恋三昧

【18禁】 BL小説取り扱い中。苦手なかた、「BL」という言葉に聞き覚えのないかた、18歳未満のかたはご遠慮ください。

2015年10月

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恋は七転び八起き (27)


 央は名案だとばかりに顔を輝かせているが、それは、槇村が現時点で央のことを恋愛感情を以て好きだが、年齢的な問題で恋人同士になれていない、という体での話だ。
 槇村は、これだけしつこく押し掛けられても、まだ央のことを嫌いになってはいないようだが、かといって、恋愛感情が芽生えたかといえば、そんな片鱗は少しも窺えないのが現状なのに、それはもう8回も告白して振られている央自身が一番よく分かっているだろうに、どうして18歳になったら恋人にしてもらう、などと言えるのだろう。

(ていうか、央ちゃんのこと、嫌いにはなってないんだよなぁ…)

 普通、こんなに告白されたら、しつこさに嫌気が差すとか、気味悪がるとかなりそうなのに、槇村はそうは思っていないようだ。だったらもう、好きなのでは? と思ってしまうが、そうではないのだから、罪な男だ。
 しかしそのせいで、央もまだ望みがあると思って、諦め切れないのではないだろうか。槇村はよく純平に、兄としてもっとしっかりしろと言うが、だったら槇村だって、もっとビシッと言ってほしい。

(いや…、違うな)

 これだけされて嫌いにならない槇村の心理は置いておいて、槇村は央に嫌いだとは言わないけれど、付き合えないとははっきり言っている。何度も言っている。央にも直接言っているようだし、純平も言われたことがある。
 やはり央の一途すぎる想いだけが原因か。

「よし、槇村くんに一緒に出掛けよう、て言う! いっぱい誘う。いっぱい誘って、いっぱい一緒にいて、俺が18になるまで、槇村くんに彼氏が出来ないか見張ってる!」
「央ちゃん…」

 まさか、かわいい弟がストーカーに転じないかを心配する日が来るとは…。
 ちゃんと央を教育しろ! という槇村の言葉が、純平の脳裏に蘇るのだった。



  央・圭人・七海



「圭ちゃん、なぁ聞いて圭ちゃん」
「ん? ん? 何?」

 教室にやって来た央は、カバンを自分の席に放り投げると、挨拶もそこそこに、圭人の背中に張り付いた。圭人はスマホを弄っていたのだが、央がユサユサを体を揺さぶって来るので、仕方なくそれを机に置いた。
 というか、圭人にもまぁ挨拶をしていないから、いいと言えばいいのかもしれないが、圭人の隣の席には、七海ももう来ているというのに、完全にその存在を無視している…。

「聞いてよ圭ちゃ~ん」
「聞いてるよ、何?」
「槇村くんさぁ、おっぱい関係ないんだって」
「ブッ」

 朝っぱらから、爽やかにそんな報告をされて、圭人は噴き出すしかない。いや、どうしてそんな報告を圭人にした。



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恋は七転び八起き (28)


「…………いや…、何言ってんの、央」
「えー? だってこないだ、槇村くんがおっぱい好きだったら、俺どうしたって勝てないわ~みたいな話になったじゃん?」
「あぁ…うん。え、聞いたの? 槇村さんに? おっぱい好きかどうか?」

 事の発端は、七海の発言だ。付き合ってみたら男だっていいかもしれない、と言った央に対し、おっぱいが好きならそうは思わないだろう、という謎の理論を展開し、央を納得させたのだ。
 圭人はそのことを槇村に確認する役目だけは何とか回避したが、だとしたら、槇村に8回目の失恋をしたばかりの央が、どうやって槇村から答えを聞きだしたのだろう。

「純平くんに聞いてもらった」
「えっ…」

 当たり前のような顔で言ってのけた央に、圭人は口元を引き攣らせながら固まった。
 直接槇村に聞くのもどうかと思うが、兄である純平に頼むのもどうなんだろう。その変態くさい質問を、槇村だけでなく、純平にまで知られてしまうことは、別に恥ずかしくないのだろうか。

「いいこと思い付いたとか言ってたのって、兄ちゃんに聞いてもらうことだったんだ…」
「央ちゃんの思い付くことなんて、そんなもんだって」

 その存在を央から無視されていた七海が、唖然とした圭人の呟きに返事をした。そういえばあのときも七海は、央の思い付くことなんてろくなことでないと言っていたっけ。
 まぁ、純平を介して槇村に尋ねることが、央にとって恥ずかしくないのなら、純平には悪いが、それはそれでいいと思う。欲しかった答えも貰ったようだし。

「おい、七海。圭ちゃんに話し掛けるな」
「何でだ」

 圭人に張り付いたままの央が、七海を睨んだ。
 先ほどまで七海のことなどまるで無視していたくせに、急にどうしたというのだ。確かに七海は今、圭人の言葉に返事をしたけれども、しかし、圭人に話し掛けるなとか、どうして央がそんなことを言い出すのか。

「俺にも話し掛けんな」
「まぁそれはいいけど」
「何で!」

 七海は、圭人に話し掛けるなという命令には反論したのに、央に話し掛けるなというほうには、別にいいけど、という反応をしたので、逆に央が突っ込んだ。

「お前が、槇村くん、おっぱい好きなんじゃね? とか言ったから、槇村くんに聞いたのに、違ったし! お前の言うことはもう信用しない」
「聞いたのは央ちゃんじゃなくて、兄ちゃんでしょ? かわいそうに」

 央にひどいことを言われても、七海は平然としている。
 しかし、なるほど。朝から央が七海を無視したり冷たい態度を取ったりしているのは、七海の言ったことが違ったからだったのか。圭人はあの話を聞いた時点で、何だそれは、と思っていたけれど、央は相当信じ込んでいたから。
 で、圭人にも話し掛けるなと言ったのは、圭人を味方につけたいからだろう。圭人にしてみれば、どっちもどっちなんだけれど。



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恋は七転び八起き (29)


「でも、槇村さんに聞いてみて、結果、違ったから、央ちゃん、そんなこと言えるんでしょ? 確認できてよかったじゃんか。聞かなかったら、ずっとモヤモヤしっ放しだったでしょ?」
「ぅ…? ぅ? そっか…??」

 確かに、確認した結果が予想と違ったからこそ、今央はこんなに強気でいられるわけだけれど、それにしても、こんな簡単に言いく包められて…。ほんの数秒前に、七海の言うことはもう信用しないと言っていたのは、一体何だったんだ。

「そんで? おっぱいじゃなかったら、何が理由だったわけ? 央ちゃんと付き合わない理由。それは聞かなかったの?」
「…まだ17歳だから」
「何だ」
「何だって何だ!」

 央にとっては、それはとっても重大で大変で深刻な問題なのに、七海があっさりと、それもつまらなそうに相槌を打つから、央はカッとなって七海を蹴ろうとしたが、圭人の背中にくっ付いたままだったので、足が届かなかった。

「だって、そんなの、前も言ってたじゃん」
「違うって、年が離れてるとかじゃなくて、18歳未満だからダメなんだって。捕まるから」
「いや…、うん、分かってたよ…? え、もしかして央ちゃん、今まで、ただ年が離れてるからダメだって言ってると思ってたの?」

 わざわざ丁寧に説明してくれる央に、七海は困惑気味に聞き返した。
 槇村はこれまで、央と付き合えない理由として、央が17歳であることを挙げており、告白に同行する圭人は何度かそれを聞いていたし、七海も央や圭人経由で聞かされて知っていた。そしてそれが、『18歳未満だから法律に触れかねない』という意味だと理解していたのだが、肝心の央だけが、その真意を汲み取り損ねていたらしい。
 現実逃避なのか、思考回路が残念なのかは不明だが、しかし、年を取っても年齢差は縮まらないものだから、央が解釈した『年齢が離れているから』という理由のほうが致命的なわけで、それなのに懲りもせずに槇村にアタックしていた央は、ポジティブを通り越して、残念の一言に尽きる。

 もちろん世の中には、一回り以上年の離れた夫婦やカップルもいるから、付き合ってみたら、うんと年が離れていてもいいかも…と思うことだってあるかもしれないので、望みがまったくないわけではないが、17歳男子が相手では、年齢差だけでなく、少年愛の気もないと難しい。
 央は槇村が、嫌いではないと言いながら、どうして自分と付き合ってくれないのか非常に不思議がっているが、34歳の男が17歳の男子高校生と付き合いたいと思うには、法律以前に、持ち合わせていなければならない嗜好が多すぎるのだ。

「これ、アレじゃない?」
「何」
「もう諦めるしかない、てことでしょ?」
「死ね」

 七海の言い方が容赦なくストレートだったので、央の気に障ったのも分かるが、『死ね』と言った声色と目力がすごすぎて、ちょっとした小動物なら殺せるのではないかと思ってしまう。
 しかし、七海は慣れているので、気にすることなく、平然と話を続けた。



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恋は七転び八起き (30)


「だって央ちゃん、男だし、17歳だし、一回り……どころじゃないよね、槇村さんとの年の差。槇村さんがホモでショタコンで、めっちゃ年下好きじゃなかったら、好きになってもらえないじゃん」
「ホモでショタコンでめっちゃ年下好き…」

 それは最初から分かり切っていたことなのだが、はっきりと言葉にすると、ものすごく身も蓋もない感じがする…。
 もし槇村が央と付き合うことになったら、それは央の恋が実ってすごくハッピーなことなんだけれど、圭人は槇村の性癖にドン引きしなくもない。央はそうは思わないのだろうか。

「央ちゃん、槇村さんがそんなんでも付き合いたいの?」
「いいよ! 俺、槇村くんがホモでショタコンでめっちゃ年下好きでも好き!」

 …そうは思わないらしい。とても晴れやかな顔で央はそう断言した。
 いや、今のところ央と付き合う気のない槇村は、ホモでもなければ、ショタコンでも、年下好きというわけでもなく、とりあえず、恋愛におっぱいが関係ないことしかはっきりしていないのだが。

「そんでね、なぁ圭ちゃん聞いてよぉ!」
「いや、さっきからちゃんと聞いてるよ、何?」

 七海とはもう話をしない宣言をして以来、央はずっと七海と喋っていたが、央に背中に張り付かれていた圭人は、その間も2人の話なら聞いていた。というか、聞こえていた。その場を離れることも、耳を塞ぐことも出来ないので。
 別に央の話を聞くのが嫌なわけではない。聞いていないように見えたのなら、それは、圭人がそういうふうに見えるよう、がんばって振る舞ったからだろう。央の話仲間だと思われたくない。
 いや、通常の場合はいいんだけれど、央は、槇村の話題も普通と同じ声色で話すし、何ならテンションが上がって来ると、声も大きくなって来るから困るのだ。『俺、槇村くんがホモでショタコンでめっちゃ年下好きでも好き!』とか笑顔で言ってのける男と、話が盛り上がっているなんて思われたくない。

