恋三昧

【18禁】 BL小説取り扱い中。苦手なかた、「BL」という言葉に聞き覚えのないかた、18歳未満のかたはご遠慮ください。

2014年10月

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恋の女神は微笑まない (141)


「ちーちゃん髪切ったんだ! 最初分かんなかったよ。でも、かっこいい!」
「でしょ。もっと褒めていいよ」
「……」

 それでこそ千尋かもしれないけれど、千尋の中に謙遜という言葉はないんだなぁ…と、褒めておいて、遥希は思う。
 今までの髪型からすると、うんと短くなって、印象もだいぶ変わったとはいえ、これはこれで千尋にすごく似合っているから、まぁいいけれど。

「つか、何でハルちゃんのが、来るの遅いわけ?」
「分かんない…。でもここって、道わけ分かんなくない?」
「だったら大人しく駅で待ってなよ」
「だって、早くちーちゃんに会いたかったんだもん」

 ハルちゃんが早く会いたいのは、俺じゃなくて水落でしょ、とは口に出さず、千尋は呆れ顔で遥希を睨んでから、改札へと向かった。

 ホームに行くと、ちょうど混雑し始める時間帯に重なって、サラリーマンやOL、学生などでごった返している。
 いつものことだから千尋ももう慣れているけれど、低予算で、この混雑を解消できる方法を考え出したら、ノーベル賞とか貰えるんじゃないかと思う。ノーベル何賞かは知らないが。

「でもハルちゃん、最近店に来たがるよね。1回も辿り着けたことないけど」
「1回もちゃんと行けたことがないから、行きたいの! 今度こそ、お店までちーちゃん迎えに行くね?」
「いや…、その後どうせ家に行くんだから、家に直接行きゃーいいじゃん」
「でも、どっかでご飯食べるかもしんないし」

 そうだとしても、無理に遥希が店まで千尋を迎えに来る必要はないと思うのだが…。
 本人がそうしたいと言っているのだから、別にそれはそれでいいんだけれど、何かもっと合理的な待ち合わせが出来そうな気はする。

「つかハルちゃんて、大学の友だちと遊ばないの? 最近しょっちゅう俺と遊んでるけど」

 やって来た電車に無理やり乗り込んで、ドアの辺りに張り付きながら、千尋は隣で窮屈そうにしている遥希に尋ねた。
 それは、前々から千尋が思っていたことだ。
 最近特に、結構な頻度で遥希に会っていて、きっとその合間には、バイトがあったり、琉とも会ったりしているだろうに、そうすると、大学の友人と遊ぶ時間なんて、全然なさそうだ。

「遊んでるよー。でも飲み会とか殆ど出ないから、夜はちーちゃんと会うのが多くなるよね」
「出ないんだ、飲み会」
「…うん」
「何? また何か失敗したの?」

 千尋も人のことはあまり言えないが、お酒の弱い遥希も、これまでにいろいろと失敗はして来ているから。
 以前は、すごく積極的に、とは言わないものの、それなりに大学の飲み会にも出ていたはずの遥希が、そういうのを断るようになったということは、何かしらのことがあったに違いない。



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恋の女神は微笑まない (142)


「…いや、何もない」
「何があった?」

 ちょっと口籠り気味の遥希に、千尋は追及の手を緩めない。
 何があったって、千尋は遥希の友人をやめないし、いちいち琉にチクらないから、教えてほしい。他人の噂にはまったく興味ないけれど、遥希の失敗談は聞きたいのだ。おもしろいから。

「ホント、何もないんだって。その、何もないという状態を、これからもずっと継続したいから、なるべく出ないようにしてんの」
「ハルちゃんてさ、大勢で飲むとダメだよね。少人数だとそうでもないけど」
「だって楽しいし…。しかも、みんなどんどん飲むから、つられちゃうんだよね…」

 弱いとはいえ、お酒が嫌いなわけではない遥希は、飲み会をノンアルコールで通し切れないうえに、人のペースにつられてどんどん飲んでしまって、気付くと許容量を超えているのだ。
 そのおかげで、今までどれほど失敗して来たことか。
 その中には、絶対に琉には言えない類の失敗も少なからずあって、そういうことをもう2度としたくないから、なるべく大勢での飲み会には出ないようにしているのだ。

 もちろん、人数が少ないからといって、遥希が酔って失敗をしないという保証はないのだが、それでも自分のペースを守れる分、リスクは少ない。
 しかも、一緒に飲んでいるのが千尋だったら、遥希が万が一にも酔った勢いの過ちを犯しそうになった場合、流されることなく殴り飛ばしてくれるだろうから、安心して飲める。

「まぁ…、確かに、ハルちゃんの過去の愚行を思えば、飲み会には出ないのが正解かもね」
「ちーちゃんだって、そこまで人のこと言えないでしょ」
「でも、少なくとも俺は、身に覚えのないセックスをしたことはない」
「ちょっ!」
「むぐっ」

 遥希の言葉に何か言い返したい千尋の気持ちは分かるが、満員電車の中で、普通の声の大きさで話すことではない。遥希は慌てて千尋の口を塞いだ。

「ホントのことを言ったまでなのに」

 不機嫌そうに遥希の手を引き剥がした千尋が、不満げに言い返す。

「そうだとしても、こんなトコで言うことじゃないじゃん」
「だってハルちゃんが振ってくるから」
「別にそういう振りじゃないよ!」

 実際に今まで仕出かしたことは遥希のほうが大胆なのに、変なところで純情スイッチの入る遥希は、こんなたわいないことで、いちいち赤くなっている。
 まぁ、千尋に恥じらいがなさすぎるというのもあるのだが…。

「じゃあ今日は、ハルちゃんが何か仕出かして、また後悔しちゃうくらい飲ませちゃおうかな」
「何で! そうなりそうだったら、ちーちゃん止めてよ、ちゃんと」
「ヤダよ。酔っ払ったハルちゃんはおもしろいからね。俺はそれ見て楽しんでる」
「うぅ~…」



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恋の女神は微笑まない (143)


 じゃあ今日は飲まない! とは言い切れないのが、遥希の悲しいところだ。
 千尋と一緒にご飯を食べて、お酒を飲むから楽しいんであって、いや、そりゃまぁ飲まなくたって楽しいけれど、どうせ千尋は飲むだろうし、そうなると、1人で素面なんて寂しい。

「じゃあ、俺も飲まないから、ちーちゃんも飲まないで、お酒」
「何で俺がそんなこと、ハルちゃんに合わせないといけないわけ?」
「2人で禁酒しよう」
「………………。ハルちゃん、ホントに何もないの? ホントは何かすごい失敗したんでしょ? 今のうちに白状しといたほうが身のためだよ?」
「だから、何もないってば!」

 単に、1人で飲まないでいるのが嫌だから言っただけなのに、とんでもない脅しを掛けられて、遥希は慌てる。
 そのうち、本当に何もないのに、何か仕出かしたことにされていそうで、ちょっと怖い…。

「じゃあ夜ご飯、お酒とか置いてなさそうな、健全なカフェにでもする?」

 ようやく降車駅に着いて、千尋たちは押し出されるように、電車から降りる。
 帰路を急ぐ人たちはみんな、我先に階段のほうへと向かうけれど、千尋は、ここで急いだところで何分の差? この暑いのに密着するほうが嫌…というタイプだし、遥希ものん気な性格だから、人の群れが落ち着くまで、ホームでのんびりしている。

「健全なカフェ…。パンケーキとか食べるの?」
「食べるよ。ハルちゃん好きでしょ? パンケーキ」
「いや、好きだけど…………それって夜ご飯になる?」

 ようやく空いてきた階段に向かって歩きながら、遥希は千尋の提案に首を傾げている。
 最初に禁酒を言い出したのが遥希とはいえ、まさか夕食がカフェでパンケーキになるとは、想像だにしていなかった。

「夜に食べるご飯は夜ご飯」
「そ…そうだけど…」

 遥希としては、夕食がパンケーキでも全然いいけれど、どちらかというと、千尋のほうがそれにNGを出しそうなのに、本当にそれでいいと思っているんだろうか。
 後で絶対、お腹空いたとか言い出しそうなんだけど…。

「ちーちゃーん…、普通にご飯食べたほうがよくない? パンケーキはまた今度にしようよ」
「ハルちゃんが好きだと思ったから言ったのに。まぁ、ハルちゃんがいいならいいけど。てかさ、夕飯にお好み焼きは『あり』なのに、何でパンケーキは『なし』なんだろうね」
「え…、うん」

