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ハッピークリスマス (12)
「………………」
……………………。
「おまっ…何か言えよっ」
自分から言っておいて、隼人も内心穏やかではない。
湊に彼女がいないと知ったテンションの高さから、つい口を滑らせてしまったが、嫌だと言われたときの心の準備も、うまく冗談でごまかす準備も出来ていない。
心臓が痛いっ…!
「あ…いや…、あの、いや、…いいんですか? 隼人くん、だって、俺なんか…」
「何だよ」
「…だって、俺なんかと一緒に過ごしたって、つまんないでしょ?」
湊は困ったように眉を下げた。
あんまり気の利いたことも言えないし、いつも隼人のことを怒らせてばかりだし、そんなヤツと一緒にイブを過ごしたって、きっと隼人はつまらないと思う。
一緒に過ごすのが嫌とか、そういうことでなくて、そんな自分が嫌だし、何か申し訳ない。
「別にそんなの…お前がおもしろくないのは、今に始まったことじゃねぇだろ? そんな根暗な考え方してないで、お前は俺と過ごたらいいんだよ。なっ?」
「は…はい! ありがとうございます!」
聞き様によってはプロポーズ並みの告白なのに、鈍感な湊は、俺が寂しいと思って一緒にいてくれるなんて、隼人くん優しい…! と単純に感動していた。
そして隼人は隼人で、自分がとんでもない愛の告白をしたとも、それが結構あっさりスルーされたとも気付かず、『よしっ、1歩前進っ!』と、再度心の中のガッツポーズを決めるのであった。
何度も言うが、思春期の中学生ではない。
湊という男に出会うまでは、わりと百戦錬磨の恋をしてきた大学生、安喜隼人の、今年のクリスマスイブの出来事である。
7:12 p.m.
『イルミネーションをね、見に行くのっ!』
ベッドの上でピョンピョン飛び跳ねながら、和衣が上がり切ったテンションで亮と翔真に打ち明けたのは、23日の夜。
明日のデートに備えての、最後のファッションチェックが終わってからのことだ(ちなみに睦月は、眠いとごねて来なかった)。
しかし、悪いが2人とも、そういうガールズトークには興味がないので、『はいはい』くらいしか反応してくれない。
こういうとき、いつもだったら、『ちゃんと聞いてよぉ!』と拗ねる和衣も、楽しみ過ぎてどうにかなってしまったのか、ベッドの上でジタバタするだけで。
『キャハハハ、ちょーーーーーー楽しみっ!!!』
と、ベッドを転げ回っている幼馴染みを、面倒くさいと思いつつ、このまま放っておいたらどうなるか分からない…という危機感から、2人は何とか和衣を寝かし付けて部屋を出た。
和衣の異様なテンションはともかく、恋人たちにとって、そのくらい楽しみに思える日なのだ、クリスマスイブは。
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ハッピークリスマス (13)
睦月と翔真と亮と愛菜と眞織の力を借りて、何とかクリスマスプレゼントを用意したし、前日には、亮と翔真を部屋に呼んでファッションチェックもした。
いつもよりちょっとだけいいところで食事をして、後はイルミネーション。
11月くらいから、街ではイルミネーションが華やいでいて、デートのたびに何度も見て来てはいるのだが、それでもイブに見るイルミネーションは違う。
気持ち的に。
ぜんっぜん違うと思う。
「ひぅっ…寒っ!」
店を出た途端、冷たい風が吹き付けて来るから、和衣は身を震わせ、肩を竦ませた。
「寒いね」
「ねー」
和衣は寒いのをいいことに、ちょっとだけ、並んで歩く祐介のほうに近付いた。
そのまま手でも繋げばいいものを、相変わらず和衣は、『クリスマスに祐介とデート』というだけで、舞い上がるほど嬉しくて、幸せだから、それだけで満足してしまっている。
「雪降りそうなくらい、寒いと思うんだけどっ」
「んー…でも晴れてたからなぁ。雨でも降ってたら、雪に変わるかもだけど」
イルミネーションに限らず、お店の灯りや街灯のせいで明るい街の中では、見上げたところで星空なんか見えないけれど、雨すらも降りそうのない晴れた空なのは間違いない。
「そうだよね。ざーんねん、これじゃ寒いだけだね」
恋人たちが寄り添うには、ちょうどいいかもしれないけれど。
せっかくのクリスマスイブには、ちょっとだけ残念かも。
「…ふ…えっくっしょんっ!」
「……」
「あ、ゴメ…」
盛大なくしゃみをした後、和衣は鼻を啜りながら、恥ずかしそうに祐介を見た。
もともとそんなに寒がりでもないし、テンションが高かったせいで、寒さも全然気にならないでいたけれど、12月の寒空の下、体のほうが正直だったみたい。
「平気? 寒いなら、どっか入る?」
「平気だよ、こんくらい」
特別薄着なわけでもないし、くしゃみを1つしたくらい、大したことではない。
でも、せっかくのクリスマスデートの後、風邪なんか引いたら目も当てられないから、和衣はコートの襟を立てて首元への風を遮る。
「…使う?」
「え?」
祐介の言葉があまりにも唐突だったから、和衣は何のことか分からなくて、首を傾げながら隣を見れば、祐介が自分のしているマフラーに手を掛けていた。
「え? え?」
「首、寒くない?」
「あ…えっと…」
寒いと言えば寒いけれど、えっと、…………、…え? マフラー?
ビックリして目をパチパチさせている和衣を尻目に、祐介はしていたマフラーを解いてしまった。
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ハッピークリスマス (14)
「はい」
「え、だっ、ちょっ」
当たり前のようにマフラーを差し出され、和衣は焦って、思うように体が動かない。
「いや、俺、タートルだし……なくても平気だから。和衣、首元めっちゃ寒そうだから…」
戸惑っている和衣に、祐介も自分からしておいて、ちょっと恥ずかしくなって来たのか、言いながら最後のほう、視線を彷徨わせた。
「あ…うん、ありがと…」
顔が熱い。
空気は冷え切っていて、寒くて、息も白くて、顔に当たる風も冷たいのに。
和衣はギクシャクしないよう、必死に自分の手に指令を出して、マフラーを巻いていく。
…あ、これ、こういう巻き方でいいのかな。
大学生になって、ようやくオシャレに目覚めた(というか、祐介にかわいいとかカッコいいとか思われたい一心の)和衣は、咄嗟にはこういうアイテムの上手な使い方が思い浮かばない。
せっかく祐介が貸してくれたんだし、今日はクリスマスイブだし、ビシッとカッコよく決めたいけれど。
「和衣、ちょっとこっち向いて?」
襟元が曲がっていたのか、祐介が丁寧な仕草でマフラーを直してくれる。
とっても近い位置に祐介の顔があるし、フェイスラインを時おり祐介の指が掠めるし、心臓がバクバクし過ぎて、どうにかなりそう。
(何かハァハァ言ってしまいそう…)
変態さんにはなりたくないので、和衣は荒くなりそうな息を必死に堪える。
祐介には離れてほしくないけれど、今は早く離れてほしいっ…!
「はい、いいよ」
願いどおり、マフラーを整えた祐介が和衣から離れる。
和衣は堪えていた息を、「はぁっ…」と大きく吐き出した。
「行こ?」
「う、んっ…」
「混んでるかな、イルミネーション」
「…ん」
うまく、返事が出来ない。
付き合い始めて、3度目のクリスマス。もう丸2年も、祐介と恋人として過ごして来ているのに。
「ゆーすけ!」
「ぅん?」
ホワホワしていたせいで、1歩ほど出遅れてしまっていた和衣が、急いで祐介に追い付く。
隣に並んで歩く。
寄り添って。
「祐介、好き…」
和衣は、自分のほうから冷たい手のひらを重ねる。
繋いだ手。
「…うん、俺も好きだよ」
イルミネーションが、もうすぐ出迎えてくれる。
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ハッピークリスマス (15)
『クリスマスイブに、このうら若き乙女にバイトのシフトを入れるなんて、てんちょーは鬼です~…』
と、相変わらずのテンションで、バイトの亜沙美が言っていたのが、11月の頭。
てっきりシフトは組み直されていたのだとばかり思っていたのに、クリスマスイブ当日、仕事にやって来たバイトは、亜沙美本人だった。
どうして来たのだと譲が詰め寄れば、『おもしろいものが見れそうなので』と、亜沙美はシレッと答えた。そういう女なのだ、亜沙美は。
譲は、どちらかと言うと、亜沙美が苦手だ。
嫌いなわけではない。テンポとテンションはおかしいが、仕事も熱心にこなすし、いい子だとは思う。
だが、あのよく分からない独特の雰囲気の中に、何もかもを見透かしたようなものを秘めているから、はっきり言えば怖いのだ。
黙って立っているだけで、知らない人間なら『すいませんっ』と頭を下げて逃げ去っていきそうな風体で、まるで怖いものなどこの世にはないような譲の恐怖は、自分よりいくつも若い、このバイトの女の子なのである。
*****
閉店時間を過ぎ、片付けを終えた後、(譲にとっての)恐怖の大王が去った店内。
譲は大きく伸びをした後、客席の椅子に腰掛けた。
カフェspicaは、それほど大きな店ではなくて、1度に大勢のお客が入れるわけではないが、さすがにクリスマスイブの今日は、朝から晩までずっとお客が途切れなかったから、結構疲れている。
「お疲れ様。何か飲む? それとももう、すぐ帰る?」
再度、店内の確認をした朋文が、譲を振り返った。
クリスマスぽい飾り付けをした窓の向こう、イルミネーションなのか、ビルの灯りなのか、キラキラと煌めいている。
「あー……そーだなぁー…」
本当に疲れているのか、眠いのか、譲の口調はゆったりとしている。
何か飲みたい気もするけれど、用意をすれば、また片付けもしなくてはいけない。今日はもう、これ以上、何か仕事をする気にはなれない。
「どっか寄ってく?」
「空いてねぇだろ…」
何しろ今日は、クリスマスイブだ。
そうでなくても週末の夜。こんな時間、ゆっくりとするのにちょうどいいような店は、みんな埋まっているに決まっている。
そうすると、選択肢は『すぐ帰る』しかなくなってしまうのか。
仕事はもう終わったのだし、それはそれでいいのだけれど。
「譲?」
「………………、やっぱ何か飲む。紅茶」
「え?」
「紅茶がいい。お前が入れたヤツ」
「え? えっ? だって譲、いっつも紅茶なんか飲まないじゃん、コーヒー…」
「ヤダ。コーヒーじゃヤダ。アルコールもヤダ」
お行儀悪くテーブルに突っ伏している譲は、焦る朋文をおもしろそうに眺めながら、つまらない我儘を言い募る。
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ハッピークリスマス (16)
「どーせお前のことだから、クリスマスプレゼントなんて、何も用意してねぇんだろ?」
「え、あっ…」
譲に言われてハッとしたが、仕事柄、今日がクリスマスイブだということはもちろん分かっていたものの、『プレゼントを用意する』という、考えるまでもないことを、朋文は失念していた。
「あ、ゴメ……譲、あの…」
「別にー。だから紅茶で我慢してやる、つってんだよ」
ニカッと歯を見せて笑われ(これだって、慣れていない人間にしたら、十分に怖い笑顔なのだが)、不覚にも朋文は胸をときめかせてしまって。
本当は譲と同じくらい、朋文だって疲れているのに、そんなのも一瞬のうちに吹き飛んでしまって、朋文はすぐに紅茶の準備に取り掛かる。
譲は単純な朋文に吹き出しつつ、その優雅な姿を、ボンヤリと見つめていた。
「はい、お待たせ」
それほど時間を置かずに、淹れたての紅茶が譲の前に差し出される。
譲はゆっくりと上体を起こした。
「おーおーサンキュウ」
わざとらしく横柄な態度を取る譲に苦笑しつつ、朋文はその向かいの席に座った。
「お前は飲まねぇの?」
「…ん、今はいいや」
「そっか」
譲は無骨な手で、しかし繊細な仕草でカップを持って、朋文の淹れてくれた紅茶に口を付ける。
「ねぇ譲」
「あ?」
「そういえばさ、譲からのクリスマスプレゼントは?」
朋文は何もプレゼントを用意していなかったけれど、その代わりに紅茶を淹れてあげたわけで。
それなら、譲から朋文へのプレゼントは?
