいい子だったよね」
「ふっ…、一伽くん、すごいハッキリ言うんだね」
ここまでの会話で、ある程度ズバッと言ってもリコが怒らなかったので、平気かな、と思って言ってみたら、やっぱり平気だった。
もう開き直っているのかもしれない。
「そりゃ好きになってほしいもん、いい子ぶるっしょ」
「まぁそうだけど…。でも、そんなのバレるじゃん?」
「分かってる。男だって、そんなにバカじゃないもんね。でも何か、必死になり過ぎちゃった」
…そっか、分かってたのか。
一伽は、ただ単にリコのことを、裏表があって、あざとい性格なのだとばかり思っていたけれど、きっと本当は周りが思っているほど、自分で言うほど、リコはヒドイ性格の持ち主ではないのだろう。
…ただ、素直になれなかったり、周りが見えなくなってしまったりすることが多いだけで。
「でも…、それでもリコちゃんのほうが、望みがあるよ」
「何で」
「だってリコちゃんは女の子で、俺は男だ」
それは決定的なことだと思う。
侑仁が男も女も同じように好きなら、一伽にだって多少の望みはあるけれど、そうではないから、一伽のほうが絶望的だ。
前に航平にも言ったけれど、女の子大好きな一伽が、なぜか侑仁だけは男だけれど好きになってしまったのと同じように、侑仁も一伽のことを好きになるなんて……やっぱりない。
「そっか…。侑仁が男好きだとか、聞かないもんね」
「でしょ? 性格とかなら直しようがあるけど、性別は……まぁ変えられないことはないけど、俺、そこまでする気ないし」
侑仁だって、別にそういうことは望んでいないだろう。
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暴君王子のおっしゃることには! (141)
「恋人的な? そこはもう無理、て思ってる。まぁ友だちとしてなら、何とかがんばれないかな、とは思ってるけど…」
「それ、ツラくない? 友だちとか」
「分かんない。今までそんなの経験したことないし。ツラかったらやめる。俺、そういうの我慢できないと思うし。…リコちゃんは?」
「もう2回フラれてんだよ? さすがに3回もフラれたくない」
リコは、一伽とは反対のほうを向いて、ウン…と伸びをした。
…もしかしたら、泣くのを堪えているのかもしれない。たとえどんな性格だろうと、好きな人にフラれた直後だ。泣きたくなるのは当然だし。
「でも…、リコちゃんは、すごい」
「何がよ」
「俺は、1回も告れないまま終わったのに」
「…バカ。それはアタシがすごいんじゃなくて、バカなだけでしょうが」
一伽のほうを向き直ったリコは、笑っていた。
…でも、少しだけ目元が濡れている。
「ねぇ、ホントに侑仁に告んないの? 一伽くん」
「何でそんなに聞くの? 俺、告ったほうがいい?」
「んー…まぁそうだとしても、悔しいから応援はしないけど」
「性格悪いっ!」
「そうよ」
「ぶはは」
性格が悪いことをあっさりと肯定したリコに、一伽が思わず吹き出せば、リコも無邪気に笑った。
きっと、いつもこんなだったら、性格のこと、そんなに言われないだろうにな。
…と。
――――グ~キュルルル~。
「………………」
「………………」
「…一応聞くけど、今の、一伽くんのお腹の音?」
「…です」
そういえば、ついリコと話し込んでしまっていたけれど、一伽は今日、まだ吸血をしていないのだ。腹だって減って当然である。
女子中高生ではないので、別にそこまでではないけれど、でもやっぱり、女の子の前でお腹鳴っちゃって、恥ずかしい。
「ゴメ…お腹空いちゃ…」
「まだ吸血してないの? 吸う? アタシの血でよければ」
「はぇ!? うわっイテッ」
これから誰かをナンパ……いや誰かに声を掛けて一から説明して吸血するより、知り合いに連絡したほうがよさそうだから今日のところはここで切り上げて…と思ったのに、突然のリコの言葉に驚いた一伽は、バランスを崩して後ろの植込みのほうに引っ繰り返った。
「ちょっ…一伽くん大丈夫!?」
「あぅ…。ビックリしたー…」
「いや、それ、こっちのセリフね」
いきなりのことにリコも驚いたが、とにかく一伽に手を貸して起き上がらせてやった。
「リコちゃん、何で…」
「何が?」
「や…、血…とか、」
「だって吸血鬼なんだから、お腹空いた、てなれば、血でしょ」
リコのその主張は間違いない。吸血鬼が空腹を満たすには、吸血しかないのだ。
しかし、どうしてリコがそんなことを……いや、一伽が吸血鬼であることを知っているのだ。一伽は、自分が吸血鬼であることを隠してはいないから、リコが知っていたっていいんだけれど、話した覚えはないのに。
「あの、リコちゃん、何で俺が吸血鬼、て…?」
「え? だって見れば分かるでしょ、吸血鬼同士」
「…………、…え?」
「ぅん?」
吸血鬼同士?
同士、ということは、一伽だけでなく、リコも吸血鬼ということになるわけで…。
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暴君王子のおっしゃることには! (142)
「そうだけど?」
「えぇ~~~~~~!!!???」
最近、吸血鬼だと打ち明けても信じてもらえないケースが多かった中、言う前から吸血鬼だと気付かれたのにもビックリしたけれど、その後のリコの告白は、さらに一伽を驚かせた。
え、リコが吸血鬼?