「俺、槇村くんとお出掛けしたいじゃんか?」
「え…そうなの?」

 央が槇村のことを好きで、お付き合いしたいと思っていることなら、もう嫌と言うほど知っているし、好きなら一緒にいたいとか出掛けたいとか思う気持ちは分かるが、今までに央の口から直接その願望を聞いたことなどない。
 それなのに、そんな知っていて当然みたいな口振りで話を始められても…。

「デートしたい、てこと?」
「んー…、昨日純平くんとも話したんだけどね、デートは恋人同士がするわけでしょ? だからデートじゃなくて、ただのお出掛けなの」
「あ…そう…?」

 別に言葉の正確さを追究してくれなくてもいいんだけれど…。
 というか、槇村と付き合いたいとずっと言っていたくせに、それはさておき、ただのお出掛けでいいなんて、どういう心変わりだろう。槇村への恋心にけりが付いたようには見えないのだが。
 しかも、槇村と出掛けたい話になった途端、今まで喋っていた七海でなく、圭人に矛先が向いたのか。七海の言うことはもう信用しないと言っていたから、圭人に何か助言を求めたいのだろうか…………いや、違う。



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恋は七転び八起き (31)


「18歳未満がダメだったら、恋人同士はとりあえずいいとして、お出掛けとかしない? て誘う。お金貰ってエッチなことしなかったら、大丈夫なんでしょ?」
「そういうものなのかな…。よく分かんないけど。じゃあ、お友だちとして、お出掛けするてこと?」
「うん」
「へぇー…。で、槇村さん、それならいいって? 一緒に出掛けるの」
「まだ聞いてない。今日聞きに行くから、圭ちゃん、一緒に来て?」

 やっぱり…!
 央は別に、恋人になれなくてもいいから、ちょっと一緒にお出掛けしてみたいなぁ、どう思う? とか、1回くらいはお出掛けしてみたいけれど、どうやって誘ったらいいかなぁ? とか、そんな質問をして、圭人から答えを聞きたかったわけではないのだ。
 槇村と一緒に出掛けることも、直接槇村にその話をしに行くことも、圭人について来てもらうことも、央の中ではもう決定事項であり、単にそれを圭人に伝えたかっただけなのである。

「央ちゃん、こないだ振られたばっかりなのに、もう槇村さんに、一緒に遊びに行こ~? とか言いに行くの? バカなの?」
「何でだよ! こないだまでは、恋人にしてほしいて言ってたから断られてたけど、今度は恋人とかじゃなくて、遊びに行くの誘うだけじゃん。友だちじゃん!」

 黙って話を聞いていた七海が、圭人に代わって突っ込みを入れた。何も言えずにいた圭人の気持ちを代弁してくれた……というより、央の思考回路に、突っ込まずにいられなかったのだろう。たまたま圭人よりも七海のほうが早く口を突いて出ただけに過ぎない。

「何なん、央ちゃんのそのメンタルの強さ。8回も振られた相手に、友だちでいいから一緒に遊びに行こ、とか普通言えないでしょ。まず、顔合わせたくないじゃん」
「何で。槇村くんの顔だったら、毎日でも見てたい…!」
「いや、そういう意味じゃないけど…」

 振られた時点で、普通なら次があるとは考えないから、顔を見てツラい記憶を呼び戻したくないと思うだろうに、央の場合、何度振られても、次こそはうまくいくと思い込む気持ちが強すぎて、そうは考えられないようだ。ポジティブもここまで来ると、ちょっと病的だと思う。

「でも央、もしだけど、もし槇村さんが、出掛けんのいいよ、て言ってくれて、」
「圭ちゃん、『もし』て言いすぎ!」
「あ、お、うん、ゴメン、いや、何だろ……その、央はとりあえず槇村さんと1回お出掛けできれば、いいってこと? それで槇村さんのこと、諦められるの?」
「…ぅん?」

 もしと言いすぎだと言われても、だってまだ実際に槇村を誘ったわけでもないし、槇村から出掛けてもいいと言われたわけでもないのだから、そう言わざるを得ないだろう。むしろ、どうしてもう、槇村と一緒に出掛けられる気でいるのだ。
 それはまぁともかく、仮に槇村が一緒に出掛けてくれることになったとして、同じ相手に8回も告白して振られるという、とんでもない記録を打ち立ててもまだなおめげずに槇村に恋心を抱いている央が、1回出掛けたくらいで気が済むのなら、どうしてもっと早くそうしていなかったのだ。それでいいなら、槇村も圭人も純平も、こんな苦労をしないで済んだのに。



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恋は七転び八起き (32)


「何言ってんの、圭ちゃん。1回て何?」
「へ…?」

 恋人になるのは無理だから、友だちとしてでいいから、最後に槇村とお出掛けがしたい、という意味だと思ったから、本当にそれで諦めが付くのかと圭人は尋ねたのに、央に不思議そうに聞き返された。何かおかしなことを言っただろうか。

「18歳になるまでは、お友だちとしてお出掛けするじゃんか。それで、18になったら、恋人にしてもらう」
「えっ…」

 冗談でもボケでもなく、本気で真面目にそう言う央に、圭人は完全に言葉を失った。がんばって視線を動かして、七海を見る。早く何か突っ込んでくれ、そう思うのに、七海もポカンと口を開けているだけで、何も言わない。そのくらい、破壊力のある発言だった。
 18歳になったら恋人にしてもらう、て…………確かに18歳になれば法律の縛りはなくなるだろうが、そもそも槇村が央に恋愛感情を抱いてくれないことには恋人にはなれないのに、央の計画には肝心のその部分がない。いや、ないように思えるのは、単に央の説明不足なのか。ものすごい秘策があるけれど、今は説明を省略しているだけなのか。そんなすごい作戦があるなら、今すぐにでも決行したらいいのではないか。
 いろいろな思いが渦巻き、圭人も七海も何か言おうとするのだが、言葉にならず、ただ口をパクパクするだけだ。何も言わない2人に対して、央は勝手に話を続ける。

「だって、俺が18になるまでに、槇村くんに彼氏とか出来たら困るでしょ? だから、槇村くんいっぱい誘って、いっぱい一緒にいて、槇村くんに彼氏が出来ないか見張るの!」

 圭人の脳裏に、七海の言葉が蘇る――――央の思い付くことなんて、ろくなことがない。
 央のピント外れの作戦に圭人が慄き、17歳とはいえ、ストーカーは犯罪だからね? と珍しく七海が焦って突っ込もうとしたタイミングで、板屋越が気怠そうに登場したので、それは叶わなかった。



*****

「どーしよぉ…、央がこのままストーカー一直線だったら…」
「でも今までの行動を思い返しても、央ちゃん、ストーカーぽいけどな」

 深刻な顔で頭を抱える圭人に、七海は若干呆れ顔で返した。振られても振られても、8回も告白しに行っている時点で、絶対にストーカーだと思う。それだけ告白に付き合わされて、今さらそんなこと言うなんて、圭人の天然もかなりのものだ。

「いや、今までだって、ちょっとはそう思ってたよ? でも、改めて今日、思い知らされたというか…」
「まぁ…、朝の話、すごかったもんな。俺もちょっと焦った」

 今までいろいろととんでもない作戦を思い付いては決行して来た央だが、今朝のが一番強烈で、鮮烈だ。いや、戦慄だ。今日、それに付き合わされるのかと思うと、圭人はゾッとする。



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恋は七転び八起き (33)


「なぁ…、俺、ホントに今日、槇村さんとこ行くの、付き合わないといけないのかな…?」
「央ちゃん、その気だけど」
「うー…」

 告白しに行くのには、もう何度も付き合っているので、慣れてしまったところがあるが、今日はまた違った切り口で槇村に話をするわけだから、圭人も改めて緊張する。央はすっかりオッケーが貰える気になっているが、もし断られた場合、どうやって慰めたらいいのか、さっぱり分からない。

「圭人のそのドキドキ、普通は央ちゃん本人がするもんだよなぁ。何でご本人様はあんなに能天気なんだろ」
「何が能天気だ」
「あ、央ちゃん、ありがと」

 購買から帰って来た央は、七海の背中にパンチを繰り出してから、買った来たパンの2つを渡した。
 七海は弁当持ちだが、午前中のうちに平らげてしまうことが多いので、昼には結局パンが必要になるのだ。今日は央もパンで、じゃんけんで負けたほうが買いに行くことにしよう、と央が言い出して、見事に央が負けたため、購買に行って七海の分も買って来た。
 ちなみに央のお母さんも、一応毎日弁当を作ってくれる人なのだが、帰宅後、央が空の弁当を出すのを忘れたときは、罰として作ってくれない。今日がそうだった。

「なぁ央ー…、今日、ホントに行くの…?」

 央が戻って来たところで、圭人は弁当を広げつつ、おずおずと再確認する。午前中の授業を受けている間に、気が変わった、なんていう一縷の望みに賭けてみたのだ。

「行くよ」

 しかし、央の返事はあっさりしたものだ。この分だと、午後の授業の間に気が変わることもなさそうだ。

「でも央ちゃん、何でわざわざ槇村さんちまで行くの?」
「ぅ?」
「いや、告白なら直接会ってすんのは分かるけど、遊びに行くの誘うのだったら、メールとかでもいいじゃん。友だちとして誘うんでしょ? だったらなおさら」

 槇村の家まで押し掛けるから、ストーカー感が増すのだ。央も自分で、『友だちとして』槇村をお出掛けに誘う、と言っているのだから、それなら電話やメールでもよさそうだ。

「だって、アドレスとか知らないもん」
「えっ」

 意外な告白に、七海も圭人も驚く。これまであれだけのことを仕出かしてきた央のことだから、槇村の連絡先など、いの一番に聞き出していそうなのに。
 今まで何度も央の告白に付き合って槇村の家まで行った圭人も、てっきり告白だから直接会って言いたいだけで、アドレスや電話番号は知っているものだと思っていた。



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恋は七転び八起き (34)


「槇村くん、絶対に教えてくれないんだもん。純平くんに聞いても知らない、て言うし」
「兄ちゃんも知らないの? 同じとこで仕事してんのに? 知ってるけど、知らないて言ってるんじゃなくて?」
「違う。スマホのアドレス帳とか、みんな見せてくれたけど、載ってなかった」
「…偽名で登録しとるとか」
「別にいいて言ってるのに、1個1個、全部誰なのか説明されたし。何なら全部電話して確認してもいいとか言うから、まぁホントに知らないんだろうな、て思ってるけど」
「………………」

 兄のスマホチェックをする弟というのも大層気持ち悪いが、純平が、何ならすべて確認してもいいと提案するあたり、この兄弟のヒエラルキーが窺い知れる。
 純平はどちらかというと央の恋を応援しているし、例のおっぱいの件も、わざわざ槇村に質問してやるくらいだから、槇村のことに関して央に嘘はつかないだろう。とすると、純平は本当に槇村の連絡先を知らないことになり、槇村の徹底ぶりを思い知らされる。本当に央に連絡先を知られたくないのだ。