「え、欲しいの? お前」
大きな音を立てずに、ソーサーにカップを置いた譲が、意外そうに眉を上げる。
昔は、その眉の半分を剃り落としていたのだ、懐かしい。
「欲しいよぉ~、そりゃ。え、まさか何もないの!?」
譲のほうからプレゼントの話題を振って来たくらいだから、絶対に用意されているものだとばかり思っていたのに。
とんでもないぬか喜び?
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ハッピークリスマス (17)
立ち上がった譲が、テーブルに片手を突いて、朋文のほうへと身を乗り出してくる。
調子に乗るなとド突かれるのだろうか。
そのプレゼントは、少しばかりでなく、嬉しくない。
「…朋文」
「ぇ、ちょっ…」
焦ったように出そうとした声は、そのまま消えた。
譲の唇が、朋文のそれに重なった。
瞳を閉じ忘れた。
「ゆず、る…」
触れ合った唇が離れて、ようやく朋文は、譲にキスされたのだと気が付いた。
慌てて手のひらで口元を押さえる。
「ふはっ、バッカ。何赤くなってんだよ、お前」
「だ、だってっ…」
朋文だって、自分がキスくらいでこんなに慌てるなんて、思ってもみなかった。
嬉しいけれど、このプレゼントは心臓によろしくない。柄にもないけれど。
「…ありがと、譲。最高のプレゼントだよ」
「クリスマスだからな」
特別だかんな、と、譲は恐らく赤くなっているであろう耳を隠すため、飲み終えたカップを持って、カウンターのほうへと逃げた。
11:42 p.m.
「あ…、イルミネーション、終わっちゃってる」
裸のままベッドの上にペタンと座って、ミネラルウォーターのペットボトルに口を付けていた真大は、窓の向こうを見つめながら、ふと呟いた。
いつもより、ちょっといい目のラブホテル。
予約していた部屋の窓には、輝くイルミネーションが広がっていて、真大だけでなく、珍しく翔真もテンションを上げていたのだが。
「11時までだったんじゃね…?」
上等なシーツに包まれながら、翔真が気だるげに言う。
昼間、恋人らしくデートをした後、ラブホテルでメシより先に1回やって、風呂に入って、食事の後にもう1回やって、窓からイルミネーションが見えることに気が付いて、テンションが上がったついでにまたやって……今に至るわけで。
そんなに体力がないとも思っていなかったが、やっぱり結構疲れている。
「真大ぉー、俺にも水…」
「ん」
真大は飲んでいたペットボトルを差し出し掛けたが、それを引っ込めて、冷蔵庫から新しいのを持って来てくれた。
「まだ外、明るいね」
イルミネーションは終わっても、明るい街の灯。
真大は、反応のない翔真の顔を覗き込んだ。まさかもう寝た? と思ったら、ちゃんと目は開いていて、突然目の前に現れた手越の顔に、少し驚いたような顔をした。
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ハッピークリスマス (18)
「眠いの? 翔真くん」
真大は翔真の手からペットボトルを取ってサイドテーブルに乗せると、その横に滑り込んだ。
「眠いわけじゃ…」
「じゃ、疲れた?」
「疲れてな…………いや、疲れた、めっちゃ」
惰性で返事をしようとして、しかし翔真は、そこだけは気を遣うことなく、ハッキリと素直に答えた。
なのに翔真の手は、拒むことなく真大のほうへと伸ばされる。力の入っていない腕で抱き寄せられて、真大も翔真の背中へ腕を回した。
触れ合う素肌が、熱い。
「…ね、翔真くん、覚えてる?」
「ん…何…?」
「去年のこと」
去年のクリスマスイブ。
2人して、自分の気持ちも、相手の気持ちも分からなくて、傷付け合う日々が続いて。そこから解放されたい一心で、真大は翔真がバイトしているカフェへと足を運んだのだ。
『俺、アンタのこと、嫌いじゃない』
真大なりの、精一杯の言葉。
散々ひどいことを言ったし、ひどい態度を取り続けていた真大にとって、それだけ言うのが限界だった。
嫌われたままでもいい、許してもらえるなんて思っていないけれど、どうかこれ以上、真大のことで、翔真の心を傷付けないように。
なのに翔真は、真大が考えていたのとは全然違う思いを、白い吐息に乗せて伝えて来た。
『俺さ、お前のこと……真大のこと、…………好き…』
まさか翔真の口から、そんな言葉が飛び出すとは思ってもみなくて、そのとき真大は、ただ立ち竦んでいた。
頭の中が混乱していて、何も分からなくなっていた。
気付けば、泣いていた。
大きな腕に、抱き竦められていた。
何度も好きだと言った。
高校生のころ、翔真のせいで(正確には翔真は悪くなかったのだけれど)、信じることを見失った真大は、あの日また、翔真によって、信じることの大切さを教えられた。
(あの日から、……うぅん、出会った日から、翔真くんは、ずっと俺の心を占領してるんだよ?)
真大は微睡んでいる翔真の頬に、そっと触れた。
告白の日から今日までの、幸せな日々を思い出す。それまでの、辛くて切なくて苦しかった毎日なんて、忘れてしまうくらいの幸せ。
「翔真くん、好き」
「…ん、俺も…」
「…………、…ありがと…」
俺のことを好きになってくれて、ありがとう。
こんなに幸せな毎日を、ありがとう。
翔真くんのことを好きになってよかったって、心から思うよ。
こんなすてきなホテルの部屋も、窓からのイルミネーションも、本当はそんなの、どうだっていいんだ。
――――あなたと一緒にいられるなら、それだけで幸せだから。
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ハッピークリスマス (19)
「あ…そっか…」
今日はイブだから、いつもよりいいラブホテルに泊まったんだった。
さっきまで真大と話をしていたはずなのに、一体いつの間に寝てしまったんだろう。
「あ」
真大は? と思って室内を見回そうとしたら、そうするまでもなく、腕の中で真大が眠っていた。
触れ合うぬくもりが愛おしい。
眠りに落ちる直前、真大に好きだと言われ、俺もだと返せば、真大は幸せそうに、『ありがとう』と言った。
ありがとうだなんて、そんなのこっちのセリフだと、翔真は思う。
去年のクリスマスイブ。
真大との関係を、最悪な状態から何も変えられずにバイトをしていた翔真のところへ、何の前触れもなく現れた真大は、驚く翔真に深々と頭を下げて、それまでのことを謝罪した。
謝ろうと思っていたのは翔真のほうだったのに、真大と真剣に向き合うことを怖がって、誤解も解かず、ずっと真大を傷付けて来たのは翔真のほうなのに。
嫌いではないと告げた真大に、もうこれ以上、自分の気持ちを隠しておけなくて、好きだと素直に思いを打ち明けた。
受け入れてはもらえないことも、真大を困らせるだけだということも分かっていたけれど、言わずにはいられなくて。
『好、き…に、なっても、いい…?』
必死に紡がれた、真大の言葉。
あの日、真大が流した涙を忘れない。
抱き締めた細い体、震える肩を忘れない。
何度となく振り払われた手。人を好きになることを脅える心。
(ねぇ俺は、少しは真大の支えになれてるの?)
怖いくらいに毎日が幸せで。
それは隣に真大がいるからこそで。
真大にとっても、そんなだったらいいなと思う。翔真と過ごす日々を、そんなふうに幸せに感じてくれたらいい。
幸せから来る恐怖なんて、みんなみんな俺が振り払うから。
だからこれからも、一緒に歩いていこう。
「…俺のほうこそ、ありがとう、だよ」
"大嫌い"から始まった関係。
俺のことを好きになってくれて、本当にありがとう。
――――これからもずっと、真大のことを好きでいたい。
翔真は、眠る真大の頬に、そっと口付けた。
日付は、静かに変わっていく。
――――Happy Christmas...
illustration by ポカポカ色
*END*
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愛が致死量 (1)
2月。
スーパーやコンビニですら、バレンタインモード全開になる季節。
子どものころは、誰から貰えるかとか、いくつ貰えるかとか、ドキドキしながら14日を迎えたけど、さすがにこの年になって、それはない。
もちろん貰えたら嬉しいけど、男って、女の子ほどバレンタインへの関心が低いっつーか、それほど盛り上がんないから、ぶっちゃけどうでもいいっちゃーどうでもいい。
――――て、思ってたんだけど。
それが大きな間違いだと気が付きました。
相川智紀、21歳、独身。恋人あり。
独身なのはともかくとして、この『恋人あり』てのが大事なんだよね。
恋人がいたら、バレンタインは途端に楽しいイベントに早変わり。クリスマスとか誕生日並みにテンションが上がるんだって、やっと気が付いた。
21歳にして、今さら? て感じだけど、今まで付き合った彼女とは、バレンタインだからって、特別何もなかったから。
チョコ貰って、デートして、最後はホテル行って、みたいな。
いつものデートに『チョコ』が加わるくらいで、そんなに意識してなかったし、貰えなかったからって別に凹まないし(貰わなかったことないけど)、貰うことを大いに期待もしてなかった。
でも今は違う。
慶太からチョコが貰えることを、楽しみにしてる俺がいる。
やっぱ慶太からチョコ欲しいし、今までの彼女にはゴメンなさいだけど、今はバレンタインのデートが特別に思える。
しかも今年は、慶太に上げるチョコも用意した。
去年は慶太から貰うだけで、俺は何も上げられなかったから。
別にバレンタインにチョコを買うのが恥ずかしくて…とかじゃなくて(いや、恥ずかしかったけど!!)、今まで貰う側でしかなかったから、単純にそんな発想がなかっただけ。
でもに恋人同士なんだし、男がチョコ上げたって、何のおかしなこともないと思う。
寧ろ、去年の嬉しかった思いを、慶太にもさせてあげたい。
そう思って、慶太に『今度の土曜日、出掛けない?』て、デートのお誘いをしてみたんだけど。
『すみません、土曜日は予定が入ってて…』
すぐにメールに気付かなかったのか、何か意味があったのか、俺がメールを送ってからだいぶ経ったころ、ようやく慶太から来た返事はこれ。
はぁっ!? て、思わず口にしちゃったよ。
だってそうじゃね? 『はぁ!?』じゃね?