「ヤダ、嘘。一伽くん気付いてなかったの?」
一伽があんまりにも驚くものだから、リコのほうも、ちょっと面食らったような顔をした。
どうして一伽がそこまでビックリするのか、分からないようだ。
「気付く、てか……そんなの気付くとか気付かないとか…」
「え、だって、相手が吸血鬼かどうか、分かるでしょ、普通」
「いや、一応分かるんだけど…」
ちょっと意識を集中させれば、相手が同属かどうかが分かるくらいの能力は、吸血鬼なら誰にも備わっている能力だ。
だから一伽も、相手が男の場合は、そういうのすぐに分かるんだけれど、女の子だとつい、かわいいなぁ~、とかそういうほうに意識が行って、全然集中していないから、殆ど気付けないのである。
「嘘…、本気で分かってなかったんだ? アタシが吸血鬼て」
「うん…」
唖然としているリコに尋ねられ、一伽も呆気にとられたまま頷いた。
「…呆れてる?」
「ちょっと」
いや、その顔はちょっとどころじゃないでしょ、と言いたくなるくらい、リコは呆れた顔で一伽を見ていた。
そんな顔しなくても…。
「…とりあえず、吸血する? アタシの血でよければ」
「あ、うん。でもリコちゃんは?」
「アタシはもう吸って来たから、平気」
リコは肩より少し長い黒髪を掻き上げて、項を露わにした。
セクシーな首筋。
普通の男だったら……いや、普段の一伽だって、こんな魅力的なものを目の当たりにしたら、エロティックな方向に気分は盛り上がるんだろうけど、今はとにかく吸血が先。ご飯ご飯。
「いただきまーす」
律儀にそう挨拶したら、少しだけリコの笑う気配がした。
そういえば、海晴やニナは、一伽が吸血鬼だと打ち明けたとき、吸血鬼に会うのは初めてだと言っていたから、リコは彼らに自分のことを話していないのだろうか。
一伽にしたら、別に隠すほどのことではないと思っているけれど、リコはそうではないのかも。
「ごちそうさまでした」
いくらリコが吸血鬼とはいえ、やっぱり女の子だから、吸い過ぎないように気を付けて、一伽は吸血を終えた。
「ねぇねぇリコちゃんてさぁ、友だちに自分が吸血鬼てこと、言ってないの?」
「友だち、て誰よ。ニナたちのこと?」
「とか……いろいろ」
先ほどふと思った疑問をぶつけてみたら、逆に聞き返されて、一伽は言葉を詰まらせながらもそう答えた。
一伽が知っているリコの友だちといえば、ニナやエリーくらいだけれど、いくらリコだって、他に友だちくらいいるだろうから。
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暴君王子のおっしゃることには! (143)
別に追及したかったわけでもなく、ただ何となく聞いただけだったのだが、リコからさらに聞き返されて、一伽は首を傾げながらリコを見た。
まさかリコは、誰にも自分が吸血鬼であることを言っていないのだろうか。
「…怒った?」
「怒んないけど。そんなの聞かれたことなかったから、何でかと思って」
「こないだニナちゃんたちに吸血鬼だって言ったら、初めて会った、て言ってたから。リコちゃん吸血鬼なら、初めてじゃないじゃん? だからリコちゃん、言ってないのかなぁ、て思って」
「言ってないよ。つかむしろ、一伽くん、ニナたちに自分が吸血鬼だって言ったんだ?」
「言った」
普段、吸血鬼であることを誰彼なく言い回っているわけではないが、聞かれたら『そうだ』と答えるし、この間のときは、まぁ打ち明けざるを得なかったから。
「ニナ、何て言った? それ聞いて」
「えーっと…、『すご~い! アタシ、吸血鬼に会うの初めて!』…みたいな?」
「ふはっ」
一伽がニナの真似をして言ったら、リコが思い切り吹き出した。
そんなに笑わせるつもりじゃなかったんだけど。
「リコちゃんは、何で言わないの? 自分が吸血鬼だって」
「ニナに?」
「ニナちゃんとか、エリーちゃん」
「2人ともそんなに興味ないでしょ、アタシになんか」
「そうかな?」
「うん」
リコは、自分が吸血鬼だから、ニナやエリーたちとちょっと距離を置こうとしているのかな、と一伽は思ったのだけれど、どうやらそうでもないらしい。
もしかしたらリコは、人間の友だちに対してみんなそう思っているから、言わないでいるんだろうか。
そんなに興味を持たれていない、と自分で思ってしまうなんて、何か少し……寂しい。
「ま、今回のでニナにもエリーにも相当嫌われちゃったから、もう一生言うことないよね」
「…ふぅん」
嫌われちゃったの、謝っても許してもらえないのかな。
女の子は怖い…て、一伽も最近学習しているから、やっぱり難しいのかもしれない、と思った。
「…一伽くん、ありがとね」
「へ? 何が?」
一伽がほわほわとしていたら、隣のリコがスクッと立ち上がった。
突然の謝辞に、キョトンとリコを見上げる。
「散々ヒドイこと言ったのに、優しくしてくれて」
「俺、女の子にはみんな優しいんだよ。そんな…お礼言われるようなことじゃない」
「でも、そういうこと言う男も、普通は、アタシみたいのには優しくなんないよ、一伽くんみたいに。…だから、ありがと」
「…」
こんなに素直になれるのに、もったいないな…と思ったけれど、一伽はそれは言わなかった。
