恋三昧

【18禁】 BL小説取り扱い中。苦手なかた、「BL」という言葉に聞き覚えのないかた、18歳未満のかたはご遠慮ください。

2014年08月

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恋の女神は微笑まない (88)


「じゃあ、ここから行く、仕事」
「えっ!?」
「…………。ダメ? そのほうが早く行けると思ったのに」

 ダメではないんだけれど、ビックリしちゃって…、思わず声を大きくしたら、ベッドから下りてアラームを止めていた千尋は、振り返ってむぅと唇を突き出した。

「いや、いいけど…。でも今日、南條が迎えに来るから、ちーちゃんのこと送ってってあげらんないよ」
「別にいいよ、そんなの。てか、結局ここからどんくらい掛かる? お店まで。1時間掛かるなら、もう即行出ないとダメだよね?」
「車だったら…」
「車のこと言われたって、車ないし。電車でのこと言って。もしくは走って」
「走っては無理でしょ」

 昨日、千尋を店まで迎えに行ったから、ここからの距離と所要時間は大体見当が付くけれど、走って行くのは絶対に無理だ。いや、走って走れないことはないだろうけど、9時までには絶対に着けない。
 それに、アイドルという職業柄、最近では電車に乗ることもなくなったので、電車だとどのくらい掛かるのかは、残念ながら大和にはよく分からないことだった。

「走っていけないなら、電車しかないじゃん。大和くんて、ここから何駅が一番近いかも分かんないの?」
「そのくらいは分かります」
「電車乗らないならいらない情報だから、知らないのかと思った」

 千尋は笑いながら、教えてもらった最寄駅を入力して、職場までの電車での時間を、スマホで検索した。

「…30分あれば着くな。ん? でも、ここから駅までどのくらい掛かんの? 駅まで30分なら、全然余裕ないじゃん」
「そんなに掛かんない、てば。5分もあれば着く」
「電車乗んないのに、駅近!」

 何がおもしろいのか、千尋は相当ウケたらしく、千尋は大笑いしている。
 寝起きなのに、テンション高いな…。

「よし、時間が分かったところで、大和くん、お風呂借りていい?」
「どうぞ」
「あ、てか、大和くんは仕事何時からなの? 俺時間で動いて、間に合うの?」
「心配してくれてありがと。大丈夫だから、ちーちゃん、自分が間に合うように支度して?」

 大和は昨日の夜、寝る前に風呂にも入ったから、今朝は顔を洗って着替えれば、すぐにでも出られるから大丈夫だ。
 それよりも、ちょっとでも千尋が大和のことを気に掛けてくれたのが、嬉しい。



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恋の女神は微笑まない (89)


「あと、お願いついでに、もう1個…………おパンツ貸して?」
「…新しいのあるから、あげるよ。着替えも」

 借りた服を返すのはまだしも、借りたパンツは…………いくら洗濯してからだとしても、ちょっと躊躇う…。

「大和くん、天使!」
「大げさ」

 それこそ千尋の職業的に、昨日と同じ服で仕事をするというのはよろしくないだろうし、服を貸すくらい、どうということもないけれど。

「お風呂こっちだから」
「うんっ」

 昨日、ここに来た時点で、千尋はすっかり熟睡していたから、家の中の様子は、今初めて見るわけで。
 物珍しそうにキョロキョロしながら、千尋は大和の後を付いて行く。

「そこに時計あるから、時間見て出てね?」
「大丈夫、シャワーしかしない」
「ちょっ…ちーちゃん!」

 バスルームに着くと、千尋は大和の話の途中で服を脱ぎ始めて…………いや、いいんだけど、普通こういう場合て、大和が出ていってから脱がないかな?
 もうすっぽんぽん…。

 いいんだけど。
 いいんだけれども。
 でも、ちょっと無防備過ぎるっ…!
 だって、男同士とはいえ、千尋はゲイで、大和だって千尋のことを好きと言っているんだから、もうちょっと裸になることに躊躇いがあってもいいんじゃないかと思う。

「お邪魔しまーす」
「…………」

 無邪気にバスルームのドアを開ける千尋に何も言えず、大和は肩を竦めた。
 それから、千尋の着替えを用意すると、大和はリビングに戻って、迎えの時間を早めてもらうため、南條へと電話を掛けた。8時半までに来てくれれば、千尋を店まで送って行ってやれる。
 昨日のメールでは、9時半に来るとのことだったけれど、心配性の南條はいつも時間よりだいぶ早く来るから、今日だって、何も言わなくても9時過ぎには来るだろう。
 それをもうちょっと早くすることは、恐らくそんなに難しいことじゃないはずだ。

「…もしもし、南條?」
『あぁ、よかった。今電話しようとしてたんだ』
「大丈夫、ちゃんと起きてるし」

 スケジュールが混んでくると、疲労でなかなか起きれなくて、南條が迎えに来てもまだなお寝ていることとかあるから、心配してモーニングコールしてくることがあるのだ。
 いささか過保護な気もするが、起きられない自分が悪いので、余計なことは言わないでおく。



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恋の女神は微笑まない (90)


 それにしても今日は、迎えの時間を考えても、電話しようとするには、ちょっと早いような気もするが。

『それが…、迎えに行く時間が早まったから、起きてないとマズイな、て思って』
「マジで?」
『昨日連絡したのに、また変わっちゃってゴメン』

 電話越し、南條の申し訳なさそうな声がする。
 そういえば前に音楽番組に出演したとき、若いアイドル系の女の子が、マネージャーの女性に随分高圧的な態度を取っていたのを目撃したことがあるけれど、あの子だったらこんなとき、かなりの勢いでキレそうだ。
 大和は、南條と年も近いし、デビューのころからの付き合いだから、南條に対してそんな態度を取ろうという発想がないし、南條もあまり堅苦しい雰囲気で接して来ないから、大和にしたらすごく楽だけれど、他の芸能人のみなさんはどうなんだろう。

「いや、むしろラッキー。早く来て」
『は? 何かあったのか?』
「何もない。仕事行く前に、寄ってもらいたいトコがあるだけだから」
『いいけど…、水落も迎えに行かないといけないから、そんなに時間は…』
「大丈夫。すぐ来て。至急。大至急。8時半までに来て」

 迎えに行く時間が早まったから電話しようとしていたと言うが、どうやら南條はもう、大和の家のだいぶ近くまで来ていたようで、大和が告げると、戸惑いながらも了承して電話を切った――――途端。

「だあぁ~~~~!!!」

 !!??

 バスルームのほうから千尋の絶叫が聞こえて来て、大和は思わずスマホを放り投げてしまった。幸いにもソファの上に落ちたので無事だろうと、大和はスマホをそのままに、バスルームへと向かった。
 いや、向かおうとしたところで、パンツ1枚でダッシュしてきた千尋と鉢合わせしたので、バスルームまでは辿り着けなかった。

「ちーちゃん、どうしたの? 何かあった?」
「『何かあった?』じゃねぇだろぉ~~~!!」
「ちょっ! ちょっちーちゃん待っ…」

 何事かと大和は尋ねたが、その答えを貰う前に千尋に胸倉を掴み上げられた。
 お願いします、待ってください。

「何だよ、これぇ~~~~!!!」

 千尋は、右手は大和のシャツの前を掴んだまま、左手で持っていたものを、大和の前に突き付けた。
 それは大和が用意した着替えで、昨日、千尋のところのお店で買った服。つまりは、千尋がデザインした服であり、昨日それを見た大和が、千尋に着せたいと思ってしまった一着。
 思いがけず、着てもらえそうなチャンスが巡って来たと思ったのだが。



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恋の女神は微笑まない (91)


「ちーちゃんの着替ぐぇっ」

 最後まで言い切らないうちに、さらに強く締め上げられる。
 いやいやいや、本気すぎる。

「ふっざけんなよっ、何でこれっ…、これ買ったのかよ、昨日っ!」
「ちょっ放し…苦しっ…」
「………………」

 苦しさのあまり涙目になりつつ、大和が千尋の腕を叩くと、千尋は無言で少しだけ力を緩めた。
 昨日、これを買うとき、着てくれるように頼んだときの千尋の反応を想像したけれど、ここまでぶち切れるとは、ちょっと想像の範囲外だった。

「いや…、これ見たとき、ちーちゃんが着たらかわいいだろうな、て思って…」
「はぁっ!? 何で俺がこんなのっ……いやいやいや、こんなの、ていうかっ…」

 恐らくは、何で俺がこんなの着なくちゃいけないんだ、と言いたかったのだろう。
 しかし、自分でデザインした服に対して『こんなの』呼ばわりは出来ないと、逆上した頭でも分かったのか、千尋は慌てて言葉を濁した。

「だって、ちーちゃんに着てほしかったから」
「バッ…バッカじゃない!?」
「似合うと思うんだけど…」
「だから!? いや、俺様が着れば何だって似合うだろうけどさっ、でも、自分でデザインした服着て仕事行くとか、自意識過剰すぎるじゃん! 店にも並んでんのに、それ自分で着てるとか! 何コイツ、て話じゃんっ!」

 すっかり動揺したのか、千尋の言っていることがおかしくなっている。
 自分でデザインした服を着て仕事に行くのは自意識過剰なのに、その直前の『俺様が着れば何だって似合うだろうけどさっ』という発言は、そうではないの?