何だよ、予定て。『学校』でなくて『予定』て書いてる辺り、プライベートのことなんだと思うけど、何だよ、バレンタインに他に予定入れるって。
学校の用事ならしょうがないって思えるけど、バレンタインに恋人からデートの誘いがあったら、普通、そっちを優先すんじゃねぇの?
…でもアイツ、恋人最優先て言うよりは、先に約束した人を優先するヤツだしなぁ。
別にその性格を否定するつもりも、改めろとか言うつもりもないけど、でも2月14日がバレンタインなのは昨日今日決まったことじゃないんだから、誘われなくても、最初から予定空けとくもんじゃね!?
「……」
いや、ちょっと待て。
アイツもしかして、今度の土曜日がバレンタインてこと、気付いてねぇんじゃねぇだろうな。
慶太はしっかりモンだけど、どっか抜けてるトコあるし、ありえない話じゃない。
俺はメールに『今度の土曜日』て打ったし、アイツからの返信にも、日にちは書いてなかったから。その予定とやらも、『じゃあ今度の土曜日に』みたいな感じで、約束を取り付けたのかも。
「はぁ~…」
何か、脱力。
別に何をセッティングしたわけでもないけど、チョコの用意までしたせいか、知らずに気合も入ってたみたいで、力の抜け具合が半端ない。
それに加えて、慶太の間抜けさが、余計俺に追い打ちを掛ける。
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愛が致死量 (2)
でも、慶太がバレンタインに気付いてないのかも、つーのは俺の勝手な想像だし、もしかしたら慶太は、ホントにバレンタインには興味ないのかもしんない。
土曜日がバレンタインて分かってて、別にどうでもいいから他の予定を入れたんだとしたら、用事が終わった後に会おうとか言うのも、ちょっと…。
去年は俺にチョコくれたんだから、全然関心ないてこともないとは思うんだけど、でもあんま自信ない…。
どっちにしても、慶太が14日に他に予定があることに変わりはないし、まさかそれをキャンセルしろなんて言うつもりもない。
それだったら、14日に拘らないで、次にちゃんと会えるときにチョコを渡して、ゆっくり2人で過ごしたほうがいいのかなぁ、て思える。
『次、いつなら空いてる?』
とりあえずそうメールしてみる。
今度の土曜日バレンタインだけど…みたいなこと書こうかとも思ったけど、何かそれは『予定を変更してくれ』て言ってるみたいな感じがするから、やめておいた。
でも、次に会えるのが、すっごい先だったらどうしよう(チョコの賞味期限…)。
なのに、すぐに返って来た慶太からのメールは、『日曜日なら空いてます』。
おい。
日曜日が空いてんなら、その土曜日の予定とやらを、そっちに移せなかったのかよ!
「あーもうっ!」
慶太の場合、こういうのが駆け引きとかじゃなくて、本気で天然なんだよな。
もうマジ、勘弁して。好きすぎる。
そして俺は、なけなしの理性を総動員させて、日曜日の約束を取り付けることに成功した。
*****
2月14日、土曜日、バレンタインデー。
当初の予定どおり、俺は慶太と会ってない。
だからって別にふて寝するつもりもないし、暇だから適当にダチに連絡して、遊びに行った(それでも時々ケータイを確認してみたけど、慶太からは特に何の着信もないし!)
夕方になって、『メシ食ってこうぜ』て話になって、迷ったけど結局付いていった。
早めに切り上げて帰ればいいし。
で、行ったら行ったで、他のダチも何人か集まったんだけど…………みんな男。何だよ、この集団!
バレンタインに、男5人で集まるって何なの?
こんなところからは、一刻も早く逃げ出そう…。
軽く飲んで、メシ食って、他の連中はまだ他に行きたそうだったけど、俺は即行で切り上げて帰って来た。
みんな大好きなメンツなんだけど、明日は慶太と約束してるから、あんまり遅くまで飲んでたくないし(昔だったら考えらんない!)、何よりも、今日という日に、男だけで遅くまで盛り上がってたくない…。
家に着いたら9時半過ぎたトコで、そんな時間に帰って来た俺に、弟があからさまにビビった顔してる(しかも、部屋の時計と携帯電話で、2回時間を確認しやがった!)
「…んだよ」
「いや、別に…」
つか、お前こそ何で家いんだよ。
彼女んトコじゃねぇのかよ。
「あ、智くん、お帰りー。はい、ハッピーバレンタイン!」
「…………。……え…?」
弟と微妙な視線の交わし合いをしてたら、台所からおふくろが出てきて、キレイにラッピングされた包みを差し出して来た。
いや、おふくろも『バレンタイン』て言ったし、今日が14日なことは俺も知ってるし、今差し出されているこの包みが何なのかは分かるんだけど。
それは十二分に分かるんだけど!
……形がハート…。
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愛が致死量 (3)
「あ…、サンキュ…」
それにしても、一体どこでこういうの見つけて来るんだろ…。
まぁおふくろが楽しそうだから、いいんだけど。
ふと見れば、弟の手元にも、粒チョコの入った色違いのハート型のボックスがあって、きっとそれもおふくろからのモノなんだろう(で、彼女からは?)
「…何?」
俺がジロジロと見てたら、弟がテレビから俺のほうに顔を向けた。
何か機嫌悪いね、コイツも。
「何でもね」
この時間に1人で家にいることについて、触れられたくないのはお互い様なので、俺はそう言って、さっさと自分の部屋に逃げ込んだ。
机の上、本当は今日慶太に上げるはずだったチョコの横に、おふくろから貰ったハート型のボックスを置く。
俺が買ったのも、『Happy Valentine』てシールが貼ってあって、一応それっぽいんだけど、こうやって並べると、おふくろのがバレンタインぽい。
まぁ、まんまっちゃーまんまだから、当たり前なんだけど。
「はぁ…」
とりあえず、明日には慶太に会える、明日には慶太に会える、明日には慶太にあるんだから…て、落ち込みそうになる自分に言い聞かせる。
バレンタインなんて、そんなに気にするような男じゃなかっただろ、俺は。大体明日には会えるんだから、何も気にすることなんかない――――て、思うのに。でも。
昔、彼女の誕生日を忘れてすっぽかしたこともあるくらいだってのに、慶太のこととなると、どうしてもダメだ。
いつの間に、こんなに好きになってたんだろ。
…もう、風呂入って、寝よ。
起きてると、携帯電話が目に入っちゃって、気になってしょうがないから。
俺は溜め息を飲み込んで、部屋を出た。
*****
風呂から上がったら、リビングでテレビを見てた弟が、コートを着てるところだった。でもコートの下がジャージだから、コンビニにでも行くだけなんだろう。
俺は特に声も掛けずに、部屋に戻った(ホントは飲み物とか頼みたかったけど、機嫌悪そうだったから、我慢したの!)
部屋に戻って頭を拭いてたら、どうも部屋の外が騒がしくなる。
俺の部屋は3階だから、リビングの物音までは聞こえないけど、同じ階にいると結構聞こえるんだな(部屋でヤルときは、気を付けよう…)。
「兄ちゃん、兄ちゃーん」
ガンガンとうるさくドアをノックされ、声を掛けて来たのは、出掛けたのだと思っていた弟。
何なんだよ、うるせぇな。
しかも何か1人じゃない様子。彼女と仲直りしたとか、そういう報告か? いや、いくら何でも、そんなアホみたいなことはしないだろう。
「兄ちゃん、開けるよー?」
まだ返事もしてないのに、ノブが回る。
だったら聞くなよ。
しかも「はい、どーぞ」とかって、弟が言ってる。ここは俺の部屋だっつの。
「何だよ――――て、え…」
「ちょっ、あのっ…」
軽くイラッとしながら顔を上げたら、そこにいたのは弟じゃなくて、慶太。
すんげぇ困った顔で、立ち尽くしてる。
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愛が致死量 (4)
「コンビニ行こうとして外出たら、いたから上がってもらったんだけど。つか、気にしないで上がって来ちゃってよかったのに」
ポカンとしてる俺にそう言ってから、弟は笑いながら(機嫌、直ったのか?)慶太の背中をポンと押して部屋を出ていった。
「え…、慶太…?」
「すいません、急に来ちゃって、あの…」
「いや、いいんだけど……何で? え、用事は? 終わったの?」
突然の来訪に、俺よりも慶太のほうが何だか戸惑ってる(自分から俺んち来たくせに)。
俺は何の用事もなかったから、来てくれて全然構わないんだけど(寧ろ嬉しいくらい!)、慶太、自分の予定は? 終わったの?
「おわ…り、ました…。てか今日…」
グズッと慶太が鼻を啜った。
何だか眉間も寄ってるし、え、何? コイツも機嫌悪ぃの? でも俺、別に何もしてないよな? 何かするほど、会ってから時間経ってないし。
…え、まさか、『用事は?』とか聞いたのがまずかった?
「慶太?」
「…………相川さんの…………バカッ!」
「えぇーーーー!! 何でっ? 何でっ!?」
何で俺、罵られんの?
俺、何した? やっぱ今日の用事のこととか、触れられたくなかった?
「何でこないだメールしたとき、今日がバレンタインて教えてくれなかったんですかぁっ…!?」
「…………、はい?」
「も…俺、全然気付かなくてっ…、言ってくれたら、今日の予定なんていくらでも変更したのにっ…!!」
「いや、だって…」
あわあわしてる俺に向って吐き出された言葉は、考えてたのとは全然違うことだった。
でもそんなの、とんだ言いがかりだよ。俺だってホントはそうしてほしかったけど、それは言えなかったんだよ。分かってよ。
慶太は俺の顔をジッと見たまま、まだ眉を寄せてる。その表情は、怒っているのか拗ねているのか、よく分からない。
俺もこれ以上、何て言ったらいいか分かんなくて、口籠ってしまう。
「…今日がバレンタインて分かったの、夕飯食った後だったんです」
慶太はもう1度鼻を啜ってから、静かに口を開いた。
てか、本気でその時間まで気付かなかったんだ…。
「でも俺、チョコ買ってないし、今さら相川さんに何て言っていいか分かんないしっ…、……うえぇー…」
「えっ…えぇーーー、ちょっ慶太!?」
慶太に何て言葉を掛けていいか分かんなくて、ただ話を聞いてるしか出来ないでいたら、急に慶太の目からボロボロ涙が零れ落ちるから、俺はめっちゃ焦った。
何で!? 何で泣くの!? 今の、どの辺で泣くことがあった!?