一伽が言わなくたって、きっとすぐに、自分で気が付くだろうから。
「じゃ、アタシこれで帰るね」
「あ、うん。何か、話長くなっちゃってゴメン。あっ、送る…」
「大丈夫よ」
一伽の申し出を断ったリコは、ニコッと笑った後、コウモリに姿を変えた。
やはり間違いなく、彼女は吸血鬼だったのだ。
「じゃ、一伽くん。そんなに応援はしないけど、がんばるならがんばってね」
「なっ…」
「じゃーねー」
一伽が絶句している間に、リコは飛び立っていった。
…そのくらい言うくらいじゃないと、やっぱりリコじゃないな、と思いながら、一伽はリコの飛んで行った空を見つめていた。
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暴君王子のおっしゃることには! (144)
さすがに、リコとのことがあった翌日は、航平にかなり心配されたが、『リコちゃんとはちゃんと話したから大丈夫』と言った一伽の言葉を信じてくれたのか、航平は必要以上に追及してこなかった。
「航平くーん、終わったー」
モップ掛けを終えた一伽が、航平に声を掛けた。
一伽は、侑仁の前でもそうでなくてもちゃんとする、と侑仁に言ってしまった手前、業後の後片付けも、前よりはダラダラしないようにがんばっているのだ。
本当はもっとちゃんとすべきなんだろうけど、今の一伽にはこれが限界。
前に1度、侑仁の家に行けないから志信の家に行こう…て思ったとき、すごくシャキシャキと動いたけれど、今のところ、毎日あんなふうにするなんて、無理。
「終わったよ、航平くん!」
「あーよしよし」
「ぐふふ」
どう? ちゃんと出来た? という期待に満ちた目で見られ、航平は適当に返事をしたが、一伽は満足そうに笑って、ぱたぱたとモップを片付けに行った。
とりあえず、自己満足だけで事足りているらしい。
「え、嘘…」
しかし、モップを片付けて来た一伽は、携帯電話を見ながら顔を顰めていた。
そんな一伽を気にしつつ、航平は自分の片付けを進めていたが、手元に影が落ちて、顔を上げたら一伽がいた。
「何だ?」
「…ユキちゃん、今日、光宏んちに泊まる、て」
「ユキちゃん? あぁ、お前と一緒に住んでる?」
「ん」
光宏という名前は、航平にとって初耳だったが、一伽と同居する雪乃が、その彼の家に泊まるということを連絡してきたのは、一伽を心配させないためだろう。
それを打ち明けられて、航平的にはどんな反応をしたらいいか分からず、とりあえず適当に返してみる。
「ユキちゃん、光宏んちにお泊りするようになったの…。大人になっちゃったの。俺寂しい」
「知るか」
航平にはバカにされるかもしれないけれど、一伽はこの間、雪乃が光宏の家にお泊りして、夜に家で1人で過ごさなければいけなかった日、寂しすぎて眠れなかったのだ。
暑かったのとか、侑仁のこととかいろいろあったかもしれないけれど、少なくともあのとき雪乃がいたら、いつもどおり眠れたとは思う。
相変わらず雪乃は、『お金溜めて、エアコンのあるところに引っ越そうね』なんて一伽に言ってくれるけれど、いつか雪乃は、一伽でなく光宏と一緒に暮らすようになるだろう。
そのことを雪乃は全然分かっていないけれど、一伽は気付いている。だって、節約のために友だちと一緒に暮らすより、恋人と一緒のほうが何十倍もいいに決まっている。
そう思ったら、余計に寂しくなった。
「ユキちゃん大人になっちゃって寂しいから、今日どっか行きたい。出来れば侑仁の家」
「行けばいいじゃん」
1人が寂しいという言い分は航平にも分かるが、たった一晩くらい…と思う気持ちもある(同じような性分の人間が自分の友人にもいるので突っ込まないが)(その友人の名は、もちろん侑仁だ)。
別に侑仁の家に行くのに、航平の許可なんかいらないし、報告する必要もないのだから、行きたかったら勝手に行けばいいのに、一伽は航平を見ている。
「…航平くん、今日の夜、何か予定ある?」
「あん? いや、何もないけど」
一伽が何のつもりでそんなことを聞いてきたのか分からなかった航平は、ついうっかり、本当のことをペラッと言ってしまった。
あ、ヤベ……と気付いたのは、そのすぐ1秒後だ。一伽が急に、ニコッと笑顔になったから。
「1人で侑仁の家に行くの恥ずかしいから、航平くん、一緒に行こ?」
「いや待て、意味分からん。何で恥ずかしいんだよ、お前、今まで散々侑仁の家に行ってるだろうが!」
何を今さら…ということを言い出した一伽に、航平はすかさず突っ込んだ。
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暴君王子のおっしゃることには! (145)
「何を女子中学生みたいなことを…。お前、そんな乙女キャラじゃねぇだろ?」
「そーだけど、でも嫌われたくないし。俺、侑仁の前でどうしていいか分かんなくなっちゃうの!」
「今までどおりでいいだろ」
侑仁は、これまでの一伽の傍若無人ぶりを目の当たりにしてきてもまだなお、一伽のことを嫌いにならずにいるんだから、別に今までどおりで何ら問題ないと思う。
それよりもむしろ、キャラ変更したほうが、どうした? と思われる可能性が高いのでは?
