2009年12月
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07. つないだ小指 (2)
望みどおり海水に両手を浸しては、ものすごく当たり前のことを言っている和衣は、それでも満面の笑みだ。
「和衣、靴、靴濡れそうっ」
「貝殻~」
――――て、聞いてないし!
はしゃぎすぎて、今にも波が掛かりそうな自分の足元を全然見ていない和衣に声を掛けても、やっぱり気付かない。
でも、見て見て~、て無邪気に笑っている和衣は、とってもかわいいけれど。
「貝殻、いっぱい落ちてる~」
「拾ってくの?」
「ちょっとだけ」
今までに海はもちろん来たことはあるけれど、好きな人と――――祐介と来るのは初めてだから、思い出にしたい。
(帰ったら、むっちゃんに自慢しよっ)
たぶん睦月のことだから、貝殻を見たくらいじゃ何の感動もなく、羨ましがりもしないだろうけど、和衣は満足だから、それでいい。
「これキレイだよ」
「あっ、りがと…」
はい、て祐介が手渡してくれたのは、小さいけれど、形も崩れていないキレイな貝殻。
祐介から貰っちゃった、て、それだけのことなのに、和衣の胸はきゅうん、てなってしまって、祐介にベタ惚れな自分に、ちょっと照れてしまう。
(でもこれ、一生の宝物っ)
こんな拾った貝殻でなくても、もっといろいろ贈り物は貰っていて、そのたびに宝物だって思っているけれど。
「和衣っ!」
「…え? うわっ、ッ!」
1人で幸せに浸ってほわほわしていたら、いきなり祐介にグイッと腕を引っ張られて、それにもビックリしたけれど、その直後、右足が冷たくなって、驚いて跳ね上がった。
しかもそのせいで、予期もせず祐介の腕の中に飛び込む形になってしまい、一遍にいろんなことが起こって、和衣はパニックになる。
(なん…何で俺、祐介に抱き付いてっ…、てっ、足冷たいしっ…)
いったい自分の身に何が起こったのかと、和衣があわあわしていたら、祐介に「大丈夫?」と顔を覗き込まれた。
「…て、大丈夫じゃないよね、全然」
「へ…?」
大丈夫? て聞いてきた祐介が自分で、大丈夫じゃないよね、て苦笑しながら答えてしまうから、まだわけの分かっていない和衣は、ポカンとしている。
「靴、濡れてる」
「えっ? あれ!? ホントだっ、ヤバ!」
まったく見当違いなタイミングで慌て出す和衣に、今度は祐介がきょとんとする番だ。
「やぁ~、靴、ビッチョビチョだよ~…」
さっき祐介が和衣の腕を引っ張ったのは、和衣の立っていたところまで波が及びそうだったのに、それに和衣が気付かないでいたからだったのだ。
腕の中に飛び込んで、ドキドキしている場合じゃなかった。
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07. つないだ小指 (3)
「…うん、右だけだけど」
お気に入りのハイカットのスニーカーだったのに…。
それでも被害が片足だけで済んだのは、祐介のおかげだ。
「もうちょっとこっち来ないと、また濡れるよ」
そう言って祐介は、若干落ち込み気味の和衣を、波打ち際から遠ざける。
「駅の向こうにコンビニあったから、行ってみる? タオルとか売ってるかもよ?」
「そうする…。ゴメンね、祐介…」
「いや、俺は全然いいんだけど、濡れたほうの靴、脱いだほうがいいじゃない? 足、気持ち悪いでしょ」
「気持ち悪いけど、片方裸足でコンビニ行くの、間抜けじゃない?」
「…………、うん、そうかも」
和衣の言ったとおりの姿を頭に思い浮かべたのだろう、しょんぼりしている和衣の隣で不謹慎かもしれないが、思わず祐介は吹き出してしまった。
「じゃあ、俺行ってくるよ。和衣、ここで待ってて」
「え、ヤダ! 俺も行く!」
足元はずぶ濡れで気持ち悪いけれど、ここに1人で残されるなんて、そんなのイヤだ。
「え、だって、どうすんの?」
「このまま行く」
「はぁ?」
和衣的には、そんな突拍子のないことを言ったつもりはないのだが、祐介はひどく驚いた顔をしている。
「…ダメ?」
片方だけ裸足で歩いていたら、もろにバレバレで、どうしたの? と思われるだろうけど、片足だけビショビショに濡れていても、注視していなければきっと気付かれない、和衣はそう思ったのだけれど。
「いや、まぁいいけど……じゃ、行こっか」
「うん」
濡れているせいで、靴にびっしりと砂が纏わり付くけれど、砂の上を歩いているうちは、そんなこと気にしていても切りがない。
コンクリの階段を登って道路に出たところで、和衣は地面に足をバンバンとして、靴に付いた砂を払った。
「何か靴、ギュポギュポするー」
「何それ」
和衣は何だかよく分からない擬音で、今の右足の状況を説明するが、確かに振り返れば、和衣の右足の足跡だけが点々と続いている。
「いらっしゃいませー」
自動ではないコンビニのドアを開ければ、あまりやる気があるとは思えない感じの声に出迎えられる。
系列は違うがコンビニでバイトしている和衣にしたら、いくら暇だからって、この態度はないんじゃないー? て思う。
「タオルってどこにあんだろ」
和衣も商品の補充でしかコンビニのタオル売り場になんか行かないから、よく分からなくて、店内を微妙に濡らしながらウロウロする。
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07. つないだ小指 (4)
タオル見つかった! て声を大きくしたけれど、店内に客自分たちしかいないから、思いのほか声が響いてしまって、和衣は慌てて声を小さくした。
それに、タオルの置いてある隣に、コンドームが並んでいる。
別にそんなつもりは全然ないけれど、傍から見たら、和衣がタオルじゃなくて、そっちのほうを見つけて祐介を呼んだみたいだ。
まぁ客は他にいないし、店員もまったくこちらに関心がないようだから、誰も何も気付いていないのだけれど。
「タオル、あった…」
「うん、じゃあそれ買ってこ? あと何かいる?」
「んー…」
祐介はお茶のペットボトルを手に持っている。
コーラとか買おうかな…て、和衣はキョロキョロしていたら、スイーツのコーナーを見つけてしまい、足が止まる。
「……エヘヘ、プリン…」
別に海まで来てプリンを買わなくても…とか一瞬、思ったけれど、やはり誘惑には勝てず、和衣はお気に入りのプリンを手に取った。
和衣はもちろん、自分の分は自分でお金を出すつもりだったのに、レジまで向かう間に祐介がそれを受け取って、お茶と一緒に会計をしてしまった。
「祐介、それは、」
「ぅん? いいよ」
「でも…」
和衣が少し困ったような顔をすれば、祐介は「じゃあ、また次のときね」と、あっさりかわされてしまった。
コンビニを出て、店のすぐ脇の目立たないところで、和衣は濡れた靴を脱いだ。中までビショビショ、靴下もすっかり濡れている。
「あーあ…。帰ったら、洗わなきゃ。洗濯機で洗えるかな?」
「靴を? 普通の洗濯機で? どうかなぁ…靴、傷みそうじゃない?」
「そっか。じゃあ、帰ったらゴシゴシしなきゃ」
洗濯機で洗うのは、簡単そうでいい案だと思ったけれど、祐介の言うとおり、ガラガラと洗濯機で回したら靴が傷みそうな気もする。お気に入りのだし、そうなったらとっても悲しいから、面倒くさいけれど、がんばって洗おう。
「え、何でそっちも脱ぐの?」
片方の足を拭き終えた和衣が、なぜか無事な左足の靴まで脱ぎ出した。
「だって、片足だけ裸足なのも。どうせ海まで戻ったら脱ぐし」
「でもここから裸足になって、どうやって海まで戻んの? 道路、裸足で歩く気?」
「うん」
和衣が平然とそう答えるものだから、祐介は仰天する。
だって浜辺までの道は、普通のアスファルトの道路に、線路のガード下も潜る。祐介だったら、とても裸足で歩く気になんてなれないのに。
「危ないって」
「平気だよ」
慌てる祐介をよそに、和衣はプリンの入った袋とスニーカーをそれぞれの手に持って、ポテポテと歩き出してしまう。
「和衣、ちょっ…」
「んー?」
「ケガしたらどうすんの、ダメだって!」
思いがけず強い口調で言われ、和衣は、祐介が本気で心配しているのだと分かって、足を止めた。
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07. つないだ小指 (5)
「う、うん…」
祐介はとても真面目に、本気で心配してくれているのだろうけど、面と向かってそんなふうに言われて、不謹慎にも和衣は嬉しいような、気恥ずかしいような気持ちになって、頬が熱くなる。
睦月に対して祐介はとても過保護だったから、きっといつもこんな調子なのだろう。
これに慣れっこになって、恥ずかしがりもせずに受け入れている睦月を、和衣は嫌みでなく尊敬する。自分だったら、絶対に心臓が持たない。
「じゃ、海まで靴履いてく」
和衣はこれ以上、祐介に心配を掛けないために、いったん脱いだ靴を履き直した。
言われてみれば、歩道に割れたガラスの破片が落ちていたり、ガード下にも汚れた泥の水たまりがあったりして、祐介が、裸足で歩こうとした和衣を止めたのも無理はない。
これでケガでもしたら、自分が痛い思いをするだけでなく、祐介にも迷惑が掛かってしまう。
(俺って、意外と考えなしだなぁ)
自分の無鉄砲さに、和衣は少し呆れてしまった。
「ここでなら靴、脱いでいいよね?」
浜辺の近くまで来て、それでも和衣は念のため、祐介にお伺いを立ててから靴を脱いだ。
「せっかく足拭いたのに、俺、また靴履いちゃった」
「帰るときに洗えばいいじゃん」
「そっか。ね、プリン食べていい?」
買ってもらったプリンを早く食べたくて、和衣は祐介の服の裾を引っ張った。
「どっか座る?」
「あそこ、あの階段のとこにしよ?」
上の駐車場から海岸に下りる階段を見つける。
海に来る人も殆どいないから、今だったらそこに座っていても、邪魔にはならないだろう。
和衣は隣に祐介が座ったのを確認すると、ペリペリとプリンのふたを剥がした。
「んふふ、おいし」
海はきれいだし、プリンはおいしいし、隣には祐介がいるし、最高に幸せ。
「祐介、はい」
和衣は自分でいくらか食べた後、小さなスプーンで掬った一口のプリンを祐介の口元に差し出した。
「…え?」
「はい、上げる」
上げるも何も、もとは祐介が買ってあげたものなのだけれど。
でも、こんなにおいしいのを1人で食べてるなんて勿体ないから、祐介にも食べさせてあげたかったのだが、何だか祐介は微妙な顔をしている。
「祐介?」
「あ…うん、ありがと…」
祐介は、スプーンの上のプリンを、口に入れた。
普通のコンビニプリン、でも、口の中で甘くとろける。
(ていうか、自覚ないんだろうなぁ…絶対)
祐介がチラリと隣を見れば、和衣はまた幸せそうにプリンを食べている。
まぁいいんだけれど、でも今のは「あーん」になるのでは…? と祐介は思うが、普段はそういったことで人一倍照れる和衣は何てことない顔をしていて、やはり自分が何をしたか分かっていないらしい。
(まいったな…)
和衣が思うのと同じくらいに、祐介だって2人で海に来て、一緒にいられるは、それだけで幸せなのだ。
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07. つないだ小指 (6)
「ん? ッ、、、…」
呼ばれて和衣のほうを見れば、間近に和衣の顔があって、え? と思う間もなく唇が重なった。
「…」
甘い、唇。
プリンのせい? ――――いや、
「…ん」
思わず和衣の唇を舐め、キスを深くしてしまう。
窺える範囲に人が見えないとはいえ、白昼堂々の海岸で。
「ゆう…」
「あ、ゴメン」
「…うぅん、俺が…」
自分からキスを仕掛けてきたくせに、唇が離れると、和衣は恥ずかしそうに俯いた。
「和衣?」
「ふへへ、何か恥ずかしい」
空になったプリンのカップを、ガサガサと袋にしまっている和衣の耳が赤い。
わざと目を合わさないようにしているのか、和衣は、ゴミ袋と化したコンビニの買い物袋をいつまでも弄っている。
祐介は、和衣との距離をさらに詰めて、身を寄せた。
特別な会話があるわけでもなくて、ただ2人寄り添って。
冷たくなってくる空気の中で、お互いのぬくもりだけがいとおしい。
(ずっとこうしてたい――――)
けれど、和衣がどんなに思っても、もちろんそんなわけにはいかなくて。
夏よりも日はずっと短い。まだ帰りたくない、て思うのに、辺りはだんだんと薄暗くなってくる。
何だか急に切なくなって、和衣は祐介の手に自分の手を重ねた。
「和衣」
「、うん?」
「今度はさ、夏に来よう? 来年の夏」
2人でまた。
きっと夏の海、人がたくさんいて、キスは出来ないかもしれないけれど。
「また来ようよ。ね?」
「っ、うんっ!」
1年後の2人なんて、全然何も想像が出来ないけれど、でも約束しよう?