「慶太、慶太ッ、…て、おいっ!」
触れた慶太の手が、ビックリするくらい冷たい。
え? コイツ、玄関の外にいたっつったよな? 一体どんだけ外にいたんだよ…。
「慶太、いつウチに来たの? どんくらい外いた?」
「10時前、くらい…」
「マジかよ!」
もうすぐ11時なんですけどっ! コイツ、1時間も外にいたの!?
思わず頭に手をやった。
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愛が致死量 (5)
「そんで、外で待ってたの?」
「べ…別に待ってたとかっ…、相川さんいたらチョコ渡せるかな…て、でも着いたら10時だし、こんな時間に来ちゃって、家族とかいんのに迷惑だしっ…」
俺んちは、あんま時間とか気にせず、友だちとかいつでもウェルカム状態なんだけど、確かに、一般的には慶太の言ってることのほうが正解だよな。
でもそれにしたって、こんな時期に(しかも夜!)、よく1時間も外で待ってたよ。
「帰ろうとも思いましたよっ! 来るときは何も考えてなかったけど、来てから、相川さんいないかも、て思って…。相川さんいないのに、こんな時間に…」
「だったらメールするとか…」
「そんな今さら…。俺のほうが土曜日予定があるとか言っときながら、バレンタインも忘れてたくせに、今さら相川さんに会いたいとか言えないっ…、…うぇーんっ!」
「あーもうホラ、泣くなよ、バカ」
ホントに子どもが泣くみたいな泣き方で、慶太がわんわんと泣き出すから、何かもう、さっきまでの微妙な空気とか、ちょっとイラッと来たこととか、何かどうでもよくなってくる。
…慶太の気持ち、分かったから。
確かに夕飯食った後に今日がバレンタインて気が付いたとこで、今さら何て言っていいかなんて、分かんねぇよな。俺だって分かんねぇよ。
つか、俺だったら、どうせ明日会えるんだし今日はもういいや、てなっちゃいそう。なのに。
「…そこまでして、俺に会いたいと思ってくれたんだ?」
冷えた慶太の体を温めるように、コートの上から抱き締める。
慶太は素直にコクリと頷いた。
今さら何て言っていいか分かんねぇのに、とりあえず勢いでチョコ持って俺んち来てくれて。
時間が時間だから…て、家にも入れなくて、外で1時間も待ってて。
何なのコイツ、かわいすぎる。
つか弟!
あのタイミングでコンビニとか、よく思い付いた! さすが俺の弟!(すっげぇいい子だから、早く仲直りしてやってね、彼女さん!)
「…ありがと、慶太。めっちゃ嬉しい」
「ううぅ…そんなん言わないでくださいー、嘘ばっか…」
「何でだよ」
俺にも腕を回してくるとか、そんなんも出来ないで、ただ突っ立って俺に抱き締められてるだけの慶太が、ジュビジュビ鼻を啜りながら、そんな失礼なことを言いやがる。
でも怒んない。
「…何で?」
少しだけ体を離して、慶太の顔を覗く。
「だって相川さん、もうチョコ2個っ…、あんなかわいいのっ、俺のなんて全然だしっ…」
「えっ、何が?」
きっと今日がバレンタインて気が付いてから、コイツ、ずーっとパニクってんだろうな。
頭ん中、グッチャグチャになりすぎて、ちゃんと言えてねぇのとか、気付いてないに違いない。
「チョコが、何?」
急かさず、落ち着けるように、ゆっくりと聞き直す。
慶太は、ヒックヒックて、コントの酔っ払いみたいにしゃくり上げてる。
「チョコ…、あれ」
貰ったんでしょ? と慶太が指差したのは、机の上に並んでる、2つの包み。
俺が慶太のために買ったヤツと、さっき俺がおふくろから貰ったヤツ。
俺は慶太が来て、完全にテンパっちゃって、そんなのもうすっかり忘れてたのに、慶太はこんななのに、ちゃんと見てたんだ。
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愛が致死量 (6)
「ちょっ待って慶太、え、チョコてこれのことだよな?」
「…ん」
名残惜しく思いつつ、慶太から離れてチョコを手にすれば、慶太は恨めしげな顔で頷いた。
…ゴメン、慶太。
不謹慎だって思うけど、今めっちゃニヤけそう。
だってそれってあれだろ? 嫉妬的な。
これ、俺が誰か女の子から貰ったモンだと、思っちゃってんだろ?
「ッ、何笑ってんすか、相川さんっ!」
あ、ヤベ。顔に出てた。
全然痛くない力で、胸の辺りをバシバシ叩かれたって、そんなのかわいいだけだけど。
「あはは、慶太、もー超好きっ!」
「何言ってんすかっ! ちょっ離してっ!」
もう1回、ギュッて抱き締めたら、今度は抵抗されてしまう
でも構わない。
「ねぇ、慶太からのチョコは? くれるんでしょ? そのために来たんだもんな」
「知らないっ、もう帰るっ…!」
「ダメ、帰さない」
慶太の抵抗なんて、俺からしたら子どもを相手にしてるようなもん。
もちろん慶太だって、死ぬ気で暴れて本気出せば逃げられるだろうけど、俺相手に、この状況でそこまではないから。
「じゃあ俺から。はい、慶太。ハッピーバレンタイン」
「は?」
ハート型のボックスは机に戻して、もう1個のほうをもがいてる慶太に差し出せば、即行で『何それ』て顔される。
女の子から貰ったヤツを、ご機嫌取りで差し出したとでも思ってるんだろうか(慶太のことだし…)。
「別にこれ、誰かから貰ったとかじゃねぇし。俺が、お前にやりたくて用意したの。だから貰って?」
「は…? え、嘘…」
「いや、マジで」
よほどビックリしたのか、慶太は抵抗をやめて、ポカンというか、キョトンというか、何とも言えない顔になって、マジマジと俺を見た。
「相川さんが、買ったの…? チョコ? 俺のために…?」
「そうだよ。慶太に上げたくて買ったんだよ。だから貰ってよ」
「ありがと…ございます…」
まだ、信じらんない、て顔しながら、慶太はようやくチョコを受け取ってくれた。
「あの…ありがとうございます…」
「うん。で、慶太からは?」
いい年して、自分からバレンタインのチョコをねだるって、何なんだ?
でもそのために、明日会う約束してんのに、わざわざ慶太は来てくれたんだから。ねだってでも、やっぱ欲しいよ――――て、そう思うのに。
「俺のは、……やっぱ明日…」
「は? え、何で?」
え、ちょっ、意味分かんないんですけど。
だってお前、今日がバレンタインだって思い出して、それでチョコ買って、家まで来てくれたんだろ?
なのに、何で明日?
いや、明日が14日でバレンタインだっつーなら分かるけど、明日はもう15日じゃん。今日会えてんのに、チョコも用意してんのに、何でまた明日?
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愛が致死量 (7)
「ええぇーーー!!! 何でだよっ、ちょっ、慶太!」
ダメだ、今日の慶太は、俺には難解すぎる。
何で帰っちゃうの? 今日わざわざ来てくれて、明日も会う約束なのに。だってさっきまで、今日は帰るつもりだなんて素振り、ちっともなかったじゃん!
「だって、も…俺、全然っ…」
「…何? ゴメン、分かんね。何で帰りてぇの? チョコ、渡したくなくなったから?」
慶太は、唇を噛んで俯いてしまった。
何で? 今日がバレンタインだって気が付いて、関心ないわけじゃないから、今日来てくれたんだろ? なのに何でこんなふうになっちゃうの?
そういえば慶太、俺からチョコ受け取ったときも、『ありがとうございます』とは言ってくれたけど、そんなに嬉しそうな顔じゃなかった…。
「…分かった。チョコはもういいから」
「え…」
「そりゃ、お前からもチョコ欲しいけど、でもそのせいで今日は帰るとか言うんだったら、別にそこまでしていらないよ。それよりも、慶太と一緒にいたいよ」
「…」
ゆっくりと顔を上げた慶太の目は、心なしか潤んでる気がする。
何でだろ、泣かせたいわけじゃないのに。
こんなに悲しい想いさせるなら、最初からバレンタインだなんて、思わなきゃよかった。
「ちが…違う、相川さん…」
「何が?」
「……」
「なぁ、お前の思ってること、みんな言ってくんね? ゴメン、俺、鈍感かもだけど、何でお前が『また明日』て言うのか分かんない。俺は今一緒にいたいし、帰したくない」
慶太は、困ったように視線を彷徨わせてる。
…やっぱもう、今日は俺と一緒にいたくないのかな。
「ちが…俺も、相川さんといたい…。帰りたくない」
「なら、何で? 何で帰るつったの?」
「だってチョコ…。俺のチョコ、急いで買って来て、全然なのにっ…、相川さんからこんなの貰って、全然釣り合わないっ…!」
「えぇっ!? そんなこと!?」
つか、釣り合うとか、釣り合ねぇとか、その意味が分かんねぇ! その基準て何なの!?
バレンタインにチョコが貰えたら嬉しいなぁ、とは思ってたけど、そういうことは全然考えてなかったんですけど!
大体俺のだって、値段的にはそんなにしねぇよ? 多分有名なブランドのヤツとかじゃないし(もともと甘いモンなんて食わねぇから、そういうの知らねぇし)。
「値段とかじゃなくてっ!」
「えっ? えぇっ!? じゃあ何っ!?」
慶太が、何で分かんないの!? みたいな顔で睨むから、俺はますます焦ってしまう。
コイツ目力あるし、しかも何か潤んでるせいで、余計その威力が増してるし。
「だって相川さん…、このチョコ買うのに、きっといろいろ考えてくれたんでしょ? 時間掛けて選んでくれたんじゃないんですか?」
「まぁ…それなりに」
自分が普段、甘いものとか食わねぇせいで、そういうのが全然分かんないっつのもあるし、慶太がどういうチョコがいいかとかも分かんないから、結構悩んだって言えば悩んだけど…。
「なのに俺は、時間なくて超慌てて買って……こんなの全然気持ちが籠ってない…。こんな形だけのチョコなんて、俺は上げたくない。ちゃんと相川さんのために選んで、そういうのを上げたいのっ」
「…」
そう打ち明けた慶太は、めっちゃ落ち込んで、また俯いてしまったけど、俺はそんな慶太とは裏腹に、嬉しさが増してくる。
だって、そんなにも俺のこと、思っててくれたってことだろ?