「今までどおりにするけど! でもやっぱ2人きりは恥ずかしい…」
「何でだよ! お前、侑仁とずっと友だちでいる気なんだろ? 友だちと2人でいて恥ずかしいとか、そんなのねぇだろうが。それは完全にお前、侑仁のこと意識しとる証拠だ!」
「うぅー…そうだけど…。そんなの、そんな簡単に気持ち切り替えらんないし! だって俺、侑仁のこと好き、て気付いたの、超最近だよ?」
先日リコに言ったとおり、一伽は、侑仁とはこれからも友だちでいるつもりだけれど、自分の気持ちに気付いたのが最近すぎて、まだ気持ちを抑え切れないのだ。
だって普通なら、これからどんどんと相手への想いが膨らんでいく時期だ。自分に素直な一伽は、そう簡単に『好き』という気持ちを抑制できない。
「だから~、一緒に侑仁の家に行こうよ~」
「だから、て何だ! 俺を巻き込むな! 恥ずかしいなら、侑仁の家じゃなくて他に行け!」
「他なんかないもんっ。俺、女の子の家しか知らないもんっ」
それは全然威張れることではないのに、一伽はプクッと頬を膨らませて、そう主張してくる。
志信の家は知っているけれど、もう2度と行きたくないし、海晴はシェアハウスなうえに場所も知らないから、行くに行けない。航平は今夜何も用事はないと言うが、航平の家に行くくらいなら、やっぱり侑仁の家がいい。
「女の子の家でいいじゃん。お前、女の子大好きだろ?」
「あ、そっか。だよね! そーする」
「え、」
もともと一伽は女の子が大好きで、そういうこともいっぱいして来たんだから、これからも、侑仁なんか気にせず、寂しい夜は女の子のところに行けばいいのだ。
侑仁のことが好きだと気が付いてから、うっかり自分を見失っていたけれど、航平に言われて気が付いた。
確かに一伽は侑仁のことが好きだけれど、どうせ叶わない恋だし、みんな今までどおりでいいて言うし、だったら何を無理に自分を変える必要があるんだろう。
女の子は……まぁいろいろ怖いところもあるけれど、かわいくて、ふわふわで、いい匂いがして、気持ちいい。
一伽は女の子のこと大好きだし、血が吸いたい、てメールすれば、応えてくれる子もいっぱいいる。それで十分だ。
「え、ちょっ…おま、ホントにそうするん?」
「え? 女の子のトコに行くかどうか、てこと?」
「お…おぅ…」
「行くけど…………何?」
売り言葉に買い言葉、みたいな感じで、航平は思わず『女の子の家』なんて言ってしまったが、それに対して一伽があっさりと納得するから、焦った。
一伽が自棄っぱちになってそんなことを言い出したのかと、航平は慌てて声を掛けたが、振り返った一伽はそんな様子もなく、どうしたの? という様子でキョトンとしている。
「侑仁の家に行かねぇの?」
「今日? うん。侑仁の予定も分かんないしね」
「まぁ…そうだけど…」
自分で、女の子の家に行ったらいい、なんて言っておいて、一伽があんまりにも素直にそれに従うものだから、航平のほうが面食らってしまった。
ここ最近の一伽は、航平の言うことに結構素直で、それはいいことなんだけれど、まさかこんな場面でもそんなに素直に言うことを聞くとは思わなかったから。
「じゃ、航平くん、お疲れさまー」
航平が次の声を掛ける前に、一伽は店を出て行った。
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暴君王子のおっしゃることには! (146)
歩きながらの携帯電話の操作は危ないと言われているのに、一伽は構わずアドレス帳を起動させて、女の子の名前を探していた。
血を吸わせてくれて、今晩泊めてくれそうな子。
あ、そういえば、もうだいぶ夜も涼しくなってきたから、『涼しいところでゆっくり寛ぎたい』という口実では侑仁の家には行けない、と思ってたんだっけ。
一応、誰の前でもちゃんと出来るように侑仁の家で練習する、という新たな理由も考えはしたけれど、そこまでして侑仁の家に行かなくても、女の子の家なら楽々だ。
「よし、美亜(ミア)ちゃんに決めた!」
ど・れ・に・し・よ・う・か・な……と、選ばれた女の子が知ったら激怒しそうな方法で、今夜の相手を決めた一伽は、さっそく美亜に電話を掛けれた。
『もしもし、いっちゃん~?』
「そうだよ、いっちゃんだよー」
『なぁに? ご飯~?』
「そぉー。ねぇ美亜ちゃん今どこー?」
一伽のことをよく知っている美亜は、一伽が事情を話す前にそう言ってくれた。
話が早いのは助かる。
『今お家~。いっちゃん来る~? 美亜、1人だよー』
「美亜ちゃん1人なのー?」
『そうなのー、1人の寂しい子なの~』
「じゃあ行くー」
少し酔っているのだろうか、電話口の美亜は、ちょっと舌足らずな感じだ。
一伽は約束を取り付けて電話を切ると、コウモリの姿になって、飛び立った。
*****
美亜の家に着いてすぐに吸血して、一伽はそのまま美亜をベッドに押し倒した。
それからまぁいろいろありまして……今はもうすでに日付も変わっていた。
「いっちゃーん、ビールとお茶と水、どれがいい~?」
「ビールー」
冷蔵庫を覗き込んでいた美亜が振り返ったので、その3つの選択肢の中なら…と、一伽はビールを所望した。
ワンルームのマンションなので、ベッドの位置から冷蔵庫が見える。そして、パンツ1枚の姿で、ビールを持って戻ってくる美亜も。
「ねぇねぇいっちゃん、今日どうしたのっ?」
「何が?」
ピョンと美亜が飛び乗ったので、ベッドが少しバウンドする。
うつ伏せに転がっていた一伽は、チラリと美亜を見た。
「何かー、久々だった? エッチすんの」
「…そんな感じした?」
「したー」
美亜は1本を一伽に渡すと、ベッドに飛び乗ったときの格好、正座を崩したような座り方のまま、自分の分のビールを開ける。