 確かに、同じ粉ものなのに、パンケーキには夕食というイメージはない。
 それはそうだけれど、そんなことを思い付く千尋の発想力といったら…。

「じゃあ、どこ行く? まぁ、店にお酒が置いてある限り、どこ行ったって飲んじゃうだろうけどね」

 駅を出る前に行き先を決めないと…と、改札を抜けたところで、2人は足を止める。
 2人とも、そこまで食にこだわりがあるわけではないから、どちらかに何か食べたいものがあるときでなければ、お互い、何でもいい…て感じだし、実はあんまりお店も分からない。



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恋の女神は微笑まない (144)


「もうめんどいから、ファミレスに…………ハルちゃん?」
「えっ?」

 どちらかというと、千尋より遥希のほうが優柔不断だから、今日みたいな場合は、遥希に任せるよりも、千尋がさっさと決めてしまったほうがいいだろう。
 そう思って遥希に声を掛けたら、遥希は全然違うほうを向いていた。

「どうしたの、ハルちゃん」
「あ、いや、あの…」

 口籠る遥希がチラチラと視線を向ける先は、改札外の売店で、並んでいる雑誌類の中に、例の週刊誌が。
 …ホント、何でもない振りが出来ないんだから。

「別に、買ってくれなくていいよ、週刊誌。もう知ってるから」

 前のときは、何を思ったのか、遥希がわざわざ週刊誌を買って来てくれたのだ。
 今も、遥希が買いたいのなら止めないけれど、千尋のためにと言うなら、もう読んでいるから、わざわざ買わなくてもいい。千尋は、遥希の財布の心配もしてあげる優しい友人だから、ちゃんと遠慮してあげる。

「ちーちゃん、もう知ってたの?」
「髪切りに行ったとき、美容室で見た」
「あれって、やっぱり…」

 尋ね掛けて、遥希は途中で口を噤んだ。
 わざわざ遥希たちの話に耳を傾けている人などいないだろうが、大勢の人がいる駅でこんなことを話して、もし誰かに勘付かれでもしたら大変だ。

「何?」

 口を閉ざした遥希をジロリと見て、千尋は聞き返す――――遥希が何を言おうとしたのかも、どうして口籠ったのかも分かっていながら。
 まぁ、想像できなかったわけではないけれど、遥希が困ったように眉を下げるから、千尋は、ちょっと意地悪しすぎたかな、と反省して、肩を竦めた。

「とりあえず、メシ、行く?」

 話題を変えたかったわけではないが、遥希は場所を気にして口籠ったわけだから、ここにいたって仕方がないだろうと思い、千尋は歩き出す。そういえば、どこで食べるか、まだ決めていなかった。

「ねぇ、ちーちゃん、」

 遥希は慌てて千尋を追い掛け、その隣に並んだ。
 声を掛けても千尋がこちらを見てくれないので、もしかして週刊誌のことと、遥希がそれに踏み込もうとしたことに怒っているのかと思って、何だか焦る。



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恋の女神は微笑まない (145)


恋の女神は微笑まない (145)

 千尋は、結構しょっちゅういろんなことで機嫌を悪くはしているけれど、その大半がそんなに深刻ではないというか、冗談みたいなものなので、遥希もそれほど気にしていないのだが、時々、本気の不機嫌になるときがあって、今はその雰囲気に近い。
 遥希とご飯を食べる気持ちはまだあるみたいだから、そこまで激怒していないとは思うんだけれど。

「…ハルちゃんは、あれ見て、自分たちのことに置き換えて考えなくていいんだからね」
「え?」

 何だか気まずい……このままご飯を食べることになったらイヤだな、そうなる前に空気を変えたいな、と遥希が思っていたら、急に千尋に話し掛けられた。
 千尋のほうから声を掛けてくるとも思っていなかったし、ちょっと自分の考えに浸ってもいたので、遥希は思わず聞き返した。
 完全に聞き取れなかったわけではなかったんだけれど、遥希が聞いた限りだと、およそ今の千尋が言うとは思えない内容だったので。

「あの週刊誌の記事見て、アイツと付き合うのやめたほうがいいのかな…とか、ハルちゃんはそんなこと思わなくていいんだからね」

 単に遥希が聞こえていなかっただけだと思ったのか、聞き返された千尋は、別にそのことでさらに不機嫌になることもなく、同じことを、より丁寧に詳しく伝えてきた。
 そのセリフに、遥希はキョトンとして一瞬足を止めたけれど、千尋がさっさと先に歩いていくので、すぐに後を追う。

「ちーちゃん…」
「メシ」
「え?」
「結局どこで食うの?」

 一瞬のうち、先ほどの話は終わってしまったのか、千尋の口から出たのは、これからの夕食の話題だった。
 えっと…、機嫌が悪いのは、もしかしてお腹が空いているから? いや、きっと週刊誌のことでも、相当苛付いているとは思うけれど…。

「いっそ、飲み明かす?」
「だ…ダメだって。飲むなら、ちーちゃんち行ってからにしよ?」
「ハルちゃんて、ホント真面目なんだから」

 もしかしたら、遥希のことをバカにしたのかもしれないけれど、千尋が少し笑ってくれたので、遥希はホッとした。



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恋の女神は微笑まない (146)


chihiro & haruki

「ねぇ、ちーちゃん…」

 ファミレスでノンアルコールの食事を終えた後、千尋の家に来た遥希は、出された缶チューハイに口を付ける前に、千尋に話し掛けた。
 例の週刊誌のことや、その後に千尋が言ったことについて、遥希はずっと聞きたかったんだけれど、駅と同じくらい混雑していても誰も他の人を聞いていないであろうファミレスでも、やっぱりそれは躊躇われて、たわいない話をするにとどまっていたのだ。
 けれど、もう遥希と千尋しかいない千尋の家なので、もういいだろう。

「なーにー?」

 グテッと床に寝そべって、時々体を起こしてはビールを飲むという、超絶だらしないことを始めた千尋が、遥希のほうを向く。

「…そんなことしてて、零さないでね?」
「んー」

 本当はそんなことを言うために千尋に声を掛けたわけではないのだが、あまりのことに、思わず遥希はそう言ってしまった。
 千尋は、『余計なお世話!』と気を悪くすることもなかったが、かといって遥希の言うことを素直に聞く気もないのか、変わらずゴロゴロしている。

「てか、ちーちゃん、さっきの…」
「さっき? いつのさっき?」
「…………駅のさっき」

 千尋に起き上がる気がなさそうなので、遥希のほうが、千尋の横に寝転んでみる。
 すると千尋は、『何?』とでも言いたげに眉を寄せたが、遥希を邪険に扱うことはしなかった。

「あの週刊誌の…、あの写ってたのって、ちーちゃん……だよね?」
「まーね」

 遥希もあの記事を見たとき、写真に写っているのが千尋だと思ったのだが、記事では大和と一緒にいるのが『一般人女性』となっていたから、大変困惑していたのだ。
 遥希だってそうだけれど、女性に間違われていい気はしないから、千尋に確認して、もし違っていたら、また機嫌を損ねてしまう…と、ドキドキしながら尋ねたのに、千尋はあっさりとそれを認めた。

「で…、あれ見て、琉と別れるとか考えなくていいとか、それって…」
「どうせハルちゃんのことだから、もしあれが自分と水落だったら…とか考えるでしょ? どうせ。もしそんなことになったら、水落に迷惑が掛かるから、やっぱり水落とはお付き合い続けられない…とか考えちゃうんでしょ? どうせ」
「それは…」



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恋の女神は微笑まない (147)


 やけに『どうせ』という言葉が繰り返された気がするが、恐らくそれはわざとだろう。
 もともと遥希は、琉のことが好きで好きで堪らなかったくせに、芸能人の琉がゲイである自分と付き合うなんてよくないと思って、琉からの告白を断ったくらいなのだ。
 今はウザいぐらいのバカップルになっているけれど、遥希の根本的な考えに劇的な変化はないから、これからだって、もし自分の存在が琉にとってマイナスになるようなら、どんなに琉のことが好きでも、身を引かなければ…とは思っている。
 今回の千尋の件では、衝撃が大きすぎて、まだそこまで考えていなかったけれど、確かに千尋の言うことは間違ってはいない。遥希の思考回路は、大体そんなふうに出来ているのだ。