「何か央ちゃん、アドレスとか知ったら、めっちゃメールとかしそうだもんね。すげぇ鬱陶しそう」
「何だそれ! お前になんか全然何も送ってないだろ!」

 恐らく七海の言っていることは正解で、もし央が槇村の連絡先を知った日には、毎日欠かさず、それも、いわゆる意味なしメールを送りまくるだろう。この手のメールは、好きな人は好きだが、そうでない人にとっては、非常に鬱陶しいものだ。
 槇村もそれを察して、頑なに連絡先を教えようとしないに違いない。しかしその結果、央が槇村の家に押し掛ける事態になっているで……一体どちらがいいものなのか、考えてしまうところではある。

「でも、アドレスとかは知らないのに、何で槇村さんちの場所は知ってるわけ? ホントにストーカーしたの? 俺、央ちゃん逮捕されたら、さすがに泣くけど」
「してないわ!」

 最近の央の行動と言動を見る限り、冗談とも言い切れない冗談を言った七海は、さっそく央にど突かれる。
 七海は、央のことに関しては、大体正論を言うことが多いが、その分、ど突かれることも多い。こうなることが分かっているのだから、少しは黙っていればいいのに、しかしそれだけ突っ込みどころの多い発言をしているのだろう、央は。

「じゃあ何よ」
「えー? だからぁ、初めて槇村くんに告ったのが、駅だったの。な、圭ちゃん」
「…ん」

 本当のことを言えば、七海はそこまで央の槇村くん愛について知りたいわけではないのだが、さすがにどうやって家の場所を知ったのかについては興味がある。本当に央がストーカーしたわけではないことを、はっきりさせたい。

「あれ。最初に告ったときも、圭人、一緒だったんだっけ?」
「一緒、一緒。央、全然関係ない駅で、急に電車降りるんだよ。しかも俺連れて。で、改札出たとこで、いきなり槇村さんに告ったんだよね」
「何してんの、央ちゃん」



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恋は七転び八起き (35)


 央が圭人に話を振ったこともあり、圭人は初めて央が槇村に告白したときのことを七海に説明してやる。
 央の初めての告白ももちろん失恋に終わっており、翌日、死ぬほど落ち込んでいたから、七海は央が槇村に振られたことしか聞かずにいたのだが、まさかしょっぱなから、そんな突拍子もないことをしていたとは。

「そしたら槇村くん、ダッシュで逃げやがって」
「そりゃ逃げるだろ」
「でも、逃げたら追い掛けたくなるじゃんか?」
「ストーカーの心理だなイダッ」

 余計なことを言った七海は、すぐさま央に蹴飛ばされた。

「そんで、追い掛け続けたら、槇村くんちに着いた」
「アホだな、槇村さん」

 恐らくは央を振り切るつもりだったのだろう、しかしそれも叶わず、結果として、央に自宅の場所を知られたというわけか。アホだと言ってしまったが、槇村には本当に同情する。

「それなのに、アドレスとか教えてくれないのっ」
「だからでしょ」

 央は、家の場所だって知っているのだから、連絡先くらい教えてくれたっていいのに、と思っているのだろうが、槇村にしてみたら、家まで知られてしまって、もうこれ以上、何も知られたくないと言ったところだろう。

「でも央、ホントに今日行くの?」
「行くよ。何で? ダメかな?」

 何となく渋い顔で圭人が聞いて来るので、央も心配になって聞き返した。相手が七海なら、『行くって言ってるだろ!』としつこさにキレかかるところだが、圭人の言うことには素直に耳を傾けるのだ。

「いや、ちょっと間隔が…。だって、3日前に振られたばっかりなのに、もう出掛けるの誘うとか…。また家まで行くわけでしょ?」
「そうだけど…。でも、モタモタしてる間に、誰かに先越されるかもしれないじゃん! そんななったら、俺…」
「まぁそうだけど…」

 そう言われると、確かに1日でも早く行動しなければ、とは思ってしまうが、しかし恋の駆け引き的なものとして、この頻度はいかがなものなのだろう。
 先ほど央は、『逃げたら追い掛けたくなる』と言っていたけれど、逃げるほうとしては、『追い掛けてくるから逃げたくなる』わけで。追い掛け過ぎては、余計に逃げられてしまうだろうことを、央は微塵も思っていないのだろう。

「ダメかなぁ? なぁ、どう思う、圭ちゃん」
「いや、よく分かんないけど…。央が行く言うなら、それでいいよ?」



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恋は七転び八起き (36)


 圭人も今までに告白やらお出掛けの経験もあるが、8回も同じ相手に告白したことはもちろんないし、8回目の失恋からたった3日で、その相手を遊びに誘おうと思ったこともないから、意見を求められても、適切なアドバイスなど出来そうもない。
 本音を言わせてもらえば、圭人だったら、絶対に今日という日は選ばない。どのくらいの期間を空けるのが適切かは分からないが、少なくとも、8回目の失恋から3日後はない。しかも、その3日の間に、例のおっぱいの件もあったわけだし。
 まぁ、モタモタしている間に誰かに先を越されるかも…という央の気持ちも分からなくはないが、しかしそれは、まだ槇村に1度も告白したことがない時点での心境だろう。8回も告白している人間が、何を今さら。

「じゃあ今日行くことにする。圭ちゃん、一緒に来てね?」
「あーはいはい」

 どっちみち道連れになるなら、別にいつだろうと圭人は構わない。下手に圭人がいつがいいのかを示して、それで槇村に断られたら気まずいので、央が決めてくれるに越したことはない。

「圭人は優しすぎる」

 七海のその言葉を、圭人は聞こえない振りで流した。



  槇村・央・圭人



 まったく、昨日も最悪だったが、今日はさらに輪を掛けて最悪だった。
 純平から逃げまくった昨日のことは、単に槇村の心と体を疲労させただけでなく、やはり同僚たちに好奇の目で見られていたようで、今日は朝から、昨日はどうしたのかとみんなに聞かれまくった。
 出勤時間の早い槇村がすでに職場にいるところに、みんなが後からやって来ては、その都度聞いて来るものだから、槇村は何度『何でもない』と答えたことか。
 しかし、日中あれだけ逃げ回っていたのが、最終的には純平に捕まり、肩まで組まれて帰っていったが『何でもない』では、みんな腑に落ちないのだろう、口では『そうなんですかぁ』なんて返事をしつつも、何か勝手な憶測をしているのが感じ取れて、槇村にストレスを与えた。

 昨日の帰り、槇村が純平に捕まったのは逢坂のせいでもあったわけで、だからというわけでもないのだろうが、今日の逢坂は、下手に話を振って来ることはしなかったし、いつもの調子で槇村に絡もうとする純平をさりげなく槇村から離し、うまく距離感を取ってくれたので、槇村は何とか1日を乗り越えられた。
 純平は、昨日のことなどまるで気にせず、むしろ央から頼まれたことをやり遂げた達成感に溢れているようにさえ見えて、逢坂がいなかったら、槇村は本当に純平のことを殴り飛ばしていたかもしれない。

 非常にストレスフルな1日を終えた槇村は、さっさと帰ることを決め、席を立った。
 これでまた純平に追い掛けられでもしたら大変なことになる…と、純平の様子を窺うと、彼のデスクはまだ少しも片付いていなかったので、タイミングとしては大丈夫だろう。せっかくなので、睨み付けておいた。

 こんな日は酒でも飲んで嫌な気分を忘れたいところだったが、賑やかな雰囲気は今の気分ではないし、人とのコミュニケーションに疲れた1日だったから、今日はもう誰にも会いたくはなかった。
 1人酒も寂しいけれど、きっとそれが、今の自分に一番合っていると思う。



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恋は七転び八起き (37)


 近所のコンビニでビールと適当なつまみを買って帰宅すれば、マンションの前に見覚えのある人影があった。
 今一番会いたくない相手は純平だと思っていたが、その人影が誰なのかが分かったところで、ランキングが変わった。トップは純平ではない、マンションの前にいる男――――央だ。

「お前…、何してんだ」

 大きな溜め息の後、槇村はなるべく苛付いた感情を表に出さないよう、央に声を掛けた。
 央の少し後ろには、いつもどおり圭人がいて、ただ、いつもはスマホを弄るなどして面倒くさそうにしているのに、今日は少し心配そうな表情で央の横にいた。

「槇村くん!」
「央…、悪いけど、もう帰ってくれ」

 駆け寄って来た央が話し出すのを遮って、槇村は告げる。冷たい言い方だったが、今これ以上話を続けていたら、もっとひどいことを言ってしまいそうだったので。

「何でそんなこと言うの? 俺な、槇村くんにお願いがあって来たんだけど。あのね、」
「お願いじゃない。帰れって言ってるだろ」
「何で! 話くらい聞いてよ」
「話て…。あのなぁ、お前のせいで俺がどんだけ大変な目に遭ってるか分かってんのか。話なんか聞きたくないわ」

 しつこく食い下がってくる央に苛立ちが増し、それを隠すことが出来なくなる。今日1日、何とか持ち堪えた感情をぶちまけてしまいそうだ。
 そもそも、槇村が今日こんな気分なのは純平のせいではあるけれど、本を正せば、央が純平にバカな質問を頼んだのが始まりであり、その原因が目の前にいるとあっては、苛立たないわけがない。

「槇村くん、何でそんな怒ってんの? 俺が何したわけ?」
「ッ…、おま、ホントにええ加減にしろよっ」
「何だよ、槇村くん何なの!? 俺のこと嫌いなの!?」
「あぁそうだよ。お前のことは嫌いだし、話もしたくないっ、顔も見たくないわっ」
「!」

 売り言葉に買い言葉。
 槇村もそこまで思っていたわけではないが、槇村が声を大きくしたのにつられて央も段々とケンカ腰の口調になってくるから、槇村もついキツい言葉を返し、とうとう感情のままに思いをぶちまけてしまった。
 央が目を見開いて言葉を詰まらせたところで、槇村はようやく言い過ぎたことに気付いたが、もう遅かった。発してしまった言葉は、取り消せない。

 何か言おうとしたのか、央は一瞬口を開き掛けたけれど、それが声になる前にキュッと口を結ぶと、槇村の横をすり抜けて走り去って行った。
 突然のことに唖然となったは、当事者だけではない。一緒にいた圭人も、あまりの展開に固まって、央を追い掛けることも、取り残された槇村に声を掛けることも出来ずにいた。

「あ、あ…、あの…、すいませんでした!」

 央の姿が見えなくなったころ、圭人はようやく我に返ったのか、今さらながらも槇村に頭を下げたが、槇村は自分の行動と言動に呆然となっていて、何も反応できなかった。そんな槇村の様子をどう受け止めたのかは分からないが、圭人はもう1度だけ深く頭を下げると、央を追い掛けるべく去って行った。



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恋は七転び八起き (38)