女の子て、この姿勢、全然苦しそうでなくやるよなぁ…なんて、ぼんやりと一伽が思っていたら、美亜にそんなことを聞かれて、ちょっとドキッとした。
そういえば最近、吸血の後、女の子といろいろ最後まですること、なかったっけ。
「俺、何かねぇ、精進? してた」
「ショウジン? 何それ? 修行? エッチなことしちゃいけないの?」
「分かんない、何かそんなの」
今どきの、軽い感じの子の典型らしく、難しいことはよく分かんない…と言った感じで、美亜はかわいらしく小首を傾げたが、一伽もよく分からなくなったので、適当にごまかした。
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暴君王子のおっしゃることには! (147)
「もう別れたもん。しょっちゅう、お金貸して、とか言うから」
「あぁ、そりゃダメだ」
もう、1回ヤッちゃったのに、今さら聞くのも何だけど…と思いながら一伽が尋ねたら、元カレを思い出したのか、美亜は憤慨したような様子でビールを煽った。
一伽もいろいろだらしないし、女の子の関係もそんなにキレイなほうではないけれど、女の子とも友だちとも、お金の貸し借りはしない。そういう男は、やっぱりダメだ。
「美亜ねぇ、そういうダメな男には嵌らないのっ」
ちょっと酔っ払った調子で、美亜は力強くそう宣言する。
でもきっと、深みまでは嵌らないとしても、少しは惹かれるんだろうな。言わないだけで、1度や2度くらい、その元カレにお金を貸したことはあるに違いない。
「でも美亜ちゃん、俺とはエッチするじゃん? 俺は別にいいの?」
「だっていっちゃん、そんなにダメじゃないもの。それとも美亜、やっぱり見る目ない?」
「んーん、あるよ」
『少しもダメじゃない』でなく、『そんなにダメじゃない』とか言うあたり、絶対に男を見る目があると思う。
まぁそれ以前に、美亜は一伽のことを完全に、エッチなことをするお友だち、としか思っていないから、嵌るとかもないだろうし。
「美亜、今度こそ、カッコよくて、優しくて、お金持ってる彼氏作る! ダメな男はもうイヤ」
「でもさ、ダメな男じゃないと、俺がいんのに他の男とすんのかよ、つって怒られるよ」
「そぉなの? いっちゃんとエッチなことしたら、美亜、怒られる?」
「多分ね」
貞操観念など微塵もない美亜に、一伽は笑うしかない。
まぁ一伽だって、そこまで生真面目なほうではないけれど、美亜より少しはマシかな。
そういえば前の彼氏のときも、一伽がその存在を知ったのは、美亜と何回か体の関係を持ってからだった。
美亜が何も言わないから、フリーかと思っていたら、吸血して、気持ちいいこともして、ベッドの中にいたら美亜の携帯電話が鳴って、その相手が彼氏だったというオチ。
美亜がそういうの気にならないのなら、一伽は知らない振りで付き合うけれど、ヤッてる真っ最中に彼氏が現れるとか、そんな修羅場は経験したくないので、いろいろと気を付けてほしいとは思う。
「じゃあいっちゃんも、彼女と別れたの?」
「え、何で?」
美亜に顔を覗き込まれ、その長い髪が一伽の鼻先を擽った。
ここ最近、一伽の特定の彼女がいたことはなかったし、いたとしても、いちいち美亜にそのことを話しはしないのに、どうしてそんなことを言うのかと、不思議に思う。
「だってずっと連絡くれなかったから。美亜、いっちゃんに飽きられちゃったのかな、て思ってたの。でも、彼女いたからメールとか出来なかったんでしょ? エッチしたら怒られるから」
「で、彼女と別れたから、また連絡してきたって?」
「そぉ」
今までの一伽の話をいろいろと総合して、美亜が導き出した答えはそれだった。
まぁ…発想としては間違っていないが、たったこれだけの結論を出すのに、生まれてから今までかかった美亜は、きっとこれからも彼氏一筋はなれないんだろう。
それにしても、自分で自分のことを都合のいい女だと言ってしまっている美亜は、それにまったく気付いていないのだから、ある意味幸せな子なのかもしれない。
「別れるも何も、彼女なんて出来てないし」
「そぉなの? なのに連絡くれなかったの? あ、ショージンだから?」
「そうそう」
多分全然意味が分かっていないだろう美亜に、とりあえず合わせておく。
吸血の後、何もしないで女の子とバイバイしていたのは、精進だとか修行だとかそんな高尚なものでなく、ただ何となくだったんだけど(別に、誰かを意識したわけじゃない)、今さら別に言わなくてもいっか。
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暴君王子のおっしゃることには! (148)
何で吸血だけして、バイバイしていたんだろう。こんなにかわいくて、ふわふわで、気持ちいいのに。
「いっちゃん、もう1本飲む?」
「んー…どうしよっかな」
一伽が空になった缶を潰していたら、長い髪を弄っていた美亜が尋ねた。
もし侑仁だったら、こんなペースで飲む一伽のこと、怒るんだろうな。でも別に、こんなの全然平気だし、何ともないのに。
「やっぱいらないや」
「キャッ」
一伽は、ベッドを降りようとした美亜の手首を掴んで、自分のほうに引き寄せた。
彼女の持っていた缶を奪い取ると、一口だけ飲んでベッドサイドに置く。
「いっちゃん?」
「もっかい」
「ショージンはもういいの?」
クフフと笑う美亜には何も答えず、一伽は美亜を押し倒すと、その下着に手を掛けた。
柔らかな身体に、身を沈める。
一伽は女の子が大好きだし、気持ちいいことも大好きだし、美亜みたいな子は、全然面倒くさくないから、すごくいい。寂しいときは、こうやって側にいてくれるし。