「今回のことは、俺と大和くんのことなんだから、ハルちゃんは何も気にしなくていい、てこと。別れるとかそういうこと考えないで、ハルちゃんは水落とバカップルやってりゃいいんだから」
「…ん」

 千尋がすごく遥希のことを気に掛けてくれるから、ちょっと面映ゆい気持ちになる。しかし、それと同時に、やけに『ハルちゃんは』と、遥希のことを強調してくるのが気になった。
 遥希と違って千尋は、相手が芸能人だから…なんて理由では諦めない、と言っていたくらいだから、遥希のようには考えないと思うけれど、千尋のその言い方に、嫌な予感を覚える。

「ねぇちーちゃん…」
「んー?」
「ちーちゃんも、でしょ?」
「何が?」
「ちーちゃんだって、あんな記事出たくらいで、別れるとか…」

 答えを聞くのが怖かったけれど、遥希は勇気を出して尋ねた。
 千尋は、表情を変えなかった。悲しそうでも、悔やんでいるようでも、かといって満足しているようでもない、普通の顔で言ったのだ、

「お試しのお付き合い、やめた。てか、お試しとか関係なく、大和くんと付き合わないことにした」

 千尋があまりにも何でもないように言うものだから、遥希は一瞬、その意味を理解できなかった。
 そんなわけがない、と思い込んでいたところもあったから、余計に。

「嘘…」
「嘘じゃないよ」
「嘘!」
「いや、嘘じゃないってば」

 どうしても信じられなくて、2回も言ったのに、2回とも否定された。
 しかも、動揺する遥希とは裏腹に、千尋は淡々と返してくる。

「それ…、大和くんは納得したの? お試しのお付き合い、やめるって…」
「分かんない。返事聞く前に、電話切ったから」
「………………」



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恋の女神は微笑まない (148)


 唖然とする遥希をよそに、千尋は起き上がって、ビールの缶に口を付けた。
 体を起こす力を失ったように、遥希は寝そべったまま、視線だけで千尋を追い掛ける。どうして千尋がそんなに普通でいられるのか、遥希には分からない。

 確かに千尋は大和のことを、お付き合いしたいと思うほどではない、とは言っていたけれど、そこから始まったお試しのお付き合いを、嫌がっている様子はなかった。
 何だかんだ言って、千尋は大和のことを好きそうにしていたから、遥希はこのまま2人が本当に付き合うものだとばかり思っていたのに。

「ねぇちーちゃん、大和くんと付き合わない、て……どういうこと?」
「どういう、て……だってもともと、あのお試しのお付き合いは、ホントに大和くんと付き合いたいと思えるようになるためのだし。付き合いたい、て思えなかったら、お試しのお付き合いだって、終わりでしょ?」

 遥希ががんばって起き上がって、一体全体どういうことなのかを尋ねれば、千尋はあっさりと答えた。
 確かにその言い分は、間違ってはいない。
 飽くまでも千尋と大和は、恋人(仮)で、お試しのお付き合いをしていたに過ぎないから、本当のお付き合いは出来ないとなったら、それは終わりを迎えるのだ。
 それは何も、お試しのお付き合いに限ったことではなく、本当に付き合っていたとしても、何かしらの理由で、もう一緒にはいられないと感じたら、2人の関係は終わってしまうんだけれど、でも、

「それって、でもまだ途中とかなんじゃなくて? ちーちゃんが大和くんとホントに付き合いたいって思えるの、まだこれからなんじゃ…」
「それ、俺も思ったことあるんだけどさ、でもよく考えたら、期限決めてなかったんだよね。いつの時点で、ホントに付き合いたいって思ってたらオッケーなのか、決めてなかったの」
「じゃあっ…」
「でもさ、まだホントに付き合いたいとは思ってない、てのと、もう付き合いたいとは思わない、てのは違うじゃん?」
「…」
「今までは、今のところ、まだ大和くんとはホントに付き合いたいとまでは思ってないなぁ、でもこれからそういうふうな気持ちになるかなぁ、て感じだったけど、今はもう、大和くんとは付き合いたくない、て思ってる」
「…………」

 きっぱりと断言する千尋に、遥希は返す言葉を失った。
 千尋が突然ここまでのことを思うようになったのは、やはり例の週刊誌の件が原因だろうけど、千尋の性格からして、あんな記事のせいで、好きな人と別れるようなことがあるとは思っていなかった。

「何でハルちゃんがそんな顔してんの?」
「…どんな顔してるか分かんない。てか、ちーちゃんこそ、何でそんななの? 何でそんな普通なの? 好きな人と別れたんだよ?」
「いいんだよ、別れたほうが。そのほうがよかった」
「それは……大和くんのため? 今回、こんなふうに週刊誌に載っちゃって、迷惑掛けちゃったから…」



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恋の女神は微笑まない (149)


 どんな理由にせよ、(仮)の恋人だったとしても、別れ話について触れられるのだから、本当は話したくないことかもしれないけれど、納得の出来ない遥希は、めげずに尋ねる。

「大和くんのため………………大和くんのためかもね。俺みたいなのと付き合ったって、何もいいことないし」

 らしくもないようなことを言って、千尋は再びゴロンと後ろに引っ繰り返った。

「ちーちゃん…」
「あの週刊誌の発売日……かどうかは分かんないけど、多分発売日? 俺が美容院でそれ見た日だけど。美容院行くと普通荷物とかみんな預けんじゃん? で、終わってからカバン返してもらって、ケータイ見たら、南條からめっちゃ電話来てて。ムカついたから、次に電話来たとき、出たは出たけど、話聞かないで切ったんだよね」
「え? う、うん…?」

 大和の話をしていたはずなのに、なぜか急に南條の話が始まって、遥希はちょっと付いていけない。
 やっぱり触れられたくないことだったから、話を逸らそうとしているんだろうか。

「でさ、帰ってきてケータイ見たら、今度は大和くんからめっちゃ電話来てて。みんなして何なんだよ、て感じなんだけどさ。つか、それはいいんだけど、」
「え……いいの?」
「うん、それはまぁどうでもいい」

 今までのがすべて前置きだったの?
 それはそれで、少しガックリ来るものがあるんだけれど…。

「じゃあ……何?」
「いや、大和くんさ、電話掛けて来て、何言うかと思ったら、迷惑掛けてゴメン、とかっつって。別に俺、何も迷惑掛けられてねぇし。大和くんに謝られる筋合いねぇのに」
「それはそうかもだけど…、でも大和くんなりに悪いと思ったから、ちーちゃんに電話して来たんでしょ?」
「まぁね」

 よっ…と腹筋を使って起き上がった千尋が、再びビールを口にする。

「でもさ、迷惑掛けたのは俺じゃん? まぁ、迷惑掛けたつもりはさらさらねぇけど、一応、今回の場合、迷惑掛けたのは俺で、迷惑を被ったのが大和くんてことでしょ?」
「それは…」
「なのに俺、めっちゃムカついてて、大和くんに怒鳴っちゃってさ。別に大和くんが悪いわけじゃねぇのに。つか、悪くねぇのに、大和くん謝ってんのに、俺、怒って怒鳴ってんの。最悪じゃね?」

 捲し立てるように言って、千尋は空になった缶を潰すと、遠くにあるゴミ箱目掛けて放ったが、それはゴミ箱に入るどころか、あんまり惜しくない位置に転がり落ちた。
 この距離ではさすがに入らないだろうと思っていたけれど、案の定、そうなった。



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恋の女神は微笑まない (150)


「だからさぁ、大和くんはこんな最悪なヤツと別れちゃって正解なんだよ」

 転がった空き缶をゴミ箱に捨てに行く気はないらしく、千尋はサラッとそんなことを言って、新しい缶を開けた。

「最悪じゃない…。ちーちゃんは最悪じゃないよ」
「え…何急に。あの…、そんなふうに慰められるみたいなこと言われると、かえって居た堪れないんだけど」
「だって!」
「いや、実際そうじゃん? 俺、こんななって、大和くんに迷惑掛けちゃったなぁ、とか全然思わなかったもん。つか、今も思ってないけど。ハルちゃんに言われるまで、迷惑掛けるとか、そもそも発想になかったし。ハルちゃんみたいに、全然相手のこと考えらんない、嫌なヤツなんだよ、俺」
「だから…、自分がそんなヤツだって思ったから、大和くんと別れることにしたの?」
「…………」

 自虐的とも言える発言を繰り返す千尋に、けれど遥希が食い下がって尋ねたら、千尋は言葉につかえたのか、少し目を見開いた。
 千尋が、返答に困っているのが分かる。いや、返事そのものに困っているというよりは、それを言うべきかどうか、言とすれば、どう言葉を選ぶべきか、悩んでいる。