「………………」

 1人になり、静けさに耳が痛くなる。ほんの1分ほど前には、ここに央がいて、圭人もいて、苛立ちから槇村は声を大きくしてしまった。きっと近所にも聞こえている。高校生の男子と言い争いをしていたなんて、変な噂が立たなければいいけれど。
 …そう思ったところで、こんなときでさえ、考えるのは周囲の目なのかと、自分を嗤いたくなった。いい大人が、一回りも年の離れた子どもを傷付けたというのに。

 きっともっと他に言い方はあった。少なくとも、央の話を聞くぐらいしてもよかった。何か言うのは、それからでも遅くはなかったはずだ。
 けれど、今さらどうすることも出来ない。追い掛けて央に謝ればいいのだろうけど、足が動かないのだ。先ほど央に放った言葉とは違った意味で、槇村は今、央の顔を見たくはないと思った。合わせる顔がない、というヤツだ。

 しかし槇村は、こんな状況だというのに、なぜかホッとしている自分がいることに気付いていた。自分の言動が央を傷付けた事実は、槇村に大きな罪悪感をもたらしたが、それと同時に、ようやく央から解放されたという気持ちも抱かせたのだ 。
 さすがにこれで央も槇村のことを嫌いになっただろうから、何度告白を断っても再び槇村の前に現れた今までのように、これからはやって来ないだろう。ひどい幕切れだが、これでもう、央に会わなくて済む。

(央…。俺はお前が好きになってくれるような、かっこいい大人でも何でもないんだよ…)

 だって、こんなにも傷付けてしまった。そのうえ、それなのに、やっと自由になれた、なんて思っている。近所で変な噂が立たないか、気にしてばかりいる。何て嫌な大人だと、自身を嫌悪するしかない。
 こんな大人から離れることが出来て、きっと央はよかった。もっと早く、そうなるべきだった。こんなに傷付ける前に。世の中の大人がみんなこうではないから、どうかまっすぐに生きてほしいと思う。

(ゴメンな、央…)



*****

 翌朝、槇村は再び自己嫌悪に陥ることになる。昨晩は、何もかもを忘れたくて酒に逃げてしまい、1人だというのに深酒をした結果、目を覚ましたらひどい二日酔いだったのだ。
 朝食を取る気にもならず、ヨロヨロと家を出て、いつもより幾分遅い電車で会社に行くと、すでに何人かが出勤していた。
 別に一番で出勤することに命を懸けているわけでも何でもないので、先に誰がいようと構わないのだが、周囲はそうとも思っていないようで、『珍しいですね~、槇村さんがこんな時間に。何かあったんですか』なんて言って来る。遅刻したわけでもなし、何時に来ようと勝手だろう、とはさすがに言えないので、槇村は適当に笑って受け流した。
 こんなことですら苛付いてしまうなんて、まったくもって精神状態が穏やかでない。

「何だ槇村、寝不足か? 隈すごいぞ」
「おぉ…」

 槇村がどんな状態であろうと、気にせずいつもの調子で声を掛けてくるのが逢坂だ。彼にとって、槇村の出勤が早いのも遅いのも、どうでもいいことなのだ。
 しかし、それだけではただの鈍感な男に過ぎないが、逢坂はその実いろいろと見ていて、今もこっそりと槇村の机の上に水のペットボトルを置いていった。槇村の持っていたものが、すでに空であることに気付いたのだろう。『寝不足か?』なんて声を掛けてきたのも、槇村が二日酔いであることを分かっていながら、あえてそのように言葉を選んだに違いない。



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恋は七転び八起き (39)


「…おはようございます」

 そんな逢坂と違って、いつもとはまったく違った様子で現れたのは純平だ。恐ろしく暗い顔をしている。槇村と目が合った瞬間、ごまかしようのないくらいあからさまに顔を背けた。
 理由なら聞かなくても分かる。央だ。
 央がどこまで純平に話をしたかは分からないが、何も言わなくても、態度で何かあったことは気付くだろう。そして、央がそんなふうになる原因は槇村しかないことは、今までのことから、純平ならすぐに分かるはずだ。

「槇村! お前、もっとしゃっきりしろ! 純平まで気ぃ遣ってるぞ!」

 バシッと槇村の背中を叩いて、逢坂は笑いながら去っていく。
 いつもなら槇村に絡みまくりの純平が、今日は朝からこの調子では、昨日までのこともあって、また同僚らに変に思われる。寝不足の槇村に気を遣って静かなのだと思わせておけばいいと考えたのだろう。
 また、逢坂に助けられた。

 視線を感じて顔を上げると、曖昧な笑顔の純平と目が合った。一応純平も、逢坂の考えを汲み取ったらしい。
 大人というのは、実に面倒くさいものだ。こんなときでも、こんな状態でも、いつもどおりを装わないといけないのだから。何も考えずに突っ走っていたころに戻りたい。そうすれば、何を気にすることなく、央とだって付き合えただろうに。



  央・圭人・七海



 いつも分かっていてわざと無神経な言葉を投げ掛ける七海でさえ、今日の央には声を掛けることすら出来なかった。そのくらい、央は死にそうな顔をしていた。よくこんな状態で、休まず登校したものだ。加えて、圭人までもそんな顔をしているものだから、昨日一体何があったのか、七海は聞くに聞けないでいる。
 2人の様子からして、決していい結果ではなかったのは分かるが、央のこの落ち込みようを見ると、単にいつものように断られただけとも思いにくい。圭人もこれだけ凹んでいるし。
 しかし、今さら何があったというのか、七海にはちょっと想像が付かない。振られてから3日でまたやって来た央に腹を立てたとしても、相手はもう8回も告白して来た男だ。ここで切れるなら、もっと前に切れていた気がする。

「おぅ、おぅ、おはよーさん」

 普段なら、担任の板屋越が教室に来るまで、くだらない話で盛り上がっている3人だが(何も、央の槇村話とは限らない。3人はそれ以外の話だって、もちろんするのだ)、今日は大人しくそれぞれの席に着いていた。
 板屋越はよく分からないテンションで、変な挨拶をしながら入って来た。どうしてそんなおっさんくさい挨拶をするのか分からないが、時々こういうことがある。
 出席簿を開いて、グルリと教室を見回して、板屋越の出欠確認は終わる。後は、連絡事項をいくつか。いつもどおりの光景だ。
 淡々と話は済んで、板屋越は教室を出て行こうとしたが、教壇の前を離れたところで、ふと生徒のほうを振り返った。まだ何か話があるのだろうかと、私語が始まりそうだった教室が、再び静かになる。



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恋は七転び八起き (40)


「央、保健室行っとくか?」

 板屋越が声を掛けたのは央で、生徒の視線も自然と彼に集まる。央は机に突っ伏していて、一見すると具合が悪そうだが、同じ光景なら3日前にもあった。いや、槇村に振られた次の日はいつもこうだから、今までに8回は同じことがあったはずだが、板屋越がこうして声を掛けるのは、初めてのことだった。

「…央ちゃん」

 心配されているのに無反応なのもマズいだろうと、七海が声を掛ける。それとも、顔も上げられないくらい具合が悪いのだろうか。

「央ちゃん、大丈夫なん?」
「…だいじょーぶ…」

 ようやく央はのろのろと顔を上げたが、言葉とは裏腹に、とても大丈夫そうには見えない。板屋越は顔をしかめた。

「央、保健室行け」
「だいじょー…」
「行け」

 大丈夫だと繰り返そうとした央の言葉を遮って、板屋越はそう命じた。
 セリフと口調はまったく優しくないが、今日の央の落ち込みがいつもとは違うことに気付いたのだから、やはり担任としてよく見ているし、生徒思いの先生なのだろう。

「央ちゃん、保健室行こ?」
「…ん」

 板屋越が教室を出て行った後、七海は央を促した。央を保健室に連れて行くことを頼まれたわけではないが、とても1人で保健室まで行ける状態とは思えないので。
 そう思っていたのは圭人も同じだったようで、央の傍らに控えていた。近くの席の生徒に、央を保健室に連れて行くことを伝え、3人で教室を出る。板屋越のショートホームルームはすぐに終わるので、1時間目が始まるまでにはまだ十分時間があるから、恐らく授業が始まるまでには戻って来れるだろうけれど、念のため。

「…央ちゃん、ホントに大丈夫?」

 歩き出した途端、フラフラし出す央が心配で、七海は教室を出たところで声を掛けた。央は平気だと頷くが、こんな状態で、よく無事に学校まで到着したものだ。
 3人とも同じ路線の電車で通っているが、3人の中では央が一番学校から遠くの駅で電車に乗る。たまに一緒になることもあるが、今日は会わなかったし、七海よりも先に登校していた圭人も、央と一緒に来たわけではないだろう。

「センセー」

 保健室のドアをノックして開けると、デスクに向かっていた保健医の鮎川が振り返り、「返事する前にドア開けたら、ノックの意味がない」と言った。



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恋は七転び八起き (41)


「センセー、央ちゃんが」
「一応社会の礼儀を教えてやったんだから、返事くらいしろ」

 文句を言いつつも、鮎川はベッドの用意をしてくれる。圭人に利用者名簿を書かせ、央がもそもそとベッドに這い上がっている間に、体温計を出して来た。

「ほれ」

 央は素直に体温計を受け取った。

「気分は?」
「最悪…」
「学校来てる場合じゃないだろ、最初から病院行かんかい。昨日、どんくらい寝た?」
「…………」
「素直に答えろ」
「……寝てない…」

 鮎川に詰め寄られ、央は観念して答えた。その答えに鮎川は大きな溜め息をつき、七海は圭人を見た。圭人は視線に気付いて七海のほうを向いたが、その事実は知らなかったようで、小さく首を振った。

「熱は……なし。まぁ、もうあからさまに寝不足が原因だって分かるけどな。大人しく寝とけ」

 央から受け取った体温計を見た鮎川が、そう診断を下す。さすがに一睡もしていないとなれば、医者でなくとも、そのくらいのことは分かる。というか、保健医でなくても、七海や圭人にだって分かる。

「お前らは教室戻れー。授業始まるぞ」
「…はーい。央ちゃん、また来るなぁ」

 寝不足だから寝る、ということになったら、七海や圭人がここにいても邪魔になるだけだから、大人しく言うことを聞いて、2人は保健室を出た。

「ぞんで、昨日何があったわけ?」

 保健室を離れたところで、七海は小声で圭人に尋ねた。央のことなのだから、本当は央自身に聞くか、少なくとも央がいるところで聞くべきなのだろうけど、さすがにあの状態の央には聞きづらいので。
 圭人は眉を下げ、今にも泣き出しそうな顔を向けた。

「何? 何があったん。槇村さんのとこ行ったんでしょ? で、また断られた――――だけだったら、ここまでじゃないよな?」
「…断られた、ていうか……そこまでの話にもならなかったかな」
「どういうこと?」
「何か槇村さん、最初から機嫌悪い感じで…、央に帰ってくれ、て言ったんだけど、央も急にそんなん言われたから、何でなん!? て突っ掛かっかっちゃって…」
「で?」
「俺のこと嫌いなの!? て央が言ったら、そうだ、てはっきり言われた…」