好きだとか、彼女だとか、カレシだとか、そんなのはどうだっていいんだ。
「いっちゃん…」
ファッションドールのようなかわいらしい顔立ちの彼女が、クルクルと表情を変えているのを見ていると、今自分の身に起きていることが、まるで現実のものとは思えなくなってくる。
あぁそうだ。
――――きっとこれは、悪い夢だ。
一伽 と 航平
一伽に、侑仁の家に一緒に行こう、と言われたとき、面倒くさいと思ったのは確かだけれど、『女の子の家でいいじゃん』と言ったのは、言葉の綾だった。
もともと一伽は女の子大好きだし、『女の子といっぱい遊ぶ』なんて自分で言っていたこともあるけれど、今さら航平に言われたくもないだろうから、『行くわけねぇじゃんっ!』と噛み付いてくるのは、想像するに容易かった。
なのに一伽は、航平の言葉をあっさりと納得して、帰って行ったのである。
結局一伽が侑仁の家に行ったのか、女の子のところに行ったのか、まっすぐ家に帰ったのかは分からない。
そんなこと別に航平が気にすることではないけれど、自分の言ったことがきっかけで一伽が自棄になっていたら嫌だし、と思ったら、ちょっと気になる。
だから翌日、一伽に話を聞こうとしたが、一伽より先に志信が出勤していて、志信の前では話しづらいかも…と言えずにいたら、1日が終わってしまい、それからズルズルと日にちが過ぎていた。
あれ以来、一伽の口から侑仁の名前が出ることはないし、侑仁の家に行こうと誘われたこともない。
相変わらず一伽は、キビキビとは言い難いが、まぁダラダラもせずに後片付けをして帰っていくけれど、雪乃が家にいて1人ではないから、まっすぐ帰っているのか、侑仁の家でなくても行くところはあるから、そこに行っているのか、それは分からなかった。
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暴君王子のおっしゃることには! (149)
雪乃は、一伽の就職時の保証人にもなっていたし、緊急時の連絡先にもなっていたから、互いに携帯電話の番号も知っていたのだが、実際に掛かって来たのは、これが初めてだった。
『あの、すいません、忙しいところ…』
「うぅん、構わないけど。どうした?」
それほど面識のない航平が相手のせいか(ましてや一伽の勤務先の店長でもあるし)、同じ吸血鬼とはいえ、一伽と違って雪乃は、ごく常識的な、丁寧な挨拶で話を始めた。
『あの…、仕事って、いつごろまで忙しいんですか?』
「え、仕事? 何時に終わるか、てこと?」
すでに店の営業時間は終了していて、志信も一伽も帰っていて、航平ももうすぐ店を出るところだ。
航平に何か用事でもあるのだろうか。
『何時に、ていうか…、いつごろまで忙しいのかな、て。いっちゃん、あ、えと、一伽…』
「いっちゃん、でええよ、ユキちゃん」
普段から一伽のことを『いっちゃん』と呼んでいる雪乃は、友だち相手の電話でもないのに、ついいつもの癖でそう呼んでしまい、慌てて言い直したが、そんなにかしこまることはない、と航平はそう言った。
航平が雪乃のことを、わざと『ユキちゃん』と呼んだら、電話の向こうで雪乃の笑う気配がして、少し緊張が解けたのか、ホッと息をつく声が聞こえた。
しかし、続く雪乃の言葉に、航平はのん気に笑ってはいられなくなった。
『もうずっと残業続きでしょう? いつくらいまで、そんな状態が続くのかな、て思って』
「は?」
残業続き?
いや、今日だっていつもどおりの営業時間に店を閉めて、いつもどおりに後片付けをして、一伽は帰っていったけれど。
『一応、朝は帰って来てくれるからいいけど、着替えて支度したら、またすぐ仕事でしょう? いっちゃん、お店で寝てるから大丈夫、て言うけど、やっぱり心配だし…』
「…………」
一体雪乃は何を言い出したのかと、航平は思考が止まり掛けたけれど、どうやら一伽は、ここ最近、朝の少しの時間しか家に帰っていないのを、仕事が忙しいからだと雪乃に言っているようだ。
素直な雪乃が、一伽のくだらない嘘を信じているようなので、ひとまず航平は雪乃に話を合わせてやることにした。
「あー…ゴメンな、ユキちゃん。今日はちょっとまだ無理だけど、なるべく早いうちに、早く帰らすようにする」
『いえ、みんなが忙しいなら仕方ないし、あの、俺がこんなこと言うのも変なのに、すみません…』
本当は全然そんなことないのに、雪乃が本当に申し訳なさそうに言ってくるから、航平も心苦しくなってくる。
まったく一伽は何をやっているんだ。
「うぅん、ありがとう、心配してくれて」
『そんなんじゃ…。俺、最初はいっちゃん、俺のこと嫌いになって帰って来ないのかと思ってたんです。いっちゃんのお仕事、お店で接客したり、レジしたりとかしか知らなかったから、閉店時間過ぎたら、後片付けとかすれば帰れるのかと思ってて、』
「あぁ…」
『でもよく考えたら、俺も、お店終わった後、時々打ち合わせとかあって、遅くなることあるな、て思って』
やはり雪乃は、下手な演技で鎌を掛けているのではなく、本気で一伽の言葉を信じているようだった。
何だか航平は何も言えなくなってしまい、相槌を打つのが精いっぱいになっていた。
『すいませんでした、忙しいのにこんな電話して…』
「いや、大丈夫。気にしないで」
『あ、あと、出来たら、俺が電話したこと、いっちゃんに内緒にしてもらえませんか? 余計な心配したことバレたら、いっちゃん怒るかもしれないから』
「あー…、まぁ…」
申し訳ないけれど、それは出来ない約束だと航平は思った。
今すぐにでも一伽を取っ捕まえて、締め上げてやりたい。そして、何つまらない嘘をついて、雪乃に心配を掛けているんだと言ってやりたい。本当はどこで何をしていたんだ、と問い詰めたいのに。