 恋人(仮)に胸倉を掴まれるという、どう考えてもかなりの修羅場な状況にもかかわらず、慌てふためいてジタバタしている千尋がかわいくて、大和はつい口元を緩ませてしまう。
 いや、この状況で微笑むとか、ちょっと属性を疑われかねないけれど、そんなことはないし、というか、笑っていることが千尋にバレたら、さらに火に油を注いでしまうんだけれど。

 そんなわけで、千尋は怒りと動揺で周りが見えなくなっていたし、大和も千尋しか見ていなかったから、2人とも、気付かなかったのだ――――南條が到着していたことに。

「ギャーーーー!!!!」

 リビングのドアを開けて、室内に1歩足を踏み入れた南條は、そこで繰り広げられていた千尋と大和の状況を見て絶叫し、そして再びドアを閉めた。

「ん?」
「あ、」

 さすがにこの絶叫に、千尋と大和も我に返って、閉じたドアのほうを振り返った。



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恋の女神は微笑まない (92)


「今、何があった?」

 ドアが閉まって、見た目的には何事もなかったかのような室内。
 南條の登場が一瞬すぎて、千尋は何があったのか分からなかったようで、怪訝そうにドアと大和を見比べている。

「あー……南條、かな…」
「南條?」

 大和が答えると、千尋はますます訝しむような表情になった。
 そういえば千尋には、南條が今日ここに迎えに来ることを、言っていなかったっけ。
 それにしても、南條に早く来るよう電話したのは大和だけれど、まさかこんなに早く到着するとは…。本当に南條、さっきどこで電話を受けたんだろう。

「で、何でアイツ、叫ぶだけ叫んで、出てったの? 何だったの、今の」
「さぁ…」

 南條が来たことは分かっても、先ほどの南條の行動の意味は、大和にも分からない。
 この状況に驚いたにしても、どうしてそれを止めに入るのでなく、部屋から出て行ってしまったのか。南條が非力なことは十分に知っているが、そうだとしても、冷たすぎるし、情けなさすぎる。

「南條ー」
「南條ー?」

 南條の行動を不思議に思いつつ、2人で呼ぶと、ゆっくりと少しだけドアが開き、窺うように南條がその隙間から顔を覗かせた。
 そんな南條の仕草は、別にかわいくはないけれど、何となく小動物みたいだ。

「やっ、あの、何してっ………………て、千尋!?」
「ぅん?」

 おっかなびっくりした様子だった南條は、さらに驚いた表情になったものの、なぜか突然部屋に飛び込んで来た。
 もう本当にまったく、何がしたいのか分からない。

「え? え? 千尋? は? 何?」
「いや、どうした、南條…」

 千尋の南條に対する態度なんて、いつもかなりぞんざいなものだけれど、今は南條が驚きすぎておかしなことになっているせいか、千尋もポカンとなって、突っ込むことも切り返すことも出来ないでいる。

「は? 何で千尋がいるんだ? いや、え? 今の千尋? は?」
「落ち着け、南條」
「落ち着けるかぁ~!!」

 南條は千尋と長い付き合いの友人なんだし、大和と千尋が知り合いであることも知っているんだから、千尋がいるからって、そこまで驚かなくてもいい気はするのだが。



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恋の女神は微笑まない (93)


「ななな何で千尋がいるんだっ!?」
「いたら悪いのかよ。昨日メシ食った後、泊まったんだよ。文句あんのか?」
「メシ食った後、泊まったとして、何で今、こんなことになってんのかを聞いてんだぁっ!」
「こんな、て………………あ、」

 狼狽する南條に、わざわざケンカを売るような言い方をしていた千尋は、南條にさらに怒鳴られて、ようやく今の自分たちの状況に気付いたらしく、『あ、』の表情のまま、大和を見た。

 千尋→半裸…というか、パンツ1枚。
 大和→その千尋に胸倉を掴み上げられている。

 …うん。
 南條が絶叫したり、キレたりする気持ちも分かる。

「だってしょうがねぇじゃん、大和くんが変態なんだもん」
「ちょっ! やめて、その言い方…」

 大和が千尋に着てほしかった服は、千尋がデザインした服だというだけで、別に全然変態くさい衣装ではない。好きな子に服を贈っただけで、変態呼ばわりされては堪ったものではない。

「つか、南條こそ、何でこんなトコいんだよ」
「俺は一ノ瀬を迎えに来たんだっ。仕事!」
「あっそ」

 自分から聞いておきながら、全然興味なさそうに返事をして、千尋はようやく大和から手を離した。

「大和くん、着替え」
「…はい」

 南條もいるし、時間もないし、もういい加減、この服を着てくれと千尋に言うには無理があると思い、大和は仕方なく別の着替えを取りに向かった。
 千尋は「フンッ」と鼻を鳴らして、パンツ一丁のままソファにどっかりと腰を下ろした。服を着ないことには始まらないけれど、朝の時間がない中で、この余裕…。

 時計を見ればもう8時20分で、千尋の着替えもそうだけれど、大和も支度をしなければ。
 そう思っていたら、背後に人の気配を感じて、ビックリして振り返ったら、南條がいた。

「…何?」
「いや、それは俺のセリフだから。何だったんだ、あれ」
「ちーちゃんのこと? だから、さっきちーちゃんが言ったじゃん。昨日一緒にメシ食って、そんで泊まってったの」

 本当は酔い潰れた千尋を連れて来たんだけれど、まぁ、余計なことは言わなくていいだろう。

「そうだとして、だから何であんなことになってんだ。俺、最初千尋だって分からなくて、お前が彼女と修羅場になってんのかと思って、すげぇビビったんだからな」
「あのな…」
「そりゃそうだろ。ドア開けて、いきなりあんなの見たら。しかも千尋は裸だし。どう考えても修羅場だろ」

 なるほど。
 それで先ほど南條は、悲鳴を上げた後、部屋から出ていったのか――――千尋を女の子だと思って。



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恋の女神は微笑まない (94)


 確かに、場所は大和の家だし、千尋は裸だったし、南條が千尋を認識できていなかったとすれば、彼女との痴話ゲンカが修羅場に発展したようにも見えなくもない。
 しかし、大和だってアイドルなわけで、南條が迎えに来ると分かっているのに、わざわざ彼女を家に連れ込むはずがない(いや、千尋は恋人(仮)だけれど、南條には何も言っていないから、男である千尋を、大和の恋人だとは思わないだろうし)。

「それで? 寄ってほしいところってどこなんだ? つか、千尋はどうするんだ?」
「あぁ、ちーちゃんのお店に寄って」

 大和は手早く着替えると、千尋に似合いそうで、体形に合いそうな服を選び出した。
 筋肉大好きで、一生懸命鍛えている千尋だけれど、やっぱりどうしても大和よりは華奢なので。

「は? 千尋の?」
「うん。ちーちゃんも今日仕事みたいだから。9時には着かないとらしいんだよね。電車で行くっつってるけど、車のほうが早いじゃん?」
「まぁ…、こっちが間に合うなら、どこにでも寄るけど…」

 千尋が遅刻しないように、という気持ちもあるが、千尋も一緒に南條の車で行ったら、それだけ長く一緒にいられる…という下心も十二分にあってのことだ。
 もちろんそんなこと、南條には言わないが。

「ちーちゃん、お待たせー……て、寝てるし!」

 リビングに戻ると、千尋は先ほど来のソファにいたが、すっかり寝入っていた。
 焦る大和の横で、南條は溜め息をついて頭を抱えている。
 9時までに仕事に行かなければならない状況で、どうしてこんなにのん気に二度寝が出来るんだろう…。

「ちーちゃん、ちーちゃん、着替え着替え」
「ぅー…ぬー…」

 大和が肩を揺すると、千尋は目をこすりながら体を起こした。
 先ほどまで、大和に殴り掛からんばかりにテンションが上がっていたのに、よくこんなにも眠れたものだ。

「はい、これならいいでしょ?」
「…ん」

 大和から差し出された新たな着替えを、寝惚け眼ながら千尋はしっかりとチェックしてから受け取って、のそのそと着替え始めた。
 何とかギリギリ予定していた出発時間に間に合いそうだ。

「じゃあ、まず先に千尋の店に寄ったらいいのか? 9時て言ったよな?」
「うん」
「それから水落迎えに行って…」

 南條が腕時計を見ながら、段取りを頭の中で組み立てている。
 着替え終えた千尋は、やはり特に急ぐでもなく、ちょこんとソファに座っていて。



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恋の女神は微笑まない (95)


「ちーちゃん、もう出るから。カバンは?」
「え、ご飯は?」
「いや、食べてる時間ないし」

 もう8時半になるのだ。
 電車で行くにしたって、もう出発しなければ間に合わない時間なのに、どうしてご飯の心配なんて…!

「お腹空いたんだけど」

 平然と言ってのける千尋に、昨日あれだけ焼き肉を食べてビールを飲んで、よく朝から何か食べる気になると思う。
 千尋が一生懸命装ってくれたから、大和も千尋と同じくらい食べていると思われるが、今、少しも腹など減っていない。

「パン買って来たから、車の中で食べればいいだろ」
「マジで? 南條、すげぇじゃん」
「別にお前のために買って来たわけじゃない」

 ぐずる千尋に、南條が溜め息交じりで提案する。
 もちろんそのパンは、家で朝食をとる時間がないであろう大和のために買って来たのだが、今の状況からして、この中で一番時間がないのは千尋なので(本人は一番のん気にしているが)、とりあえず先に千尋に与えることにしたのだ。

「行くぞ、ホラ」

 南條は大和のことを迎えに来たはずなのに、いつの間にか、手の掛かる千尋の面倒を見ている。
 南條は、もう2度と酔っ払った千尋の世話なんてしたくない、なんて言っていたけれど、この分だと、きっとまた甲斐甲斐しく世話してやるんだろうな。

「行ってきまーす」
「いや、ここお前んちか?」

 時々挨拶の使いどころがおかしくなる千尋に対し、南條が冷静に突っ込みを入れる。
 確かにその突っ込みは間違っていないが、大和にしたら、ボケでも何でも、千尋にそう言ってもらえたのが嬉しくて、顔がにやけそうになり、慌てて口元を引き締めた。





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恋の女神は微笑まない (96)


 南條の運転する車に乗るとき、それほど深い意味があるわけではないが、大和は大体リアシートに座る。それは今日も同じ。
 でも千尋が、何の迷いもなく助手席に座るものだから、ちょっと…! という気持ちになるが、南條の手前、隣に座ってくれとも言えないので、仕方なく大和は1人リアシートで大人しくしている。

「南條ー、パンー」
「…後ろに置いてあるから」

 南條がエンジンを掛け、ナビをセットしていると、千尋が遠慮なく言ってくる。
 千尋が目をキラキラさせて振り返るので、大和は苦笑しつつ、パンの袋を千尋に差し出してやる。

「大和くんは? 食わないの?」
「あー…うん、そんなにお腹空いてないし」
「マジで? あ、俺も今日からささみとプロテイン生活だったんだ。パン食ってる場合じゃなかった」