「いや…、言いたくないなら言わなくていいんだけど、何か…、何か俺、ちーちゃんが大和くんと別れるなんて思ってもみなかったから、だから、何で? て思っちゃって…。ゴメン、余計なこと聞いちゃってたら…」
「………………女、て…」
「え?」

 別に遥希は千尋を困らせたいわけではない。
 今言ったとおり、まさか千尋と大和が別れるなんて思わなかったから、どうしてなのか知りたかったけれど、千尋が言いたくないのを、無理に聞き出したいわけではない。
 だから、もうこの話は終わりにしようとしたのに、千尋が徐に口を開いた。

「女、て書いてあったから。あの週刊誌。俺、男なのに」
「…」
「ムカついたのは、そのこと。あーゆー記事が出たからムカついたんじゃなくて、女に間違われたから。だから…、女に間違われるくらいなら、大和くんと付き合いたくないな、て思ったの」

 思い出したら、また嫌な気分になったのか、千尋は唇を噛んだ。

「…大和くんは俺と別れて正解だ、て思ったのは後付けだよ。付き合いたくないって言ったときは、ただ自分の感情に任せて言っただけだもん。ムカついたから、言っただけ。別れることになって、結果、大和くんにとってはよかった、てことになったけど。大和くんのために言ったんじゃない、自分のために言ったんだよ、俺は。ハルちゃんとは違うからね」
「俺とは、て…」
「だってハルちゃんだったら、こんなことなったら、もしかしたら水落に、別れよう、て言うかもしんないけど、それって絶対、こんな週刊誌沙汰になって、水落に迷惑掛けちゃったから…て、水落のためを思って、そう言うでしょ? 俺は、そうじゃないもん」



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恋の女神は微笑まない (151)


 付き合う前から、琉以上に琉の仕事や立場を気にしていた遥希と違って、千尋はその辺りのことを、あまり深く考えてはいなかった。
 まさか自分がこんなふうに週刊誌に載るとも思わなかったし、載ってしまっても、女だと書かれていたことにムカついただけで、大和の立場だのは全然考えていなかった。
 もし千尋が本当に大和と付き合うなら、そういうことを、もっと考えてあげられるようでなければならないのに。

「でも俺だって、もしこんなふうになったら…、週刊誌に載っちゃって、女の子に間違えられちゃったら、最初は自分のこと考えるかもしれない。女の子て何!? て」
「そりゃ一瞬はそう思うかもだけど、ハルちゃんだったら、そのこと、水落には言わないでしょ? それを理由に、水落に別れようとか言わないでしょ?」
「それは…」

 遥希は必死に千尋の思いを覆そうとするけれど、全然論破できない。千尋の言い分は間違いではないかもしれないが、絶対にそうだと言い切れることでもないのに。
 いくら遥希が琉のことを大好きで、琉の仕事や立場をすごく気に掛けているとしても、遥希だって人間だし、感情に任せて言葉を発することだってないとは言えないのに。
 けれど、遥希は反論できない。千尋に、遥希ならそうだ、と言われたら、本当にそうだと思ってしまう。

 素直な遥希に、千尋は少し笑った。

「…ありがとね、ハルちゃん。俺のことなんか心配してくれて」
「な…何言ってんの、ちーちゃん…。心配するに決まってんじゃんっ!」
「そっか」

 感謝の気持ちを抱いていたとしても、それを素直に口にすることなどめったにない千尋が、照れるでもなく、さらりとそう言ったから、逆に遥希のほうが狼狽えた。
 千尋の身にこんなことがあって、心配しないはずがないではないか。

 けれど。
 遥希は、千尋と大和は別れないでいてくれたらいいと思っていて、出来ることなら何とか千尋を説得したいとは思っているけれど、この感謝の言葉に、千尋の心がもう揺るがないことを悟った。
 千尋はよく遥希のことをバカにするけれど、遥希だって、そこまでバカではない。遥希がどんなに思っても、結論を出すのは千尋だということを、ちゃんと分かっている。

「…ちーちゃんが決めたことだから、俺はもう口出ししないけど…………1個言わせて?」
「何?」

 遥希は千尋をまっすぐに見つめて、そう前置きをした。
 千尋はその視線に、目を逸らしたいと思ったけれど、そうすることも出来ず、遥希を見つめ返す。

 前に遥希が、遥希なりに琉のことを思って琉から離れたとき、千尋が心の底からそう言ったように、遥希もまた、今の千尋を見て言うのだろうか――――バカだ、と。
 それもまぁ仕方がないか、と千尋は少し笑う。
 遥希にバカにされるのは癪に障るが、傍から見れば、千尋は十分バカなことをした大バカ野郎に違いないから。



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恋の女神は微笑まない (152)


「ちーちゃんは、最低じゃないよ」

 しかし、遥希の口から飛び出したのは、千尋がまったく予想していなかった言葉だった。
 それは先ほどまでの、千尋の気持ちを、考えを、思いを、どうにかしたいと思いながら喋っていたときとは違う、穏やかな言い方だったけれど、力強く、千尋の心に染み込んで来た。

「前にちーちゃん、自分で決めたことなんだから後悔すんな、て言ってくれたよね、俺に。俺が…琉の告白断ったとき」
「…そうだっけ?」

 そのセリフは、もちろん覚えている。
 あのとき遥希があまりにも死にそうな顔をしていたから、柄にもなく遥希を慰めたのだが、今になって思い出すと、結構青春くさくて恥ずかしいから、忘れたふりでごまかした。
 遥希にそれが通用したかは不明だが、『忘れちゃったのぉ!?』と頬を膨らませることもなく、話を続ける。

「俺、口下手だから、あんまうまく言えないけど…、ちーちゃんにそう言ってもらって、俺、ちゃんとしなきゃ、て思ったっていうか、がんばらなきゃ? ていうか……」
「うん」
「だから……だから絶対、ちーちゃんも後悔しないで」
「…うん、しないよ」

 あんまりうまく言えないけど、と言って始めただけあって、遥希はなかなかうまく言葉を選ぶことが出来なくて。
 しかし千尋は、そんな遥希にいつものような突っ込み入れずに、最後まで話を聞く。一生懸命に言葉を紡ぐ遥希に、千尋の苛立ちは収まって、素直に返事が出来た。

「後悔なんて、絶対しない」

 あのとき大和に別れを切り出したのは、女に間違えられてムカついたという一時の感情だったかもしれないけれど、それを理由に別れたことを、後悔なんてしない。
 千尋が歩んできた道は、千尋が今まで選択してきた選択肢は、1度だって間違っていたことはないから。だから、今回の選択だって、絶対に間違っていない。
 正しい道を歩むのだから、そこに後悔などあり得ない――――千尋はそう、信じている。



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恋の女神は微笑まない (153)


 千尋が楽しくても、悲しくても、つまらなくても、怒っても、笑っても、何をしていたって時間は流れ、季節は移りゆく。
 坊主にしてやる! と千尋が本気で思い、本気で美容師に伝えた結果、何とかベリーショートに落ち着いた真夏も終わり、ようやく秋の気配を感じられるようになって来た。

 例の週刊誌の件から、千尋が大和とのお試しのお付き合いに終止符を打って以来、千尋は大和と会っていないし、連絡も取り合っていない。
 もともと連絡は大和からの一方通行だったところもあり、千尋から連絡しないのは前と何も変わらないのだが、大和からもまったく何の音沙汰もなくなった。
 お試しのお付き合いのときも1度だけそんなことがあって、千尋が盛大に拗ねたら、それからほぼ毎日メッセージが届くようになったけれど、今となってはそれも懐かしい。

 遥希とは、遥希の課題の締め切り間際や、千尋の仕事の忙しい時期を除くと、相変わらずの頻度で一緒にご飯を食べたり飲みに行ったりしていて、時々琉が遥希を迎えに来ることがあるけれど、前と違って、そこに大和の姿はない。
 琉は何も言わない。遥希から何も聞かずとも、大和からは話くらい聞いているだろうに、ムカつくけれど、そういうところを弁えられる琉は、大人だと思う。

 あの日、遥希に言ったとおり、千尋は何の後悔もしていない。
 いや、1回くらいは後悔みたいなことをしなかったでもない気がしないでもないが、千尋が後悔していないと思っているのだから、やっぱり後悔などしてはいないのだ…………が。