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恋は七転び八起き (42)


 今までに何度も槇村に告白しては振られた央は、そのたびに槇村に『俺のこと嫌いなの?』と質問しては、『そういうわけではない』という返事を貰っていた。それは、嫌いでないなら、どうして付き合ってくれないのか、と嘆く原因にはなっていたが、完全に望みを失ったわけではないから、心の支えにもなっていたはずだ。
 それに、恋愛感情を抜きにしても、やはり人から嫌いだとはっきり言われるのはツラいものがあるわけで、それを、好きな相手からはっきりと言われたとあっては、央が眠れなくなるほど落ち込むのも無理はない。

「しかも、顔も見たくないし、話もしたくない、て言われた」
「ちょっ…、槇村さん、それ言い過ぎじゃない?」
「でも、そんくらいイライラしてた」

 圭人は昨日の槇村の様子を思い出し、肩を竦めた。

「やっぱ家行き過ぎだったかな? 振られて3日でまた行く、て。央ちゃん、圭人にしか聞かないから、俺何も答えなかったけど、もっと止めたらよかったかな」
「それもだけど、あの、おっぱいがどうとか、て……兄ちゃんに頼んで聞いてもらったわけでしょ? あれ、気まずかったんじゃないかな、槇村さんにしたら」
「あれは…………俺が悪いんかな。余計なこと言っちゃって」

 七海にしても、まさかそれを本気で槇村に質問するとは思っておらず、冗談だったのに。

「ななみんのせいじゃないって。聞くかどうかは央が自分で決めたことなんだし」

 こんなときでも優しい圭人に、七海は柄にもなく泣きそうになった。
 昨日は圭人のことを優しすぎると言ったけれど、今はその優しさが身にしみる。

「央ちゃん、ちゃんと寝てるかなぁ」
「さすがにあんだけになってたら、嫌でも寝るって。後でまた様子見に行こ?」
「うん」

 教室を目前に、1時間目の始まるチャイムが鳴って、2人は教室へと駆け出した。



  槇村・逢坂・板屋越



 二日酔いのおかげで、昼食もろくに取れなかった槇村も、終業時間が近づくころには、ようやく復活した。このところ早く帰ってばかりなのに申し訳ないが、金曜日、みんなも早く帰ろうという雰囲気だから、それに合わせて、槇村もさっさと帰ることにする。
 今日は早く寝て、土日はゆっくり休んで、月曜日からまたがんばろう――――そう思ったのに。

「まぁ待て、槇村。そんな急いで帰らなくても。一杯やってこうじゃないか」

 席を立った槇村が1歩踏み出したところで、その肩を背後からガシッと掴まれた。
 槇村はその手を振り払って、ダッシュで逃げ出したかったが、それは出来なかった。それが、昨日から世話になりっぱなしの、逢坂のものだったので。
 槇村が恐る恐る振り返ると、笑顔の逢坂がそこにはいた。しかし、昔からの付き合いである槇村には分かる、その笑顔が、苛立ちの上に貼り付けられたものだと。



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恋は七転び八起き (43)


「いや…、今日俺、寝不そ…」
「なつめも来るて言うし。なぁっ」
「はい…」

 なつめというのは、2人の幼馴染みであり、央のクラスの担任である板屋越なつめのことだ。彼も交えて3人で飲むことはたまにはあったけれど、今日このタイミングで誘って来るのは、もちろん深い意味があってのことだろう。
 槇村は、出来ることならお断りしたかったけれど、今後の自分の身の上を考えると、そうも出来ず、大人しく逢坂の後を付いていった。

 逢坂が向かったのは駅前の居酒屋のチェーン店で、席に通されると、そこにはもう板屋越がいたので、槇村は転けそうになった。
 ここは、槇村と逢坂の会社から最寄りの駅前であり、板屋越が勤務する高校からは電車に乗る必要がある。槇村たちもそこそこ早い時間に会社を出て来たはずなのに、どうして板屋越のほうが早く着いているのだ。

「お前…、生徒よりも早く学校出て来てるんじゃないのか?」

 呆れつつも、槇村は席に着いたが、逢坂が板屋越の横に座ったのに気付き、しまった、と思った。別に自分が板屋越の隣に座りたかったとか、そういうことではない。向かいに2人が座ると、これから始まるであろう話の内容からして、完全に槇村が一方的に責められることになる。
 しかし、今さら席替えも要求できず、槇村は大人しくしていた。

「ホントだよ、お前、どんだけ早いんだ」
「俺が早いんじゃない、お前らが遅いんだろ。俺、1人でめっちゃ恥ずかしかったんだからな」

 逢坂にもからかわれ、板屋越はメニューで顔を半分くらい隠しながら、ボソボソと言った。今の時代、『おひとりさま』やら『一人○○』が流行っているけれど、板屋越の性格からして、一人居酒屋はだいぶハードルの高いことだったようだ。

「槇村がもたもたしてるから」
「もたもたて……だから俺は今日、早く帰りたかっ…」
「何?」
「…何でもないです」

 逢坂のヒドい言いように槇村はわずかばかり反論したが、ギロリと睨まれ、あっさり引き下がった。

「何だ槇村、随分と元気そうだな。安心したわ」
「いや、どこがだ。ベタな突っ込みだけど、ホント」

 朝の死に掛けたような状態からすれば、今はもう大分増しにはなっているが、どこをどう見ても、絶対に安心できるような元気さはないはずだ。悪いが、板屋越の嫌みに付き合ってやれるほどまでには、回復していない。

「そんで、何頼む? とりあえずビールか?」
「いや、俺、今日はホントに酒は…」
「何だ。酔わなきゃ、話せないこともいっぱいあるだろ?」



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恋は七転び八起き (44)


 昨日、二日酔いするほど飲んだ身としては、出来ることならアルコールは控えたいところなのに、逢坂はそれを許さない。素面でも話せるのならそれでもいいが、と一応の選択肢を与えてくれているようだが、話さなくてもいいというカードが、そこにはない。
 仕方なく槇村が生ビールに決めると、板屋越が若い店員に『生ビール、大で』と注文しようとするので、慌てて止めた。疲れているときに、そういうボケは勘弁してほしい。

「それなら、事情聴取、始めようか」
「事情聴取て…」

 ビールとお通しが届いたところで、乾杯よりも先に逢坂がそう言った。まぁ、乾杯などしたい気分でもないから、それでもいいんだけれど。
 というか、事情聴取とは言葉が悪いが、最初に槇村が思ったとおり、この座席の配置では、完全に取り調べ状態だ。黙秘を続けられる自信がない。

「で、何があったんだ? 昨日も一昨日も。別に純平と遊んでたわけじゃないんだろ? 央と何があったんだ」
「何、て…」

 いきなり核心に触れて来る逢坂に、槇村は言葉が続かない。何をどこから話せばいいのか分からないのもあるが、出来ることなら話したくないし、昨日のことを思い出したくないとも思ってしまって。
 しかし、問い詰めて来る逢坂だけでなく、その隣でジョッキを傾ける板屋越の鋭い眼光を前にすると、とても無言を貫き通せそうにない。

「えと…、どこから話せば…」
「最初からだ」

 言い淀む槇村に、逢坂はそう告げる。
 確かにそれは当たり前のことで、最初からなのは槇村も言われなくても分かっていたのだが、一昨日からの槇村と純平のやりとりは、同じ部署で働く逢坂は知っているから説明するまでもないけれど、板屋越は逢坂から聞いていない限り知らないわけで、それも含めて話した方がいいかどうかを聞きたかったのだ。
 しかし、今槇村は、何かを質問する立場にないようなので、板屋越に会社でのことを知っているのかと尋ねるのはやめて、すべて洗いざらい白状することにする。それはもう知っていると言われたら、そのときはそのときだ。

「えっと…、何日前だったかな、央が告白しに来て、」
「月曜だ」

 ここ数日の間に、あまりにもいろいろなことがあったため、何がいつの出来事か、槇村自身もあやふやになっていたのだが、しばらく黙っていた板屋越が思い掛けずきっぱりと言い切ったので、槇村だけでなく逢坂も驚いて板屋越を見た。

「何でお前が知ってんの?」
「火曜の朝、央がめっちゃ凹んでた」

 板屋越は、央のクラス担任だ。直接槇村から話を聞かなくとも、何かあったことは分かるし、凹んでいる様子からして、いい出来事ではなかったことは推測くらい出来るのだ。



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恋は七転び八起き (45)


「それはまぁ断ったんだけど…、そしたら一昨日だよ。純平。アイツ兄ちゃんなんだから、もっと央のこと止めればいいのに、バカだから、何でもかんでも央の言うこと聞くんだよ。で、一昨日、何か聞きたいことあるとか言って、」
「コイツら、1日中追いかけっこしてるからな。槇村、純平に捕まりたくないから、純平が電話してる隙にトイレ行ったり、チャイムと同時に席立ったりして」

 一昨日の会社での槇村と純平は、よほど滑稽だったのだろう、笑いながら逢坂が、槇村の話の続きを奪って、板屋越に説明した。

「何だよ、捕まりたくない、て。そんな話したくなかったのか、お前」
「どうせろくなことじゃない、て思ったからな。だってアイツ、そのために、いつもよりめっちゃ早く会社に来てるからな。人に聞かれたくないから。そこまでして純平が話したいことなんて、央絡みに決まってるし。 そんなの絶対いい話じゃないわ。で、俺が一生懸命逃げまくって、やっと帰れると思ったら、コイツだ」

 槇村は逢坂を睨んだ。
 何とか純平から逃げ切って、帰ろうとしたところで逢坂に行く手を阻まれ、あえなく槇村は純平に捕まったのである。

「何だ逢坂。お前、純平の味方か」

 板屋越はお通しをつまみながら、ニヤリと口元を歪めた。
 クラス担任として、板屋越は央の親には会ったことはあるが、兄である純平にはまだ会ったことはないのに、槇村と逢坂が純平のことを『純平』と呼ぶので、板屋越も勝手に『純平』と呼んでいる。しかも、2人から聞かされる純平像があまりにもおもしろいので、これまた勝手に親近感を覚えて、旧知の友人のような感覚でいる。

「味方じゃないよ。昼休みに純平に会って、ちょうど槇村に逃げられたとこで、どーしよぉ…てバカみたいに情けない顔してたから、代わりに話聞いてやろうか、て言ったんだど、話の内容、他の人に聞かれたくないから自分で何とかする、て言って」
「で、俺が帰ろうとすんの、逢坂が邪魔するから、結局俺、純平に捕まったんだ」
「だってお前、あんな追いかけっこ、毎日続けるつもりだったの? あの日逃げ切ったって、純平、次の日にまた来たぞ? 一生あんなことしてられないだろ」
「……」

 逢坂に尤もなことを言われ、槇村は押し黙った。
 それは、あの日言われたのと同じセリフだ。槇村だって、言われなくてもそのくらいのことは分かっている。分かっていても逃げたかった槇村の気持ちも、少しは分かってくれ。

「で、何の話だったんだよ。純平がそこまでして槇村に言いたいことって何だ? どうせ央のことなんだろ?」

 槇村のふてた様子を無視して、逢坂が率直に尋ねる。昨日までのあのさり気ない気遣いはどこに行ったんだ、まったくデリカシーがない。これまでの恩をなかったことにして、その頭を引っ叩いてやりたい。
 とはいえ、今日の槇村に黙秘権はないから、答えないわけにはいかない。…いかないが、そう簡単に言い出せるものではない。少なくとも、ビールをジョッキ半分飲んだくらいの酔いでは。



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恋は七転び八起き (46)


「まぁそれは…、そんな大したこ…」

 ――――ピンポーン!