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暴君王子のおっしゃることには! (150)
「あ…あぁ、気を付けるわ。ありがとうな。………………て、ホントにあのボケナスが~!!」
雪乃の優しい言葉に、航平は何とか平静さを保って返事をしたが、電話が切れると、沸々と怒りがたぎってきて、1人の店内で声を張り上げた。
そして翌日、ozの店内は、航平の怒鳴り声から始まった。
「ゴルァ、一伽ぁ~~~!!」
いつもと同じ様子で、いつもと同じくらいの時間に出勤した一伽は、着いて早々怒鳴られるとは思っていなかったので、ビックリして、持っていた携帯電話をポーンと放り投げてしまった。
それは、ギリギリセーフで志信が受け止めてくれたけれど、一伽より先に出勤していた志信も、いきなりキレた航平に驚いて、呆然となった。だって、一伽が来るまで、航平にキレる雰囲気など何もなかったのだ。
「な…何、いきなり」
突然のことに、さすがに一伽も、驚きのあまりキレるにも至らず、ポカンと航平を見つめた。
「お前、ホントに何してんだっ!! しばくぞ、ゴルァ!!!」
「ななな何で!? イッテ!」
まだ出勤してきただけで、本当に、ただ店に入っただけで何もしていないのに何で!? と一伽は唖然となったが、航平は、まさに鬼の表情でズカズカと一伽に詰め寄ると、有無を言わさず一伽の頭を引っ叩いた。
一伽の携帯電話を持ったままの志信は、その様子を眺めながら、自分の身に降り掛かったことではないことに、心底ホッとしていた。
前に一伽に『2発殴らせろ』と理不尽なことを言われたときは、それでも多少の猶予時間があったけれど、今は『しばくぞ』と言ってから1秒くらいで、本当に殴った!
「何!? 何なの!? ふざけんなよっ!!」
最初はポカンとしていた一伽だったが、引っ叩かれたことで正気に返ったのか、航平の胸倉に掴み掛かった。
「ちょ…ちょっと、2人とも…」
この尋常でない状況に、さすがに志信も、自分でなくてよかった…なんて、のん気に思っている場合でないと思い始めた。面倒なことには出来る限り関わらないように生きているけれど、やっぱり止めに入らないと。
だって、従業員が出勤したかと思ったら怒鳴り付け、数秒もしないうちにその頭を殴り付ける店長が、一体どこの世界にいるだろう。そして今は取っ組み合いだ。
「ねぇちょっと2人とも落ち着いて…、これからお店始まるのに、ねぇ、」
「うっせぇ志信っ! 引っ込んでろっ!!」
わざわざ志信が間に入ってやったのに、一伽にすげなく振り払われる。
あぁもうホント、この携帯電話、床に叩き付けてやろうか。
「ちょっと、航平くんも…、支度しないと間に合わないですよ…!」
「分かってるわっ! 一伽、ちょぉこっち来いっ!」
一伽が無理なら航平を、と思って声を掛けたのに、航平もこんな態度だ。
しかも、分かっていると答えたはずの航平は、一伽の手を振り解いて、その首根っこを捕まえると、そのままスタッフルームのほうに連れて行こうとする――――全然分かってないっ!
「ちょっと放してよ、航平くんっ! ふざけんなっ!」
一伽はギャーギャー喚きながら暴れるが、結局、航平に引っ張って行かれた。
バタンッ! と、うるさくスタッフルームのドアが閉まる。
「いや…、『ふざけんな』はこっちのセリフだし…」
残された志信の声は、残念ながら2人には届かなかった。
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暴君王子のおっしゃることには! (151)
スタッフルームに入ると、すぐに航平が手を放したので、一伽は再び航平のシャツを掴み上げた。
しかし航平だって、そんなことくらいでは怯まない。こちらだって、言いたいことは山ほどあるのだ。
「誰がお前のこと、朝まで働かせてんだ。言ってみろ」
「、」
航平がそう言うと、一伽は分かりやすく反応した。思い当たる節はあるようだ。
一伽の力が緩んだ隙に、航平はその手をシャツから離した。
「…ユキちゃんから、何か言われたの?」
「よく分かってんじゃねぇか」
「ッ、何言われたんだよっ! それで俺のこと殴りやがったのかよ、ふざけやがってっ! ユキちゃんのせいかよっ」
一伽はギロリと航平を睨み付けた。まだ自分の状況を分かっていないらしい。
かといって、航平までまた大きな声を出せば、先ほどまでの繰り返しになってしまうので、航平は大人になって堪えると、大きく息をついてから口を開いた。
「あのなぁ、ユキちゃんはお前のこと心配して、電話くれたんだぞ?」
「え…」
「お前が毎日、朝に帰って来ちゃあ、着替えて支度してすぐ仕事に行くから、そんなに忙しくて大丈夫なんか心配だ、て」
雪乃には、一伽に内緒にしてくれ、と言われたけれど、やはり言わずにはいられなかった。
大体それは、一伽が本当に毎日残業に明け暮れていたのなら果たせる約束だが、実際はそうでないのだから、出しに使われた航平は、黙ってはいられない。
しかし、雪乃が心配しているという事実が思いの外効いたのか、一伽は最初のように盾突いてくることはなく、僅かに視線を落とした。
雪乃が、一伽の言った嘘の言い訳を、本当にそこまで信じて、心配してくれているなんて、思ってもいなかったのだろうか。でも一伽だって、雪乃が落ち込んでいたときは、誰よりも一番心配していたのに。
「仕事の後、お前が何しようと構わねぇけどなぁ、しょーもない嘘ついて、ユキちゃんに心配掛けて。ホントに大概にしろよ」