「ねぇ~ちーちゃ~ん。今度のFATEのコンサート一緒に行こっ!」

 …という、遥希の願いを聞き入れなければならないとなったら、話はまた別だろう。

「………………は?」

 ちゃんとしっかり遥希の言葉は聞こえていたのだが、もしかしたら聞き間違いかもしれない、という万に一つの可能性に賭けて、千尋は聞き返してみたが。

「だから~、FATEのコンサート! 一緒に行こ?」

 やはり、聞き間違いではなかった。
 今日、会ったときから若干テンション高めだった遥希は、酒が入ってさらにテンションが上がり、ふにゃふにゃになりながら、幸せそうな顔をして、もう1度同じことを千尋に言ってきた。

「あの、ハルちゃ…」
「もぉもぉもぉ~~~~~ちょ~~~~~~楽しみっ!」

 嬉しさのあまりジタバタし出す遥希に、さすがの千尋も手が付けられない。
 普段なら、遥希がここまで騒げば、『うるさい』とキックかチョップかパンチを繰り出しているところだけれど、先ほど発せられた遥希の言葉に千尋はまだ唖然としたままで、何をどうすることも出来ないのだ。

「はぁ~~~っ、もぉ~~~幸せっ。ねっ、ちーちゃん、ねっ?」
「いや…」

 遥希が凹んだり拗ねたりすると非常に面倒くさいから、遥希が幸せであれば、それに越したことはないが、別に遥希の幸せイコール千尋の幸せというわけではない。
 現に千尋は今、遥希の話を聞いたところで、特別、幸せには包まれていない。どちらかというと、遥希が鬱陶しくて堪らない。



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恋の女神は微笑まない (154)


「あのさ、ハルちゃん、1個言っていい?」
「なぁに?」

 むぎゅむぎゅと千尋にくっ付く遥希を引き剥がし、千尋はうんざりしながら缶チューハイに口を付ける。
 千尋のそういう態度にはもうすっかり慣れているうえに、今はテンションが上がっているから余計に遥希はそんなことを気にせず、『なぁに? なぁに?』と、再び千尋のほうに寄って来る。

「ハルちゃん、前に、チケット全部外れたとか言って、泣いてなかったっけ?」

 水落琉というFATEのメンバーを恋人に持ちながら、相変わらずコンサートのチケットを自力で入手している遥希が、今回のツアーのチケットがすべて落選した、と泣き喚いていたのは記憶に新しい。
 あのときヤケ酒とばかりに飲みまくって、酔い潰れた遥希を、千尋は渋々介抱したのだ。
 それなのに、どうして遥希は今、そのときとは正反対のことを言って、しかしまたそのときと同じようにベロベロになっているのだ。理解できない。

「そうそうそう、そうなんだけどぉ、琉にそれ言ったらね、何か関係者の席? みたいのがあるから見に来る? て言ってくれたのぉ! きゃはっ!」
「へぇー…」

 千尋もそれほど芸能界のことに詳しいわけではないが、それでもコンサート会場には、一般の席とは別に関係者席があることくらいは知っている。
 琉と付き合い始めてからも、なぜか自分でチケットを取る遥希に、何ゆえ関係者席に招かないんだ、どうした水落、と千尋は不思議に思っていたのだが、関係者席を知らない遥希が、あまりに一生懸命チケットを取ろうとしたり、取れたチケットのことを嬉しそうに琉に話すものだから、言うに言えないのだと気が付いたのだ。
 そしてこのたび、ようやく関係者席の存在を明らかにし、遥希を誘うことが出来たというわけか。一応、おめでとう、と言っておこうかな。

「ねっ、だからちーちゃん、ちゃんと予定空けといてね!」
「いやだから、」

 言っておくが、千尋はまだ何の返事もしていない。行くとも行かないとも言っていない。いや、行かない、と言うつもりではあるが、まだ何も言っていない。
 なのに、どうして、もう行くことに決まっているのだ。
 大体からして、遥希がFATE関連のことで千尋を誘って来るとき、千尋がその誘いを断るということが、遥希の中に想定されていない。いつだって、千尋がすでにオッケーしているという体で、話が進んでる。

「ちょっと待って、ハルちゃん」
「んー?」
「俺、まだ行くとか言ってないし。つか、行かねぇし」
「またまたぁ~」
「いや…」

 またまたぁ~…て、別に千尋は冗談を言ったわけではないんだけれど。
 本気の本気で行かないつもりで、正直その気持ちを打ち明けたんだけれど。



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恋の女神は微笑まない (155)


 というか、行けないと思っていたFATEのコンサートに行けることになって、遥希がテンションを上げて喜ぶのは分かるが、そこで千尋を誘おうと思い付くところがすごいと思う。
 もともとFATEのコンサートに行くときは、嫌がる千尋を無理やり誘っていたところはあるけれど、今となってもまだなお、千尋を誘えるところがすごい。

 だって、(仮)とはいえ、千尋は大和と恋人だったのだ。
 恋人(仮)だったということは、別れた今は元カレ(仮)ということで、そんな男の出ているコンサートに千尋を連れて行こうだなんて、ちょっと神経を疑う。

 けれど、よく考えたら遥希は、琉からの告白を断った直後、別に琉のことが嫌いになったわけじゃないから…とか何とか言って、普通にFATEのCDを買っていた子だ。
 そんな感覚がデフォルトで装備されている遥希なら、千尋をFATEのコンサートに誘っても来るか。他に誘う相手もいなそうだし。

 とはいえ。

「行かないかんね、俺」

 飽くまでも素っ気なく、千尋は答えた。
 元カレ(仮)が出演するからではない。そもそもからして千尋は、FATE自体にそんなに興味はないのだ。
 しかも、会場は間違いなく9割は女子で埋め尽くされているだろう。男といえば、彼女の付き添いでチラホラ来ているだけで、男同士なんて組み合わせは、まず絶対にあり得ない。
 そんなところに、どうして好き好んで行かなければならないのだ。

「えぇ~、何でぇ? 行くでしょ? 行くでしょ? 何で行かないとかゆーのっ?」
「いや、むしろ何で俺が行くと思った?」
「いーじゃん、行こうよぉ~。1人じゃ寂しい~」

 寂しいと言ったところで、コンサートが始まれば、千尋そっちのけで盛り上がるくせに。
 どうして遥希は、いつまで経っても1人行動が出来ない子なんだろう。この様子だと、相変わらず1人ご飯も出来ないでいるのだろう、と千尋は密かに思う。

「ねぇちーちゃ~ん、行こぉ~? ねっ」
「ヤダってば」
「ちーちゃ~ん」
「イーヤ」
「なぁんでっ!? 俺がちーちゃんにこんなにお願いすることないじゃんかぁ~。たまにはお願い聞いてくれたっていいじゃん」
「………………」

 遥希はそう言って頬を膨らませるけれど、一体どこが、『ちーちゃんにこんなにお願いすることない』だ。
 呆れてものが言えない、とはよく言ったもので、千尋は呆れのあまり言葉を失い、ものを言うことが出来なくなった。



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恋の女神は微笑まない (156)


「ねぇねぇちーちゃん、聞いてるのっ?」
「あー…………一瞬旅立ってた。逃避行してた、脳が」
「もぉっ」
「いや、だって……いっつも結構くだらないこと、いっぱいお願いされてる気、するんだけど…」

 遥希が千尋にお願いをするのが、これが初めてのわけがない。
 今までにどれだけ『ちーちゃん、お願~いっ!』と甘えられたことか。何なら、一生のお願いだって、もう何度もされている。

「嘘っ、俺、ちーちゃんにそんなにお願いしてないっ」
「…してるし。前も、水落の写真欲しいとかっつって、俺のこと連れてこーとしたじゃん」
「でも来てくんなかったでしょ! 俺、結局ちーちゃんのお姉ちゃんと行ったもんっ」

 まだ、千尋が大和とお試しのお付き合いをしていたころ。
 新曲のPV撮影に連れて行ってもらった遥希が、喜びのあまり今日のようにテンションを上げ、一緒に写真を買いに行こうと千尋にねだってきたのを、忘れたとは言わせない。
 結局それは、千尋が頑なに拒んだことにより(コンサートよりも確実に、男だけで行く場所ではないから)、千尋姉が駆り出されることになったのだけれど、お願いされたことに違いはない。