あーもうっ、反則だろ、こんなにかわいいの。
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愛が致死量 (8)
「やっ…ちょっ…」
もっかい慶太を腕の中に抱き寄せた。
部屋の中は暖房が効いてて暖かいから、慶太の体もようやくあったまって来たって感じがする。
「…さっきも言ったけどさ、確かにお前からチョコ欲しいけど、別にそーゆうんじゃなくて、何つーか…、今一緒にいられんのに、何でチョコのことくらいで、また別々になんなきゃなの?」
「それは…」
「そりゃ、チョコだけじゃなくて何でも、時間掛けて選んでくれたら嬉しいけど、そうじゃなくて、何つーの? 何か…そういう『モノ』より、一緒にいられるほうが嬉しいっつーか…」
何か、言ってて恥ずかしくなる。
こういうの、熱く語るタイプじゃないんだけどな。
「……」
「慶太?」
「…俺も、相川さんと一緒にいるほうが…………いいです」
俺の胸に額を押し付けて、俯いている慶太の顔は見えない。
でも、背中に腕を回してくれて。
慶太の今の言葉が、ただの口先だけのことじゃないって、分かる。
「チョコは? くれる?」
「…………」
「ヤダ?」
「……ヤ、じゃない…」
慶太が、ようやく顔を上げてくれて、それから、まだ何か渋々って感じの表情だったけど、カバンの中から包みを取り出した。
意外にも、包装紙の色がピンク。何かすっごいかわいいハートの形したシールも貼ってある。
「…はい。あの、えっと…何かこういうかわいいの、相川さんの趣味じゃないとは思ったんですけど、でも何か、バレンタインぽくていいかな、て思っちゃって…」
慌てて買ったせいで、全然気持ちが籠ってない、なんて慶太は言ったけど、でもちゃんと俺のこと思いながら買ってくれたんじゃん。
いろいろ考えてくれてたんじゃん。
「ありがと、超嬉しい。…てか、そんな顔すんなよ、ホントに嬉しんだから」
俺の言葉に慶太は、信じらんないって顔で、疑るように俺を見てるから、ホントに嬉しいんだよ、て、もっかい抱き締めてキスする。
慶太はやっとホッとしたように息をついた。
「相川さんが嬉しいと、…俺も嬉しい」
はにかむように言った慶太がかわいくて、愛おしくて、抱き寄せたまま何度もキスする。
慶太大好き。大好き。
「ん…、ちょっ相川さ…」
キスしてたら段々気分が盛り上がって来ちゃって、ちょっとエッチな感じのキスを仕掛けたら、すぐに焦ったように慶太が俺の体を押し返して来た。ケチ。
「じゃ、続きは明日に期待するとして、今はチョコで我慢しとくか」
「…期待する、て何ですか。何もしないですよ?」
「慶太のチョコ、開けていい?」
慶太の言葉は聞かないふりで、今貰ったばっかのピンクの包みに手を掛ける。
つか慶太、もうコート脱げよ。
今日は泊まって、くんだろ?
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愛が致死量 (9)
「ちょっ、やっぱ恥ずかしいからやめて!」
慶太がコートを脱いでる隙に、ベッドに座って包みを開けたら、中も、そのラッピングに劣らずラブリーな感じに仕上がってて、ハート型のチョコがいっぱい詰まってた。
それも、普通のチョコレート色のだけじゃなくって、ピンクのと白のと。
慶太はよっぽど慌ててたんだろう、ハンガーに掛けようとしてたコートを投げ出して、俺のほうに駆け寄って来た。
このチョコを取り返すつもりなんだってことは、考えるまでもなく分かったから、チョコを慶太に奪われないように遠ざける。
「やめろよ、これ俺が貰ったんだぞ」
「あーもう、ちょっもうっ、相川さんっ!」
焦った慶太は顔を赤くしながら、へどもどしている。
「お前には、俺のチョコがあんだろ?」
「ッ、ちょっ…」
チョコを持つのとは反対の手で慶太の腕を引いて、慶太の耳元に顔を近付けて。
うんと優しくて、甘い声を出す(最後の耳へのキスは、おまけ)。
「あ゛ーぅ゛ー…」
「いただきまーす」
何とも言えない顔をしている慶太に構わず、俺はピンク色のハートを口に運ぶ。
「…おいしいですか? 相川さん」
「おいしいですよ」
「そっか、よかった…」
甘いチョコが、とろける。
チョコ1つで、こんなにも幸せになれる。
だから、ね。
慶太も食べて。
致死量ほども愛の詰まった、俺のチョコ。
愛が致死量
ちなみに翌朝、俺のおふくろからハート型のボックスを渡された慶太は、非常に困惑した顔で、俺と弟と親父を順番に見回したのだった。
*END*
back
去年がマコちゃんとはーちゃんだったんで、今年はこの2人ー。でも久々に書いたんで、相川さんのキャラが…。
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女王様のバレンタイン (1)
世の中は、意外と不公平だ。
男関係であまりいい噂のない水瀬だが、本人はどこ吹く風で女の子とも仲良くやっているし(気持ちいいほうの意味で)、体優先の快楽主義者で、デートやイベント事は二の次にしているのに、なぜかバレンタインには結構チョコを貰っている。
モテない男子には当然やっかまれるが、本人は、やっぱいろいろと具合がよかったからかなぁ、などと思うだけで、何も気にしていない。
ちなみに、『いろいろと具合が良かった』のは、もちろん体の相性のことだ。
「つか、ボロボロ零しながら食うなよ、お前」
今さら水瀬のそんな性格を改めさせる気などない(というか、それが無理なことをよく分かっている)幼馴染みの石田は、それよりも、換えたばかりのシーツの上に、チョコの欠けらが散らばっていることを気にしていた。
しかし、石田に咎められても、水瀬はクフクフ笑いながら、チョコを頬張っているだけだ。
「疲れると、甘いモン食いたくなるよね」
ベッドの上で、素っ裸のまま放たれたセリフ。間違っても、水瀬にチョコを上げた女の子には聞かせられない。
いや、水瀬は誰に聞かれたって構わないけれど、水瀬を今疲れさせた張本人である石田が、それだけは勘弁! と思っているのだが。
「石田ー、石田石田石田」
「何だよ、うっせぇな。つか服着ろ」
「わっぷ」
勝手に水瀬のクロゼットを漁って、下着とジャージを出した石田は、ベッドの上を転がっている水瀬に向かって投げた。
素っ裸でいても平気なくらいに、部屋の中は暖かいけれど、やっぱりいつまでも裸のままというのは、デリカシーがなさすぎると思う。
「ぅんー、せっかく石田にもチョコ上げようと思ったのにー」
枕の上に食べかけのチョコを置いて、水瀬は喚きながらもモソモソと起き上がって、パンツを穿き始めた。
「石田もチョコ食べる? おいしいよ?」
「いらね」
「上げるってば。はい、あーん」
「むぐっ、ちょっ、グ」
思いっ切り雑に口の中にチョコを捻じ込まれ、石田は眉を寄せたが、そんな様子に水瀬は楽しそうにケタケタ笑っている。
甘ったるいチョコレートが、口の中で溶けていって、なくなった。
「おいし? おいし? ね、おいしいでしょ?」
「はいはい、おいしいおいしい、イテッ」
石田が投げやりに返せば、水瀬はおもしろくなさそうに唇を突き出して、その足を蹴っ飛ばした。
「もぉー。いっぱい貰ったから、石田にも分けてあげようと思ったのにぃー」
「それはどうも、ありがとうございます」
恩着せがましく言う水瀬に、石田は口先だけで礼を言って、まだパンツ1枚の水瀬にTシャツを被せてやった。
部屋の中央に敷かれたオフホワイトのラグの上に、投げ出されたカバンと制服。その横に、同じくらい無造作に置かれたチョコの包みは10個ほど。
水瀬の性格は、校内ではわりと知られているので、まさかこの中に本命チョコがあるとは思えないが、義理とはいえ、高校生でこれだけ貰えるのは確かに多いほうだ。
「今さ、友チョコとか、流行ってんじゃん」
「友だち同士で上げるヤツだろ?」
「そういう感覚なんじゃない?」
「そうか? 友チョコて女の子同士なんじゃねぇの? 知らねぇけど」
石田も女の子ではないので、そこまでバレンタインに関心はなくて、そういうチョコの区分はもちろん知らないし、はっきり言ってどうでもいい。
きっと水瀬だってそうに違いないのに、しかし水瀬はなぜかしつこく食い下がってくる。
「ねぇねぇねぇ石田、女の子同士が友チョコなら、男同士は? 友チョコて言わねぇの?」
「えー…知らねぇよ。そもそも男同士でチョコなんかやらねぇだろ」
もしかしたら男同士でも、その2人が恋人という関係なら、バレンタインにチョコを贈り合うのかもしれないが、少なくとも男から男への友チョコは流行らないだろう、絶対。
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女王様のバレンタイン (2)
「何で俺がお前にやんなきゃなんねぇんだよ」
「だってお前、俺のこと好きでしょ?」
水瀬はシレッとそう言い放ったが、石田は何も返事をせず、ベッドの傍らに座った。
もちろん水瀬のことは嫌いではないけれど、恋愛感情で好きかと聞かれたら、返事に困る。水瀬のことを、そういうふうに好きになったら最後、どこまでも堕ちていきそうな気がするから。
石田が何も答えないことは想定の範囲だったのか、水瀬はそれ以上は何も言わず、まだ食べ切っていないうちに、次の包みを開け始めた。
「お前、この食い掛け、どうすんの?」
「もう飽きた。石田に上げるー」
義理とはいえ、チョコをくれた女の子にずいぶん失礼な言い草だけれど、水瀬は平気でのたまっている。
それにしても、『飽きた』と言いながら開けている包みの中身も、チョコなのだが。
そんな些細な矛盾など気にすることもなく、水瀬はキレイなラッピングを無造作に剥いで、新しいチョコを口に運んでいる。
「…そんなに甘いモンばっか食ってて、気持ち悪くなんねぇ?」
「うーん…、ん、んっ…!」
チョコに掛かったたっぷりのココアパウダーが、パラパラとシーツの上に零れていく。
水瀬も、しまった! みたいな顔で、その粉を手で受け止めようとしたが、うまく行かず、結局シーツを思い切り汚してしまった。
「…ゴメンなさい、石田さん」
「別に、お前が寝るんだし」
「ぅー…」
しかも、指先がココアパウダーで汚れいたせいで、シーツの被害は拡大してしまっている。
「あーもうっ!」
「何だよ、自分が悪ぃんだろ」
何かいろいろ思うようにいかなくて、水瀬はジタバタと暴れ出すが、そのせいで、箱の中のココアパウダーがさらに飛び散ってしまう。
石田は水瀬の手首を掴んで、その動きを封じた。
「やめろよ、石田のバカ」
「どっちがだよ」
石田はただ、これ以上被害を大きくさせないために水瀬の手を掴んだだけなので、水瀬が大人しくなると、あっさりと手を解放した。