またこうやって、並んで海を見ようって。
だってこの幸せな気持ち、また共有したい。
だから、ね?
「約束」
祐介は、重なっていた和衣の手を取り、その小指に自分の小指を絡めた。
*end*
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08. じゃあ買ってあげる (1)
通り掛かったショップの店先に飾られているクリスマスツリーを見つけ、睦月は嬉しそうに指差した。
クリスマスまでにはまだ日にちはあるけれど、もうそんな時期になっているのだ。
「もうどっか、イルミネーションとか始まってんのかな。調べてくればよかったね」
「えーでも亮ー、イルミネーションて、夜でしょ?」
「そうだけど?」
ごく当たり前のことを確認して、なぜか睦月は少し顔を顰める。
「だって夜だと寒いじゃん。俺、寒い思いしてまでイルミネーションなんて、見なくてもいい」
「あのね。いや、睦月らしいけど」
そりゃ、クリスマスツリーが飾られたり、ジングルベルが聞こえたりと、街が浮かれた雰囲気になれば、もちろんそれは楽しいけれど、花より団子の睦月にしたら、寒い思いをしてイルミネーションを見るくらいなら、温かぬくぬくでおいしいものでも食べていたい。
ロマンチストの和衣と違って、睦月は、季節外れの海で喜んだりはしないのだ。
「睦月、今年のクリスマス、どうする? どっか出掛ける?」
「寒くないとこね」
「それって、出掛けないってことじゃなくて?」
「…まぁそうとも言うけど」
普段から寮の同室で生活をしているし、よく一緒に出掛けているのだから、クリスマスだからといって、今さらお出掛けてこともないのだけれど、亮としては、やっぱりちょっとは特別な雰囲気が欲しいところ。
睦月だって、そういうのが嫌いなわけではないと思うけれど。
「じゃあさぁ、あったかいとこならいい?」
「どこ?」
「んー…睦月が好きそうなとこ、リサーチしとく」
とは言ったものの、クリスマスまではまだあるとはいえ、予約が必要なところはもういっぱいだろうし、人気のスポットもきっと混雑するに違いない。
もっと計画的に行けばよかった、と亮は少し反省した。
「別に俺、どこも行かなくていいよ?」
「ぅん?」
「亮、まだお家帰んないんでしょ? 俺も帰んないから……一緒にいられたら、別にそれでいいし」
言った後、恥ずかしくなったのか、睦月は目を伏せた。
「…そっか。じゃあ、ケーキ買って、一緒に食べようね」
「クリスマスツリーもね」
「え? ツリー欲しいの? 睦月」
「うん、欲しい! 飾り付けするの」
途端、ウキウキした顔になった睦月は言うが、亮は素直には頷けない。
だって、飾り付けをするくらいのツリーなら、そこそこサイズは大きいはず。ただでさえ狭い寮の一室に、そんな大きさのツリーを飾る余裕など、果たしてあるだろうか。
「ね、ね、ツリー買お? 買って帰ろ?」
なのに睦月は、もうすっかりその気になってしまったようで、買おう買おうと、亮のコートの裾を引っ張る。
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08. じゃあ買ってあげる (2)
「でも睦月、買ってって、どこに飾るの? 置くとこ…」
「ちっちゃいのでいいから! ね?」
まるで、おもちゃをねだる子どものよう。
その様子に、亮の心も揺さ振られ始める。
「じゃあ、とりあえず見てみてからね?」
何とかそう言って、亮は睦月を宥め賺すけれど、睦月はもうすっかり買って帰る気になっている。
どこにも出掛けなくてもいいと言ってくれているし(というか、一緒にいられればいいとか、もっと嬉しいことを言ってくれているから)、クリスマスツリーくらい用意してあげたいけれど。
クリスマスツリーの売り場にはそんなに詳しくないので、とりあえず大型のおもちゃ屋へと向かう。
クリスマス商戦はとっくに始まっているのか、店内は、街中にいるときよりもずっと、クリスマスムードが漂っている。
「亮、あっち! ツリー!」
「わっ、ちょっ」
キョロキョロしていた睦月は、目的のコーナーを見つけると、亮の手を引いて走り出した。
「いっぱいあるー。ね、どれにする?」
目を輝かせて、睦月が亮を振り返る。
クリスマスツリーやその飾り付けなどの関連商品を中心としたそのコーナーには、子ども向けのものから本格的なものまで、大小様々なツリーが置かれている。
たくさんのツリーに囲まれて、睦月のテンションがヒートアップしていくのが、亮には手に取るように分かった。
「せっかくだから、おっきいのにしようよ、ねっ?」
「ね、じゃないでしょ、むっちゃん。どこ置くの、そんなおっきいの」
やはり睦月は、自分が生活している部屋の大きさまではまるで考えていなかったようで、絶対に置き場所も、しまう場所もないようなサイズのツリーのほうへと向かっていってしまう。
「だってー、ちっちゃいのじゃ、つまんない」
「つまるとか、つまんないとか、そういう問題じゃなくね? 買ってって置くとこなかったら、切ないじゃん」
「がんばって置く」
睦月はそう言い張るけれど、こればっかりは、がんばってどうにかなる問題ではない気がする。
亮だって、睦月の望みを叶えてあげたいから、出来る限りがんばりたいとは思うけれど。
というか睦月、最初に、ちっちゃいのでもいい、て言ってなかったっけ?
「ほら、こっち、ファイバーツリーもあるよ?」
「えー…」
亮が睦月の気を引こうと、小振りなファイバーツリーが並ぶ棚へと連れて行く。こちらは子ども向けというよりは、大人を対象としているようで、いくつかのカップルが見て回っていた。
「葉っぱが白い…」
ホワイトのファイバーツリーを前に、睦月は言葉を失っていた。
今どき街中に飾られているも、こうしたファイバーツリーが増えているから、睦月だって見たことがないわけではないが、改めて自分が買うとなって、真っ白なツリーを前にすると、何だか開いた口が塞がらない気分。
だって睦月的には、オーナメントを飾って、電飾を巻き付けて、上にお星様とか取り付けるような、そんなツリーを思っていたのに。
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08. じゃあ買ってあげる (3)
「これに飾り付けするの?」
亮が示したのは、確かに緑色をしたツリー。けれどそれもファイバー仕様で、多分、睦月が思っているような飾り付けをするタイプではないだろう。
「睦月、飾り付けしたいの?」
「うん」
そういう手間は面倒臭がるのかと思いきや、やはり睦月の中で、ツリーの飾り付けは外せない事項らしい。
「じゃあやっぱ、普通のヤツにしよっか」
「おっきいのね?」
「だから、置き場所ないって!」
今の時期、小さいながらストーブも出していて、ただでさえ部屋の中は狭いのに。
部屋の中には最初から置いてある2人分のデスクとベッドのほかに、食卓も兼ねているローテーブルとストーブがあるし、睦月が買ってきて読みっ放しになっている雑誌も投げてある。
とても大きなツリーを買って、置く場所があるとは思えない。いや、大きくないツリーでも、置けるかどうか、亮はちょっと不安になって来た。
「ねぇねぇ、亮、これおっきくない?」
「ちょっ…それ、デカすぎ!」
床に置かれたそれは、売り物なのかディスプレイなのか、普通に睦月の身長よりも高さがある。
まさか本気で言っているわけではないのだろう、けれど睦月は、ケラケラ笑いながら、「じゃあ、寮の玄関に置こ?」とか言い出している。
「むっちゃん! ホントに買う気なら、ちゃんと部屋に置けるサイズのヤツを選びなさい」
「もー、さっきからちゃんと選んでるのに~」
「どこが!?」
「あはは」
けれどやはりツリーを買いたいという気持ちは本当なのか、今度こそ、部屋の大きさに見合ったサイズのツリーを見始めている。
「じゃあ、こんくらいは? これなら置けるよね? ねっ?」
高さ30cmくらいのミニツリーを発見し、睦月は無邪気に笑い掛ける。
何の飾りも付いていない、シンプルなツリー。
こんな小さなツリーであっても、やっぱり飾り付けは自分でやりたいらしい。
「飾りはいっぱい付けようね?」
「いや、いっぱいは無理でしょ。厳選しないと」
「えー、亮、無理ばっか。じゃあ、あれは? あの光るヤツ。ライト?」
「電飾のこと? 小さいのとか、あんのかな? 電飾巻いたら、それだけでいっぱいにならない?」
「うー…確かに…」
売り場には様々なオーナメントや電飾が揃っているが、睦月が持っているツリーに見合ったサイズの電飾は見当たらない。
これで睦月が、やっぱ大きいツリーが欲しい! なんて言い出さないか亮は少し心配したが、もうツリーへの心は決まっているようで、睦月はとりどりのオーナメントを手に取って見ている。
「いっぱいあって迷うー」
和衣ほどの優柔不断さはないけれど、これだけの種類があると、なかなか選び切れない。
しかもツリーのサイズからして、オーナメントは厳選しないといけないから、余計に迷ってしまうのだ。
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08. じゃあ買ってあげる (4)
「この丸っこいのは? よくあんじゃん」
名前は分かんないけれど、この丸いの、よく飾られてない? と、亮が見せてあげれば、睦月はそれも買う! と笑顔で受け取った。
それから、雪だるまのと、靴下のと、ステッキと……選んでいるうちに楽しくなったのか、厳選しなければいけないはずなのに、いつの間にかカゴの中にはオーナメントがたくさんになっている。
「むっちゃん、選び過ぎ、選び過ぎ! 厳選するんでしょ?」
「えー、これ全部、飾れないかな?」
「いや無理でしょ。ツリー自体が見えなくなるよ」
「あぅ…」
本当は、まだあと雪綿も買って飾りたい、て思っていたのに。
それってちょっと、無理がある?