 無理だと思いつつ、槇村が適当に流そうとしたら、言い切る前に、板屋越が店員を呼ぶためのボタンを押した。
 その絶妙なタイミング、正解は何とか製菓だと答えてしまいそうなポーズに、隣の逢坂がブフッと噴き出した。昔から逢坂は、板屋越のボケが好きなのだ。

「まぁまぁ、飲まなきゃ言えないんだろ? 何杯でも飲んだらええがな。店の酒、飲み尽くしたらええがな」

 なぜか関西弁交じりの妙な口調でそう言って、槇村のビールだけを追加注文した板屋越は、確かに槇村の気持ちを分かっている。このくらいの酔いでは、なかなか言い出せないと、確かに今しがた思ったばかりだ。
 しかしこの調子では、槇村が何か口籠ったり、ごまかそうとしたりするたびに、新たな酒を注文されかねない。いくら明日が土曜日で休みとはいえ、槇村は2日続けて深酒をするつもりはないのに。

「いやホントにバカすぎて…。いいかお前ら、聞いても引くなよ? 俺じゃなくて純平が言って来たことなんだから」
「今さら純平がどんなアホなこと言っても引かねぇよ」
「…………」

 逢坂は男らしくそう言ったが、言っている内容は結構ヒドいものだ。純平を何だと思っているのだ。しかし、毎日純平を見ている者としては、そのくらいのセリフ、当たり前に出て来る。

「央に、俺がおっぱいが好きかどうか聞いて来いて頼まれたみたいで、いきなり、ボインのネエちゃんが好きかどうか聞かれたわ」
「――――ッ!」
「お、おぉ、お、せ、正解はっ…!」

 槇村の忠告どおり、2人とも槇村の話に引きはしなかったものの、恐らく想像だにしていなかった言葉に、逢坂は飲んでいたビールを噴き出しそうになるし、板屋越は必死に早押しボタンを探したが見つけられず、しかも逢坂がビールで噎せ返っていたせいで突っ込んでももらえずにいた。

「何だよ、お前らが言え、て言ったんやぞ」
「いや、そうだけど、まさかそこまでとは…、ケホッ…」

 おしぼりで口元を拭いながら、逢坂が涙目で弁解する。板屋越はあんぐりと口を開けているだけだった。

「それ…、あれだよな。聞いて来たのは純平だけど、もともとは央だよな? 央に頼まれたから、純平が聞いて来たんだよな?」
「そうだって」

 珍しく慌てふためく逢坂がおかしくて、槇村は逆に冷静になる。
 一昨日、純平から唐突にこの質問をぶつけられたとき、槇村もこのくらい動揺していたが、それと同じかそれ以上に純平も狼狽していて、そういえばあれは会社の廊下だったから、通りすがった者は、さぞ滑稽な光景を目撃しただろう。



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恋は七転び八起き (47)


「何てことを…」

 どういった経緯で、央がこんなことを槇村に聞こうと思ったのか、青少年の健全な育成のためにも十分に検討する必要があるが、それよりも、純平はどうしてこんなことを平気で引き受け、槇村に質問したのだろう。どうにもこうにも、あの兄弟は歪んでいる。

「何で央はそんなこと…」

 逢坂は頭を抱えながら、質問を重ねて来た。板屋越は固まったままだ。槇村は時々央のことを板屋越に話すけれど、央の学校での様子はよく知らない。だから、今板屋越が受けているであろう衝撃のほどは、分かりかねた。

「男より女のほうがいいと思ってても、付き合ってみたら男もいいかも、て思うかもしれないだろ? でも、おっぱいが好きだったら、男のほうがいいとは思わないから、確認したいとか何とか」
「………………」

 あのとき純平に言われたことを忠実に伝えると、逢坂は真面目な顔でジッと槇村を見つめたまま、何も言わなかった。人間、本気で絶句すると、こういうことになるのだと、槇村は今初めて知った。

「逢坂…………いや、なつめ、大丈夫か?」

 逢坂ももう十分大丈夫ではなさそうだが、先ほどから微動だにしていない板屋越のほうがもっと大丈夫でなさそうだ。

「なつめ?」
「お、おぉ、大丈夫…、大丈夫だ…。何だ、あれだな…。い今どきの高校生はすごいな。そんなん授業で習うのか。おっちゃん、付いてけないわー…」

 目の前で手を振ってみたら、板屋越はようやく我に返ったようで、キョドキョドと視線を彷徨わせた。
 今どきの高校生事情なら、この中では板屋越が一番詳しいだろうに、どうしても脳が現実逃避したがっているようだ。こんなこと、保健体育の授業だって、教えてはくれないだろう。

「…で、お前はそれに何て答えたんだ」

 逢坂の顔は、若干蒼褪めているようにも見える。居酒屋の照明はちょっと薄暗いので、はっきりとは分からないが。

「央に胸がないから付き合わないわけじゃない、て。そりゃそうだろ? 別に俺、胸目当てで女と付き合ってるわけじゃないし」
「まぁ…、そうだな」

 逢坂はぐったりと背凭れに体を預けた。板屋越は、先ほど作った微妙な笑顔のままでいる。同い年のはずなのに、この数分の間に、板屋越は随分老け込んだように見える。

「央…、いくつだったっけ? 16?」
「17」
「何か…、日本の将来に絶望しか感じないんだけど…」

 日本のすべての17歳がこうではないだろうけれど、身近にこんな高校生がいたら、絶望を感じざるを得ない。逢坂は遠い目をするが、自分のクラスにいる板屋越のやるせなさのほうが大きいだろう。



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恋は七転び八起き (48)


「あれ、でも槇村、え? 確か央、月曜に告白しに来た、て…」
「あぁ」
「で、純平がそれ、その乳が…て聞いて来たのが一昨日だよな? てことは、月曜に告って振られて、次の日に乳のこと思い付いて純平に頼んだ、てことか? そんで、純平がその次の日、槇村に乳の…」

 指を折って曜日と日付を数えながら、一昨日までに起こった出来事を槇村に確認して来る。
 会社の廊下で、素面でおっぱいだのボインだのと話していた槇村と純平も気持ち悪かったが、金曜日の居酒屋で、『乳』という単語を連呼するアラサー男も、十分気持ち悪い。言わないが。

「いや、おかしいだろ! それだったら央、振られた翌日にはもう、槇村に乳のこと聞かなきゃ、て思ったわけだろ? 次の日めっちゃ凹んでたって、さっきなつめが言ってたのに。それなのに、」
「朝な。火曜の朝」
「朝…」

 頭の中で時系列を組み立てていた逢坂は、その矛盾に気付いて声を上げたが、隣の板屋越が、まだ呆然としつつも、言葉を付け加えた。

 槇村と板屋越の話を纏めると、月曜日に槇村に告白して振られた央は、火曜日の朝、大層凹んでいたようだが、その日の夜には、槇村におっぱいが好きかどうかを聞かなければ! と思い立ち、純平に頼んだということだ。
 確かにそれならば、流れとしての間違いはどこにもないけれど、その立ち直りの速さは…。これが、何度も同じ相手に告白しては振られている男ゆえのポジティブさなのか。あまり見習いたくはない。

「…そんで? これ、一昨日までの話だろ? 昨日お前が疲れてたのは、まぁ純平のせいかなとは思ってたけど、別に昨日は純平と何もなかったじゃん。なのに何なんだ、今日の。純平もめっちゃ凹んでたし」

 とうとう話が核心に近づいて来る。槇村が一番逃げたかったところ。でも、逃げられない。

「…昨日の夜、央がまた家に来た」
「うぇっ!?」
「、」

 別に、板屋越に追加のビールを頼まれるのを恐れたからではない。しかし槇村はもうとうに観念していて、静かに2人にそう告げた。すると2人は、もうこれ以上驚くことは何もないと油断していたに違いない、新たな衝撃に目を見開いた。

「え、ちょっ、ちょ、待って!」
「おう、いくらでも待つわ」
「昨日また来たぁ? え、昨日また来た?」
「そうだ、て言ってるだろ。何回同じこと聞くんだよ」

 驚きのあまり同じことを2回続けた逢坂は、槇村に冷静に突っ込まれた。

「おい、なつめ。ホントに大丈夫なのか、央。何かこう、ストー…」
「…言うな。みなまで言うな、逢坂」

 これまでに板屋越も、央の行動をストーカーのようだと思ったことは何度かあるが、それは飽くまで冗談の範疇だった。しかし、ここまで来ると、ちょっと冗談では済まされない気がしてくる。いや、冗談だとしても、まったく笑えない。



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恋は七転び八起き (49)


「何だよ、また告って来たのか? お前が乳は関係ないとか言ったから。あぁもう、そんなだったら、嘘でもボインのネエちゃんが好きだって言っておけよ、アホ!」
「つーか、こんな何遍も告られる前に、何とかしろよ!」

 動揺しすぎて、逢坂も板屋越もはむちゃくちゃな要求をして来る。何とかしろと言われたって、槇村は出来る限りのことはして来たわけで、どうにか出来るものなら、とっくにどうにかしていた。

「俺だって何遍も断ってるわ。央、まだ17だぞ? 付き合えるか。何遍も付き合えない、て言ったわ」
「…………でも、また来た、と。月曜に振られたのに、昨日…だから木曜か、火、水、木……3日だな。3日でまた告白しに…」
「…分からん」
「え?」
「告白…………しに来たんだと思うけど、ホントのところは分からん。話、聞かなかったし」

 昨晩の光景が蘇り、槇村は顔を顰めた。
 央は話があると言ったか、お願いがあると言ったか、しかし槇村は何も聞きたくなかったし、央の顔を見たくもないと思った、そのときは。まさしくそう思って、それを言葉にした。

「槇村、大丈夫か?」

 昨日のことを思い出すと、吐き気がする。決して今飲み過ぎているせいではない。ズルズルとテーブルに突っ伏せば、向かいから逢坂が心配そうに声を掛けて来た。バカな男だ、大丈夫なわけがない。

「話聞かないで追っ払ったか、央のこと」
「……」

 そう言ったのは、板屋越だった。見て来たようなことを言うものだと思ったが、今日逢坂が会社で、槇村から何も聞かずとも事情を察したように、板屋越も央の様子からいろいろと分かったのだろう。