 昨日のことなどさっぱり忘れているのかと思ったら、こんなどうでもいいことは、ちゃんと覚えていた。…いや、筋肉大好き、鍛えるの大好き! な千尋にしたら、どうでもいいことではないか。
 隣の南條は、何なんだ? と訝しむように千尋を見ている。

「今はささみ買ってる時間ないし、明日から……か、昼からにしたら?」
「大和くんがそう言うなら、そうする」

 意外にも素直に大和の言うことを聞き入れた千尋は、恐らく、時間がないのを心配したというよりは、筋肉師匠としてのアドバイスとして、しっかりと受け止めたのだろう。

「いただきー」

 袋の中を漁って千尋が取り出したのは、ブルーベリージャムのたっぷり入ったデニッシュで、カロリーを気にしている割に、それを選ぶあたり…。
 けれど、幸せそうにパンを頬張っている姿を見ると、余計なことは言えなくなる。

「このはんおいひいね」
「…何て?」
「んんー…このぱんおいしいね、てゆった」
「ボロボロ零すな」

 口の中をパンでいっぱいにしたまま喋るものだから、何を言っているのか分からなくて、南條が聞き返すと、千尋は子どものような感想を漏らした。
 大和は後ろからその様子を眺め、微笑ましいなぁ、なんて思っていたけれど、南條はそれよりも、千尋がパンくずを零しながら食べていることのほうが気になるようで、嫌そうに顔を顰めている。

「お、これは何だ?」

 けれど千尋はお構いなしで、瞬く間にデニッシュを平らげると、再び袋の中を覗いている。



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恋の女神は微笑まない (97)


「俺、食パンが食いたいなぁ」
「知るか」

 そもそも千尋に頼まれての買い物ではないので、必ずしも千尋の好みのパンが入っているわけではない。
 千尋の子どものようなわがままを適当にあしらいつつも、南條は千尋にティシューを差し出す。口の周りに付いたパンくずを拭け、ということらしい。
 酔った千尋の世話ならもう焼きたくないが、そうでなければ、いくらでもするということか。というか、これはもう、世話を焼くというより、過保護というレベルなのでは。

「ベーグルぐるぐる~」

 …歌、好きなのかな。
 千尋は昨日に引き続き、よく分からない歌を勝手に作って口ずさんでいる。
 大和だったら、『何、その歌』と突っ込んであげているところだが、南條はそういう部分はほったらかしなのか、何も言わない。結構何にでもすぐに突っ込むタイプなのに。
 長い付き合いの中で、そういうことはもうどうでもよくなっているのか、無理にでも会話を続ける気もないのか、それは大和には分かりかねるけれど、そういう空気感は、ちょっと羨ましい。

「ねぇねぇ、パンしかないの?」
「何が?」
「喉乾いた」
「…………」

 確かに千尋の言い分も尤もで、これが千尋のためでなく、大和や琉のために買ってきたのだとしても、何か飲み物を付ければよかったとは、南條も思う。
 けれど、今、千尋のために急いでいる、という状況の中で、その張本人に言われると、何となくイラッと来るのだが。

「喉乾いたぁー。南條~」
「分かったよっ!」

 子どものようにジタバタし出す千尋に、とうとう南條も観念したのか、声を荒げはしたものの、交通量の少ない通りに入って、自販機のそばに停車してやった。
 店に着くまで車の中でうるさくされるより、このくらいのことなら、言うことを聞いたほうが早い。

「ん」
「…何だよ、その手は」

 車が停まると、千尋は南條のほうに、ズイと手を差し出した。
 その手の意味を、南條はもちろん分かっていたけれど、あえて聞き返せば、案の定、千尋は予想どおりのことを言って来る。

「120円……いや、150円」
「自分で出せ、そのくらい!」
「いいじゃん、ケチィ、南條のケチィー」



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恋の女神は微笑まない (98)


 別に千尋も、本気で南條に飲み物を奢ってもらうつもりもないのだろう、文句を言いつつも、自分の財布を掴んで車を降りた。
 たかが数百円のこと、南條だって出せないわけではないだろうが、意外にもきっぱりと千尋に言う姿に、大和はちょっとだけ感心する。南條のことだから、結構言いなりになっているんだろうなぁ、と勝手な想像をしていたので。

「…何してんだ、アイツ」

 たかが飲み物1つ買うのに優柔不断もないだろうに、なかなか戻って来ない千尋に、南條が外の様子を窺うと、何やら千尋は地団駄を踏んでいる。一体何があったんだ。
 ガラス越しに見る千尋の行動は大和にも分かりかねたが、答えの出ないうちに、苛立たしげな表情で千尋が車に戻って来た。

「…南條、」
「何だ?」
「ホラよ」
「え? ――――アチッ!」

 助手席に乗り込んだ千尋は、不機嫌そうに何かを南條に放った。
 それほど大きくはないそれに、南條は反射的に手を伸ばして受け取ったが、手にしたそれが、想像していたのとはまったく違う温度を持っていたので、焦って南條は手を離してしまった。

「は…? え? コーヒー? ……ホット?」

 腿の上に落ちたものを見れば、見たことのあるパッケージの缶コーヒー。
 突然のことに意味が分からず首を傾げれば、千尋は憤ろしげに南條を睨んだ。

「え…、何だよ」
「…………」

 自分の分ですら南條にたかろうとした千尋だ、頼まれたって南條の分なんて買わなそうなのに、わざわざ缶コーヒーを買って来てくれたのは、店まで送ってもらうお礼のつもりだろうか。
 それにしては、千尋の表情は険しいし、この季節にホットコーヒーだし(自分の分は、冷たい麦茶だ)。

「くれる、つーなら貰うけど、何でホット? 嫌がらせか」
「このクソ暑いに、何でホットなんか飲まなきゃなんねぇんだよっ、しかもブラックだし!」
「は?」

 自分で買っておいて、しかもそれを南條に与えておいて、理不尽にも千尋はキレている。
 意味不明ながら、南條はコーヒーの缶をホルダーに置くと、車を発進させた。

「間違えたんだよ、バーカ、バーカ!」
「いや、バカはお前だろ。は? 間違えた? 麦茶とコーヒーを?」

 どこをどう間違えたら、缶コーヒーとペットボトルのお茶を間違えて買うというのか。
 しかも、南條の言うとおり、誰がバカなのかと言えば、そんな間違いをした千尋に他ならないわけで。



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恋の女神は微笑まない (99)


「しょうがねぇじゃん、隣に並んでんだから! 何でコーヒーと麦茶、並べんだよっ! 間違えてボタン押しちゃうじゃんかっ」
「押さねぇよ」

 さすがに麦茶とコーヒーを勘違いしたわけではなく、ボタンを押し間違えて買ったようだが、だとすると、麦茶の隣が何であれ、間違えて購入する可能性はある。
 いや、可能性は無きにしも非ずだけれど、申し訳ないが、南條は未だかつて、そんな間違いをした人に出会ったことはない。

「あーもう腹立つっ!」

 忌々しげに、千尋はペットボトルのお茶を一気に半分くらい飲み、バクバクとベーグルをがっついて食べる。
 食べることでストレスを発散…というか、食べることに怒りをぶつけている…というか。八つ当たりされたら堪ったものではないが、見ている分にはおもしろい。

「…もうすぐ着くから、そろそろ片付けろよ」
「嘘! まだ2個しか食ってないんだけど!」
「2個食えば充分だろうが」
「足んねぇよ、全然! あんなちっさいパン2個くらいじゃ。だから食パンて言ったのにー。食パン1斤ー」
「知るか!」

 そもそも千尋のために買ってきたわけではないから、千尋のリクエストに叶ったものがないのは仕方がないし、しかも食パン1斤て…。

「そのパン、みんな持ってっていいから、ちょっと静かにしてろ」
「マジで? ヤリィ!」

 千尋を黙らせるには他に方法がないと判断し、南條がそう提案すると、現金な千尋はすぐにご機嫌になって、大人しくなった。
 扱いが子どもと一緒だ…。

「でもいいね、大和くん。毎日南條に迎えに来てもらってんの?」
「え、いや、毎日でもないけど」

 ずっと千尋と南條が2人で喋っていて、何となく蚊帳の外の気分になっていたら、急に話を振られて、大和は焦る。
 もっと気の利いたことを言えばよかったのに、これでは全然話が膨らまない。

「ねーねー南條ー、ついでに俺のことも迎えに来てよ、明日から」
「何のついでだよ」
「車、超楽じゃん。俺も車欲しー。誰か買ってくんないかな」
「あのな」

 先ほどの飲み物の件もそうだけれど、発想が、誰かに買ってもらう、というところからスタートしている千尋に、南條は当然呆れた顔をする。
 千尋も別に本気で言っているわけではないだろうが、いちいちそれを口に出すということは、まったく思っていないこと、というわけでもないのかもしれない。



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恋の女神は微笑まない (100)


「ホラ、着いたぞ」
「んー」

 店の前に車が停まる。8時55分。何とかセーフだ。
 最後にもう1個くらい食べれるかなぁ? と袋の中を覗いていた千尋は、残念そうに顔を上げた。

「あーあ、着いちゃった。じゃあね、南條、また明日ね」
「迎えなんか行かねぇぞ」
「何だよ、南條のケーチ、ハーゲ!」
「やかましいわっ」

 わざわざ店まで送ってくれた南條に対し、礼を言うではなく、最後まで悪態をついて、千尋は車を降りた――――と、

「あっ」
「…何だ? 何か忘れ物…」

 ドアを閉め掛けたところで、千尋が再びドアを開けて車の中に身を乗り出して来たので、何か忘れ物でもしたのかと、南條は助手席の周辺を確認する。
 しかし千尋の用事は、そうではなかった。

「大和くん、バイバイ」
「え、あ、うん」

 忘れ物は大和への挨拶だったようで、南條には見せなかった……いや、パンを与えられたときには見せたかもしてないが、そのくらいしか見せなかった笑顔で、大和に手を振った。
 千尋の行動は、大和にとってはいつも思い掛けなくて、だからこそ、うまく反応できなくて、でも、心が躍る。