「じゃあ…これとこれ、やめる」
亮の言うことは尤もで、睦月は仕方なく、いくつかのオーナメントを棚に戻した。
「睦月、ちゃんと厳選した?」
「したした! よし、これ買って、早く帰ろ?」
「え、もう帰るの?」
「うん。だって早く飾り付けしたいし」
せっかくのお出掛けデートだったけれど、ツリーを買ったからには、早く飾りたい。
お家でツリーの飾り付けデートに、予定を変更しよう。
「りょーかい。じゃあ、カゴ貸して?」
「?? 何で?」
ツリーとオーナメントの入ったカゴを受け取ろうと亮が手を伸ばすから、睦月は分からず首を傾げた。
「買ってあげる。クリスマスプレゼント」
「え、いいよ、こんくらい自分で買うし」
ツリー自体も小さいし、きっとそんなに大した金額にはならないだろうけれど、そんな当たり前みたいに奢ってもらうわけにはいかない。
睦月は、ぷるぷる首を振って、カゴを自分の背後に隠した。
こうなると、意地でも払わせてくれないだろうことは、しかし亮の予想の範疇だ。
「じゃ、半分だけ出す」
「えぇー…」
「だから帰ったら、俺にも飾り付け、ちょっと手伝わせて? それならいいでしょ?」
「うー……うん。分かった」
そこまで言われて、睦月はようやく納得したのか、コクリと頷いた。
飾り付けは楽しみだけれど、2人でやったほうが、きっともっと楽しい。小さなツリーで、そんなにいっぱいの飾りは付けられなくても。
「じゃ、これ買ったら、帰ろっか。寒いしね」
「ねー」
会計を済ませ、店の外に出ると、寒さにかこつけて、2人は身を寄せた。
もちろん亮は、出来れば手も繋ぎたい、て思ったけれど、まぁこれでも十分。
帰ったら、温かぬくぬくで、ツリーの飾り付けが待っている。
*end*
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09. 同じもの2つ下さい (1)
翔真くんとお揃いの。
和衣と祐介がお揃いのリングをしていることに気が付いた真大は、そんな思いを胸に秘めて、翔真を買い物に連れ出していた。
けれど、真大がペアリングを欲しがっていることなんて知らない翔真は、のん気にセレクトショップのウィンドウを覗いている。
(翔真くんに、何て言おう…)
ペアリング買おう、なんていきなり言うのは、何だかスマートではない気がするし、かといって、何か他にいい言い方があるわけでもない。
(だいたい、そういうのって普通、プレゼントしてあげるもんだよね)
けれど、そのほうが断然カッコいいとは思っても、何かの記念日でもないのに、いきなりペアリングをプレゼントするのも…。
それに、何のリサーチもして来なかったけれど、やっぱりそこそこのお値段はするだろう。
「ぅむー…」
完全に勢いだけで出て来てしまったことに気付いた真大は、自分の財布の中身を思い出してみるが、到底ペアリングをプレゼントしてあげられるだけの余裕はなかった。
(あぅ、俺のバカ…)
でも、欲しい。
和衣たちみたく、真大だって、翔真とお揃いの指輪がしたい。
そういえば指輪なら、翔真もよくしている。
シンプルだけれどセンスのいいそれは翔真によく似合っていたし、1つだけでない、いくつか種類を持っていることも、真大は知っていた。
その、翔真の指輪のコレクションの中に、真大とのお揃いの指輪も加えてほしい。
「真大ー、ここ入ろうぜ?」
「え、うん」
むむー…と、真大が考え込んでいたら、翔真がお気に入りのショップを見つけたのか、店のドアを開けていた。
これまでにも何度か買い物デートはしたけれど、この店に来るのは初めて。翔真がどんなのを買うか見て、今後の参考にしよう。
「これ、どう?」
並んでいたニットキャップをいくつか手に取って考えていた翔真が、その1つを被ってみせる。
真大は何度か瞬きしただけで、何も言わない。
「ダメ? 似合わない?」
「うぅん…カッコよすぎて、言葉が出なかった…」
「は? 何言って…、お前、バカ、恥ずかしいな」
もちろん、似合うと言われるほうが嬉しいのだけれど、何の臆面もなく真大がそう言うものだから、何だか恥ずかしくなる。
「だってカッコいいんだもん。超似合ってる」
真大が思うに、きっと翔真は何を着たって、何を身に付けたって、格好いいに決まっている。
恋人の欲目てだけでなく、そうだと思う。
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09. 同じもの2つ下さい (2)
元々ニットキャップは、この冬に欲しいと思っていたアイテムらしく、真大に褒められたこともあってか、翔真は早々に買いたいものを決めてしまった。
翔真は和衣と違って、いろいろ迷っても最終的には、最初にいいと思ったものを選んでしまう、ということを分かっているので、買い物が早いのだ。
それに翔真の直感は、殆ど外れたことがないので、後からこっちのほうがよかった…なんてことも、滅多にない。
「え、翔真くん、もう買っちゃうの?」
「ぅん? 真大、何か他にいるのある? いいよ、見てて。これだけ会計してくるから」
「うん、でも…」
真大は、指輪の並んでいるコーナーにチラリと視線を向けた。
別に、この店で見なくたって、いいんだけれど。ていうか、お金の持ち合わせもあんまりないし、今日でなくなって、いいんだけれど。
…でも。
「アクセ見る?」
「え? あ、いや…今はいいや」
真大が指輪のほうを見ていたことに気が付いたのか、翔真にそう問われ、真大は思わずそれを断ってしまった。
「いいじゃん、見ようよ」
真大の気持ちを知ってか知らずか、単に翔真もアクセサリー類を見たいだけなのか、そちらに向かってしまう。
仕方なく真大も、今日はリサーチするだけ、と自分に言い聞かせ、翔真の後に付いて行った。
「真大ー、このピアス、よくない?」
「え、ピアスはダメ」
「? 何で?」
気に入った感じのピアスを見つけたのに、今度は真大にきっぱりと否定されてしまった。
いいと思ったんだけどなー、て翔真は残念そうにピアスをトレイに戻す。
「あ、いや、いいんだけど…」
「は? え? 何だよ、どっちなんだよ」
焦ったように、困ったように翔真の手を止めた真大に、理由を知らない翔真は苦笑した。
(だってピアスじゃ、お揃いに出来ないもん…。俺、穴開けてないから)
指輪やブレスならいいけれど、ピアスをお揃いでするには、その前に真大はピアスホールを開けなければならない。
今どき、ピアスくらい開けてる子なんていくらでもいるし、真大が開けたってきっと、お父さんもお母さんも泣かないだろうけど、でもそうでなくて、えっと、だから、
(……怖い…)
笑いたければ、笑えばいい。
でも怖いものは怖いのだ。
もし翔真が、ピアスならお揃いにしてもいいって言ったら、ちょっとは考えるかもしれないけれど、出来ればそれだけは避けたい。
真大は、ピアスの隣の棚にある指輪に視線を向けた。
パッと見る限りでは、真大が想像していたような、とんでもない高額ではなかったけれど、お揃いにしようと2つ買うには、財布の中身が許してくれない。
(やっぱ今日は、見るだけだ…)
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09. 同じもの2つ下さい (3)
気に入っていたようだし、それを買ったら、しばらくはアクセサリーはいらない、て思うかも…。
「真大、リング欲しいの?」
「え、何で?」
いきなり核心を突かれてしまって、ビックリして真大は微妙な返答をしてしまった。
「いや、だってさっきから気にしてんじゃん」
「してないよ」
嘘だけど。
めいっぱい気にしてたけど。
でも今日は買えないから、それは言わない。
「これとかよくない? 真大、手出して?」
「へ?」
何で? と思う間もなく翔真に右手を取られ、その指輪を指に嵌められた。
「え、ちょっ…」
「うん、いいじゃん、真大に似合ってる」
勝手に真大の指に指輪を嵌めておいて、翔真は満足げだ。
いや、センスもいいし、真大の好みの感じでもあるから、全然嫌ではないんだけれど――――でも。
(ここで俺のだけ買っちゃったら、ダメなんだって!)
真大の目的は、翔真とお揃いの指輪を買うことなのだ。
いくら翔真が勧めてくれたって、ここで自分の分を買ってしまったら、翔真にプレゼントしてあげられなくなる。
「あの…うん、すごいいいけど、今日はちょっとやめとく…。お金が…」
「え、いいよ、俺がプレゼントしてあげる」
「はっ?」
いや、とってもすてきな申し出だけど、確か真大のほうが指輪をプレゼントしようとしていたはずなのに、どうしてそうなってしまうのか、真大は思わず間の抜けた声を出してしまった。
だって真大はいろいろ考えても、スマートな言い方も全然分からなかった。
「真大?」
「…翔真くんが買ってくれるの? 俺の指輪?」
「ん? 他のにする? これとかは?」
翔真は、単に真大が、この指輪を気に入っていないだけだと思っているのだろうか。
別の指輪を取って見せてくれる。
「翔真くんは……どれがいいの?」
「俺?」
「……、俺、翔真くんと同じのがいい。同じ指輪が欲しい」
プレゼントしてあげたほうがカッコいいとか、どうやって切り出したらスマートかとか、そんなことばかり考えていたけれど、でもそうじゃなくて、同じものを身に着けられたら、本当はそれでいい。
和衣たちがそうしているみたいに、真大は、翔真とペアリングをしたかっただけだ。
「同じの? 俺と?」
真大の言いたいことは、伝わらなかっただろうか、それともお揃いなんて、やっぱり嫌?
翔真の反応が何となく微妙な気がして、真大は無言で目を伏せた。
「お揃い? ペアリングてこと?」
「……嫌?」
翔真の返事を聞くのは怖かったけれど、真大は視線を落としたまま、聞き返した。
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09. 同じもの2つ下さい (4)
「はぁ?」
翔真から、思っていたのとは違う、深刻にはほど遠い反応が返ってきて、真大のほうが面食らってしまう。
てか、笑われてる?