「でも~っ、でもでもっ! ちーちゃんと行きたい、ちーちゃんと行きたいよぉ~!」
「何でだっつの」
「1人じゃヤダ…」
「お姉ちゃんに一緒に行ってくれるように頼んであげるから」

 千尋の姉も、恐らくFATEのファンではないだろうが、千尋よりは多少ミーハーだし、生で芸能人が見れるのなら、一緒に行ってくれると思う。
 遥希としても、そのほうが絶対に恥ずかしくないだろうから、千尋は断然それをお勧めする。

「そんなぁ! 前だって一緒に行ってくれたのにっ。何でダメなのぉ?」
「いや、いろいろダメでしょ」

 何で分かんないかぁ…と、千尋が天を仰ぐ。
 やはり、遥希の基本思考に問題あり。そうとしか思えない。
 いや、千尋が遥希くらいFATEのファンであれば、大和の関係がこうなってしまっても、曲は好きだし生で聴きたいし…という気持ちにならないでもないかもしれないので、もしかしたらコンサートに行かないでもないかもしれないけれど。
 もともと、そこまでFATEの曲には興味がなくて、前に遥希に唆されてコンサートに行ったのは、大和の筋肉目当てだったくらいだ。
 しかし、今回もそれと同じ気持ちで行けばいい、と言われたって、それは無理があるわけで。

「うん、ダメだって、いろいろと」
「いろいろ…て、何ぃ~?」
「つか、ハルちゃんこそ、何で俺がいいわけ? ハルちゃんが友だち俺しかいないのは知ってるけど、」
「んなことねぇし! 他にもいるし!」
「なら、その友だちと行け」

 遥希に千尋以外の友だちがいないとは、さすがに本気で思っているわけではなく、冗談のつもりで言ったのだが、向きになった遥希が口車に乗ったので、シレッと言い返してやる。
 本当に、どうしてそこまで千尋にこだわるのやら。



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恋の女神は微笑まない (157)


「だからぁ~、俺と琉のこと知ってんの、ちーちゃんだけなのぉ。琉への思いを分かち合えるのは、ちーちゃんだけなのぉ~」
「分かち合いたくねぇ」
「ぬぅ~~…」

 どこまでもつれない千尋に、とうとう遥希は根負けしたのか、変な声を上げながら、パタリと床に倒れた。
 ふぅ、これでようやく落ち着いて飲める――――そう思ったのに。

「でもね、関係者のね、んん~…」
「………………」

 数秒もしないうちに、遥希はぐずぐずしながらも、話を始めた。
 寝返りを打つのが面倒なのか、それだけ酔いが回っているのか、それとも拗ねているのか、千尋に背を向けたまま。

「…ハルちゃん。話あんなら、こっち向いて」

 結局は遥希のことを放っておけない千尋は、酔ってぐずっている遥希に声を掛けた。

「…ん。…………ちーちゃん、」

 千尋に言われ、遥希はのそのそと体の向きを変えた。
 酔っていようが、拗ねていようが、やはり遥希は素直だ。

「ちーちゃん…」
「何」
「席…席ね、関係者の席なの…。だからね、ちーちゃんじゃない人と行ったらね、何か変じゃん?」
「変、ていうか…」

 なかなか要領を得ない遥希の説明だったが、千尋はようやく遥希の言いたいことが分かった。
 一般席であれば、一緒に行くのが千尋でなくても、遥希が不本意なだけで特に問題はないが、関係者席となると、そうはいかない。千尋以外は事情を知らないのだから、どうして遥希が、そんな関係者席を入手できるのか、という話になってしまうのだ。

「…………。…ハルちゃん、1人じゃ行けないの?」
「…ん」

 遥希の頭をぽむぽむしながら尋ねると、遥希は小さく頷いた。
 素直だけれど、やっぱり遥希は頑固だ。

「わーかったよ。行けばいいんでしょ、行けば」
「ちーちゃん…」
「その代わり、当面の間、ハルちゃん、俺の下僕だかんね!」
「えへへ」

 千尋の言葉を本気と思っていないのか、意味が分かっていないのか、遥希はヘラリと笑う。
 しかし、この手のことで千尋が冗談を言わないのは、恐らく遥希が一番分かっているはずだから、たとえ下僕にされたとしても、一緒にコンサートに行ける喜びのほうが勝るのだろう。



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恋の女神は微笑まない (158)


「でもさぁ…、俺、関係者でも何でもないのに、いいのかなぁ、そんな席」
「いや…、ハルちゃんが関係者でなくて、一体誰が関係者なの」

 一口に関係者といっても、仕事の関係だったりプライベートの関係だったりと、それは様々だろうが、遥希は琉の恋人なのだから、関係者でなくて何なのだ。
 そもそも、それを言うなら、千尋のほうが関係者でも何でもない。

「水落が席用意してくれんだから、関係者だよ、ハルちゃんは。そこ悩まないで」

 今さらなことに悩み始める遥希に、千尋は溜め息を零す。
 まぁ、これでこそ遥希とも言えるのだが。

「つかさ、ハルちゃん、1人で行きたくないからって俺のこと誘ったけど、それ、水落に言ってあんの? 俺、行ったはいいけど、席ないとか警備員に追い返されるとか、ヤダかんね」
「…ん、言ってある。ちーちゃんとは言ってないけど、2人で行く、て」
「何だ、俺と一緒に行く、て言ってないんだ」
「だって…、ちーちゃん嫌がって、一緒に言ってくんないかもしれないから」
「…………。へぇ、俺が嫌がることも、想定してたんだ」

 てっきり遥希は、千尋が行かないなんて言うとは、まったく思っていないのかと思っていたのに。

「でも…、ちーちゃんと行きたかったから、ちーちゃんと行けて、嬉しいな」
「あっそ。俺は別に嬉しくないし」

 ようやく遥希が落ち着いたので、千尋は素っ気なく返事をしてやる。
 何だか遥希に調子を狂わされてしまったけれど、これが千尋なのだ。

「楽しみだね、ちーちゃん」
「いや、何でそれを俺に言う?」
「えへへ」

 幸せそうな酔っ払いの頭を小突くと、千尋は放置していた缶に口を付けた。



******

「ねぇちーちゃん、どう? どう? この格好、変じゃない!?」
「変じゃない変じゃない。いつだってハルちゃんはかわいいよ」

 コンサート当日。
 無理やり遥希の家に泊まらされ、そして早朝に叩き起こされた千尋は、遥希からの切実な質問に、非常に面倒くさそうに返事をした。面倒くさそう…というか、本当に面倒くさいのだから、仕方がない。
 何しろこの質問は、昨晩からもう何度となくされていて、千尋は、遥希のコーディネートのアドバイスまでしてやったのだ。そうして選び抜いた今日の服装に、何をまた今さら迷いを生じさせているのか。
 大体遥希はしょっちゅう琉と会っているんだし、服装など、それこそ今さらだろう。

「でもコンサートは特別じゃんっ、特別じゃんっ」
「そうだけど…」

 コンサートも特別だろうけど、2人きりで会うデート的なもののほうが特別なのでは…?
 そのときの服をどうやって選んでいるのか、千尋はそれが気になる。



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恋の女神は微笑まない (159)


「もぉ~っ、昨日あんだけ選んでやったんだから、おとなしくそれ着てけ~~~!!!」
「にゃあ~~~…」

 アパレルの仕事をしている以上、遥希よりは服選びに自信はある。
 遥希が、どうしてもこの服じゃなきゃヤダ! と言い張るようなことがあれば、たとえそれが妙なコーディネートでも遥希の好きにさせるが、ちーちゃんどう思う!? と聞いてきたからには、千尋の言うことも少しは聞き入れてもらいたい。
 いや、聞き入れていないわけではないのだが、それでも迷って仕方がないのだろう。

「それが嫌なら、別のに着替えて来な。いいかどうか、見てあげるから」

 遥希が納得するまでは解放されないだろうし、無理やり納得させても後々面倒くさいから、千尋は溜め息交じりにそう提案する。

「いや…、これが嫌なわけじゃないんだけど…」
「じゃあ何!? 嫌じゃないなら、それでいいでしょ!」

 あーもうっ。
 こんな朝っぱらから起こされたくなかったから、昨日のうちに服を選んでやったというのに、何の意味もない。
 そもそもコンサートが始まるのは夜で、会場に行くのもそう時間が掛かるわけでもないのに、どうしてこんな時間から起こされているのだ。服を選ばされるためか、そうか。