 千尋は特に車のほうを振り返るでもなく、車が去るのを見送ってくれるでもなく、さっさと店の中に入って行く。
 その背中を見送っていた大和は、そんな千尋の様子を寂しく思ったけれど、いつものことなのか、千尋のことなんてどうでもいいのか、南條は特に何を気にするでもなく、車を発進させるべく、後方確認をしている。

「で、結局どういうことなんだ?」
「…何が?」

 車が動き出すと、さっそく南條が尋ねて来た。
 大和は手の中のサングラスを弄びながら、南條に聞き返す。もちろん、南條が何を聞きたいのか分かったうえで、あえて。

「何でパンイチの千尋がお前に殴り掛かろうとしてたんだ」
「さっき言ったじゃん、昨日泊まったんだって、ちーちゃん」
「それは分かった、さっき聞いた。そうじゃなくて、何でお前、アイツに殴られそうになってたんだよっ」
「いや、それは俺も想定外」

 まさかあそこまで千尋がキレるとは、大和も思っていなかったのだ。
 でも、着てほしかったなぁ…、あの服。



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恋の女神は微笑まない (101)


「…千尋と何かあったわけじゃないんだろうな?」

 曖昧な返事しかしない大和に、南條は不安が募ったのか、やけに心配そうな声で尋ねられた。

「何か、て? 南條、何想像してんの? ヤラシー」
「アホかっ! そういう意味ちゃうわっ」

 何で急に関西弁なんだ。
 というか、絶対にそういう意味で聞いてきただろう。
 けれど、本当にそうだったら困るし、大和が冷静なテンションでからかうから、やっぱり自分が想像したようなことはなかったのだ、と南條は勝手に解釈して、納得したようだ。

 もちろん、南條が想像したであろう『何か』は、本当にまったく何にもなく、千尋があのとき裸だったのは、風呂上がり、大和の用意した着替えが気に食わなくて、着なかったから。
 大和に殴り掛かろうとしていたのも、その怒りの延長――――それだけだ。

 いっそ、『何か』あったらよかったのに。
 いや、南條が思うようないかがわしいことでなくて、でもまぁ…最終的にはそういうことに及べるような関係にまで、発展したかった。
 恋人と言えど、その後ろには(仮)が付くし、お付き合いしていると言っても、『お試しで』の枕詞が付くこの現状を、早く何とかしたいのに。

「でも、頼むからお前までやめれくれよ?」

 何の進展もない自分たちに引き換え、南條と千尋の空気感と言ったら…と大和が軽く凹んでいたら、南條の懇願する声が。
 今度こそ、本当に何のことか分からず、大和は「何が?」と聞き返した。

「もういい年だから、恋人を作るなとは言わないけど、お前まで男の恋人なんてことになったら…」

 苦い顔をして言う南條に、大和はようやく、自分が大変なことを失念していたことに気が付いた。
 大和は千尋のことが好きで、千尋はまだそこまでではないとはいえ、好きになれるようにがんばってくれていて。いつか本当の恋人同士になれると信じ、願っていたけれど――――大和は押しも押されもせぬアイドルなのだ。

 南條の言うとおり、この年齢で恋人がいることがNGということはないが、それでも、そうしたスキャンダルは、出来れば避けたいところなのに、相手が男だなんて。
 ましてやFATEは、琉に遥希という男の恋人がいるのだから、それに加えて、大和までとなれば、確かに南條も気が気ではないだろう。

(そういえば、ちーちゃんも前、そんなこと言ってたよなぁ…)

 あれは、イブの夜だ。
 シャンパンで酔っ払った千尋に、大和は自分の想いを告げたのだけれど、大和にまで男の恋人が出来たらマズイと言って、全然本気で取り合ってくれたなかったっけ。
 あのときは酔っ払いの戯言くらいにしか思っていなかったけれど、今思えば、とても尤もなことを言っていたのだ。



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恋の女神は微笑まない (102)


 千尋とは付き合いたいけれど、FATEを辞めて、アイドルを辞めて……なんてことは出来ない。
 すべてを投げ打ってでも付き合いたい気持ちがないのではなくて、現実問題として、無理だということ。今、大和が仕事を辞めてしまったら、多くの人に迷惑を掛けることになるのだ。

 それに、もし本当にそんなことをしたところで、マスコミは『元アイドルの』とか言って、しつこく付け回して来るに違いない。1度でもこの世界に身を置いた人間のことなら、いつまでも、どこまでも追い掛けるのだ。
 元アイドルがゲイで、男と付き合うために芸能界を辞めました――――なんて、それこそ格好のネタではないか。

「でも南條は、琉とハルちゃんのことは、認めたよね」
「そりゃ、仕事のことを思えば反対だけど、水落があんなになるから…」
「じゃあ俺もあんなふうになったら、南條、認めてくれるんだ?」

 琉の『あんな』状態と言えば、遥希に想いを告げたものの、それを断られてしまい、地の底まで凹みまくったときのことだ。確かにあれはひどかった。見るに堪えない光景だった。
 そうだから南條が2人のことを認めてくれたのだとすれば、もし大和も千尋のことを想うあまり、そんなことになったら、南條は認めてくれるのだろうか。
 いや、別に大和の恋愛について、いちいち南條に許可を得るは必要はないんだけれど、大反対されたまま付き合うよりは、認めてもらいたいし。

「認めるも何も…………え? おい、まさかホントに千尋と…」
「聞いてみただけじゃん。琉がいいなら、俺だっていいよな、もちろん」
「別にお前の恋愛に口出しするつもりはないし、相手が男だとしても、本気なら反対は出来ないけど…………相手が千尋だとしたら、ちょっと考える…」
「はぁっ? 何でだよっ」

 千尋とそういう関係になりたいと思っていて、お試しでお付き合いしていることは、南條には内緒にしているのに、まだ何も言わないうちから否定されたものだから、大和は思わず声を大きくしてしまった。
 マズイ、これでは今まではぐらかして来たのが、無駄になってしまう。大和はごまかすように、咳払いを1つした。

「いや、だって…、小野田くんは真面目だし、すごく慎重な子だから、そんなに心配してないけど、千尋の場合、何もなくても心配しかないのに…」

 南條は大和の動揺に気付かなかったようで、自分の抱いている心配を打ち明けてくる。
 確かに、それは言えている。
 遥希と言えば、あんなの琉のことが好きなくせに、男である自分と付き合ったら琉の仕事に差し障ると言って、1度は琉からの告白を断ったくらいの人間だ。
 付き合ってからも、琉以上に周りを気にしているし、琉に迷惑を掛けないように…とか、気を遣って、遠慮して、打ち解け切れていないのではなく、それが遥希の基本性格なのだ。
 琉以外のことは、ときどきうっかりしていたり、酔っ払うとガードが緩んだりするから、単なる堅物というわけでもないのだろうけど。

 それに対して千尋と言ったら…。
 いや、千尋だって、大和と付き合ったからと言って、それを誰彼構わず言い触らすようなことはしないだろうけど、遥希と違って千尋は、何に対しても満遍無く迂闊というか、粗忽な感じがするのだ。

 ただでさえ心配性な南條が、大和以上に千尋と長い付き合いで、その性格を知り尽くした南條が、心配しないわけがない。



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恋の女神は微笑まない (103)


「でも、琉がいーなら、俺だっていーじゃん」
「だからホントにお前っ…」
「バッ…振り返んなっ」

 動揺のあまり、思わず後ろを振り返った南條に、大和も焦って運転席の後ろを蹴っ飛ばす。
 運転中だということを忘れるな。

「…一ノ瀬、お前、本当に千尋と付き合ってるとかじゃないんだろうな?」

 前を向いてハンドルを握り直した南條は、一呼吸置いてから、再び尋ねて来た。
 渋い顔をして言う南條に、実は今、千尋と本当の恋人同士になるべく奮闘しているところです、なんて白状できるはずもなく、大和は黙って窓の外に視線を向けた。

 南條には悪いが、千尋と付き合いたいとは思う。
 反対されても、付き合う。
 でもそれは、飽くまでも千尋が大和のことを、大和が今想っているのと同じように想ってくれたら、の話。このお試しのお付き合いで、千尋が大和に愛想を尽かしたら、それで終わり。
 それは、南條を攻略するより、よっぽど難しいことのように思えた。

(だってちーちゃん、誰かに告られたとか…)

 昨日の夜、潰れる直前に千尋が吐き出した、衝撃の出来事。
 言うだけ言って寝てしまった千尋は、今朝になっても続きを話してくれないし。
 言ったこと自体忘れているのか、今朝はそんなことを話せる雰囲気になかったのか、昨日酔った勢いで言ってしまったけれど、本当は言うつもりのないことだったから、わざと黙っていたのか。
 何にしても、大和の心にしこりを残したままだ。

 こんなことなら、南條が来る前に、千尋から真相を聞き出しておけばよかった。
 でも、千尋のことだから、聞いたところで、『そのまんまの意味だけど?』とか言うだけかもしれないけれど…。
 というか、その告白に対して、一体どんな返事をしたんだろう。お試しとはいえ、一応今は大和と付き合っているんだから、OKはしなかったんだよね?
 けれど、もし大和よりも千尋の好みに合う男が現れたら、千尋はそちらを選ぶかもしれなくて。それはお試しとかそういうことに限らず、あり得ることだけれど。
 お試しというのは、本当に付き合っているのよりも、立場は弱いし…。

「はぁ…」

 前途多難すぎる。
 今まで、恋愛に関して、あまり苦労をしたことがなかったから、そのツケが今になって回って来たんだろうか。そんなのヒドイ。だったら、今までずっとツラい恋でもよかった。

 千尋を想うと苦しくて、それから逃れたくて、眠りに就こうと目を閉じるけれど、そうすると、先ほどまでの千尋と南條の様子が蘇って来るから、大和は忌々しげに舌打ちを1つした。