「何言って…、翔真くん、俺のことバカにしてるでしょ!」
「してない、してない、そうじゃなくて。だって俺、もし俺がお揃いにしよ、とか言ったら、ぜってぇ、バッカじゃねぇの? とか言われると思ってた」
「……、翔真くん、俺のこと何だと思ってんの?」
想像の世界だし、翔真が真大のことをどう考えようと別にいいけれど、仮にも恋人のことなんだから、もうちょっとかわいげのある姿を想像してほしい。
…まぁ、今までが今までだから、仕方ないと言えば仕方ないのだけれど。
「何だ、真大もお揃いの、欲しかったんだ」
「…翔真くんも思ってたってこと?」
「まぁね。…つーか、今言ったじゃん、お前に、バッカじゃねぇの? て言われんのが怖かったの。俺はそういうちっちゃい男なの!」
「ねぇ…、翔真くんの中で、俺って何キャラ? てか、そんなんで翔真くんがちっちゃいとか、ないし」
だとしたら、ここまでの自分は、きっと消えて無くなっちゃうくらいに、ちっちゃなヤツだ。
余計なことばっかり考えて。
「じゃあ、せっかく気持ちが分かったとこで、お揃いで買っちゃおっか?」
「……、…うん」
真大が思っていたような、カッコいい雰囲気にはならなかったけれど、きっと自分にはこのくらいがちょうどいいのかもしれない。
翔真の中で、自分がどんなキャラになっているのかは些か疑問だが、へたに格好をつけるのは性に合わないし、似合わない。
真大はがんばって素直になって、コクリと頷いた。
「真大は、どういうのがいいの? てか、この店で決めちゃう? 他にも見てみる?」
「…何か、ここで買うの恥ずかしいから、他にしよ?」
店員さんは他のお客さんの応対をしていたし、たぶん真大たちのやり取りには気付いていないと思うけれど、何となく恥ずかしい気がして、真大はそう言った。
バカなこといってるかなぁ…て思ったけれど、それは翔真も同じだったようで、「これだけ会計してくるから、先に店出てて」と、ニットキャップを持って会計に向かった。
真大が店の前で待っていると、ショップのバッグを提げた翔真が出てくる。
そう言えば、この店を出たのはいいけれど、他にどこの店がいいかなんてよく知らない…と思ってしまう。
真大が持っているのは、実家のある地元で買ったのと、こちらに来てからは、友だちに教えてもらったショップで買ったのくらいだから、そんなに知らない。
翔真はいろいろ持っているから、きっといっぱい知っているのかもしれないけれど。
(結局は翔真くん任せか…)
それが自分たちらしいのかな。
格好つけようと思っても、やっぱり敵わなくて。
「ねぇ、どこにする? 翔真くんがよく行くとこ、どこ?」
「んー…結構いろいろだけど」
「今着けてんのは?」
「これ? これは…、……亮の店」
右手を真大の前に翳す。
亮が大学に入ってからバイトで勤め始めたセレクトショップへ、和衣と一緒に冷やかしに行ったら、何だかうまく丸め込まれて、買わされるハメになってしまった。
趣味も悪くないし、値段も手ごろだったので、悪い買い物ではなかったが。
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09. 同じもの2つ下さい (5)
「えー…何か恥ずいんだけど」
「亮くんがいるかどうかなんて、分かんないじゃん」
「いるって! 俺らが出るとき、バイト行くって言ってたもん!」
自分1人で行くとか、友だちと行くのならいいけれど、真大と行くのは絶対に恥ずかしい。
冷やかすつもりが、間違いなく冷やかされる。
だって亮て、そういうヤツだもん。
「えー? 亮くんに、ペアリング何がいいですか、て聞こうよ」
「バッ…冗談じゃねぇよ」
「俺だって冗談じゃないもん。いいじゃん、亮くんだって知ってんでしょ? 俺らが付き合ってるって」
「知ってるけど…」
だから恥ずかしいのに。
真大は照れ臭くないんだろうか。わざわざ、2人が付き合っていると知っている友人のところに行って、ペアリングを買うなんて。
本気で周りが見えないくらいのバカップルでなかったら、相当な羞恥プレイだと翔真は思うのだが。
(……、こーゆーとこ、冷めてる、て言われんのかな)
別に2人、やましいことをしているわけではない。
恋人同士がペアリングを買うだけのことなのに。
「翔真くん? おーい」
「ふぇっ?」
「どうしたの? 亮くんのとこ、そんなにヤなら、別のとこでもいいよ? 他にいい店知ってる?」
冗談じゃない、とは言いつつ、やはり半分は冗談だったようで、乗り気でない翔真の態度に、真大はあっさりと別の店へ行こうと提案してきた。
特に気を悪くしたふうもなくて、そんなに深く考えていたわけでもないらしい。
「…うぅん、やっぱ亮のとこ、行こう?」
「えぇー? どうしたの、急に」
突然意見を変えた翔真に、真大は訝しげに眉を寄せる。
さっき真大が、ペアリングが欲しいって、本当は絶対に素直に言い出せない性格なのに、それを伝えて来てくれて、心底嬉しいって思った。
その気持ちを、ふいにしたくない。
「でもさぁ、亮には選んでもらわねぇよ? リング」
「ぅんー?」
「俺とお前のペアリングだろ? 亮になんか選ばせるかよ」
そう言ってニヤリと笑えば、真大の口元も上がった。
*****
真大と2人で亮のバイトしているセレクトショップに行けば、ドアの開く音に反応して、「いらっしゃいませー」と言い掛けた亮の言葉は途中で途切れ、信じられないものでも見るような目で見られてしまった。
「お客様にその態度ってないと思う」
「いや、あの…………いらっしゃいませ?」
翔真に指摘され、亮は変なイントネーションで挨拶をしてきた。
先ほど真大も言ったとおり、亮は、翔真が真大と付き合っていることを知っている。そういう関係になったとき、翔真が打ち明けたからだ。
そこに至るまでには、ひどい冷却期間のようなものがあったのだけれど、聡い祐介以外はそれに気付いていなかったので、今でもその部分の説明は省略していた。
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09. 同じもの2つ下さい (6)
予想どおりすぎるくらい予想どおりに、亮がニヤニヤしながら2人のところに近づいてきた。
いつもだったら皮肉百倍で言い返す真大も、さすがに高校からの先輩である亮にはそれも出来ないようで、何となく困ったような顔で視線を外した。
「そう。だから亮、邪魔しないで。あっち行って」
シッシッて追い払うような仕草をすれば、亮は未練がましい顔で離れて行った。
とりあえず、そのくらいの空気を読む力はあるらしい。
「ねぇ、どれにする?」
店内には亮もいて、しかもついさっきからかわれたばかりだというのに、真大の様子は今までと変わらない。どうやらやっぱり恥ずかしくはないらしい。
体裁ばかり気にしていた自分が、かえって恥ずかしいような気がした。
(でも照れ臭いもんは、照れ臭いの!)
だいたい亮が、いちいち冷やかしたりしなければいいのだ。
そうでなかったら、別に全然恥ずかしくなんかない……と思う。
(そうだ、亮が悪いんだ、全部。亮のせいだ!)
翔真は勝手に亮のせいにして、今は翔真たちから背を向けた状態になっている亮を睨んだ。
「翔真くん、ねぇ、どうすんの?」
「えっ? あー…えっと」
翔真は慌てて、指輪が並んだコーナーに意識を戻した。
「これ、よくない?」
「んー…これは?」
「それもいいね」
スーパー優柔不断な和衣の手前、自分は決断力があると自負していた翔真だったが、そうは言っても、初めて恋人と買うペアリングとなれば、やはりそう簡単には決められない。
趣味が似ていることもあってか、真大に示される指輪を、どれもみんないいと思ってしまう。
「ねぇねぇ、ペアリングならさ、これなんかよくない?」
2人であれこれと言い合っていたら、さっき気を利かせて離れて行ったはずの亮が、並んでいた指輪を1つ取って2人に見せてきた。
「ちょっ…亮!」
「これ、超お勧めよん。先週入荷したばっかだし」
咎めるような翔真の声を無視して、商品の説明を始める。
というか、亮に指輪を買うとか、ましてやペアリングを欲しがっているなんて、言った覚えはない。やっぱりこっそり翔真たちの様子を窺っていたに違いない。
商売熱心な店員ならやりがちなことだが、亮の場合は、そういうつもりではなくて、単に楽しんでいるだけだろう。
「ほっといて、て言ったじゃん」
「何だよぉ、せっかく人がいいの勧めてんのに~」
「お前には勧められたくないの、自分たちで決めたいの!」
「ちぇっ」
翔真に拒絶され、亮は再びすごすごと引き下がった。
せっかく来てくれた友人に、もっと構ってもらいたいらしい。分かりやす過ぎる亮の反応に、真大は思わず笑ってしまった。
「翔真くん、ねぇねぇ俺、亮くんのお勧めの指輪でもいいよ?」
「ダメ! あんなヤツのお勧めなんて」
ムキになる翔真がおかしい。
いつもずっと大人みたいなのに。何でも器用にこなして。
「じゃあ、翔真くんの、お勧めのね? 選んで?」
翔真の顔を覗き込めば、拗ねたような表情だったのが、途端に緩む。
(かわい…)
真剣な表情で指輪を見ている恋人の横顔を見つめながら、真大は思う。言えば絶対に怒るだろうけど。
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09. 同じもの2つ下さい (7)
「ぅん?」
「指出して」
丁寧に手を取られ、指輪を嵌められる。
行為は同じでも、さっきよりも心が擽ったくて、温かい。
「ピッタリ。これにしよっか?」
「うん。でもこれ、同じのもう1個、ある?」
「あー…」
同じ指輪がもう1つなければ、お揃いにはならない。
一見しただけでは、同じデザインの指輪が見当たらなくて、真大は残念そうに翔真を見た。
「…しょうがない、悔しいけど、アイツを使うか」
「え?」
「亮」
本当にひどく悔しそうに翔真はそう言って、離れたところでディスプレイをしていた亮を呼んだ。
「はいはい、何でしょうか、お客様」
「ムッ…これください、店員さん」
「うはは、そんなに嫌そうな顔しなくたってなぁ、真大?」
「え、うーん……うん」
亮と翔真のやり取りを思わず見入ってしまっていた真大は、いきなり亮に声を掛けられて、うまく反応が返せなかった。
普段の様子からして、亮のほうが絶対子どもっぽいし、翔真がいつもうまくあしらっているように見えるのに、何だか今はそれが逆転しているようにも思える。
和衣も含め、小さなころからの長い付き合い、悔しいけれど真大にはまだ計り知れない部分があるのかもしれない。
「それで? 何かお気に召したものでも?」
「これ」
翔真は、真大がまだ指に嵌めたままでいる指輪を、真大の手ごと亮に見せた。
「同じの2つ」
掴まれた手首が、熱い。
同じのを、2つ。
同じ指輪を。
「はいはい、承知しました! ショウ、サイズは?」
夢見心地でぼんやりしている真大をよそに、翔真は不本意そうに亮に指輪のサイズを伝える。
やはり亮に頼むというのが、翔真の中では納得いかないらしい。
「包んだほうがいい? それともそのまましてく?」
「…そのままで」