水瀬は、ココアパウダーまみれの指を舐めようとして、ふと何かを思い付いたように手を止めた。
「ねぇ石田、舐めて」
水瀬は笑って、ココアパウダーまみれの指を石田の口に突っ込んだ。
突然のことに石田が眉を寄せたが、それが水瀬のS心を刺激したのか、水瀬は楽しげに口元に笑みを浮かべた。
しかし笑っていられたのは一瞬で、石田の舌が指先を舐め上げると、水瀬はふるりと背中を震わせてしまった。
「…石田のバカ」
「どっちがだよ」
指を引き抜けば、石田の唇が、ココアで少し汚れている。水瀬の指が滑ったとき、付いたに違いない。
何となく水瀬は、石田のジャージの胸倉を掴んで顔を引き寄せると、そのまま唇を奪った。
甘い甘い舌が、石田の口内へ侵入する。いやしかし、石田の口の中も、甘い。そういえばさっき、無理やりチョコを1つ食べさせたんだった。
「…ん」
離れていく石田の唇を、舌先で舐める。
甘い。
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女王様のバレンタイン (3)
ココアパウダーがたっぷり降り掛かったチョコの入った箱を石田に押し付け、枕に置きっ放しの食べ掛けのチョコもどかして、水瀬はベッドに転がった。
「水瀬、もう食わねぇの?」
「食わねぇ。もうチョコなんか、一生いらねぇ」
とっても無謀で、傍若無人なことをのたまって、水瀬は足をバタバタさせている。
そんなこと言って、どうせ何日かしたら、また何でもない顔でチョコを食べるくせに。
「ふぅん」
石田は水瀬の言葉には興味を示さず、食べ掛けのチョコをテーブルに置いた。
ちょうど水瀬に背を向けている状態なので、その表情が分からない。水瀬は足を止め、痩せているけれど、自分より少しだけ広い石田の背中を見つめた。
チョコを置いた石田は、投げ出されたままの制服を手にしている。
シャツは洗濯するからいいとして、ジャケットとスラックスはこのままにしておけないから、多分ハンガーにでも掛けるんだろう、まめなヤツだから。
そう思っていたら、石田がそのとおりの行動をするから、水瀬は少しだけ笑った。
「水瀬、チョコ、もう食わねぇ?」
石田が水瀬の制服を拾い上げたら、今日女の子から貰ったチョコの包みの山が崩れた。
だから、そのチョコのことを言ったんだと思ったんだ。
食いたいなら、石田、食べていいよ、て言おうとした、でもそれより先、石田のほうが口を開いた。
「じゃあこれ、いらないな」
「え? 何?」
石田は、自分の制服のポケットから何かを取り出したけれど、グーに握られたその手の中に、何が入っているのか見えない。
「何それ石田」
「お前がもう一生食わないモノ」
そう言われて水瀬はすぐに、その手の中身がチョコだと気が付いた。
先ほど石田が『チョコ、もう食わねぇ?』と聞いて来たのは、水瀬が今日女の子から貰ったチョコのことを差していたわけではなかったのだ。
「あっ石田っ」
石田の握られた手がごみ箱の上空に差し掛かって、水瀬は慌てて手を伸ばそうとして、体勢を崩して床に落下した。
「イッテー…」
「何してんだよ、バカ」
ぶつけた膝をさすっていたら、石田が水瀬の前に屈み込んだ。
痛いし格好悪いし、最悪だ。
何より、石田に翻弄されたのが、悔しい。
「何でもねぇよ」
差し出された石田の手(グーでないほう)をパシッと払って、水瀬は自分で立ち上がってベッドに戻った。
石田が苦笑しているのが、見なくても気配で分かる。おもしろくない。
「水瀬、みーなーせ」
「何だよっ、ッ、え?」
石田に名前を呼ばれるのすら鬱陶しくて、水瀬が声を荒げながら振り返ったら、バラバラと何かが目の前に落ちて来た。
「は? え? チロル?」
ベッドの上に散らばったのは、1個10円で買える小さな四角いチョコレート。
全部違う種類なのか、何だかカラフル。
「チョコ。上げる」
「……」
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女王様のバレンタイン (4)
だってチロルじゃん。今ベッドの上に散らばっているのの総額で言ったって、きっと100円かそこらしかしない。
俺、今日12個もチョコ貰ったんだよ、女の子から。その中には、高校生が買うにしては高級すぎるブランドのも交じっていた。なのに。
(何だよ、チロルて)
水瀬は、そのうちの1つを手に取った。
黒蜜とおもちのグミが入っているヤツで、水瀬のお気に入りの1つでもある。
水瀬はスンと鼻を1つ啜ってから、それを口に入れた。
石田は、水瀬の食べ掛けのチョコを、零さないように(特にココアパウダー!)片付けていた。
水瀬はチョコの包み紙を握り潰してから、ベッドから降りずに、無理な体勢で床に置いてあるカバンに手を伸ばした(今さっき、ベッドから落ちたばかりなのに)。
カバンは無駄に大きいが、大したものが入っていないせいで重くもないので、水瀬は今度はベッドから落ちることなく、カバンを手にすることが出来た。
「石田ー」
「ん? イテッ」
呼ばれて振り返ったら、何かが頭に当たった。
大して痛くもなかったが、不意打ちの攻撃に、思わず声が漏れる。
「何だよ」
自分の頭に当たった何かは、間違いなく水瀬が石田に向かって投げ付けたもので、当たった感触からして、そんなに大きなものではない。
まさか、今上げたばかりのチロルを投げたんじゃないだろうな?
疑るように水瀬を見てから床に視線を落とせば、そこにあったのは、水瀬が女の子から貰ったものでも、石田が水瀬に上げたチロルチョコでもない、5円チョコが1つ。
「やるよ。バレンタインだから」
それを拾い上げて水瀬を見れば、水瀬はなぜか得意げな顔で笑っていた。
自分で食べようと思ってたおやつの残りなんじゃないかなぁ…と思えなくもないが、言えば機嫌を損ねそうなので、突っ込むのはやめておいたが。
「ねぇ石田、『ありがとう』は?」
チョコを拾い上げ、水瀬を見遣れば、ベッドの上、水瀬は不遜に石田を見下ろしていた。
チロルだって十分お手ごろ価格だけれど、こちらは価格で言えばその半分で、しかも1個。なのにどうして、ここまで上から礼を強請られているんだろう(しかも水瀬からは、何のお礼も言われていない…)。
「ねぇ、『ありがとう』は?」
「…ありがとうございます、水瀬さん」
「ふふん」
随分と楽しげに笑っている水瀬に棒読みで礼を言えば、それに気を悪くするでもなく、水瀬は満足げに鼻を鳴らす。
気分屋で気まぐれな女王様のご機嫌が変わらないうち、石田はそのパッケージの封を切って、5円玉の形をしたチョコを口に運んだ。
「石田ー」
水瀬は貰ったチロルチョコを、枕元に一列に並べて遊んでいる。
1つ食べてしまったから、残りは9個。
何が楽しいのかは、石田には分からない。
「男同士で友チョコがないんだったら、これ、何チョコって言うんだろうね」
水瀬は顔を上げ、石田を見遣った。
石田は、5円チョコの入っていた包みを、手の中で弄んでいる。
「ねぇねぇ石田てばー」
「知らねぇよ、そんなの」
「義理チョコかなっ?」
「お前にチョコやる義理なんかないんだけど」
石田が尤もなことを言えば、そりゃそうだと水瀬もケラケラ笑い出す。水瀬にだって、そんな義理はない。
ならどうしてチョコなんか上げるんだと、それはお互い口にしない。
「ねぇ石田ー。甘いモンいっぱい食ったから、カロリー消費するために、ちょっと動こうぜ?」
ニヤリ、水瀬がいやらしく口の端を上げた。
本当にこんなこと、今日チョコをくれた女の子たちには、絶対に聞かせられないセリフ。
けれど石田は逆らえず、キスを受け入れた。
甘い、唇。
溺れる。
「…やっぱ、友チョコてことにしとこっか」
チョコの欠けらとココアパウダーと精液で汚れたシーツの波間で囁いた。
*END*
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最後にアップして以来、2年半くらい書いてなかったのに、アンケで2位と健闘してる高校生男子。果たしてこういう雰囲気を望まれていたのか……違ってたらゴメンなさい。
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ホラー映画にはご用心 (1)
一応のノックの後、睦月が部屋のドアを開けると、中には翔真の他に、その恋人である真大がいた。
恋人同士とはいえ、ここは寮の一室で、しかも翔真と蒼一郎の部屋だから、2人が致しちゃってるなんてことはないはずで(寮の壁が薄いことは、みんな百も承知だし)、睦月は翔真と一緒にいるのが蒼一郎だろうと真大だろうと、構わずドアを開けたのだ。
「ねぇねぇショウちゃん、怖いヤツ平気? 映画とか」
それでも室内に真大がいたことに気を遣ってか(もしくは未だ真大に対して人見知り全開なせいか)、睦月は中まで上がり込まず、ドアのところで首を傾げている。
「怖い映画?」
「今日ね、夜ね、あんの。怖いの。でも亮が絶対見たくないって。俺見たいのに…。しかも録画もダメ! て。だからショウちゃん平気なら、ここで見させてくんないかなぁ、て思って」
拗ねた口調で唇を尖らせる睦月に、翔真はヘタレでビビりな親友の顔を思い出し、「あぁ~…」と納得しつつ苦笑した。
「俺は別にいいけど…」
そう答えてから、翔真はチラリと真大を見た。
自分がよくても、一緒にいる真大が嫌がるなら、OKは出せないから。
「俺も平気だよ」
真大の返事に、睦月は一瞬、パァッと顔を明るくさせたが、すぐにハッとした表情になった。
翔真が真大にそう尋ねるということは、映画の時間も真大がここにいるわけで、何だか恋人同士の時間を邪魔するようで、ちょっと嫌だ。
「…俺、ここで映画見ていい?」
「あはは、いいよ。どうせ蒼も帰って来るし」
「そっか。あ、でも蒼ちゃんて怖いの平気なの?」
「あ、それは知らない」
今不在の蒼一郎も、夜には帰って来るようで、別に睦月がお邪魔虫になるようなことはないようだが、そういえば蒼一郎がホラー映画を見れるかどうかまでは知らなかった。
「何となくだけど、平気じゃなさそう」
"ヘタレでビビり"という点では、蒼一郎も亮に引けを取らない。
真大は単に想像で『平気じゃなさそう』と言ったが、それには翔真も睦月も同感だった。
「じゃあ、蒼ちゃん帰ってきたら嫌がるかな…」
「祐介とかカズは? いねぇの?」
「ゆっちはダメ! アイツ、ちょーーーービビりだもん。ぜぇったい見るわけない! 見ようっつったら、逆ギレされるに決まってる」
力いっぱい力説する睦月に、翔真は腹を抱えて笑い出す。
学年も違い、普段はそんなに一緒にいることのない真大は知らないが、祐介も相当のビビリなのだ。