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恋の女神は微笑まない (104)


chihiro & haruki

「それで? それで? 大和くんとどーなった? ねぇねぇ」
「…ウゼェ」

 気付いたらご機嫌に酔っ払っていた遥希に、出遅れた千尋は、後悔の念やら、鬱陶しい気持ちやら、いろいろな感情が入り混じり、結局のところ、暴言を吐くところに落ち着いた。
 しかし、酔いの回った遥希は、千尋の心の機微を感じ取る機能がいつも以上に低下しているようで、へらへら笑いながら、千尋に絡んで来る。…本当に鬱陶しい。

 そんな遥希を見ながら、千尋は、自分が酔い潰れるのは、『一緒に飲んでいる相手が先に酔っ払うと自分は酔えない』という法則も十分に発動しているのだと、今さらながらに気が付いた。
 その証拠に、千尋よりアルコールに弱い遥希と飲むと、遥希のほうが先に酔っ払うことが多いから、場所がどこであれ、千尋は潰れることがあまりない。
 逆に、心配性で生真面目な南條は、酔って何か仕出かすまいとセーブしながら飲むので、決してアルコールが嫌いではない千尋のほうがたくさん飲んで、結果、酔い潰れてしまうのだ。

 この間、遥希と飲んで久々に潰れたのは、遥希より断然速いペースで飲んでいたからだし、大和と焼き肉屋に行ったときも、車で来ていた大和がウーロン茶を飲んでいたのに対し、千尋はビールを何杯をお代わりしたのだ、潰れるに決まっている


 もちろんそれは、それなりに相手に気を許しているから、というのもある。
 遥希の場合、本当に気を付けていないと、合コンだろうと、ナンパ目的で行ったクラブだろうと潰れることがあるけれど、千尋はそういうことがないから。

(だとすると、水落も結構大変だよなぁ…)

 千尋も本気で酔っ払うと酒癖が悪くて、南條には結構迷惑を掛けているが、大体は声が大きくなったり、もっと飲みたくなったりするだけなのに対し、遥希は甘え癖が出ることが多いので。
 絶対に絶対に琉には言えないけれど、目が覚めたらゴミ捨て場でゴミに埋もれて寝ていた、なんていうのはかわいい話で、その昔、遥希は酔った勢いで知らない人とベッドインしていたこともあるくらいだし…。

 アルコールに弱い恋人が、自分の目の届かないところで飲んでいるときほど心配なものはない。
 一緒に飲んでいるのが、琉にとって不本意でも、千尋だったら何も起こらないのだから、はっきり言って、その点は感謝してもらいたいところだ。

「ねぇーちーちゃん、聞いてるのぉ?」

 それにしても、最近、遥希とばっかり飲んでる…、他に友だちいなかったっけ…? と千尋が感傷に浸り掛けていたら、わざわざ隣にずり寄って来た遥希が、千尋の肩を揺さぶった。
 面倒くせぇなぁ…とは思うが、自分も酔っ払うとこんななので、無下にあしらうことはしない。

「…聞いてるよ。何?」
「だからぁ、大和くんとどーなったの?」
「どう、て……別にどうもなってないけど」

 相変わらず大和とは、順調に『お試しの』お付き合いが続いている。
 毎日でもメールをすると言っていたくせに、あまりメールやメッセージをくれなかった大和に不満をぶつけたら、それからは何とも素直に、毎日メッセージが来る。
 返信を面倒くさいと思う気持ちに変わりはないが、これだけ貰っていて、まったく全然返信しないもの…と思って、7回に3回くらいは返事をするようになった自分は、大きく成長した気がする。
 もし、何かがどうなったとすれば、そのくらいか。



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恋の女神は微笑まない (105)


「えー? じゃあ、まだ本当にお付き合いしたいとか、思うようになってない、てことぉ?」
「んー…」

 改めて遥希に問われて、千尋は考え込む。
 大和とお試しで付き合うようになってしばらく経つけれど、心境に変化はあったのか。
 少なくとも、もう顔も見たくないくらいに嫌いにはなっていないけれど、本当にお付き合いしてもいいくらいに、大和のことを好きになったのかは、よく分からない。

 そもそも、お試しで付き合うのと、本当に付き合うのって、何が違うんだ? 今さらだけど。
 大和と本当にお付き合いする、と今からでも伝えたら、昨日までと何かが変わるんだろうか。

「大体さぁ、お試しで付き合うとか、最初から意味分かんなかったよ、俺は」
「それはハルちゃんが頭悪いからでしょ?」
「ちょっ! 何それ! じゃあちーちゃん、説明してよ、どーゆーことか! めーかくに説明して!」
「面倒くせぇ…」
「面倒くさくないっ!」

 説明するのが面倒くさいのではなく、酔っ払った遥希が面倒くさくて思わず漏れた一言を、遥希がどちらの意味で受け止めたかは不明だが、バシンとテーブルを叩いて突っ掛かって来る。
 いや、十分面倒くさいよ、小野田くん。

「お試しはお試しだよ」
「じゃあ、いつになったらお試しじゃなくなんのぉ?」
「知るか」

 そんなこと、千尋が知りたい。
 最初にお試しで付き合おうと言って来たのは大和で、千尋も、大和のことを付き合いたいと思えるくらいに好きになるには、それがいい方法だと思って始めた関係。
 さっきも思ったけれど、お試しのお付き合いが本当のお付き合いになったら、一体何が変わるのだ。もういっそ、今も、本当のお付き合いというわけにはいかないのか。

(……いかないだろうなぁ…)

 汗をかいたチューハイの缶をティシューで拭きながら、千尋はボンヤリと思う。
 大和と女優さんの熱愛がゴシップ誌に載ったとき、千尋はそれを遥希によって知らされたのだけれど、その後、南條と一緒にご飯に行く機会があって、そういうスキャンダルの後始末が大変なのだという話を聞かされた。
 南條は、千尋と大和のことなど知らないし、それが大和にとって初めてのスキャンダルでもなかったから、今までの苦労も含めて、何となく愚痴ってしまっただけなんだろうけど。

(そんな話聞かされたら、本気で付き合えるわけないじゃんかよ…)



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恋の女神は微笑まない (106)


 遥希はまだ琉と付き合う前、琉の仕事やいろいろなことを思って、琉からの告白を断ったことがある。まぁ理由はそれだけでなく、ノンケの琉にいつか振られるのが怖かったというのもあるが。
 そのとき千尋は、遥希のことを心底バカだと思ったものだ(いや、思っただけでなく、本人を前にして、しっかりばっちりバカだと言ってやったけれど)。
 自分が好きだと思っていた相手から告白されて、どうして断る必要があるのだ。本当に好きなら、相手が芸能人だろうと何だろうと、ガンガン行けばいいのに。自分だったら、絶対に遥希のような真似はしない。

 それが何だ、この様は。
 大和の仕事のことだとかを気にする自分がいる。
 だって、相手が女優さん、女優――――『女』、それだってこんなにスキャンダラスなのに。
 男と付き合う?
 バカも休み休み言え、と千尋だってそう言う。大和にも言うし、千尋自身にも言う。絶対。

 しかし、だ。
 そうは思っていても、琉からの告白を断った遥希に、バカだと言ったことのある千尋としては、今さらこんなこと、口が裂けても遥希には言えないのだ。

「ちーちゃん、へーんなの、へーんなのぉー」

 と、黙り込んだ千尋に、遥希が大層腹の立つことを言って来たとしても(ムカついたから、蹴りは入れておいたが)。

 千尋に蹴られた遥希は、バランスを崩して、そのまま後ろに引っ繰り返ってしまった。
 ギリギリ、持っていた缶チューハイの中身は零さなかったが、いつ惨事が起こってもおかしくはないので、千尋はその手から缶を奪って、テーブルの上に置いた。

 直前までテンション高く喋っていても、横になると眠くなってしまう、酔っ払いの不思議。
 遥希は両手両足を投げ出した状態で目を閉じると、ものの数秒もしないうちに寝息を立て始めた。

「はぁ~…もうっ…」

 先に千尋が酔っ払って潰れたときは、同じように呆れられているわけなのだが、それでも千尋は、ハルちゃんてホントしょうがないんだから、なんて思いながら、溜め息を零す。

「バッカ面だなぁ」

 口を半開きで寝ている遥希に対し、聞こえないのをいいことに、千尋は再び暴言を吐いた。
 …でも、せっかくだから、写真でも撮っておこうかな。

 メールの返事すら面倒くさいと感じる千尋は、SNSなどももちろん面倒くさいから、やってはいない。なので、何かの記念だとか記録だとかで、いちいち写真を撮ることがない。
 それなのに、わざわざ遥希の口半開きの寝顔写真を撮ろうとするあたり、悪意しか感じない。

 しかし、誰も突っ込んでくれる人がいないから、千尋は自分のスマホを手繰り寄せると、遥希の横に転がって、それを構えた。
 遥希よりは酔っていない、というだけで、千尋もそれなりに缶を空けているので、当然、素面のときよりも思考能力は低下していて、今自分がおかしなことをしている、という感覚がない。
 カシャリと疑似的なシャッター音がして、千尋のスマホの中に、遥希の寝顔が保存されてしまった。



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恋の女神は微笑まない (107)


「んー…、どうするかなぁ、これ」

 撮ったはいいが、その本人たる遥希は寝ているからからかえないし、かと言って、ネタにもせず、ただ保存しているだけだと、何だか熱烈な遥希ファン…というか、変態くさい。

「あ、ハルちゃんファンの変態に送ればいっか」

 もちろんそれは、琉のことである。
 琉は遥希の恋人であり、非常に遥希のことを愛してはいるけれど、遥希のファンというわけではないし(遥希は紛れもなく琉ファンだが)、変態でもない。
 しかし、千尋にとっては、そんなことどうでもいい。
 せっかく撮った写真のやり場を、どうにかしたいだけだ。

 けれど、よし、写真を添付してやろう、とスマホを操作し始めたところで、千尋は気が付いた――――琉の連絡先を、知らない。
 琉の連絡先なんて別に知りたくも何ともないから、知らなくて全然いいんだけれど、今、この状況下においては、知っていればよかったと、千尋は若干後悔する。

「何だよ、もぉ~」

 せっかくの名案だったのに、出鼻を挫かれて、テンションが下がる。
 仕方がないから、大和にでも送ってみるか。千尋が連絡先を知っている人のうち、遥希の寝顔の写真を送るというジョークが通じそうな人間が、そのくらいしか思い浮かばない。
 南條は、遥希のことを真面目っ子だと思っているようだから、やめておいたほうがいいだろうし。