翔真はチラッと真大を見たが、その返事を聞く前に、亮に答えた。
亮は万引き防止用のタグを器用に外し、2人にそれぞれ指輪を渡すと会計をしていくが、2つの指輪を一気に会計されそうになって、真大は慌てて亮を止めた。
「あの…1個は俺が出すんで……お金…」
「へぇっ? いいじゃん、ショウに奢らせときなよ」
「でも……いいの。1個ずつ会計して?」
指輪2つとも翔真が金を出すものだと思っていたのは、亮だけでなく翔真自身もそうだったようで、真大の申し出に驚いたような顔になる。
「いいの。俺にプレゼントさせて? 翔真くんの分」
カッコつけたいとか、そんなんじゃない。
一方がもう一方だけになんて、そんな一方通行で、偏りが大きいのは好きじゃないから。
「え、何? じゃあ、ショウの分を真大に支払ってもらって、真大の分をショウに? ぅん??」
同じのを買うんだから値段も一緒だし、それって自分で自分の分を買うのと同じじゃね? と、微妙な乙女心の分からない亮は、そう思いながらも、言われたとおり、1つずつ会計してやる。
「ありがとうございましたー」
極めて事務的に、そしてあからさまな営業用のスマイルを張り付けて、2つ指輪の会計を済ませた亮が挨拶をした。
へたにからかうと、翔真がまた機嫌を損ねると思ったのだろう。
「またねー」
店を出るとき、背後から亮の声がして振り返れば、亮が笑いながら(もちろん営業用でない、本物の笑顔で)手を振っていた。
「翔真くーん」
「ん?」
「手、繋ご?」
「わっちょっ」
翔真がいいも嫌も言う前に、真大がその手を掴んだ。
「翔真くん、好き」
左手と右手、それぞれの手に着けた指輪が、触れて、重なった。
*end*
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10. 次の約束 (1)
「亮ー!」
「ぐえっ」
寮の自室、バタバタと部屋に駆け込んできた睦月は、ベッドに伏せてマンガを読んでいた亮の上に、まったくの遠慮もなく飛び乗った。
いくら睦月が小柄で華奢とはいえ、れっきとした成人男子だ、飛び乗られて重くないわけがない。
亮はカエルが潰れたような声を出して、マンガ本に顔を突っ伏した。
「むっちゃん…」
「ねぇねぇねぇねぇ~亮、今度の日曜日、出掛けよう~? 遊園地行こう~?」
ポタポタと、マンガの上に水滴が垂れてくる。
風呂上がりの睦月が、髪もろくに拭かないまま、亮の上に乗っているせいだ。
「睦月、ちょっ、降りて…」
「りょーおー!」
「ぐぅっ…」
全然話が噛み合わない。
ただ亮から「いいよ、行こう」の返事が欲しいだけの睦月は、亮の声がまったく聞こえていないらしく、勢いあまって、背中に乗ったままチョークスリーパーを決めている。
「ギブギブ! 睦月っ…!」
「…ぅん?」
バシバシと腕を叩かれ、睦月はようやく今の状況に気が付いた。
「あれ? 亮、大丈夫?」
「あんまり大丈夫じゃないから…放して…」
「うん」
必死な亮をよそに、睦月はのん気に亮の首から腕を放し、けれどその背中からは降りずに、ペタリと貼り付いた。
「亮、大丈夫ー?」
「何とかね…。で、何だって?」
「遊園地、遊園地ー」
「冷てっ…。むっちゃん、ちょっと降りて」
ユサユサと睦月に体を揺さぶられるたび、上からポタポタと水が垂れてくる。
亮は背中から睦月を降ろして、睦月の首に下がっているだけで、何の役にも立っていなかったタオルで、頭を拭いてやる。
「ん、んー…ねぇ、亮ー」
「なぁに?」
「遊園地ー、行こうよぉ~」
「何、急に。どうしたの」
甘えるように抱き付いてくる睦月を嬉しいとは思いつつ、その口から「遊園地」て言葉が出て来ることに、少しばかりの不安を覚える。
だって睦月は絶対、絶叫マシンに乗りたい、とその後に続けるに決まっている。
絶叫系のアトラクションは大の苦手である亮にしたら、いくらかわいい睦月の頼みとはいえ、そればかりは聞いてあげられないのだ。
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テーマ:自作BL小説 ジャンル:小説・文学
10. 次の約束 (2)
亮に口を挟ませる隙もなく、睦月は一気にそう捲くし立てた。
睦月の頼みとはいえ、聞いてあげられない……て思っていた亮だったが、こんな睦月に「行きたくない」なんて言って、通じるのだろうか。
「むっちゃん、あのね。俺が絶叫マシン苦手だってこと、知ってるよね?」
「知ってる。でもいいじゃん、行こうよ」
「いやいや、いいじゃん、の意味分かんないし。百歩譲って、睦月が乗ってる間、俺、見てるだけでいいなら、行ってもいいけど」
「えー…そんなに譲んなくてもいいから、亮、一緒に行こう? だってさ、前みたくショウちゃん誘おうかな、て言ったら、ショウちゃんには真大? がいるからダメだよ、て蒼ちゃんが言うし…。亮が行かなきゃ、俺、一緒に行く人がいないんだけど」
もちろん睦月にだって、他に友だちはいくらでもいるけれど、蒼一郎が恋人である郁雅と一緒に行った、て聞いて、やっぱり恋人同士でしょ! と思ったのだ。
「ね、行こう? ね? ね?」
「うーん…」
睦月が、恋人同士てことを意識してくれると、何だかそれだけで嬉しい気がして、単純だけど、亮の心もちょっと揺らぐ。
「行こ? でね、でね、最後は観覧車ね?」
「え、観覧車?」
「やっぱり最後は観覧車でしょ?」
もしかしたらそれも、蒼一郎の影響なのかもしれないけれど、ね? と首を傾げている睦月に、つい絆されてしまう。
「…じゃあ、がんばって絶叫マシン乗ったら、観覧車の中でキスしてくれる?」
バカなお願いだと思いつつ、ん? と睦月の顔を覗き込めば、何やら考え込んでいる様子。
わりとお手軽な条件だと思ったのだが、それなりに葛藤があるらしい。
「睦月?」
「んー……分かった。いいよ」
「マジで!?」
それなら他の人と行くもん! とか言ってご機嫌を損ねてしまうのかと思いきや、睦月はにっこり笑って承諾してくれた。
思わず亮の声も大きくなってしまう。
睦月のキスが貰えるなら、絶叫マシンの1回くらい、我慢しようと思った…………のだが。
「その代わり…」
「ん?」
「いーっぱいキスしてあげるから、いっぱいジェットコースター乗ろうね!? 亮!」
「えぇっ!?」
もちろん睦月が転んでも、ただで起きるはずもなく。
約束、約束~、と笑顔で亮の小指に自分の小指を絡げたのだった。
*end*
遊園地編は、別で書く予定です(長くなりそうなんで)すみませ~ん。明日はカズちゃん&ゆっちさん編です。
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10. 次の約束 (3)
――――デートが終わって、バイバイするときって、何でこんなに寂しくなるんだろ。
帰り道、祐介の隣で和衣はそんなことを思っていた。
戻った部屋には同室者がいて、和衣は決して1人ぼっちではないのに。
バイバイしたって言っても、和衣と祐介は同じ寮の同じ階、数部屋しか離れていないところに住んでいるのに。
(でも、祐介とバイバイすんの、寂しいな…)
楽しい楽しいお出掛けの後、寮が見えてくると、いつも思う。
こんなに近くで暮らしていて、しょっちゅう一緒にいるとは言っても、やっぱり離れ離れになる時間は寂しい。
いくら殆ど規則のない寮とはいえ、2人の部屋にはそれぞれ同室者がいるから、一緒に寝るなんて出来ないし、ただの大学生である2人に、そんなに頻繁にどこかに泊まれるだけのお金の余裕もない。
だから大抵の場合、いくら遅くなっても(遅くなるのはもちろん、年相応の恋人同士的な理由によるが)、最終的には別々の部屋に帰って行くことになるのである。
(こんなに一緒にいるのに、もっともっとそばにいたい、て思うなんて、俺って欲張りなのかな…)
もう夜も更けて、寮を出入りする人影もないのをいいことに、こっそり手を繋いで帰って来て。
その手を離したくなくて、自分の部屋を通り越して、祐介の部屋の前まで行きそうになる和衣を、祐介がやんわりと止める。
気持ちは分かるけど。
でもここでバイバイしないと。
「ゆう…」
ただでさえ壁の薄い寮。
普段は会話が聞き取れるほどでもないけれど、深夜、静まり返った中では、普通の声の大きさでも聞こえてしまうかもしれなくて、和衣は声を潜めながらも、離れ難くて祐介の名前を呼ぶ。
「和衣、おやすみ」
そっと手を解かれる。
本当は繋ぎ直したいけれど、でも今日も1日一緒にいて、それでもまだいたいなんて思ってること知れたら、わがままとかウザいとか思われるかも…て、和衣は我慢して手を離した。
祐介からは、あんまり我慢しないで、とか、溜め込まないで、て言われているけれど、こればっかりはどうしようもないこと、和衣も分かっているから。
バイバイ。
おやすみ。
「また、出掛けようね?」
「…ぅん」
「約束」
「…ん」
「和衣」
呼ばれても、顔が上げられない。
何か、バカみたいだ。
1人で、ひどく深刻なお別れみたいな雰囲気になって。
(俺って、バカだな…)
そう思って、顔を上げようとした、ら。
「えっ…」
クイ、と祐介に腕を引かれる。
驚く間もなく、祐介の腕の中。
「また、明日ね?」
そっと額にキスを落とされる。
名残惜しいのは、離れたくない、て思うのは、祐介も一緒だから。
ね、また出掛けよう?
ずっと一緒にいよう。
「約束」
*END*
ラブラブデート編は、これにて終了です。お付き合い、ありがとうございました!
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砂糖漬けのくちびる
借りてきたDVDを2人で見ながらまったりしていたら、何だかどうも慶太に落ち着きがない。
腕の中でモゾモゾしている慶太に気を取られているうち、映画のいいところを見逃してしまった。
「慶太、」
何してんだ、と聞こうとする前に、慶太は腕の中をすり抜けて、ごそごそと自分のカバンを漁り出した。
映画に意識を戻したいが、やっぱり慶太のほうが気になる。
「けい…」
「ねぇねぇ、相川さん」
もう1度声を掛けようとしたら、何を探していたのか知らないが、お目当てのものを見つけ出せなかったらしく、慶太がポテポテと戻って来た。
「リップ」
「あ?」
「リップ貸してください」
思い切りテレビと智紀の間に割り込んできて、でも慶太はそんなこと全然気にするふうもない(というか、気付いていないのだろう、変なところで鈍感なので)。
「お前、唇切れてる」
「だからリップ」
拗ねて、むぅと突き出した唇は荒れていて、ちょっと痛そう。
ずっとモゾモゾしていたのは、この荒れた唇が気になっていたかららしい。
「それずっと探してたのかよ。リップだったら、そこの――――」
そう言い掛けて、智紀はスッと立ち上がると、自分でカバンの中からリップクリームを持ってきた。
ようやくリップを発見した慶太は嬉しそうに手を伸ばすが、智紀はそれを慶太に渡そうとはせず、またどかっとソファに身を投げた。
「貸してくださいよ」
すぐに貸してくれるのかと思ったのに、智紀の行動の意味が分からない。
この伸ばした手は、どうしたらいいの?