「…だよね。ねぇ航平くん。ユキちゃんに、俺が家に帰ってないの、ホントは仕事のせいじゃない、て言っちゃった?」
「言うか。合わせといたわ」
「そっか…。ありがと」
航平に引っ叩かれたせいもあって、ただイライラしているだけだったけれど、雪乃に本当のことを知られていないと分かって、一伽はホッとしたのか、素直にお礼の言葉を口にした。
「しょうがねぇだろ。ユキちゃんは何も知らないわけだし、お前の嘘信じ切って心配してるし、合わせるしかないだろ?」
航平にしたって、一伽が仕事でなくて何をしていたのかなんて……何となく想像はつくけれど、別に本当のところは知らないし、自分の一言で、雪乃を傷つけることも有り得ると思ったら、余計なことは言えなかったのだ。
「…だってさ、ユキちゃん、俺がしばらく夜に帰んないでたらさ、『俺のこと嫌いになっちゃったから帰って来ないの?』とか言い出すんだよ? それも超深刻な顔で。そんなん言われたら、何かホントのこと言えなくて……つい、仕事が忙しいとか言っちゃった」
「アホ。そんな嘘までつかなきゃなんねぇこと、最初からすんな」
「俺もそう思う――――今は」
航平の尤もな言い分に、一伽は肩を竦めた。
今になってでも、一伽がそれに気付いてくれたのなら、航平にしたら何よりだった。
「俺だってなぁ、気にしてたんだぞ」
「何が?」
「お前に、侑仁の家に一緒に行こうて言われたの断ったとき、女の子の家に行けばいいだろ、て言ったから、それでお前が自棄になってたらどうしよう、て」
一伽のことを心配していたのを知られるのが恥ずかしくて、航平は明後日のほうを向きながら言った。
一伽にしても、まさか航平にまで心配されていたとは思わず、照れて視線を逸らした。
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カテゴリー:暴君王子のおっしゃることには!
暴君王子のおっしゃることには! (152)
やはり、一伽が家に帰っていなかった本当の理由は、航平が想像したとおりだった。
航平の言葉が引き金になったことを気にしたわけではないが、航平は何も突っ込まなかった。
「…お前、せめて今日くらいは、仕事終わったら、早く帰れよ?」
「分かってるよ。女の子のトコは、もう当分行かない。仕事終わったら、ご飯して、後は直帰します!」
「ホントだな? ちゃんと帰らなかったら、給料カットすんぞ?」
「ちょっ!」
「…もういいですかー?」
横暴店長! と、一伽がいつもの調子で言おうとしたら、いい加減堪え切れなくなった志信が、ドアを開けて顔を覗かせた。
相変わらず、微妙で絶妙な空気の読めなさを持っているのだ、志信は。
「開店の準備、終わったのか?」
「終わりましたよー。どっかの誰かさんのせいで、たった1人で終わらせました」
わざと恩着せがましく言ってくる志信を一伽は一睨みしたが、航平は逆にニンマリした。
「お前の給料カットした分、志信の手当てに付けてやるわ」
「だから、まっすぐ帰る、つってんじゃんっ!」
ここまで言われたら、どこにも寄らずに(吸血はするけど)、絶対にまっすぐ帰ってやる! と意気込む、負けず嫌いの一伽は、まんまと航平に嵌められていたことなど、気付く由もないのだった。
一伽 と 雪乃
女の子の血はおいしいし、エッチも気持ちいいし、言うことなし。
そんなこと、一伽はずっと前から知っている。
だからあの日、航平に、『女の子の家でいいじゃん』と言われたときは、あぁそうだ! と、純粋にそう思った。
何をそんなに悩んで、一緒に侑仁の家に行こうと航平を誘っていたのか、俺には女の子がいるじゃん! と、ノリノリで美亜に連絡した(方法は、どれにしようかな、だったけれど)(まぁ神様が選んでくれたわけだし)。
それからは、毎日違う女の子に連絡しては、血を吸ったり、気持ちいいことをしたりした(気持ちいいことだけならずっと美亜でもよかったけれど、吸血は毎日同じ人というわけにはいかないので)。
もとから一伽の携帯電話には、女の子がいっぱい登録されているから、日替わりに違う女の子に連絡したって、当分尽きることはなかったし、相手の都合が悪いなら、ナンパすればそれでよかった。
吸血して、気持ちいいことをして、朝まで一緒にいる。雪乃が家にいなくても、これで一伽は寂しくない。
そう、もともとは、雪乃が光宏の家にお泊りして、一伽が帰っても1人だから、その寂しさを紛らわすために、女の子のところに転がり込んだのが始まりだったのだ。
なのにいつの間にか一伽は、雪乃が家にいてもいなくても関係なく、女の子のところで過ごすようになっていた。
だって、女の子はかわいいし。それに柔らかくて、気持ちいい。彼女ではないから、別に面倒なこともないし。
一伽はとりわけかわいい子が好きだから、携帯電話に登録されている子も、みんなお人形さんみたいに、かわいい子ばかり。スラッとしていて、目もパッチリ大きくて。
…でもそうなると、どの女の子を抱いていても、みんな同じように見えてくるから不思議だ。
顔の造作は確かにみんな違うのに、みんなそれぞれにかわいいのに、だんだん誰を抱いているのか分からなくなって、けれど、その体の柔らかさや気持ち良さに、溺れてしまう。
もしかしたら、こういうのを『空しい』ていうのかも――――なんて、急に悟りを開いたようなことを思ったこともあったけれど、それはよく分からなかった。
ただ、何となくこんなことをしていても、何かつまんないなぁ、て思うようになっていて、でもやっぱり女の子はかわいくて大好きだから、連絡を取ることをやめられないでいた。
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