「…央、どんなだった?」

 槇村は顔を上げられないまま、板屋越に尋ねた。

「死にそうだった。つーか死んでたな。1日中、保健室で寝てたわ」
「いつもは、そこまでじゃない?」
「逢坂、お前、月曜日の話、忘れたのか?」
「あー…、そうだな」

 槇村と同じように、逢坂も、学校での央の様子を知らないので、板屋越に尋ねるしかないのだが、返って来たのはご尤もなセリフで、逢坂は、確かに、と頷いた。
 月曜日、槇村に8回目の失恋をした央は、しかしその日のうちに、例のバカげた質問を思い付き、純平に頼んだのだ。そのくらいの図太さを持っている央が、保健室で1日寝ることになったのなら、それは重症だ。

「で、央の話聞かないで、槇村は央に何か言ったのか?」

 逢坂は、伏せている槇村の頭をポンポンとしながら尋ねて来る。いい年をした男同士で、何なんだこの図は。気持ち悪い以外の何でもない。



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恋は七転び八起き (50)


「…………央に、俺のこと嫌いなの、て聞かれて、嫌いだ、て言った」
「あー…今まで言ったことなかったのか? 付き合えないとは言ってたんだろ? でもまぁ、嫌いだ、て言われんのは『また』じゃないか。それだったら確かに央も凹…」
「話もしたくないし、顔も見たくない、て言った…」

 思い出したくもない昨日の出来事を槇村がぼそぼそと打ち明ければ、最初は相槌を打った逢坂が、最後まで聞いた後は無言になる。しかし顔を伏せている槇村には、彼がどんな表情をしているのか分からなかった。

「…まぁ、そこまで言われれば、央も死にそうなくらいには凹むか。でも、央もしつこかったからなぁ。切れるのもしょうがないっちゃーしょうがない気するけど」
「しょーがないことあるか。大人気ない」

 しばらくの沈黙の後、逢坂が漏らしたのは至極まっとうな感想と、決して槇村を責めるではない言葉だったが、それに対して板屋越は、咎めるような口調で逢坂に反論した。央の様子を見ている板屋越にしたら、逢坂ほど槇村に寛大になれないようだ。

「でも、央が来たタイミングも悪かったよ。昨日は槇村、昼間からイライラしてたもん」
「そんなの理由にならんわ」
「そうだけど…。なつめもそんなキツいこと言うなよ、槇村もめっちゃ凹んでんだから」

 ガンッとテーブルにジョッキを打ち付ける板屋越を逢坂が宥める。しかし、槇村には槇村の事情があるのは分かっても、板屋越もすぐには納得いかないのだろう、渋面を崩さない。

「…何であんなこと言ったんだろ、俺…」
「今さら何言ってんだ」

 消え入りそうな声で、昨晩の自分を責めている槇村に、板屋越は容赦なく突っ込む。普段、突っ込みが厳しいのは逢坂のほうで、どちらかというと板屋越はそれに乗っかって茶々を入れるタイプなのに、今日はそれだけでは気が済まないようだ。

「そんな反省するくらいなら、最初からそんなこと言うな、アホが」
「…なつめ、お願いだからもう勘弁して…。俺、昨日からもう100回くらいそう思ってる…」
「…………」

 まだ言い足りない、と口を開こうとした板屋越は、しかし、のそりと頭を起こした槇村の顔が、それこそ死にそうな表情なのを見て、言葉を続けられなかった。
 央の凹み具合と、逢坂が思いのほか槇村の肩を持ったのとで、ついいろいろと言ってしまったが、自分のほうこそ言い過ぎたかもしれない、と板屋越は思った。子どもっぽい性格はしているが、こういうことを気にしない男ではないと、槇村を昔から知る板屋越だって分かっていることだ。

「でもあれよな、そこまで凹むくらい、央のこと好きだったんだな、槇村」
「…は?」

 なつめの厳しい態度と、凹みまくる槇村を眺めていた逢坂が、しみじみとそう言ったが、それに対して、何とか『は?』と返したのは板屋越で、槇村は目をぱちくりさせて、ポカンとしていた。

「え、何、今のどういうボケ? 俺、お前ほどの突っ込み力は持ってないんだから、よく分かんないボケはやめてくれよ」



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恋は七転び八起き (51)


 この状況下で冗談が言えるほど、逢坂は空気を読まない男ではないから、恐らくは本気で言ったのだろうけど、そうだとしても突っ込みどころが多すぎるので、板屋越は、あえてそれをボケだというふうに判断して、処理しようとした。
 それなのに逢坂は、そんな板屋越の努力をあっさりと無駄にしてくれる。

「ボケて何だ。何もボケてない」
「ボケじゃなかったら、何だ。何なんだ。何で槇村が央のこと好きなんだ」

 槇村の気持ちを板屋越が逢坂に伝えるのもおかしな話だが、そこまで央のことを好きではなかったから、今まで槇村は央からの告白を断っていたわけで、それをどうして今ここで覆すのだ。それも、もうどうしようもないくらい、拗れてしまってから。

「だって、勢いで嫌いとか言ったかもしれないけど、ホントにずっと央のこと嫌いだとしたら、今さらそんなに凹まないだろ。むしろ、これでもう央も家に来なくなるし、会わなくてで済む、て喜ぶんじゃね?」

 逢坂の説明に、どうなんだ? と言わんばかりに板屋越が視線を向けて来るので、困って槇村は俯いた。何が困るって、逢坂の言うことが、あながち間違いではないから、困るのだ。
 正直、これで央から解放されるという気持ちはあった。央が走り去っていったあの瞬間、確かに、間違いなく、槇村はそう思った。
 しかし、央を傷付けた罪悪感は、一向に消えてくれないのである。本当に央のことが嫌いだったら、逢坂の言うとおり、ここまでは落ち込まないだろう。自分の行動が大人として不適切だった、と青少年の未来を憂慮することはあっても、それだけだ。
 なのに今、槇村の頭を占めるのは央のことばかりで、あのときの自分を殴り飛ばしたいくらいに後悔している――――けれど、

「そうなのか、槇村」
「ち…違うわ、アホ」

 板屋越に念を押すように尋ねられ、槇村の口から出た言葉は、そんなセリフだった。

「17だぞ、付き合えるわけないだろ」
「付き合う付き合わないは聞いてない。好きか嫌いかを答えんかい」
「なっ…何でそんなこと、お前らに言わないといけないんだっ」

 逃げようとする槇村を、板屋越は許さない。互いに好きだと思っていても付き合えないことだってあるわけで、感情の好き嫌いと、恋人として付き合うかどうかは別問題だと言いたいのだろう。
 しかし、槇村は頑なに答えを拒む。そんなことに答えなければならない義務など、どこにもない。いい年したおっさん3人が、何をこんな女子高生みたいなトークを繰り広げているのだ。

「何ていうか…、その態度がもう、央のこと好きて言ってるようなもんだろ」
「何でだ!」

 槇村は、答える気がないことを、態度だけでなく言葉でも示しているのに、今度は板屋越に代わって逢坂が、わけの分からない説を唱え始めた。逢坂は、板屋越ほど答えを要求して来ないものの、じわりと槇村を追い詰めて来る。



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恋は七転び八起き (52)


「だって、お前が央に嫌いだって言ったのは、俺ら知ってんだぞ? なら、今なつめに聞かれても、普通に嫌いって言えるだろ、ホントに央のこと嫌いなら。それを言えないのは、やっぱり嫌いじゃないってことだろ?」
「べ別に嫌いとか、だから、嫌いじゃないからって、好きとは限らないだろうがっ…」
「そうだけど、だったら最初からそう言えばよかったじゃん。央には嫌いて言ったけど、ホントは嫌いじゃない、て。でも央の言ってるみたいな好きとは違うくて恋愛感情はない、て。そう言わなかったのは、好きだからなんじゃないの? 好きになったんだろ?」

 逢坂の言うことは、確かに正論だった。正論過ぎて、返す言葉がない。
 央のことを嫌っているわけではないが、恋愛感情で好きなわけではない、とは槇村がずっと思っていたし、ずっと言って来たことだ。今も同じ気持ちでいるなら、何を焦ることも、躊躇うこともなく、そう言えばよかったのだ。
 言えなかったのは、槇村の気持ちが変わってしまったからなのか。本気で好きになった? 央のことを? まさか。いや、たとえ好きだとして、だから何だ。どうしろと言うのだ。

「…もう遅い」
「何が」
「俺、央に嫌いだって言ったし。顔も見たくないとか言ったし。それで今さら好きだって気付いたからからって、何が出来んだよ」
「そうだけど、」

 先ほどは言い返せなかった言葉を、槇村は今度ははっきりと口にする。
 自虐的なセリフに、逢坂はまだ何か言いたそうだったが、言葉にはせず、板屋越のほうをチラリと見ただけだった。板屋越は2人ともと関係ないほうを向いて、ジョッキをあおっていた。

「でも槇村、央のこと好きなんだったら…」
「好きじゃないわ」
「槇村」
「好きじゃない」

 食い下がろうとする逢坂の言葉を遮って、槇村はきっぱりと言い切った。
 好きじゃない。央のことなんか好きになってなんかいない。だからどうか、嫌いだと言った後に好きだという気持ちに気付いた、間の抜けた男だなんて思わないでくれ。



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恋は七転び八起き (53)


  槇村・央



 央に対する気持ちが好きだろうが嫌いだろうが、槇村が央を傷付けてしまったことに違いはなく、やはりこの場合、謝罪するのが大人として……以前に、人として当然だとは思う。しかし槇村は央の連絡先を知らないため、謝るに謝れずにいた。
 もちろん、純平に聞けば連絡先などすぐに分かるし、直接央に会ったほうがいいと言うなら、家まで連れて行ってもらえばいいのだが、槇村が央に嫌いだと言ってしまったあの日以来、純平はさり気なくだが確実に槇村を避けており、とても何かを頼める状態ではなかった。

 家に行くのでなければ、学校という手もある。央の通う学校に行って、央に会う。想像するとちょっとゾッとする行為だが、他に方法がなければ、それも手段の1つだろう。
 問題は、槇村がその学校の名前と場所を知らないということだ。以前に板屋越から名前くらいは聞いたはずだが、残念ながらもうすっかり忘れていた。まさかその情報が、こんなに重要なものになるとは思っていなかったので、気にも留めていなかったのだ。

 そうやって槇村がグズグズしているうちに時間は過ぎ、逢坂と板屋越の3人で飲んだあの夜からもう1週間が過ぎていた。純平に央の連絡先を聞くことも、板屋越に学校のことを聞くことも出来ないまま、次の金曜日になっていたのだ。
 これだけ経つと、どうやったら央に謝れるのかと考える一方で、もう謝らなくてもいいか…という気持ちも芽生えて来て、槇村を余計に悩ませた。今さら謝りに行ってどうなるのだ、と開き直る気持ちが顔を覗かせるのだ。だって槇村は、逢坂や板屋越に言ったとおり、もう央のことなんか好きではなくて、だったら謝って関係を修復させなくても…と思ってしまうのだ。どうせ向こうだって、今さら槇村の顔は見たくないだろうし。
 そう思ったところで、本当にそれでいいのかという思いが、自身を諭して来る。たとえ今さらだとしても、ちゃんとけじめをつけるのが筋だろう、と槇村に訴え掛けるのだ。