「とにかく! それが嫌じゃないなら、それにして! 俺はもう寝るかんね!」
「は? 寝る、て……もう朝だよ? ちーちゃん、何寝惚けてんの?」
「寝惚けてねぇよ」

 朝早くに起こされたから、寝足りないだけだ。
 遥希と違って千尋は、着ていく服などもう決まっているから、家を出る時間まで、寝かせてほしい。

「え、だって、もう行くよ?」
「は? ハルちゃんこそ寝惚けてんの? まだ朝だよ?」
「だから?」
「は? 『だから?』」

 別に千尋は、何の変なことも言ってはいない。コンサートは夜からで、今はまだ朝なのに、遥希がもう行こうとしているから、突っ込んだだけなのに。
 そんな…何言ってんの? みたいに切り返される筋合いはない。

「だってもう9時だよ! 朝じゃないよ、ちーちゃん!」
「まだ十分朝だよ。いや…別に朝じゃなくてもいいけど、 出掛けんの、早すぎでしょ。何、どっか行きたいトコあんの? 会場行く前に」
「んーん」
「なら何でもう出ようとすんだ。早すぎんだろ」

 コンサートの開場時間も、関係者席への行き方も、昨日から何度も聞かされている。
 そこから逆算すると、どんなにゆっくり行ったとしても、9時発は早すぎる。



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恋の女神は微笑まない (160)


「今から出たら、昼前に着くよ。6時からでしょ、コンサート始まんの。それまで何してる気?」
「グッズ買う」
「グッ…」
「早くしないと売り切れちゃうかもしんないし」

 当たり前のような顔をして答える遥希に、千尋は言葉を詰まらせた。
 確かにコンサートグッズは、早めに行かないと売り切れることもあって、遥希と同じような気持ちで、早くに家を出る子は他にもたくさんいることは知っている。
 千尋も、そのファン心理を、共感できなくても理解は出来る。
 しかし遥希は、琉の恋人なのだ。
 こんな早い時間に行って買わなくても、いやむしろ、遥希がわざわざ自分で購入しなくても、琉がいくらでも融通してくれるのではないだろうか。

「え…、ハルちゃん、グッズ買うの…?」
「買うよ。当たり前じゃん」
「そ…そっか…」

 当たり前なのか…、そうか…。
 琉と付き合ってから、今回初めて関係者席を用意してもらった遥希にしてみれば、会場で自分で買う以外に、グッズを入手する方法など、想像もしていないのだろう。

「じゃあ、ハルちゃん、先に行ってグッズ買ってなよ。俺、6時になったら行くから」
「えぇ~何でぇ? 一緒に行かないのぉっ?」
「だって俺、別にグッズとか欲しくないし」
「そんなぁ…。グッズ買わなくてもいいから、一緒に行こうよぉ」
「いや、それ、俺に何のメリットがあんの?」

 どちらかというと千尋は、行列に並ぶとか、何時間待ちとか、そういうのが好きではないほうなのに。
 自分のことなら、それでも多少は我慢できるけれど、遥希が欲しいものを買うために、どうして千尋がそれに付き合ってやらなければならないのだ。

「め…メリットはないかもだけど、デメリットもないでしょっ?」
「面倒くさい」
「ご飯奢ったげるから!」
「最初からそのつもりだし」
「に~…」

 一緒にコンサートに行ってやるだけでも、有り難いと思ってもらいたいものだ。
 シュンとする遥希を無視して、千尋はまだ片付けていないふとんへと戻る。
 大学生の一人暮らしである遥希の部屋は、キッチンの他は一間で、千尋が泊まりに来たときは、ローテーブルを端に寄せてふとんを敷いているのだ。

「ちーちゃぁ~ん…」
「何。心配しなくても、ちゃんとコンサートには行くから」
「ホントぉ…?」
「俺、今までにハルちゃんに嘘言ったことある? ないでしょ?」
「え? あ、えっと…?」
「ないでしょ?」
「う…うん」

 いや…、今まで千尋は、遥希に対して、何度となく嘘をついて来ている気がするのだが…。
 そういう意味では、今の千尋の発言も嘘のようなものだが、しかし、有無を言わせない千尋の口調に、遥希はつい頷いてしまった。



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恋の女神は微笑まない (161)


「じゃあお休み」
「うぅ~…」

 そう言って本当にふとんに潜り込んでしまった千尋に、遥希はしばらく恨めしげな視線を送っていたが、千尋にふとんから出る気配がないので、諦めて出掛ける支度を始めた。
 それも、千尋を起こさないように、静かにそっと支度するところは、絶対に千尋よりも友だち思いだと思う。

「ちーちゃん、行ってくるね。寝坊しないでね。6時に来たんじゃ間に合わないから、5時半には来てね? 入ってくる場所…………そこで5時半ね? 俺、待ってるから。あ、鍵掛けんのも忘れないでね」

 寝ている千尋に、それでも遥希は小声でそう言って、遥希はこそっと出ていった――――その数秒後。

「…………」

 モソリ、ふとんの中が動く。
 千尋は寝返りを1つ打って、目を開けた。

「はぁ…」

 溜め息の後、スマホに手を伸ばして時刻を確認すれば、まだ9時半を過ぎたところで。
 普通に行けば、遥希は昼前には会場に到着するに違いない。
 遥希と同じ目的で会場入りしているファンの子たちはたくさんいそうだけれど、いや、何度も思ったとおり、どうして遥希がその中に交じってグッズを買う必要があるんだろう。

「バッカだなぁ、ハルちゃんは」

 千尋はスマホを手放すと、ギュウと目を閉じた。
 一体どこまで品行方正なファンなんだ。
 琉と付き合っているからといって、あれこれと何もかもねだるのがいいわけではないが、コンサートのグッズぐらい、全然まったくどうということもないだろうに。
 それなのに、コンサート当日、開場時間よりとんでもなく早く家を出て、ファンの子……女の子の中に交じって、並んでグッズを買うとか。

「バッカだなぁ、ハルちゃんは」

 遥希がいないのをいいことに、千尋は声に出してもう1度言ってやる。
 もし千尋が遥希の立場だったら、もうちょっとうまくやっているのに。

 …いや、そんなふうにうまく出来ないから、千尋は結局大和と別れることになったのか。
 それなのに、今日はこれから、その大和が出演するコンサートを見に行かなければならないなんて。

 一般席なら、いくら男2人組で目立つとは言っても、よほど最前列にでも座らない限り、見に行っていることはばれないだろうが、関係者席となると、そうはいかないだろう。
 席がどの辺りであろうと、そこに誰が行くかは向こうも把握しているはずだから、コンサートの最中に見つかるとかいう以前に、もうすでに千尋が行くことは知られているに違いない。

 しかしそれなのに、FATEサイドから、千尋がコンサートに行くことにNGが出ないのは、どうしてだろう。
 千尋と大和の関係は結局、南條にも知らされてなかったようだから、大和がNOと言わない限り、断られることもないのだろうか。



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恋の女神は微笑まない (162)


 それとも…、遥希は関係者席を2つ用意してもらったらしいが、千尋が『行かない』と言ったときのことを考えて、一緒に行く相手については、琉に言わなかったようなので、千尋が行くことをまだ知らないんだろうか。
 だとしても、琉と遥希の関係を知っているのが千尋しかいないことは琉も知っているはずだから、遥希と一緒に来るのが千尋だと想像できそうな気はするのに。

 それでも、コンサート当日になってもまだなお、来ないでほしいという返事がないということは、千尋が来るかどうかは、あまり気にされていないのかもしれない。
 別にそれでいいけれど、千尋てその程度の存在なのか…と考えると、少し寂しくもある。

 千尋は自分のことを謙虚な人間だとは、決して思ったことないけれど、今だけは、つくづく勝手なヤツだな…と、柄にもなく反省しそうだ。
 まぁ、もう行くことは決まっているのだし、嫌がられていないのなら、この際、楽しんでくるしかあるまい。

「…起きるか」

 千尋が予定していたより相当早い時間だけれど、何だかもう目が冴えてしまった。
 こうなったら、もう起きて、女の子に交じって恥ずかしそうにグッズの列に並ぶ遥希を、会場に行って冷やかしてこよう。

 大体遥希は、あんなに琉のことが好きなのに、グッズとか写真を買うのを恥ずかしがるんだから、意味が分からない。女の子だらけのところに男1人なのが恥ずかしい気持ちなら分かるが、それだけファンなら恥ずかしいも何もないだろうに。
 というか、ファンなのにそれだけ恥ずかしいなら、ファンでもない千尋がもっと恥ずかしいことくらい、想像できないのだろうか。