 千尋はトークの画面から大和を呼び出し、先ほど撮った遥希の寝顔の写真を添付する。
 にひ、と笑って、送信ボタンに指を伸ばした次の瞬間、急に冷静な千尋が『やめろ!』とストップを掛けて、我に返った千尋は、慌ててスマホから手を離した。
 危ない、危ない。酔った勢いとはいえ、何をしようとしているんだ。

「あっぶねぇ…」

 確かに、遥希の寝顔写真を送れば、『何これ』とか言いつつ、大和はウケてくれるだろう。おもしろがってくれるだろう。千尋の行為に深い意味はない。ウケればそれでいいから。

 しかし、大和・琉・遥希の関係からして、大和はきっと、受け取った写真を琉に見せるに違いない。千尋が『見せるな』と言えば見せないかもしれないが、琉に見られる可能性は大きい。
 そこに来て、遥希は大変な乙女思考の持ち主だ。寝起きの顔がブサイクだから、恋人とお泊りしたときは、彼より早く起きなきゃ! とか、本気で言っている子である。

 それなのに、千尋が、口半開きで寝ている遥希の写真を大和に送り、琉にでも見られた日には、とんでもなく面倒くさいことになるのは、火を見るより明らかだ。
 ストップを掛けてくれた冷静な俺、ありがとう。

 というか、最初は琉に直接送り付けようとしていたんだった。
 酔っていたとはいえ、とんでもないことを思い付いたものだ。琉の連絡先を知らなくて、本当によかった。これから先も、絶対に聞かないことにしよう。



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恋の女神は微笑まない (108)


(でも…)

 内容はともかく、今もし大和にメッセージを送っていたら、初めて千尋から送るメッセージになっていたのに、と千尋は床に転がったスマホを見つめながら思った。
 大和から毎日メッセージが届くから、千尋も改心して、少しは返信するようにしているけれど、今のところ、千尋から送ったことはない。付き合っているのに、それって…と思われるかもしれないが、これが千尋の基本スタイルだ。
 それは別に、大和がお試しの恋人だから、というわけではない。今までに本当に付き合ってきた彼氏に対しても、そうだったし。

 しかし、だ。
 自分が片想いしているときはどうだったかといえば、やはり相手に自分のことを意識してもらいたいから、それなりにメールなどを送っていた気がする。
 それは……そう、今大和が千尋に対して送ってくるような、たあいない日常の出来事を綴ったメール。
 用事がないのに何を書いたらいいのか分からない…と、それこそ本気で思っている千尋が、千尋なりにがんばって考えて綴ったメールを、結構まめに送っていた。
 好きになった相手には、ガンガン行くのが千尋のポリシーだ。遠慮していて、誰かに取られるなんて、真っ平だから。

 なら、自分から大和にメールやメッセージを送っていない千尋は、まだ、大和に対してそこまでの『好き』の気持ちを持っていないということだろうか。
 お付き合いがお試しだろうが本当だろうが、心変わりの可能性はあるのだから、大和のことを本気で好きなら、その心を自分に繋ぎ止めておくためにも、もっと一生懸命メールとかしないと…! と思うはずなのに。
 そんな危機感が募らないのは、大和のことを、まだそんなに本気で好きなわけではないからなのだろうか。

(でも別に、昔付き合った男とかにも、メールとかしなかったよな?)

 自分の片想いなら、自分からもメールはするけれど、相手からの告白で始まった関係なら、そうではない。告白して来たからには、メールをしない千尋のことを好きになったんだよね? と思ってしまって、メール不精になってしまうのだ。
 随分と女王様のような振る舞いだが、メールは面倒くさい、というのが千尋のデフォルトなので、しなくていいものはしないのだ。

 そう考えたら、今回だって大和からの告白なんだし、いつもと違うことをしているわけではない。
 千尋のほうからメールをしないことだけでは、千尋の大和に対する気持ちが本気かどうかは計れないのだ。

(よかった。俺、大和くんのこと、まだ本気になってないのかと思った…)

 ……………………。

 いや、よかった、ていうか。
 よかった?

 ということは、千尋は大和のこと、もう本気で好きになったということ?
 いや、メールをするかしないかだけでは、千尋の大和への気持ちは決められないというだけで、本当に付き合いたいと思えるようになったとも断言できない。ということか。



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恋の女神は微笑まない (109)


(え? え? 結局俺って、本気で大和くんのこと好きなの? 付き合いたいの??)

 自分の気持ちなのに、酔った頭で考えたせいか、すっかり混乱してしまう。
 けれど、芸能人たる大和が千尋と付き合うリスクを考えたら、千尋はまだ大和のことを本気で好きになっていない、ということにしておいたほうがいいと思う。
 本気で好きにならないまま、このお試しのお付き合いを終わりにするのがいい。結局、本当に付き合いたいと思えるようにはならなかった、ということにすれば、遥希への言い訳も立つし。

 うん、そうしよう。それってすごい名案。こんなこと思い付いちゃうなんて、俺天才――――と、千尋は心の中で自画自賛したが、天才千尋は、それと同時に、あることにも気が付いた。
 それを、一体いつ大和に伝えたらいいのか、ということ。

 例えば今これから電話でもして、大和のこと、本当に付き合いたいと思えるほどにはならなかった、と伝えたとして、けれど大和から、もうちょっとがんばって、と言われたら、返す言葉がない。
 今の時点で、大和への気持ちがそうだとしても、もうちょっとがんばったら、付き合いたいと思えるほど好きになるかもしれないから、もう少しお試しのお付き合いを続けよう、とか。

 そうなったら、それをどう拒んでいいのか分からない。
 いや、拒まないといけないくらいの気持ちなら、完全に大和のことを嫌いになっているわけで、それなら話は早いけれど、今の千尋としては、もう少し続けよう、と言われたら、まぁいいけど…と言ってしまうくらいの心境だから。

(何もぉ~、何時点の……いつ時点の気持ちで言ったらいいの? 意味分かんないっ)

 例えば、1か月お試しで付き合ってみて、とかだったら、1か月後の千尋の気持ちで結果は分かるけれど、そもそもこのお試しのお付き合いには、期間が設けられていなかったのだ。
 こうなると、千尋が本気で大和のことを好きになるまで、いくらでもお試し期間を延ばすことが出来るし、逆に言うと、千尋がずっと本気にならなかったら、いつまで経ってもお試しのままでしかないのだ。
 大和は、そんな状態のままでいいんだろうか。

 いや、でも今、『好きだけれど付き合うほどではない』という大和への気持ちが『顔も見たくないくらい大嫌い』になるかもしれないし、大和だっていい加減、千尋のことが嫌になるかもしれない。
 千尋が大和のことを本気で好きになるか、千尋か大和のどちらかが、相手のことを大嫌いになるまで、このお試しのお付き合いは続くということか。

(へーんなの、へーんなのぉ)

 先ほど遥希に言われた口調のままに、千尋は頭の中で呟く。
 遥希ではないが、本当にまったく意味が分からない。まぁこれも、『それはハルちゃんが頭悪いからでしょ?』と遥希に言った手前、絶対に口には出せないが。

(ホント、どうしたらいいんだ…?)

 大和の仕事を考えると、やはり大和と本当には付き合えないとは思う。
 けれど、その理由は遥希には知られたくないし、とはいえ、『お試しで付き合ったけれど、本当に付き合いたいと思えるようにならなかった』では大和に言い負かされる。
 ならいっそ、すごく大嫌いになった、とでも言ったらいいんだろうか。修復不能なくらい大和のことを嫌いになった、となれば、さすがに大和だって諦めざるを得ないだろう。

 だが問題は、千尋がそこまで大和のことを大嫌いにはなっていない、ということだ。
 付き合いたいと思うほど好きにはなっていないかもしれないが、かといって、今のところ、すごく大嫌いというほど嫌いでもないから、そんなことも言えない。
 演技派で、シレッと嘘をつくことのある千尋だが、こういう好きとか嫌いとかの感情については、嘘をつきたくないという、ある意味、面倒くさい性格をしているのだ。



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恋の女神は微笑まない (110)


(あぅあぅあぅあぅあぁぁぁ~~~~)

 ピロン♪

「うわぁっ」

 夢と現実の狭間で、うだうだと唸ったりむずかったりしていたら、スマホが音を立てるから、千尋はビクンと体を跳ね上げた。
 目を開けて、しかし体は起こさず、視線だけでスマホを探せば、メッセージの着信を知らせるランプが点滅していた。
 面倒くさいけれど、改心した千尋は今までとは違うのだ。ちゃんと受信したメッセージを見る。

「ぅんー…」

 多分、起き上がって取りに行ったほうが断然早いだろうに、千尋は寝そべったまま、うんと手を伸ばす。
 さっき、あんなに遠くまで放ったっけ?