「カズは?」
「カズちゃんいなかった…。でも部屋の人、ダメみたいなの…」
恐らくこの寮内で、睦月と同じ番組を見たがっている人間は他にもいるだろうけれど、人見知りの睦月が、その部屋に上がり込んで、一緒に見れる人間はそういない。
となると、やはり翔真の部屋しかない。
「いいよ、おいで」
「わーい、ショウちゃんありがとう~」
じゃあ用意して、後で来るねー! と睦月は元気よく部屋を出ていった。
「しょーがないよね、これは」
どうせ夜には蒼一郎も帰って来るし、この寮にいてこれ以上のイチャイチャは出来ないのだから、来たがる睦月を拒み切れない。
今から出掛けるつもりもなかったし。
「つか翔真くん、怖い映画、平気なんだ」
「んー…すっごい平気、てわけじゃないけど……まぁ見れる」
「なぁーんだ。せっかく一緒に見て、怖がってる翔真くんに、『キャー!』つって抱き付かれようと思ったのに」
「…何その妄想」
時代遅れの少女マンガのような真大の発想に、翔真は少しだけ呆れた顔をする。
しかも、いくら怖くても、『キャー!』なんて悲鳴は上げない。
「てか、むっちゃん、何の用意してくるつもりなんだろ…」
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ホラー映画にはご用心 (2)
コーラのペットボトルとポテトチップスと、なぜかぬいぐるみ風のクッションを抱えて(これが睦月の言う『用意』だったらしい)。
「むっちゃん、何そのクッション」
「えっへっへ。かわいーでしょ。こないだ買ったの。気持ちいいんだよ?」
「何なの? 羊?」
「羊じゃない。えっと…カピ…、…………、カピ、バラ…? アルパカ?」
「いやいや、カピバラとアルパカは違う生き物だよ」
何となく語感は似ているけれど、生物学的にはまったく別の生き物だ。
睦月が抱えているのは、クッション用にデフォルメされているので、一体どっちなのかはよく分からないが、とりあえず羊ではないらしい。
「あれ? 蒼ちゃんは? まだ帰って来てないの?」
「いや、帰って来たけど、怖いの見たくないっつって逃げた」
「マジでー? もぉー蒼ちゃんてばー」
真大の想像どおり、帰って来た蒼一郎に、今晩、睦月がホラー映画を見にやって来ることを伝えれば、『無理無理無理無理~~~~!!!』と絶叫して部屋を出ていったのだ。
「つか、カズちゃんは? 結局どうすることにしたのっ?」
「ん? カズ?」
やって来たのは睦月だけかと思っていたら、廊下には和衣もいるようで、睦月が振り返って声を掛けている。
一体何事かと、翔真と真大が外の様子を窺えば、どうやら和衣は、これから始まるホラー映画を、見ようか見まいかまだ迷っているらしい。
「ねぇカズちゃん、どうすんの? もう始まっちゃうよ」
「う~~~~…………見るっ!」
睦月の声に急かされて、和衣はようやく決断したようだ。
怖いのは得意でないけれど、でも話題作のテレビ初放映だし、見たい気もする。1人では無理でも、睦月が一緒なら……と心を決めたのだ。
「あ、真大も来てたの? みんな一緒に見るの?」
「こんばんはー。みんなで一緒に見よ? そしたら平気だよ」
がんばっているが、和衣が怖がっているのが分かったので、真大は努めて明るく振る舞った。
なのに。
「でも4人…、…………4……ちょっと不吉だよね…」
「ッ…むっちゃ…、ヤッ! やっぱ俺、帰るっ!」
「ダメー」
わざと陰鬱な声で笑えない冗談を言う睦月に、一瞬で和衣の顔は蒼褪め、自室に戻ろうと立ち上がったが、睦月に腕を引かれて隣に座らされた。
「むっちゃんの意地悪ー!」
「あ、始まる」
和衣の泣き言には耳を貸さず、睦月はさっさとテレビ画面に向き直った。
相変わらずな2人に苦笑いを零しつつ、翔真も真大の隣に座った。
映画は評判どおり、出だしから相当迫力のある怖さだった。
和衣は勝手に、睦月のカピバラだかアルパカだかのぬいぐるみクッションを、ギュウ~~~と強く抱き締めている。
別にそんなつもりクッションで持ってきたわけではない睦月は、いささか不満だったが、最初に和衣を無駄に怖がらせてしまった手前、無理に取り返せないとも思う。
(…まぁいっか)
そう思って映画に集中していたら、なぜか和衣に手を握られた。
「…何カズちゃん」
「怖い…」
なぜ手を繋ごうとするのかと和衣を見れば、泣き出しそうな顔で和衣にそう言われた。
以前、酔っ払った睦月を連れて帰るのに、仕方なく睦月と手を繋いだ和衣は、別にそれが悪いことでもないのに、亮に大変申し訳なさそうにしていたのに、今はそれどころではないらしい。
和衣がかわいそうなので、あえてそれは突っ込まず、睦月は和衣の好きなようにさせた。
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ホラー映画にはご用心 (3)
でも真大が、チャンスとばかりに翔真と手を繋いでいるのを、実は睦月は見逃していなかった。
『ッ…キャーーーーー!!!!』
絹を裂くような、とはよく言ったもので、画面では若い女性が悲痛なほどの悲鳴を上げた。
顔が半分崩れた怨霊が、突然現れたのだ。
しかし、その怨霊の登場に声を上げたのは、画面の中の女性だけではなかった。
「あだだだだだ! ちょっ、カズちゃん痛い!」
睦月の手を握っていた和衣が、恐怖のあまり、思い切りその手に力を籠めてしまったので、その痛みに睦月も思わず大きな声を上げたのだ。
見た目やその性格と違い、結構体力も腕力も、そして握力もある和衣だ。そんな力いっぱい手を握られれば、声を出さずにはいられない。
「だって…だって…」
睦月に手を振り解かれた和衣は、もう1度手を繋ごうとするが、睦月が手を貸してくれない。
「むっちゃんっ」
「何、もぉ。痛いんだってば」
「怖いのー! 痛くしないからっ、ねっ!?」
必死な様子の和衣に、仕方なく睦月は手を差し出した。
まさか恋人同士で一緒にいる翔真か真大に手を繋いでもらえ、とは、さすがに睦月でも言えないから。
(もーカズちゃん、大げさ…。そんな怖くないじゃん)
静かだった画面に、大きな音を伴って突然怨霊やらゾンビやらが登場すれば、確かにその瞬間はビックリするものの、基本的に睦月は、ホラー映画を端から作り話、作り物だと思っているので、こういう映画自体を怖いとは思わないのだ。
「でもこういうのって時々、ホントの霊が映ってるとか、あるよね…」
「ヒッ…」
よせばいいのに、翔真がこんなタイミングでそんなことを言い出すから、和衣の顔色がまた悪くなる。
またギュッと手を強く握られ、睦月は嫌そうに眉を寄せた。
「もぉショウちゃん、あんまカズちゃんのこと怖がらせないでよねー」
「むっちゃんに言われたくないんだけどー」
最初に和衣を怖がらせたのは、紛れもなく睦月だ。
その罪までなすり付けないでほしい、と翔真が睦月を小突いた瞬間。
「ひぅっ…!」
「うわっ、いだだだだ」
和衣の息を飲むような悲鳴と、睦月の痛みを訴える悲鳴。
部屋の蛍光灯がチカチカしたと思った瞬間、突然室内が少し薄暗くなったのだ。
もちろんそれだけなら、睦月は何も痛い思いをせずに済んだのだが、驚いて竦み上がった和衣が、クッションを投げ出して力いっぱい睦月に抱き付いたものだから、睦月がまた痛みに声を上げたというわけだ。
「なっなっ何? 何で!?」
しかしそれどころではない和衣は、パニックに陥り掛けながら部屋の中を見回せば、丸い蛍光灯の内側の電気が消えていた。
誰もスイッチなど構っていないのに、何でこのタイミング?
やっぱり何か霊的なものが…。
「あー…そういえば電気、切れ掛かってたんだっけ」
まさか…と、すっかり蒼褪めた和衣に、翔真がのん気にそう言った。
数日前から、部屋の蛍光灯が時々消えては不便な思いをしていたのだ。
タイミングとしては最悪だったが、何か幽霊のようなものがやって来て、いたずらにこの部屋の電気を消したわけではないらしい。
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ホラー映画にはご用心 (4)
「いや、何かうっかり…」
そこまで怒られるほど悪いことをしたわけでもないのに、和衣の勢いに、翔真はつい「ゴメン…」と謝った。
しかし睦月は、そんな和衣に加勢するでも、翔真に味方するでもなく、「ちょっとカズちゃん、うるさい。静かにして」とひどく冷静に突っ込みを入れる。
「だってぇ!」
「いいじゃん、蛍光灯が1個消えたくらい。テレビ見えるでしょ?」
そういう問題じゃないっ! と和衣は声を張り上げたかったが、睦月はもう取り合ってくれないような雰囲気。
仕方なく和衣は、放り投げてしまったクッションを手繰り寄せて、もう1度腕に抱いた。
「むっちゃん。これ、カピバラさん?」
「多分ね。てかカズちゃん、それに鼻水付けないでよ?」
「つ…付けないよっ」
妙に陽気なCMが終わると、映画が再開する。
舞台は廃校となった小学校。いかにもといった雰囲気が、睦月にしたら余計に作り話ぽく思えるのに、和衣は本気で怖がっている。
(カズちゃん、そんなに怖いなら、見なきゃいいのに…)
睦月は、和衣をからかって怖がらせたかもしれないが、見ることを強要させてはいない。映画を見るかどうかは、飽く迄も和衣自身が判断したことだ。
そこまで怖いなら、今からでも『見ない』という選択も出来るのに、なぜか和衣は怖がりながらも体勢を立て直して、画面に向き直った。
主人公の女の子が、一緒に来ていた友人たちとはぐれ、1人で暗い校舎の中を歩いているところで、下手にBGMが流れるわけでもなく、女の子の歩く足音だけしかしないという状況が、逆に恐怖を増長させている。
しかし。
「ふぁ…」
和衣はもちろんのこと、翔真や真大も、その緊迫したシーンに固唾を呑んでいるにもかかわらず、睦月がまるで緊張感のないあくびをした。
つまらないとは言わないが、睦月的にはちょっと物足りないかも……なんて思っていたら、眠くなってきてしまったのだ。
ふらっ…と大きく揺らいだ睦月の頭に、最初に気付いたのは真大だ。
(一番見たがってた人が、一番寝そうだし)
真大が、翔真の服の裾を引いてそのことを教えてあげたら、翔真も思わず苦笑する。
翔真はよく知っているが、睦月というのは、そんな子なのだ。
しかも、眠くてもがんばって起きていようという気もそんなにないようで、睦月は頭をフラフラさせながら、とうとう目を閉じてしまった。
「あ、」
しばらく睦月を観察していた真大が(普段は、不思議な人だと思いつつ、そんなに一緒にいたり喋ったりするチャンスがないから)、思わず声を上げたときには、もう遅かった。
――――ゴッツンッ!