 そんな脳内会議を1人で繰り返していると、もう本当に頭がおかしくなってしまいそうだった。
 逢坂に言えば、謝りたいと思ってるなら謝れ! と背中を叩かれそうで、答えが分かっているからというわけでもないが、まだ逢坂には話しておらず、会社で会っても他愛のない話しかしていない。
 板屋越に至っては、実はこの1週間、連絡を取っていない。あの日、最後まで槇村を説得しようとしていた逢坂に対し、板屋越は途中から諦めたように槇村を見ていた。愛想を尽かしたとまではいかないだろうが、それに近い気持ちを槇村に抱いたように見えて、何となく連絡できずにいるのだ。

 とはいえ、相談するにしても、こんな話題、素面でなんてとても出来そうにないから、今日は金曜日だし、飲みにでも誘って聞いてもらおうかと思ったのに、逢坂はもうすでに別の飲み会が入っているとかで、断られてしまった。
 残るは板屋越…と思ったが、央の話題で板屋越と2人で会うのはまだ躊躇われて誘うことは出来ず、結局槇村は、1人で帰路に就くことになった。
 逢坂には、その別の飲み会に一緒に来るかと誘われたけれど、槇村は逢坂とただ酒が飲みたいから声を掛けたわけではないし、そんな誰がいるかも分からない飲み会に参加するのも嫌だし、丁重にお断りした。



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恋は七転び八起き (54)


 まだそれほど遅い時間でもないのに、駅のホームには、すでに酔っ払いの姿も混ざっている。鬱屈した気持ちの槇村には、楽しそうでいいものだ、とひねた考えを持ってしまう。そして、そんな自分に嫌悪。最悪のループだ。
 槇村の気持ちが最底辺まで落ちたところで、ホームに電車が滑り込んで来た。ある程度の乗客を吐き出した後、それと同じくらいの乗客が乗り込んでいく。

「はぁ…」

 すし詰めとは言わないが、それなりに混雑した車内に、槇村は電車が発車すると同時に溜め息を漏らした。電車通勤のサラリーマンの宿命とはいえ、1週間の疲れを背負った体に満員電車はキツい。それでも槇村は、家と会社を乗り換えなしで、幾駅も乗らずに通えるのだから、まだいいほうだと思わなければならないだろう。

 いくつか目の駅で、ようやく隣にいた長身でがたいのいい男が降りたので、槇村は安堵した。どうせならかわいい女の子の側がいいなんて思わないけれど、疲れているところにこの圧迫感はきつい。
 槇村はホッと息をついた。そして、広がった視界の先に視線を向けた瞬間、今度は驚愕に息を詰まらせた。何ということだ、神はどこまでも槇村のことを嫌っているようだ。

(――――央…!?)

 何人かの乗客の向こうに見えたのは、紛れもなく央だった。この1週間、槇村の頭を悩ませ続けた央に間違いない。いや、間違いであってほしいと何度も目を凝らしたが、間違いではなかった。そばに圭人や七海の姿はない。
 幸いにも央はこちらを向いておらず、槇村の存在に気付いていない。今のうちに央に背中を向けようと思ったが、それでいいのかという思いが足を止めさせた。
 謝ったほうがいいのではないかとずっと思っていて、謝るためには、まず央に連絡を取るか、直接会うかしなければならないと思っていたのだ。その央が、今そこにいる。それなのに、気付かなかったことにして流してしまっては、苦悩の週末を過ごすはめになる。
 とはいえ、声を掛けようにも、この混雑した車内で動くのは迷惑極まりないわけで、移動するとすれば、次の駅で電車が停まり、乗客が動いたタイミングだろう。
 だが、次の駅までの数分が、槇村の決意を鈍らせる。やっぱり今さら謝るなんて…とか、この満員電車の中で声を掛けるのか? という気持ちが、どうしても湧いて来てしまうのだ。

 どうしようかと悩んでいるうち、槇村はふと、央の妙な様子に気が付いた。妙と言っても、今まで槇村が見て来た央と雰囲気が違というだけで、あからさまにおかしいというわけでもない。現に、央の周りにいる人たちも、まぁスマホの画面に夢中になっているからかもしれないが、特に何も気付いていない。
 しかし、俯き加減の央はギュッと唇を噛んで、眉を寄せていて…………まだ槇村とのことを引きずっていて、落ち込んでいるのだとしても、それだけのこととは思えない表情だった。

 そんな状況で声を掛けるのもなぁ…と槇村が逃げ道を探そうとしたところで、電車が駅に到着した。
 ままよ、と槇村は降りる乗客に併せて央に近付こうとしたが、ここで、まったく以て計算違いのことが起こった。人の流れが、槇村が動きたい方向とは反対に動き出したのだ。槇村が思っていたのとは反対側のドアが開いたのである。



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恋は七転び八起き (55)


 しかも、聞こえてきた車内アナウンスが、槇村をさらに絶望的な気持ちにさせた。次はもう、槇村が降りるべき駅なのだ。央に話し掛けていたら、槇村はそのまま乗り過ごしてしまうし、かといって央を連れて降りるのもおかしな話だ。
 こんなことなら、央に気付いたときに声を掛けておけばよかった。槇村は、この手の後悔を何度もしている。

 こうなったら、もう意地だ。この際、他の乗客には多少の迷惑を掛けるけれど、央のもとへ行かせてもらおう。もし槇村が逆の立場だったら、結構大きめの舌打ちとかしてしまうだろう。本当にゴメンなさい。
 周りに嫌そうな顔をされつつ、今度こそ央に近付いた槇村は、央の後ろに立つ男の距離感が明らかにおかしいことに気が付いた。いくら電車が混んでいるとはいえ、密着しすぎだ。それに、その手の伸びる先は、吊り革でも手すりでもなく、央の下腹部――――

「――――央、」

 先ほど感じた央の妙な様子の原因が分かった槇村は、先ほどまでうじうじと悩んでいたことも忘れ、央に声を掛ける。ポンと肩に手を置くと、央は大げさなくらいビクッと肩を跳ね上げた。
 状況が状況だったせいもあり、弾かれたように槇村のほうを向いた央は、嫌そうな顔はせず、縋るような目で槇村を見た。

「槇村く…、槇村くんっ…」

 絞り出すような声で槇村の名前を呼びながら、央はギュウと槇村のスーツの前を掴んだ。指先が震えている。こうなったら話どころではない。とにかく央を痴漢の手から救い出すのが先だ。
 槇村は央の腕を引いて、出来るだけ男からその体を離そうとしたが、男もそれに気付いたのか、さらに央に身を寄せて来る。周囲にばれたのに、それでも行為を続けようとは、大胆な痴漢だ。
 いい加減にしろ、と声を上げようとしたところで、電車が速度を落とす。捕まえるなら今しかない。今なら、取り押さえた後、すぐに電車を降りて、駅員に通報できる。
 しかし、槇村が男の手を掴もうとしたところで、央がガクガクと震えながら槇村にしがみ付いて来たので、それは叶わなかった。やはり、自分が痴漢をされていたことを、周りに知られたくないのだろうか。

 電車が停まる。槇村は舌打ちをすると、央を連れて電車を降りた。もともとここは槇村が降りるべき駅で、央が降りるのはまだ先だったが、あのまま央を電車には残しておけなかった。

「まっ…槇村く…、俺っ…」
「大丈夫だ央、もう大丈夫だから」

 乗降客の邪魔にならない位置まで央を連れて行くと、震えながら縋って来る央を落ち着けるように、槇村は何度も大丈夫だと繰り返す。気休めの言葉かもしれないが、少なくともあの痴漢男は、ここにはいない。

「ちがっ…違くてっ…」
「ん? 何だ? 何が違うって? もう大丈夫だから、言ってみ?」

 槇村の声は、極めて優しかった。それは自分でも驚くほどだったが、自然と出たものだった。



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恋は七転び八起き (56)


「ず…ズボン…」
「え? ――――ッ…!」

 言われて視線を落としても、央の制服のズボンは普通で、脱がされそうになった形跡もない。どういうことなのかと尋ねようとしたところで、槇村はハッと息を飲んだ。ズボンの後ろが、白い粘液でべっとりと汚れている――――精液だ。
 最後にあの男が央にさらに密着したのは、精液を掛けるためだったのだろうか。大勢の乗客がいる電車の中で自分の性器を出し、精液を人に掛けるなんて、正気の沙汰とは思えない。
 槇村は咄嗟にスーツの上着を脱ぐと、央のズボンの後ろを隠すように上着をその腰に巻き付けた。

「…央、歩けるか? あそこにトイレあるだろ? そこで落としてやるから、そこまで行こう? な?」
「ん、んっ…」

 央が頷いたのを見て、槇村は肩を貸してやりながら、央をホームのトイレまで連れて行く。途中、ホームを行き交う人々の不躾な視線に気付いたが、どうせ、具合の悪い相手を介抱しているくらいにしか見えないだろう。
 有り難いことに、多目的トイレが空いていたので、央とともにそこに入った。

「今、落としてやるから……央、後ろ向けるか?」
「うぅ…」

 自分の荷物と一緒に、ちゃんと教科書を持ち帰っているのかと言いたくなるような軽い央のカバンを台に上げ、槇村はトイレットペーパーを手に取った。
 その様子をぼんやりと見つめていた央は、宥めるように槇村の手が頭を撫でた途端、堰を切ったようにボロボロと泣き出した。張り詰めていた糸が切れたのだろう。恐ろしい目に遭いながら、助けを求める相手もおらず、1人で耐え忍んでいたのだから当然だ。

「俺、俺っ…、うわぁ~んっ…」

 泣きじゃくる央を、槇村は自然と抱き締めていた。言い訳をするわけではないが、この状況では、央のことを好きも嫌いもないだろう。放っておけるわけがない。

「触られっ……お尻、とかっ、怖かっ…」
「…うん、怖かったな。もう大丈夫だから」

 槇村のことを好きだと言っていた央は、少なからず男性を性的な目で見ることはあっただろうが、このような形で自分が男から性欲の対象とされるとは、ゆめゆめ思ってもいなかったに違いない。
 央のことを傷付けた槇村が言えた立場ではないが、央の心にこんなにも大きな傷を残したあの男のことが許せなかった。

「ヒック…」

 しばらく泣いて、ようやく央が少し落ち着いて来たので、槇村は央のズボンに付いた精液を落とすべく、再びトイレットペーパーを手にしたが、時間が経って乾いた精液は、もうそれでは落とせそうになかった。仕方なく槇村は自分のハンカチを濡らして、央のズボンを拭った。



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