「慶太、こっち来て」
リップクリームのキャップを外した智紀が、慶太を手招きするけれど、どういうことなのか、全然分からない。
そのまま渡してくれたら済む話だし、第一、こっちに来いと言っても、慶太は智紀の真ん前に、ちょこんと座っているのに。
「ここ座って」
「は?」
ここ、と言って智紀が示した場所は、彼のももの上。
つまり、そこを跨いで座れ、と。
「俺、リップ借りたいだけなんですけど」
「貸してやるから、ここ座って」
「……」
何でリップクリームを貸すだけなのに、恋人のももを跨いで座らなければならないのか。
絶対に善からぬことを考えているに違いない、危ない、と慶太の本能がそう警鐘を鳴らすけれど、カサカサになって血の滲んだ唇を、このままにしておきたくはなくて。
「ホントに貸してくれるんですよね?」
「貸す貸す」
疑わしげな表情で、戸惑いながらも、慶太は智紀のももを跨いだ。
「…これでいいですか?」
「オッケー、オッケー」
渋々顔の慶太と違い、智紀は満足そうに笑う。
しかも、ちゃんと座ったんだから早くリップ、と思うのに、智紀はなかなか渡してくれなくて。
「相川さん? えっちょっ…」
智紀は、手にしたリップクリームのキャップを外すと、それを徐に慶太のほうに近付けてきて、何をされるのかと、驚いて慶太が身を引いた。
「危ねぇな。下がんなよ、落ちるだろ」
「何、何するんですかっ?」
「俺が塗ってやる」
にんまりと笑った智紀に、しかしその言葉がまだ十分に思考回路に伝わっていないのか、慶太はポカンとしている。
「俺が塗ってやるから、動くな」
「……。…はっ!? ヤですよ!」
智紀にもう1度繰り返され、ようやく慶太は理解したのか、顔を赤くしてももの上から退こうとするけれど、左手をガシッと腰に回されて、慶太は逃げる術をなくした。
近付いてくるリップクリームから逃れようとすれば、そのまま後ろに引っ繰り返りかねない。
「ホラ、ジッとしろ。リップ塗るだけだろ?」
「自分でします!」
「ダメ」
何で! と慶太は宙を仰ぐ。
この男前の恋人に、一体どこで、どんなスイッチが入ってしまったんだろう。
「やらせろ」
言葉だけ聞くと、何だかとっても卑猥な感じがするが、やりたがっていることは、慶太の荒れた唇に、リップクリームを塗ること。
これ以上の押し問答は無駄だと悟った慶太は、渋々「分かりました…」と頷いた。
「そんなにキュッとすんなよ、塗れねぇだろ」
やることは大したことでもないのに、何だかすごく恥ずかしい。
恥ずかしくって、ギュッと目を瞑って、口を噤んでいると、智紀の指が口元に触れた。
「もうちょい開いて」
「ん…早、く…」
素直に口元を緩める慶太に、智紀は笑みを深くする。
このセリフ、出来ればベッドの上で聞きたいなぁ、などと不埒なことを考えつつ、智紀は早速リップクリームを滑らせた。
2,3度唇の上をなぞられて、リップスティックの遠ざかっていく感覚。慶太はようやく目を開けた。
「ッ、」
思いのほか近くにあった智紀の顔に、思わず肩を竦めてしまう。
「も、下ろしてっ…」
何だか全部恥ずかしい。
ももの上に乗ることも、リップクリームを塗ってもらうことも。
だって、そんな。
「なぁ、慶太。キスしていい?」
「はぁっ?」
慌てて身じろぐ慶太をよそに、智紀はさらに慶太を驚かせる。
こっちはももから下ろしてもらいたい一心なのに、一体どうしてそうなってしまうんだろう。
「だってリップ塗ったら、慶太の唇、ツヤツヤでプルンとしてるし」
「……」
どこのオッサンですか、それ。
思わず呆れた視線を向けるが、智紀は少しも怯まない。
「慶太、いい?」
「ぅー…」
キスくらい、別にいいけれど。
でも何だか全部、智紀の思うままにされているような気がする。
「慶太?」
慶太は視線を彷徨わせ、散々逡巡したが、ようやくコクリと頷いた。
やっぱり智紀とキス、したい。
リップ貸してくれたお礼ですからね、と、慶太は静かに目を閉じた慶太は、だらしなく顔をにやつかせる智紀に気付くことなく、優しいキスを受け入れる。
映画はいつの間にか、終わっていた。
*END*
タイトルは、「約30の嘘」さまからお借りしました。thanks!
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星が死んだ (※注)
*このお話は、「君といる~」シリーズの番外編になります。
本編を読んだことないかた
本編を読んでいないと少し分かりづらいかもしれません。また、本編のネタバレを含みます。
本編をお読みのかた
むっちゃんの中学時代の、例の出来事についてのお話です。
BL? これってBL? みたいな感じで、しかも超シリアスです。苦手なかたは避けてください。
秋。
日はとうに短くなっていて、5時と言えば少し薄暗いと感じるほどだった。
だから夏は6時過ぎまでやっている中学の部活も、今は、ミーティングを含めても5時半には切り上げて帰らされるようになっていた。
ごく普通の、地方の公立中学校で、祐介はサッカー部、睦月はバスケ部だった。
家も近かったし、小さいころからずっと仲はよかったけれど、中学生になって違う部活に入ってからは、終わる時間が違ったり、同じ部活に入った子と一緒に帰ったりするようになって、帰りは別々になることが多かった。
それでも祐介は、寝起きの悪い幼馴染みを迎えに、毎朝、睦月の家に寄るのが日課だった。
*****
秋とはいえ、まだ残暑の厳しい日だった。
グラウンドでボールを追い掛けているときはまだ青空も見えていたのに、ミーティングを終えて、ユニフォームから制服に着替えて学校を出るころには、しとしと雨が降り出していた。
真夏の夕立とは違う、なかなか止みそうにない静かな雨。
祐介は同じ部活の友人と、3人で帰宅していた。
今週のジャンプがどうだとか、昨日見たテレビがこうだとか、そんな他愛のない話。さっきまで部活でサッカーをしていたのに、少しもサッカーの話題が上らないあたり、中学生らしかった。
途中で2人と別れ、祐介は1人、自宅へと向かっていた。
大きな通りではないから、人通りもそんなになかったけれど、街灯も多かったし、住宅街だったから、そんなに物騒だとも思っていなかった。
大体、そういう危ない事件は大きな都市で起こるもので、こんな田舎の地方都市には無縁のものだとさえ、思っていた。
だから、道端に転がっていた開きっ放しの傘が、睦月のものに似ていると思ったときも、どうしてこんなところにあるのか、全然分からなかった。
さすがに中学生にもなって傘に名前なんて書かないから、一見しただけでは睦月のものかは分からなかったけれど、確かに朝、睦月が慌てて持って出たものに似ていた。
それを拾い上げたとき、何となく、嫌な感じがジワリと這い上がった。
祐介は、ゆっくりと路地のほうを顔を向けた。
そこは明かりすらもない、細い道。
拾った傘を閉じると、祐介はそちらに足を進めた。
何もなければ、それでいい。落ちていた傘は、もしかしたら睦月のものかもしれないから、持って帰ろう。もし睦月のでなかったとしても、落したままにはしておけないから、やはり持ち帰るのが正解だろう。
祐介はわざとそんなどうでもいいことを考えながら、その路地を覗き込んだ。
バサリ。
拾った傘が手から離れ、地面に落ちた。
「むつ、き…?」
地面に仰向けに倒れているのは、幼馴染みの睦月だった。
雨に濡れていた。
上には知らない男が覆い被さっていた。
どういうことなのか、祐介には分からなかった。
いや、理解することを、脳が拒んでいた。
いくら中学生とはいえ、その状況を見て何が起こったのか、睦月が何をされたのか、まったく分からない、なんてことはあり得なかった。
キィーン…と、耳の奥が痛い感じがした。
睦月は、祐介のことを見てはいなかった。ただただ、降り注ぐ雨を、分厚い雲に覆われた灰色の空を見ていた。
「ッ…」
止まった時間を切り裂くように、祐介は2人に向かって走り出し、その男を突き飛ばした。男は思いの外あっけなく睦月の上から吹っ飛んで、地面に転がった。
こちらに向かってくるかとも思ったが、男はたじろいで、ズボンの前を直しながら路地の向こうへ逃げて行った。
祐介は、その背中が見えなくなるまでずっと、路地の先の暗闇を睨み付けていた。
「ゆっ…ち…?」
掠れた声が自分の名前を呼んで、祐介はハッと我に返った。
振り返っても睦月は、月も星もない空を見上げたままだった。
「……、睦月」
右手と右足が一緒に出そうだった。
祐介は一生懸命に自分の手と足を動かして、睦月のもとへ行った。
「…起きれる?」
わずかに身じろいだ睦月の腕を引き、背中に手を回して起こしてやる。
睦月は無言だった。
下腹部を汚す精液が、雨で流れ落ちていく。
「袖、ホラ」
睦月の向かいに跪いた祐介が、濡れてグシャグシャになったシャツを広げて背中のほうに回せば、睦月は大人しくそれに袖を通した。
ボタンを留めてやろうとして、それが殆ど引き千切られ、なくなっていることに気が付き、手が止まった。
祐介はそのことには触れず、肌蹴ると分かっていながら、シャツの前をしっかりと引き寄せた。
下着は、制服のズボンと一緒に脱がされていた。ズボンも下着も、もうびしょびしょに濡れていたけれど、何とか足を通させた。
「歩ける?」
尋ねれば、睦月は緩く首を振った。
祐介は放り出されていた睦月のカバンを拾うと、背負っていた自分のカバンを下して、一緒に腕に下げた。
「はい」
祐介は睦月に背中を向けて、その場に屈んだ。
トサ…と、背中に重みが掛かる。濡れたシャツが、背中にベッタリと張り付く。冷えた体に、睦月の体温が伝わって来た。
「よっ…」
腕にカバンを掛けたままのおんぶは、力をうまく入れるのも、バランスを取るのも難しかったが、祐介は何とか立ち上がった。
「かさ…」
「ん?」
「傘が…」
飛んで行った、と言われて、やはり先ほど拾った傘が睦月のものだと分かった。
祐介は睦月を負ぶったまま屈んで、睦月と自分の傘を拾い上げた。
「持って。持てる?」
祐介は何とか自分の傘を閉じて、2つとも睦月に渡せば、前に回していた睦月の手がそれを掴んだ。
足元で揺れる2つの傘を見つめながら、祐介は睦月をしっかりと負ぶって、歩き出した。
雨が降り、曇っているからだけでなく、日も沈んでしまったのだろう、すっかり暗くなってしまった通り。
雨が、2人に降り注ぐ。
歩くたびに少しずつずり下がっていく睦月を、よいしょ、と背負い直した。
「ゆっち」
「ん?」
「早く家に着けばいいのにね」
「…、そうだね」
耳元で、グズリと睦月が鼻を啜る音がした。
祐介はギュッと唇を噛んだ。
雨が目にしみるけれど、両手が塞がっていて、拭えない。
何度も瞬きをした。
頬を伝うのは雨なんだと、誰に言い訳する必要もないのに、祐介は心の中で繰り返した。
涙じゃない、雨だ。
みんな、雨のせいだ。
月も星もない、雨の帰り道。
睦月を負ぶって帰る家までの道のりを、遠いとは思わなかった。
*END*
いろいろとすみませんでした。
しかも長かったです。
ゆっちさんが(内心はともかく、一見すると)あまり動じず、淡々としているところを書きたかったんですが、うっかり中学生らしからぬ冷静沈着マンになってしまいました。
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読み切り中編集 INDEX
■wish :: クリスマス。天使は舞い降りた。
(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
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■気付かせないで、恋心 (illustration:あまトロさま) :: この熱を知っている。
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■Pure Blue :: 気持ちが1つになれない。
(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
■突然過ぎる日 (title:207ベータさま) :: 日常はすべて突然に。
1. 突然の大雨。開け放した窓が原因で部屋が水没。枕1つ持って君んちへ行く。 (前編) (後編)
2. 突然の訪問。案の定食べ物が無く、災害時の為に買い置きした缶詰を食べる。
3. 突然の雷。恐怖に慄くが、君が絶叫して飛びついてきたのでかえって落ち着きを取り戻す。
4. 突然の停電。ギャアギャア喚く君を置いて懐中電灯を探しにいくが、君がやたらに動き回るので気になって仕方ない。 (前編) (中編) (後編)
5. 突然の告白。暗闇の中で愛を叫ばれるが、すいません。そっちじゃなくて此処に居ます。 (前編) (後編)
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カテゴリー:読み切り中編
wish (1)
でも先に言っておくと、クリスマスまでにはもちろん終わらないですし、うっかり年も越えちゃうんですが、許してください。
Side:Toyama
雪の降る晩。
俺は1匹の天使を拾った―――。
*****
ジングルベルのメロディーに乗って、ネオン輝く賑やかな街。それこそ老若男女問わず、みんなに愛されるクリスマスがもうすぐやって来る。
雪まで降って、きっとホワイトクリスマスになるんだろうな…て、そんな日に俺は残業。おまけにそんな俺を待っててくれるかわいい彼女もおらず。
ますます落ち込みそう……なんて思いつつ、華やかな大通りを抜けて、自分のアパートに向かう。
「…?」
アパートの前、何か白っぽい物体。
何となく人っぽい雰囲気がして、いや、ホントに人で焦る。
まさか死んじゃってるわけじゃないよな? いや、行き倒れ? どっちにしろ、自分ちの前で倒れられて、放っておけるわけもなく。
「あのー…もしもし…?」
恐る恐る声を掛けてみる。
遠目で見たとき、白っぽい感じがしたのは雪を被ってるせいだけじゃなかった。着てる服自体、真っ白。
今時の若い子にしちゃ、ちょっと珍しい感じだけど…。
「おーい…大丈夫?」
「―――……ん…?」
声を掛けても反応のないその子の肩を揺さぶってみれば、わずかに反応が返ってきてホッとする。
少なくとも死んではいないらしい。
こういう場合は、警察? 救急車?