本当にマンガのような音を立てて、睦月と和衣の頭がぶつかった。
ずっと舟を漕いでいた睦月の頭が、とうとう大きく傾いて、隣で身を寄せいた和衣の頭に激突したのだ。
「い…ぅ…」
「イッ……テー」
突然の睦月からの頭突き。
和衣は驚きと痛みに目を潤ませながら頭を押さえたが、さすがにこの衝撃には睦月も目が覚めたのか、唸り声を上げて頭を抱えている。
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ホラー映画にはご用心 (5)
「いた、い…。何…?」
「むっちゃんが頭突きして来たんじゃんっ」
和衣もまったくわけが分からないが、自分から頭突きをしたとはいえ、何の意図も意識もなかった睦月も、わけが分からない。
2人してポカンと見つめ合っていたら、「むっちゃん、眠くて頭フラフラしてたよ」と翔真が教えてくれた(映画に集中していたとはいえ、こんなにそばで睦月が眠そうにしていたら、それは気が付く)。
「むっちゃん、眠いの?」
「んー…」
和衣の問いに、睦月は目をこすりながら首を振る。眠いことは眠いが、ここまで見たからには、最後まで映画を見たい。
眠気覚ましにと、睦月は和衣に寄り掛かりながら、コーラのペットボトルを開けた。
「…ねぇむっちゃん」
テレビが再びCMになったところで、和衣が睦月のニットの裾を引っ張った。
「俺、トイレ行きたい」
「は? 行けば?」
まだ眠そうな顔で、睦月が和衣のほうを向く。
一体どうしてそんな報告を睦月に?
「トイレ」
「だから、行って来ればいいじゃん。今CMなんだし」
「むっちゃん、一緒に行こ?」
「何で」
「だって1人で行くの怖いっ」
若干涙目になりながら、和衣は必死に訴えるが、睦月の視線は冷ややかだ。
1人でトイレに行けないくらいホラー映画が苦手なら、最初から見なければいいのに。
「むっちゃぁんっ!」
「ちょっ…」
睦月が嫌そうにしているのは分かるが、和衣にしたら、それどころではない。
無理やり腕を引っ張って、睦月を立たせた。
「もぉー。俺、おしっこしたくないよぉ」
「いいからぁっ」
子どもがぐずるみたいな声を上げつつも、睦月は和衣に引っ張られるがまま、部屋を出て行った。
「…カズくん、あそこまで怖がるなら、見なきゃいいのに」
バタバタと遠ざかっていく足音を聞きながら、真大が至極当然のことを言った。
見始めてから、怖いと思って見るのをやめたからといって、何かあるわけではない。1人でトイレに行けないくらい怖いなら、もうここで見るのをやめたらいいのでは?
「翔真くん、カズくんがホントにトイレ行ったと思う? 怖くて逃げたんじゃない?」
「いや、アイツのことだから、また来るよ。そんでめっちゃ怖がって、うるさくすると思う」
普通に考えたら、真大の言い分が正しいだろうが、しかし相手は、人の想像の遥か彼方を行く思考をしてしまう和衣だ。
きっと翔真の言うように、怖い怖いと言いながら、睦月と一緒に戻ってくるだろう。
「ホラ、来た」
また、ドアの向こうが騒がしくなってくる(それにしても、翔真たちと違い、事情を知らない他の部屋の住人は、一体何事かと思っているに違いない)。
真大は、本当に和衣がまたこの部屋に戻って来るのだろうかと、ドアを見つめていれば、ドアが開いて睦月が姿を現した。
「もぉーカズちゃん、部屋戻りなよ」
「何でむっちゃん、そんなこと言うの!?」
「だって怖いんでしょ? もう見なきゃいいじゃん」
先ほど真大が口にしたのと同じことを言いながら、まずは睦月が入って来る。
睦月は和衣を自分の部屋に帰らせようとしているが、それに反して、和衣はまだ映画の続きを見るつもりか、翔真の部屋に上がり込もうとしている。
やはり翔真の正解だった。
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ホラー映画にはご用心 (6)
「何で」
「だって1人で部屋に戻るの怖い…」
和衣の本気の言葉に、睦月は大きく溜め息を零す。
どうやら和衣は、映画を最後まで見たいというよりは、1人でいるのが怖いから、誰かと一緒にいたいというだけらしい。
しかし、誰かと一緒にいるのはいいとして、今の時点で部屋に戻るのが怖い人が、最後まで映画を見たら一体どうなってしまうのだろうか。
「カズー。最後まで見たって、いつかは部屋には戻らなきゃなんだよ?」
パニックのせいで、いつもよりさらに冷静な判断が出来ていないであろう和衣に、翔真が一応言っておく。もしかしたら、これから先に、もっと怖いシーンがあるかもしれないのに。
すると和衣は、「ぅ…」と言葉を詰まらせ、顔色を悪くさせた。
「むっちゃん、部屋…」
「俺まだ戻んないよ?」
「何で? 眠いんでしょ? 一緒に寝よ?」
「もー起きたよ」
先ほどの頭突きで目が覚め、無理やりトイレにまで連れて行かされたのだ。
これで起きないはずがない。
「むっちゃ…」
「あ、始まった」
どうしよう…と顔を蒼褪めさせている和衣を無視して、睦月は先ほどまでの定位置(テレビの真ん前)に戻ってしまった。
「うー…」
和衣は睦月と、そして翔真と真大を交互に見た後、泣きそうな顔をしながら、睦月の隣に(あれだけ怖い思いをさせられたのに)座った。
翔真の言ったとおり、何だかんだ言って和衣は、怖がりつつも最後まで映画を見ることを選択したようだ。
しかし和衣は早速、画面の中の怨霊に身を竦ませて、睦月に縋り付いている。
「…………。…カズちゃん、ホラ。お食べ?」
「ぅ、む…」
ビクビクしている和衣の口に、睦月が(わりと無理やり)ポテトチップスを詰め込んだ。
和衣が、なすがまま口に入れられたそれを咀嚼すれば、睦月は次のポテトチップスを構えている。どうやらお菓子で和衣の気を紛らわそうという作戦らしい。
「うーうー」
「何? あ、」
ロクに和衣のほうを見ないまま、ずっとポテトチップスを差し出していたら、いつの間にか口の中がいっぱいになっていたようで、ハムスターの頬袋みたく、和衣の頬が膨らんでいた。
「キャハハ、カズちゃん、おもしろい顔!」
「んー!」
「イテッ」
自分でやったことなのに、睦月が笑い出すものだから、和衣は一生懸命ポテトチップスをモグモグさせながら、睦月の頭を叩いた。
「ゴメンてば。コーラ飲む?」
律儀に、差し出された分だけ口に入れていた和衣は、ようやくそれを飲み込むと、睦月からコーラのペットボトルを受け取って、ガブガブと半分ほど一気に飲んでしまった。
「カズちゃん、大丈夫。もうすぐ終わるから。あと30分くらい」
「30分…」
睦月に宥められ、和衣は部屋の時計に目をやる。
30分は、果たして『もうすぐ』なのだろうか。
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ホラー映画にはご用心 (7)
睦月は尤もらしいことを言って、和衣をテレビのほうへ集中させようとするが、さっきまで半分寝たようになっていた睦月に言われるのは、何となく理不尽に思えるのは、和衣だけだろうか。
でも、まだ部屋には戻らないと言った手前、静かにテレビに集中しなければ。
画面では、主人公の女の子が、腕から血を流しつつも、先へと歩いて行く。
スプラッタ要素も多いこの映画では、すでに一緒に来ていた友人のうち2人が、ゾンビだか怨霊だかにやられて、血みどろで死んでしまっている。
それでも彼女は、残りの仲間を探すべく、先へと進むのだ。
(こんななったら、お家帰っちゃえばいいのに…。でも友だち置いて帰れないか…。それとも、ちゃんと退治して帰んないと、呪われちゃうのかな…)
睦月のようにのん気に構えることなんて出来ない和衣は、想像力を働かせすぎて、勝手に1人で恐怖を倍増させている。
しかも、いつの間にか、睦月のぬいぐるみクッションをほったらかして、和衣はギュウと睦月に抱き付いている。
しかし睦月にしたら、そんなの苦しいだけで、何のいいこともない。
ショウちゃんヘルプー! と助けを求めようとしても、翔真も真大も、近付くクライマックスに、画面に集中していて、そのサインには気付いてくれないし。
仕方なく睦月は、和衣に抱き付かれているのとは反対側、自由になる左手で携帯電話を開き、そっとメール機能を立ち上げた。
利き手ではないから、文字が打ちづらい…と、睦月がテレビでなく携帯電話に気を取られている間にも、話はどんどんと展開していく。
『イヤーーーーー!!!!!』
激しい効果音とともに、女の子の悲鳴が響く。
彼女の恋人が、無残な姿で殺害され、その死体を数十匹のネズミたちが貪っていたのだ。
そのグロさに、当然和衣は竦み上がって、睦月が嫌がるのも構わず抱き付く腕に力を込めたが、さすがにこの映像には翔真も顔を顰めて、目を逸らした。
よく、こういうものを見た後、しばらく肉料理は食べたくない…なんて言うのを聞くが、その気持ちが今分かった。
「カズちゃん、苦しい…」
「ひぅ…、怖ぃ~…」
もう絶対に、1人で部屋になんて戻れない。
絶対に1人で寝られない。
てか、あと30分も我慢できなぁ~~~~いっっ!!
「もう終わる、もう終わるからっ。ちょっ、カズちゃん、苦しいから力緩めてっ」
「ヤダーーー!! 怖い~っ!!」
睦月が焦りながら和衣の腕をペチペチ叩くが、和衣は全然力を緩めてくれない。
もうテレビに集中しろとは言わないから、とにかく腕を解いてくれ。本気で苦しい。今までからかったのも、謝るから!
しかし睦月の思いとは裏腹に、クライマックスに達した映画では、主人公の女の子の前で次々と人々が殺されていき、和衣ももう見なければいいのに、睦月の声も耳に入らないくらい画面に集中してしまっている。
「苦し…助け…!」
「カズくん、ちょっ…」
「うっわ!」
「ひっ…ギャーーーーー!!!!」
「え、何やって…………うわあぁーーーーー!!!!!」
―――――――暗転。
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