「よし」

 ようやく手に取ったスマホの画面には、大和から、今仕事が終わったことを告げる内容が表示されていた。
 千尋は今まで大和たちを見て、アイドルてこんなにのんびりしていていいの? 寝る時間もないくらい働いてるんじゃないの? なんて思うことがしばしばあったけれど、やはりアイドルはアイドルだ。千尋たちがのん気に酒を飲んでいる間も仕事をして、今ようやく終わったのだ。

 しかし、そんな疲れているときに、わざわざ千尋に連絡など寄越さずとも、早く帰って休んだらいいのに、と思ってしまう千尋は、冷たい人間なんだろうか。
 千尋的には、相手のことを気遣っているつもりなんだけれど、千尋と違ってメールとかが好きな人間からすると、そんなときでも好きな相手と繋がりたいらしい。
 だからしょうがない、千尋も返事をしてやるか。

「…ん、と」

 スマホのロックを解除すると、ホームの画面でなく、メッセージの送信画面が表示された。あぁ、写真を送信しようとしたところで力尽きて、送りそびれていたのか。
 千尋は寝惚けた頭のまま、送信ボタンをタップする。遥希の寝顔写真が送られていく。送信状態を示すバーが最後まで到達する。送信完了――――

「ああぁっ! ヤベッ送っちゃった!」

 完全に送信が完了されたところで、千尋はハッとした。送ったら大変なことになると、先ほど送るのをやめた遥希の写真を、間違って送ってしまった。
 一体何のために、先ほど我に返ったのだ。

『…ハルちゃん?』

 千尋があわあわしていると、大和から返信が来た。
 仕事が終わったというメッセージを送った後、遥希の寝顔の写真が送り付けられたら、それは意味が分からないだろう。『は?』とか言われてもおかしくはない。
 いや、この際、大和の気持ちなんかどうでもいい。遥希の寝顔写真を送ってしまったという事実がヤバい。



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恋の女神は微笑まない (111)


『まっさつして』
『抹殺?』

 琉に見つからないうちに写真を削除してほしくて、慌ててメッセージを送ったら、意味不明なことになっていたことに、大和からの返信で気が付く。
 抹殺ではなく、抹消だ。いや、抹消だとしても何だか変な感じだが、抹殺よりは物騒ではない。
 何と送ったらいいか、焦る頭では全然思い浮かばず、千尋は最後の手段として、大和に電話を掛けた。

『もしも…』
「もしもしもしっ」

 相手の言葉をも遮って『もしもし』を言ったら、1個多く言ってしまった。
 まぁいい、今はそれどころではない。

「大和くん、消してそれ、すぐ! 今!」
『さっきの写真? ハルちゃんの』
「間違えたのっ、水落に見られたらヤバいから、即行消して!」
『いや…うん、ちーちゃんがそう言うなら消すけど……間違えた、て? 琉に見られたらマズいてことは、琉に送るのを間違えて俺に送ったわけじゃないよね?』
「…最初水落に送ってやろうかな、て思ったんだけど、連絡先知らねぇから、大和くんに送ろうとしたんだけど、大和くんに送ったら、水落にも見られるかもしんねぇじゃん? だから、ヤベッて思って、送るのやめたのに、今間違えて送っちゃった…」

 ああぁ…、寝惚けるって恐ろしい…。
 今度からは、スマホを手から離す際は、必ずホーム画面に戻すのを忘れないようにしないと。

『そうなんだ…。いや、事情は分かったけど、琉に見られちゃ困る写真なのに、何で最初、琉に送ろうとしたの?』
「そのときはまだ、事の重大さに気付いてなかった…。送ったらおもしれぇな、て思ったんだけど、不細工な寝顔を水落に見られたのバレたら、ハルちゃん、怒って面倒くせぇから」
『その言い方…』

 大和が思っている以上に、遥希は乙女思考なのだ。
 寝起きの顔ですら琉に見られたくないと思っている遥希が、寝顔の……それも口を半開きにしているような写真を勝手に送り付けて、琉に見られたとあっては、本当にただでは済まされない。

『じゃあ今、ハルちゃんと一緒なんだ、ちーちゃん』
「そー。今ハルちゃんち。俺、またハルちゃんと飲んでんの。何か、他に友だちいねぇのかよ、て思うよね」

 自分で言っていて、自虐的すぎる…と千尋は少し悲しくなったが、千尋にはもちろん遥希以外にも友人はいるものの、ここまで気兼ねなく寛げる相手は遥希くらいしかいないから、あながち間違いではないかもしれない。

『うわっ、ちょっ琉、何だよ』
「ん?」

 千尋が1人で切なくなっていたら、にわかに電話の向こうが騒がしくなる。
 大和が琉の名前を口にしたところからして、今一緒にいるのは琉で、電話をしている大和に、何かしらのちょっかいを掛けてきたのだろう。



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恋の女神は微笑まない (112)


『だからぁ、ちーちゃん、今ハルちゃんちにいるんだって。いいだろ別に、友だちなんだから家くらい行くだろ』

 何やら喚いている琉に、大和が鬱陶しげに説得している。
 どうやら琉は、千尋が遥希の家で、遥希と一緒にいるのが気に食わないらしい。器の小さな男だ。

「大和くん、水落と代わってよ、電話」
『え? あぁ、うん…』
『おいテメェ、何でハルちゃんちにっ…』
「フン。俺がハルちゃんちいるくらいで、そんななっちゃって。ホント、狭量なヤツだよな、お前って」
『きょうりょ…』
「…………。狭量の意味も分かんねぇのかよ、ホント、バカ野郎だな」
『テメッ…』

 千尋が、わざと琉を怒らせるような言い方をして煽っているのに、琉もそれを分かっていながら、つい本気になってしまう。
 こういう場合、先にキレたほうの負けなのに。

『つか、いいから帰れよ、お前』
「はぁ? 何でそんなことお前に指図されないといけないわけ? まさかここに来る気じゃねぇだろうな?」
『ったりめぇだろ!』
「来んなよ。これからハルちゃんとイチャイチャすんだから」
『ふざけんなっ』

 もちろん、これから遥希とそんなことをするつもりなどない。遥希は寝ているし、時間も時間だから、千尋だってもう寝るつもりだ。
 しかし、琉の反応が分かりやすすぎて、おかしくて、ついからかいたくなるのだ。

『ちーちゃん、ちーちゃん』

 琉の悔しそうな声に笑っていたら、電話は再び大和に代わった。

『これから琉と一緒にハルちゃんち行くからさ、琉置いてく代わりに、ちーちゃん、俺と一緒に帰ろうよ』
「え、大和くんと?」

 それは、いつぞやを思い起こさせる光景ではないか。
 あのときは、酔い潰れていたのが千尋で、大和を代わりに置いて、千尋の家にいた遥希を琉が連れて帰ったのだ。

『俺も、ちーちゃんに会いたいから』
「…………」
『ダメ?』
「まぁ、別にいいけど…」

 千尋としては、もう寝るだけだったから、どちらでもいいと言えばどちらでもよかったんだけれど、どちらかと言うと、面倒くさいから、もう外には出たくなかったような…。
 しかし、恋人(仮)が会いたいと言っているのを、面倒くさいと断るわけにもいかないし、遥希だって(言わないけれど)千尋より琉と一緒にいるほうがいいだろうから、仕方なくOKする。

『じゃあ、これから行くね』

 仕事の後だというのに、疲れをも見せず、爽やかにそう言って、大和は電話を切った。



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恋の女神は微笑まない (114)


「あーあ、面倒くさいことになっちゃった…」

 通話の切れたスマホを投げ出し、千尋はポツリと呟いた。
 メッセージの送信だけにしておけば、こうはならなかっただろうに、大和に電話をしたばっかりに、こんなことになってしまった。
 まぁ、それもこれも、千尋が間違えて、遥希の寝顔写真を送ってしまったのが悪いんだけれど。

「つか大和くん、水落に見つかんないように、写真、ちゃんと消してくれんだろうな」

 これで写真が琉に見られでもしたら、千尋の苦労はまったくの水の泡だ。自業自得と言えど、拗ねた遥希の面倒くささと言ったらないから、見つからないように、しっかりと削除してもらいたい。
 念のため千尋は、再び大和にメッセージを送っておく。今度こそ『抹消』と打って。

(すげぇいっぱい来てるな、大和くんから…)

 最近でこそ、千尋も返信をするので、お互いやり取りをしている感があるが、ちょっと前まで、完全に大和からの一方通行のトークだ。全然キャッチボールが出来ていない。
 それなのに、よく懲りずに、メッセージを送り続けてくれたものだ。

 大和がすごく送ってくれるから、千尋も返信するようになったけれど、今まで付き合った彼氏の場合、千尋がここまでになる前に、『俺のこと好きじゃないんでしょ?』とか言って、別れを切り出されていた。
 …別に、そんなことなかったのに。ただ、メールとかメッセージを送るのが面倒くさかっただけで、相手への気持ちが冷めたわけではなかったのに。
 けれど、そういうやり取りが好きな人にしたら、千尋の態度は、冷めたと受け取られても仕方のないものだったのかもしれない。

 だったら千尋は、自分の気持ちを抑えてでも相手に合わせて、メールとかを送らなければならなかったのだろうか。
 そうすれば、確かに関係は長続きしたかもしれないけれど、自分に無理をしてまで付き合うのが恋人なのかといえば、たとえ相手のことが好きでも、それはちょっと違う気がするわけで。
 基本的に、自分を抑えるのが苦手な千尋は、だったら別に恋人なんかいらないし、と思ってしまいがちだ。

 でも、遥希には見破られているけれど、実は千尋はすごく寂しがり屋だから、1人は苦手だ。
 だから、どんなにわがままだと思われようと、やっぱり相手からはメールとかメッセージが欲しいし、それにあんまり返信できなくても、それを許してほしいし、認めてほしい。
 そんな相手と、付き合いたい。

(それが、大和くん…)

 大和は、千尋から何も連絡しなくても、別れよう、とは言わない。寂しいことは寂しいらしいが、千尋の性格を理解し、相も変わらずメッセージを送ってくれる。
 しかも、イケメンで、筋肉だってパーフェクト。
 これってまさに、千尋の理想の恋人なのでは?
 千尋にとって、何の非の打ちどころもない人なのに、それでも千尋が迷ったり、本当のお付き合いは出来ないと思ったりするのは、やはり大和が芸能人だから、ということなのだろう。

(あーあ、まさか俺がこんなことで悩むなんてなぁ…)



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恋の女神は微笑まない (115)


 こんな悩みを抱えている人は、きっとまぁそこそこ売れている芸能人の数くらいはいるだろうけど、そんなことで悩んでみたい、と思っている人のほうが、断然多いだろう。
 けれど、実際にその立場になってみると、こんなにも大変で苦しいものなのだ。

 俺らしくない。
 俺らしくない。
 俺らしくない。

 相手に振り回されるとか、誰かのために悩まされるとか、相手に気を遣って自分を抑えるとか。
 そういうのは、千尋のキャラではないのだ。

 千尋はいつだって自分らしく振る舞いたいし、それによって、愛想を尽かして千尋から離れていくなら、それはそれでいい。
 それが千尋だ。

(あーもうっ、なのに、なのに、なのにぃ~~~!!!!)