「ん~…あれぇ?」
俺の呼び掛けに漸く目を覚ましたその子は、のん気そうに目をこすりながら体を起こした。
とりあえず大丈夫そうなんで安心したけど、ショートカットの茶色い髪にも雪が付いてるのに気付かないから、俺はその雪を払ってやった。
「あ、お帰り、遠山くん」
「は?」
「ぅん? お帰りなさーい。帰って来た人を出迎えるときは、『お帰り』でしょ?」
「え、あ、はい」
いや、お帰りはいいんだけど。それは正解なんですけど。
そうじゃなくて。今この子、俺の名前、呼んだよな?
えーっと……知り合い?
「俺、遠山くんが帰ってくるの、ずっと待ってたんだよぉ! なのに全然帰ってこないから、いつの間にか寝ちゃった」
へー…そっかぁ、遅くなっちゃって、ゴメンね……て、そうじゃなくて! そうじゃなくて!
え、何? 俺のこと知ってんの?
つーか、それよりこの子、自分のこと『俺』て言ったよな? え? えっと、若い女の子の間じゃ、今自分のこと『俺』て呼ぶのが流行ってんの? え? え?
「え、男?」
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wish (2)
「そうだけど? 何言ってんの? まさか俺のこと、女だと思ってたわけ!?」
「いや、あの…」
ちょっ…声デカッ! 近所迷惑、近所迷惑ッ…!!
でもぷくっと頬を膨らまして拗ねる姿は、怒ってるとこ悪いけど、どう見たって女の子…。顔だってかわいらしいし。
「つーか、ちょっと待て! さっきから俺のこと遠山遠山って言うけど…」
「あれ? 遠山くんじゃないの? 人違いだった?」
「いや…遠山は俺ですが」
「何だ、間違ってないじゃん」
「そうなんだけど…、え、何? 知り合い…だっけ?」
年下っぽいし……後輩?
でも全然見覚えないし、それ以前に、俺の知り合いで、こんな妙な格好するヤツいねぇし!
「知り合いっていうか、えーっと、俺の名前は遥琉(ハル)。遠山くんに愛と希望を届に来た天使なんです」
「…………。…え?」
「え? 聞こえてた?」
いや、聞こえてはいましたけどね。
何か脳が理解することを拒否したっていうか…。
「だからぁ、俺はね、天使なの、て・ん・し! でね、まぁぶっちゃけた話すると、クリスマスに恋人もいない、不幸でかわいそうな遠山くんの願いを叶えるためにやって来たのです!」
何だか妙に偉そうに、遥琉とかいうヤツが言ってのけた。
その態度も何か腹立つが、言ってる内容も腹立たしいし、それ以前に何言ってんだ、コイツ。え、変な宗教とか?
若いのに変なのにはまりやがって。かわいそうなのはお前だろ。
「どうしたの? 遠山くん」
「あー…えっとね、もう時間も遅いし、早くお家帰んな? きっとパパとママも心配してるよ?」
「…遠山くん、俺のこと、変な人だと思ってない? 言っとくけど、俺、普通の人だよ? 人っていうか、天使だけど」
「いやあの俺…そういうの間に合ってますから」
「あぁーもう! どう言えば信じてくれるわけ!? 俺、遠山くんを幸せにするために、わざわざ天界から降りて来たのに!」
今度は逆切れですか。
そんなこと言われても、こっちも困るんですけど!
あーもう、ただでさえ落ち込み気味のところに、この仕打ち!? 俺が何したわけ?
でも今の若い子って、よく分かんないし、逆切れついでに刺されたりとかしたらどうしよう…。
「とにかく、もうホント帰ってな? 俺だって、そんなに不幸なわけじゃないから…」
俺は勝手に話を終わらせて、遥琉に背を向けた。
「ちょっと待ってぇ!! 待ってよ、遠山くんっ!!」
だああぁぁ~~~!!
こんな時間に俺の名前をデカイ声で言うな~~!!
「何だよ、いい加減に……ぉ…へ…??」
怒りに任せて振り返った俺の目の前で、遥琉の体は確かにプカッと浮かんでいた…。
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wish (3)
もしかしたら全部夢かもしんないし。
「何か遠山くんの部屋、さっぷーけー! ホンット、男のひとり暮らしって感じ。寂しぃ! 寒い!!」
…………。
バカにしてる?
「暖房くらい点けるよ。俺だって寒ぃし。つーか、その濡れた服を何とかしろ、床が濡れる!」
「だって着替えとかないし。貸してくれる?」
「……」
仕方なしに、遥琉が着れそうなサイズの服を出して渡してやる。
自称天使のコイツが風邪を引くのかどうかは知らないけど、そのままだと家の中が濡れるし。
「ありがとー」
受け取った服をさっそく着替え始める遥琉を見ても、どう見たって普通の人間にしか見えない(頭の中は普通じゃなさそうだけど)。
でもさっきは確かに宙に浮いてたし……羽根? いや、ないよな、そんなの。
やっぱ夢?
「遠山くん、さっきから何ジロジロ人の着替え見てんの? エッチぃ~」
「アホか! 男の着替えなんか、見ても何も楽しくねぇよ!」
あーいちいち疲れる!
ていうか、コイツの騒ぎのせいで、まだ夕飯食ってねぇんだけど、俺。
まぁ夕飯って言ったて、コンビニで買ってきた弁当だけど!
ギャアギャア言ってる遥琉を無視して、冷めてしまった弁当を電子レンジに突っ込んで、あたためボタンを押せば、
「えぇー遠山くん、コンビニのお弁当食べるのぉ?」
遥琉の余計な一言。
ホントにいちいち腹立つヤツだな。俺だって好きでコンビニ弁当食うわけじゃねぇよ!
「しょうがねぇだろ、残業だったんだから」
「ホントに不幸なんだねぇ…遠山くんて…」
「…………」
「でも大丈夫! そんな不幸な遠山くんも、俺にかかればあっという間に幸せに…」
チンッ!
「あ、弁当あったまった」
「ちょっとぉ、遠山くん、最後まで聞いてよ!」
何か力説を始めようとした遥琉を無視して、俺は温まった弁当をレンジから取り出して、リビングに向かった。
後を付いて来る遥琉は、なぜかキョロキョロしていて。
「何だよ」
「俺の分は?」
「は?」
「俺の分のお弁当。何で遠山くんの分しかあっためないの?」
そんな当たり前のような顔して自分の分の弁当をねだられても…。
もちろんそんな想定してないし、用意もしていない。
「え、ないの? 何だ、残念。1回食べてみたかったのに。まぁいいや、じゃあ遠山くん、早く願い事言って?」
「は?」
意味不明な言葉を続ける遥琉に、玉子焼きを掴み上げようとしていた箸が止まった。
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wish (4)
「え、そりゃまぁ…」
「じゃ、早く言って。俺、何でも叶えちゃうよ? かわいい彼女が欲しい? それとも出世したい? お金持ちに…」
「ちょちょちょっ、何? は?」
勝手にどんどん話を進めていく遥琉を、何とかストップさせる。
あぁ~何!? やっぱり何か変な宗教とか? ツボとか買わされるわけ!?
「だからー、俺は天使で、遠山くんを幸せにしに来たの。まだ分かんない?」
「分かんねぇよ! ツボとか印鑑なら買わないから。そういうサークルとかにも興味…」
「え、遠山くん、俺のことまだ何か変なのの勧誘とかだと思ってる? 違うって! 俺、天使だから! さっき飛んだとこも見たでしょ? 人間じゃないって分かったでしょ?」
確かに…。それを言われると、返す言葉がない。
まだ信じ切れていない俺の前で、遥琉はもう1度、宙に浮いてみせる。
どんなイリュージョンにも何かしらタネがあるもんだけど、ここは俺んちで、そんな大掛かりな装置なんて何もなく。
じゃあやっぱり、普通の人間じゃないってこと?