「イダッ!」

 悩んでいる自分にモヤモヤして、それを発散したくて手足をバタバタしていたら、膝をテーブルに打ち付けた。
 クソッと思って、テーブルを蹴っ飛ばしてやろうと思ったけれど、物に当たっても仕方がないし、ここは遥希の家だから、それはやめておく。最近千尋は、少しだけ大人になったのだ。

「つか、あ、ハルちゃん起こさないとマズいか…?」

 電話を切った後、何となくウダウダしていたけれど、これから琉が来るなら、遥希を起こしておいたほうがいいだろう。せっかく寝顔写真を削除しても、本物の寝顔を見られたのでは、何にもならない。
 遥希は結構寝起きが悪いから、起こすのは大変だけれど、琉が来る約束を取り付けてしまった以上、そこは最後まで責任を持たないと。

「ハルちゃん、ハルちゃーん…」

 ゆさゆさと遥希の肩を揺さぶってみるが、案の定、このくらいのことで、遥希は起きない。

「ハルちゃーん、水落来るってよー、ハルちゃーん」
「ん…」
「ハルちゃん、起きないと、不細工な寝顔、水落に見られるよー」

 千尋が起こしても起きなくて、その上で遥希の寝顔を琉に見られたら、きっと千尋のせいではないだろうけど、遥希からの恨まれ度としては、千尋が何もしなかったのと同じくらいだろう。
 どっちみち恨まれるなら、もう起こすのはやめようかなぁ…。

「…………」

 そう思いつつ、遥希の気持ちよさそうな寝顔を見ていたら、何だかいたずら心も湧いてきて、千尋は遥希の頬をむにっとつまんだ。
 いくつになっても子ども心を忘れないのが、千尋なのだ。



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恋の女神は微笑まない (116)


「ん…ぃた…」

 先ほどよりも、反応がある。
 千尋は、さらに遥希の頬を引っ張った。

「ぅ…た…イタ…、………………いひゃいっ!」
「あ、起きた」
「え…? ちーちゃ…イダダダダ何ぃ!?」

 遥希が目を覚ましたというのに、頬から手を離さない千尋に、遥希はバシッとその手を叩き落とした。

「ちょっ何なの!? 何なの!?」
「何同じこと2回言ってんの?」

 まったく悪びれたふうもなく、千尋は見当違いなことを言うが、寝起きな上に、まだ酔いの醒めていない遥希は、何が何だか分からない。

「ハルちゃん、これから水落来るって。だからもう起きたほうがいいんじゃない?」
「え? え? 琉が? は? え?」
「いや、驚きすぎでしょ」

 恐らく今日は、琉と約束などしていなかったのだろう(もしそうであれば、嬉しさのあまり、約束のあることを遥希が黙っているはずがない)。
 知らぬ間にか恋人が来ることになっていたら、驚くに決まっているし、寝起きでそんなことを言われたら、驚きも倍増だ。

「後どんぐらいで来るか知んないけど、まぁ、起きてたほうがいいかな、て思って起こしてみた」
「え、後どんぐらいで来るって!?」
「だから知らねぇって」

 慌てるあまり、遥希は、千尋が知らないと先に言ったことを、繰り返し質問する。
 本当に琉が来るなら、千尋の言うとおり、起きていたほうがいいし、ただ起きているだけでなく、顔を洗って、シャンとしないと。いや、それだけでなく、部屋も片付けないと!

「ちょっ…とりあえず着替えてくる! ちーちゃん、缶片付けて!」
「はぁ? 今ぁ? 朝になってからでいいじゃん、俺もう眠いよ」

 急にバタバタし出した遥希に、その原因を作った千尋は、のんびりと飲み掛けの缶チューハイに口を付けている。
 一応、千尋としては、自分の役目である遥希を起こすことはしたわけで、別に遥希と違って、今の顔を琉にも大和にも見せて全然構わないし、遥希の部屋に缶が散らばっていたって、どうということはない。
 それよりも、千尋はそろそろ寝たいんだけど…(遥希はさっきまで寝ていたかもしれないけれど、千尋は夢現だっただけで、寝ていたいのだ。もう眠い)。

「ちーちゃん、何で何もしてないのっ!?」

 部屋着から着替えて戻って来た遥希が、先ほどと何1つ変わっていない部屋の様子に、頭を抱えた。
 何でと言われても、別に部屋を片付ける気などさらさらなかったのだ、仕方がない。そもそもどうして千尋が、遥希の部屋の掃除などしなければならないのだ。



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恋の女神は微笑まない (117)


「ちーちゃんっ!」
「はいはい。つかハルちゃん、今、朝じゃないんだからね。夜だからね。そんなおっきな声出すと、また隣の部屋の人から何か言われるよ?」
「ウグ…」

 何となく理不尽な気はするが、千尋の言うことは尤もだ。
 遥希の部屋の隣には、温厚そうな老年の男性が1人で暮らしていたが、前に1度、遥希の部屋のうるささについて、やんわりと言われたことがあるのだ。
 そんなことを言われる前に気を付けなければならないのだが、ついうるさくしてしまうことがあるので、なおのこと注意しなければならないのに。

「とっ…とにかく、ちーちゃんも片付けるの手伝って! 缶! 缶集めて!」
「はぁ~…」

 ワタワタしている遥希にせっつかれて、千尋は渋々、近くにあった空き缶を1つ拾ってテーブルの上に置いた。
 もちろんこんなの手伝ったうちに入らないし、これくらいで部屋はまったく片付かないが、千尋は、自分の仕事はもう終えたとばかりに、ゴロンと寝転がった。

「もぉ~っ」

 そんな千尋に文句の1つも……2つも3つも4つも言ってやりたいけれど、ここで千尋に動けと言って片付けを手伝わせるより、自分でやったほうが早いので、遥希は黙々と缶を拾い集める。
 2人で飲んでいたのに、よくもまぁ、こんなにも空にしたものだ。
 いくら度の強くないものばかりとはいえ、この空き缶の量を、琉には見られたくない。

「ハルちゃん、そんなに一気に抱えて大丈夫? 不器用なくせに…」
「にゃうっ!」
「…………あーあ……」

 珍しく千尋が遥希を気に掛けてやった途端、遥希は足を縺れさせて、派手にすっ転んだ。
 そしてその拍子に、両手に持っていた空き缶を、これまた派手に散らばらせた。

「イッター…」

 全然静かに出来ていないし、部屋も片付かないし、膝は痛いし、本当にもう最悪だ。
 見事なまでのフォームで転んだ遥希に、千尋は一応慰めの言葉でも掛けてやろうかと思ったが、ちょうどそのタイミングで電話が鳴ったので、そちらに出た。

「…もしもし?」

 液晶の画面に表示されていたのは大和の名前で、琉と一緒にここに来ると言っていたのに、一体何の用があって今さら電話なんか。何か用事があって、来れなくなってしまったのだろうか。
 大和が来れないだけならいいけれど、琉まで来れなくなってしまったとなっては、また遥希が面倒くさいことになるから、それは勘弁してもらいたいんだけど。

『あ、ちーちゃん、今着いたんだけど』
「………………。…ふぅん?」
『え?』
「ん?」

 どうやら千尋の心配は取り越し苦労に終わったらしく、大和は到着を知らせるために電話をくれたらしい。
 いや、着いたことを報告されても、…だから? という感じなんだけど。



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恋の女神は微笑まない (118)


『いや…、着いたから…』
「うん」
『…鍵開けて?』
「あぁ、そういうこと?」

 遥希の部屋にも一応チャイムがあるんだから、それを押せば気付いただろうに、わざわざ電話なんて…と思いつつ、千尋は玄関に向かう。

「ハルちゃん、大和くん来たって。ドア開けるよー?」
「ううぅ…、待ってよぉ…」
「あ、ゴメン、もう開けちゃった」
「ちょっ」

 のそのそと起き上がって、また一から缶を拾っていた遥希は、まだ部屋が片付いていないから、当然待ってくれと伝えたが、それより一瞬早く、千尋はドアの鍵を開けてしまった。
 だったら、一体何のために聞いたんだ。

「何だ、お前もいたんだ」
「は?」

 電話をして来るなら、一刻も早く遥希の声を聞きたがっていたであろう琉だと思っていたのに、大和が掛けてきたので、まさか本当に琉がいないのでは…? と一瞬頭をよぎったのだが、ドアを開けたら、目の前に立っていたのは琉だった。
 千尋のセリフの前段には、そうした気持ちがあったのだが、そんなこと琉に伝わるわけもないから、千尋の言葉に、グッと眉を寄せた。

「いや、いてくれていいんだけど。今さらいなかったら、超面倒くさい」
「あぁっ?」

 もしかしたら、いちいち琉の気に障るような言い方を、わざわざ選んで喋っているのだろうか…と、琉の後ろにいる大和は思う。
 千尋は、自分の頭の中で話をどんどん進めて、勝手に完結していることがあって、しかもそれが、一緒にいる相手に伝わっていると思っているところがあるから、もしかしたら、今もそうなのかもしれない。

「つか、そこにピンポンあるのに、何で電話したの? 壊れてる?」

 千尋は琉を無視して、大和に話し掛けた。
 さっきからそれが、ずっと気になっていたのだ。
 千尋が遥希の家に来るとき、大体遥希と一緒に来るから、チャイムを押すということが殆どないため、気付いていなかっただけで、音が鳴らなくなっていただろうか。

「いや…、もう時間も時間だから、チャイム鳴らしたら近所迷惑かな、て思って」

 そう答える大和は、普通の声の大きさで喋る千尋と違って、うんと声を潜めている。
 なるほど、そういうことか。世の中の人間は、そうやって周りに気を遣いながら生きているのだ、と感心しながら千尋が部屋の中を振り返れば、遥希がまだメソメソと缶を拾い集めていた。

「そんな気ぃ遣わなくても、この部屋の住人が一番騒がしくしてるから、平気なのに」
「は?」

 声の大きさはともかく、この時間に、転んで空き缶をぶちまけた音の大きさに比べたら、チャイムの1回くらい、どうということもないだろう。
 隣室が優しいおじいさんで本当によかったと、千尋は他人事ながら、そう思う。キレやすい若者とかだったら、遥希はいくつ命があっても足りないのではなかろうか。



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