いやいやいや、まさか。
だって僕、常識ある大人だし。
天使とか、そんなの信じてないし。
「とーやまくん?」
…でも、確かに目の前の遥琉は確かに浮かんでいて。
ううぅ~…。
「…分かった。百歩譲ってお前が人間じゃないとして、じゃあ何で俺んとこなんか来たんだよ」
「あのね、天使にも試験があって、それに合格しないと、いつまで経ってもダメダメ天使なのね。で、俺は100人の不幸な人間を幸せにしなきゃいけないっていう、大変な課題に当たっちゃって。遠山くんは、その100人目の不幸な人間に選ばれました! すごぉーくとっても不幸だったから」
……あのさぁ、本人前にしてそんなに『不幸』『不幸』って連発しなくても…。
でもこうやって心理に不安にさせる、て手もあるくらいだし、警戒心は解かない。
「まぁ、天使に会って幸せにしてもらったなんて、週刊誌のB級ネタくらいにはなりそうだけど。俺の頭がおかしくなったんだって思われなければ」
「あ、それは大丈夫。今はこうやって姿を見せてるけど、遠山くんの願い事が叶って幸せになったら、俺のことは忘れちゃうようになってるから」
何だよ、その都合のいい展開。
胡散臭さ満載なんだけど、でもそれを話す遥琉は、俺の前でプカプカ浮かんでるし、一体何を信じたらいいか分からなくなる。
「気が付いたらいつの間にか願い事が叶ってる感じかな? だから早く言って? 遠山くんの願い事叶えて幸せにしたら、俺、試験合格だから」
ね? と遥琉は俺を急かす。
でも悪いけど、そんなこと言われたって、俺だって困る。
「悪いけど……他の人当たってくんねぇ? 俺、別に叶えてもらいたい願い事なんかないし」
「えぇー、そんなの困るっ!」
「困るとか言われても、俺だって困るし」
そう言っても遥琉は、ダメなの、困るの! と繰り返すから、俺もますます困ってしまった。
「1度この人って決めたら、変えちゃいけない決まりなの。だから俺はもう遠山くんを幸せにしなきゃいけないの!」
いけないの、とか言われても…。
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wish (5)
「……」
「何か今まで成功を手にしたヤツが、実は自分の力じゃなくてみんな天使のおかげだった、とかだったら、何かヤじゃね? 気持ち冷める」
「そうかも、だけど…」
遥琉はシュンとして項垂れてしまった。
何となく悪いことしてる気分になるけど、俺の言ってること自体、間違ってないと思う。
でも言い過ぎた? 変な勧誘とかでなければ、悪気があって言ってるわけじゃないだろうし。
「じゃあ、遠山くんが何か叶えてほしい願い事が出来るまで待ってる!」
「はっ?」
あのー…俺の言ってたことの意味、通じてた…?
思わず眩暈がしそうになる。
「今はそう思ってても、ちょっとしたら何か叶えてほしいことと出てくるかもしれないじゃん」
「いや、あのね…」
「だって、だってー、俺、遠山くんのこと幸せにしないと、合格しないんだもん!」
むぅ、と唇を突き出して、遥琉はテーブルをバンをと叩いた。
「あのさ、俺、今のままでも十分幸せだよ?」
「嘘だ!」
「嘘じゃないって」
そんな、即行で嘘つき呼ばわりされても…。
何でそんな俺の幸せを否定したいの?
「もう1年近く彼女がいないのに? 後から入社してきた後輩のほうが成績がいいのに? お盆に実家に帰省するお金もなかったのに!?」
「うっせぇよ!」
確かに遥琉の言ってることは間違いじゃない。
けど、そんなにはっきり言われたんじゃ、怒鳴りたくもなる。
俺が声を荒げれば、遥琉はグッ…と引き下がった。
「とにかくもう帰ってくれよ」
自分で家に上げたんだけど、話をしてるうちにさすがに苛付いて、乱暴に遥琉に言い放った。
やっぱりこんな変なヤツ、最初からかかわるんじゃなかった。
「遠山くん…」
「ほっといてくれって。お前から見たらすっげぇ不幸かもしんないけど、俺は今のままで十分だから。お前には悪いけど、そんな勝手に試験の題材にされたんじゃ困るんだよ。分かるだろ?」
「そんな…だって」
「……」
「怒らせてゴメンなさい…。あの…、うん、帰る…」
さっきまではものすごい勢いだった遥琉は、俺の苛付きをようやく感じ取ったのか、急に大人しくなって、頭を下げると玄関のほうに向かった。
まさか宙に浮いたまま出て行くのかと思ったが、玄関で地面に下りると、ちゃんと靴を履いて、歩いていった。
閉じたドア。
何か悪いことした気になるけど、でも所詮知らないヤツだし、へたに関わってヤバイことになったらマズイし。
怒鳴ることはなかったかもだけど、仕方がないって自分自身を納得させて、余計なことを考えたくないから、俺はさっさと寝てしまった。
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wish (6)
天使? 幸せに?
気付いてないだけで、心の中じゃ、相当自分のこと不幸だって思ってんのかな。
まぁ考えていても仕方がないから、会社に行くため、いつもどおりの時間に家を出れば。
「え、遥琉…?」
アパートの出先のところに蹲っているのは、間違いなく夢の中に出てきた自称天使の遥琉。だって俺が貸したジャージ着てるし。
え、マジ? 夢じゃない?
夢じゃないとしたら、もしかして一晩ここにいたとか? …マジかよ。
「おい!」
俺は遥琉の上に降り積もっていた雪を払って、遥琉を起こす。
とりあえずちゃんと息してるし、熱もないみたいだけど。
何コイツ。
何でこんな状態で、こんなにのん気に寝てられるわけ?
「おい、遥琉っ!」
「ん~…あれ…遠山くん…。どぉしたのぉ…?」
寝惚けた様子の遥琉を、無理やり叩き起こす。
もし他の誰かが発見したら、えらい騒ぎだぞ、ホント。
「どうしたじゃねぇよ、何してんだ、お前」
「だって…」
「お前、ずっとここにいたのか?」
「…ん」
遥琉は雪の上に座り込んだまま俯く。
その熱意はすごいけど、そんなことされても。てか、軽くストーカーぽいし。
昨日、納得して帰ったんじゃないの?
「お前がいくらそうやってたって、話なら昨日したとおりだし」
「でも! …じゃあ、こっそり!」
「は?」
「こっそり遠山くんのこと幸せにする! 何かハッピーになれるような…」
「もういいから」
いくら言っても通じないらしい。
何だか話に付き合うのもバカバカしくなって、俺は遥琉と目線を合わすために屈めていた体を起こした。
冷たいヤツかもしれないけど、係わりたくないもんは係わりたくない。
「俺さぁ、遅刻するとマズイからもう行くな? お前ももう家に帰れよ?」
「遠山くん…」
俺は遥琉に背を向けて歩き出した。
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wish (7)
こういうとき、彼女とか奥さんがいると、「お帰り~」とか「お疲れさま」とか言ってもらえるんだろうなぁ。
部屋もあったまってるだろうし、もしかしたらご飯とか作ってくれてるかも……て、妄想とか、空しくなるから、やめよう。
「あ、」
これ、遥琉の服。
そういえばアイツ、俺のジャージ着てっちゃったんだ。
まぁ別にジャージくらいいいんだけどさ。つーか持って帰れよ、自分の服。
にしても、変な服だよな。
天使の制服なのか? 制服あるのに、俺のジャージとか着てていいわけ?
いやいや、天使とか! 別に信じてるわけじゃねぇし!
つーかアイツ、今度こそホントに家に帰ったんだろうな?
雪降ってるし、本気で風邪引くぞ。
てか、もしかして行くとこないとか? なのに追い出しちゃったりして……て、別に俺が自己嫌悪に陥る必要とかないし!
俺は悪くない、俺は悪くない…て、何度も頭の中で繰り返す。
こんなこと、さっさと忘れちゃえばいいのに、そう思えば思うほど、頭の中を占めるのは――――出て行った遥琉の姿だった。
*****
翌朝。
何だかよく眠れなくて、日曜日なのにいつもより早く目が覚めてしまった。寝直そうとしても眠れなくて、結局ふとんを出る。
ようやく仕事も一段落して、休日出勤をしなくてよくなったけれど、忙しくないと余計なことを考えちまって、それはそれで嫌だった。
着替えて、新聞を取りに向かう。
ごく普通の安いアパートは、郵便受けも集合玄関にあるだけで、新聞もそこまで取りに行かないといけないから、結構面倒くさい。
寒さに身を竦めながら階下まで来て、ふと玄関の外に目をやれば、雪が積もってる。そりゃ寒いわけだ。
俺は今日休みだからいいけど、電車とか止まったりしなきゃいいけど…………て!
「え、遥琉?」
道路の少し先、雪みたいに白い服を着ているのは、間違いなくあの自称天使の遥琉だ。
遥琉も俺に気付かれたのが分かったらしく、慌てて隠れようとして、でも積もった雪に足を取られて滑って転んでる…。
「遥琉!」
「あっ…あの、コレ!」
俺に見つかったと分かって、遥琉は服に付いた雪を払おうともせずに俺のほうへと来た。差し出した遥琉の手には、俺が貸してやったジャージ。
「借りっ放しだったから…」
「あ…うん」
「貸してくれてありがと! それじゃっ…!」
「あ、おい、ちょっ…」
俺が呼び止めるのも聞かず、遥琉は俺に背を向けて走り出した。そして―――
「わぁっ!!」
「あー…」
先ほどの転倒から、まったく何も学習していなかったのか、慌てて駆け出した遥琉は、そのまま前に突っ伏すように滑って転んでしまった。
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wish (8)
呆れ半分、かわいそうに思う気持ち半分で、俺は遥琉のもとへ行った。
「遥琉、大丈夫か?」
「ぉわっ!?」
俺はちっこい遥琉の体を抱えるようにして起こしてやった。
取り敢えず遥琉の頭や服に付いた雪を払ってやるけど、その間、遥琉は俯いたまま静かにしている。
「大丈夫なのかよ?」
「ん」
「つーか、いつからここにいたわけ?」
「…昨日の、夜」
「えっ」
おいおい、マジか?
だって昨日俺が帰ってきたときは、いなかったじゃん。つーことは、その後に来て、そのまま一晩……?
ちょっ…何か俺、すげぇ悪いヤツみたい…。
「でも1人じゃなかったし」
「は? 他に誰が…」
何かコイツの上司みたいなヤツが一緒にいて、試験を受けさせてやんない俺のことを脅そうとか?
すげぇ強面のおっさんとかが出てきちゃったら、どうしよう。
天使どころか、とっても怖い、そういう関係の人たちの集団なんじゃ…。
「コイツ!」
1人で勝手な妄想を繰り広げ、どうしようどうしよう、てなってた俺のところに戻って来た遥琉は、でもやっぱり1人で、けどその代わり、その腕の中にはまだ小さな子犬。
「あの段ボール箱の中にいたの。捨てられてたの、コイツ」
「え、捨て犬!?」
「うん。コイツ、独りぼっちなの。寒い寒いって言うから一緒にいたの」
降った雪で、子犬が入っていた段ボール箱はすっかり濡れていて、中には一応、毛布が入っていたけど(恐らく犬はそれに包まれていたんだろう)、それもこの寒さを十分に凌げるとは言い難い。
「どうしたのかな? 具合悪いのかな、コイツ。何も言ってくんなくなっちゃった」
明らかに子犬は元気がなくて、弱ってる。でも遥琉にはその原因が分からないらしく、泣きそうな顔をしながら子犬をギュッと抱き締めている。
「腹減ってんじゃねぇの? あとは寒いとか」
「お腹空いてんの? 何か食べたいの?」
遥琉は子犬の顔を覗き込みながら、話し掛けた。
『くぅ~ん…』
子犬は、分かっているのかいないのか、弱々しく鳴いている。
とっても面倒くさいけど、犬をこのままにもしておけないから、ひとまず遥琉も一緒に、俺の家に上げた。
「遠山くん、ありがと…」
部屋に戻って、寒そうにしている子犬のために何か包んでやるモンを探して……ちょうどいい毛布もないから、バスタオルで代用。その子犬を遥琉が腕の中に収めた。
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