 千尋はのそのそとふとんから這い出ると、適当にふとんを畳んで、顔を洗いに向かう。
 昨日は遥希の家に泊まったけれど、次の日のコンサートは万全の体調で臨みたい! という遥希の考えから、1滴のアルコールも飲んでいないから、顔もむくんでいないし、早く寝たからクマもない。
 あの週刊誌の件を知った美容室でベリーショートにして以来、千尋はこの髪型をいたく気に入っていて、涼しくなってきた今も継続していて、千尋は鏡を覗いて、簡単にセットする。

 そういえば、千尋が髪を切ってから、琉には会ったけれど、大和には会ってない。今日、もしかしたら、この髪型にした千尋のことが、もしかしたらだけど、大和の目に入るかもしれない…………て、だからどうした。
 髪を切った姿を見られて、それで何だ。似合うとか似合わないとか、言ってほしいのか。いや、似合わない、とは言ってほしくないけれど。

「バカか、俺は」

 棚にあったタオルを勝手に使うと、千尋はそれを洗濯機の中に投げ込んだ。



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恋の女神は微笑まない (163)


*****

 遥希が先にコンサート会場へと向かい、千尋1人になった今となっては、『一緒にコンサート行こう!』とうるさく言って来る人間もいなくなったわけで。
 このままコンサート行くのさぼっちゃおうかなぁ…という悪い考えが、千尋の頭の中をよぎらなかったわけではないが、さすがにここで約束を破れば、遥希との友情が完全に断絶してしまうのは想像に容易いので、千尋は心を入れ替えて、ちゃんと会場へと向かった。

 千尋の想像どおり、会場は女の子だらけで、0.01%の望みに賭けていた男の姿を見つけることも出来やしない。
 まさか今日のお客で男なのは千尋と遥希だけなんじゃ…とすら思ったが、遥希と待ち合わせて関係者席に行くと、いかにも『関係者』という体とはいえ、男性が何人か座っていてホッとした。

 ある程度年輩でスーツ姿の人は、恐らく仕事の関係だろう。それ以外にも、テレビで見たことのあるような顔もいくつかある。
 遥希ではないが、こんなところに本当に自分たちがいていいものかと思ったが、千尋たちと同年代くらいの一般人ぽい男女も何人かいたので、大丈夫なのだろう。

「ねぇハルちゃん、ちょっと荷物多すぎじゃない…?」
「そう?」

 スタッフに案内されて席に着いたところで、千尋は隣に座った遥希に、こっそり声を掛けた。
 一般席にいるお客さんたちは、グッズを買ったり、遠くから来た人はその荷物なんかもあったりして、そこそこ荷物は抱えているけれど、今千尋たちの周囲にいる人たちは、小さなカバン1つか、人によってはカバンすら持っていない。
 それなのに遥希ときたら、元々持っていた自分のカバンの他に、FATEのロゴの入った大きめのバッグと、さらには別の紙袋まで持っていて、しかもその両方が、荷物でいっぱいだ。
 家を出るときはカバンだけだったから、恐らく会場に来て、その袋2つ分のグッズを買ったに違いない。

「どんだけグッズ買ったの…?」
「全部」
「ぜんっ…」

 訝しげに荷物を眺めながら千尋が尋ねたら、遥希は事もなげに、あっさりとそう打ち明けた。
 グッズの全買いをするのは、もしかしたら遥希だけでなく、熱狂的なファンならあり得るのかもしれないが、関係者席に来る人で、こんなことをするのは、絶対に間違いいなく遥希だけだろう。
 千尋は思わず絶句したが、遥希はその様子に気付いていないのか、にこにこと千尋に笑顔を向けて話を始める。

「でも聞いてよ、たっちゃん。タオルね、グッズのタオル、売り切れちゃったみたいだよ。さっき誰かがそう言ってんの聞こえて。俺が買うときはまだいっぱいあったみたいだったけど。よかった~、早く来て」
「へぇ…」



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恋の女神は微笑まない (164)


 確かに遥希は、そのためにあんなに朝早くから家を出たわけで、これで買えないとなったら地の底まで凹みそうだから、それはよかったけれど、いや、でも…。
 まぁ、今さら遥希に、『グッズくらい水落から貰いなよ』と野暮ったいことを言うのも何なので、その点についてはもう触れないが、しかし。

「その荷物、どうにかなんなかったの? グッズ買った後、時間あったんでしょ?」

 それだけは言いたい。
 遥希がグッズをどのくらい買おうと勝手だが、今、結構思いきり邪魔…。

「ん…、でもこの辺のコインロッカー、探したんだけど、みんな埋まってて。まぁ持てない量じゃないし、いいかな、て思って」
「よくないよ、邪魔だし…」

 持てない量ではないかもしれないが、荷物は自分の椅子の下と足元に置いただけでは収まり切らずに、千尋の足元のほうにまではみ出して置かれている。
 邪魔だなぁ…と思うものの、遥希の反対側の隣は知らない人だから、さすがにそちらへ置くわけにいかないのは千尋にも分かるので、仕方なくこの状況に甘んじている。

「家まで置きに来たって、まだ間に合ったんじゃないの? 時間、超あったんだから」
「うんうん」

 もうそろそろ開演時間になるということで、気持ちがそちらに向いているのか、段々と千尋の言葉に対する返事がいい加減になって来ている。半分も聞いてはいないのだろう。
 普段だったら怒るところだが、前に一緒にコンサートに来たときもこんなだったし、こうなるのも仕方ないと思うので、千尋は会話をやめた。

 ところで、いくらFATEの2人の年齢がもう20代半ばとはいえ、アイドルはアイドル。コンサートが始まれば、女の子たちはキャーキャー言い出し、ペンライトを振ったりもする。
 それは遥希も同じことで、恥ずかしげもなく琉の名前を呼んだり、手を振ったりしている姿を、千尋は前回一緒に来たコンサートで、嫌というほど目の当たりにしているわけだが。

(でもハルちゃん、今日はちゃんと抑えてくれるんだよね…?)

 関係者席ではお静かに、とは言われていないから、いつもと同じように遥希がはしゃいだとしても、この会場からつまみ出されることはないだろうが、どうしてか千尋たちの席は、そんな熱狂的な盛り上がりを見せそうもない中年男性に囲まれていたため、遥希がいつもどおりにしていたら、すごく悪目立ちしそうだ。
 さすがに、コンサートが始まって、周囲の雰囲気がいつもと違えば、まっすぐに琉だけを見つめている遥希だって、それに気付いてくれると信じているけれど…。

「ハルちゃ…」

 やっぱり一言忠告しておこう、と千尋が遥希のほうを向いたところで、会場の照明がフッ…と落ちた。



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恋の女神は微笑まない (165)


 場内のざわめきが引いていく。しまった、コンサートが始まってしまった――――と同時に、遥希がすくりと立ち上がった。手にはしっかりペンライトを握り締めている。
 もし遥希が騒ぎ出したら全力で止めなければ…と思った千尋だったが、それはそうと、遥希だけでなく周りもみんな立ち上がったので、慌てて千尋も腰を上げた。
 コンサートにそこまで興味がなくとも、関係者席に呼ばれている以上、つまらなそうな態度ではいられないし、ある程度、周りに合わせた行動をしておかなければマズいだろう。
 千尋も一応大人なので、そのくらいの分別はつく。

 オープニングの演出が終わったところで、前方のステージがパッと明るくなり、何かしらの曲が流れ始める。
 千尋はすぐに確認できなかったが、女の子たちの歓声が一段と大きくなり、「琉ー!」「大和ー!」という声が聞こえてくるから、2人が登場したのだろう。

 そんなことよりも、千尋としては、遥希がいつテンションを爆発させないか、そのほうが気掛かりで、ついつい前より横に視線を向けてしまう。
 遥希は、千尋のそんな心配をよそに、ペンライトを胸の前でギュッと握りしめ、前方を凝視している。前のときは双眼鏡で見ていたけれど、今回それはいいんだろうか。
 というか、とりあえず今は静かにしているからいいけれど、この席であっても、ペンライトはしっかり持つんだね…。

 ひとまずのところ、遥希が何とか大人しくしていてくれそうなことが分かったので、千尋はようやくちゃんとステージのほうを向いた。
 席から肉眼で見ることも出来るが、その背後にある大きなスクリーンに、2人の姿が大きく映し出されているので、ついそちらのほうを見てしまう。

 久しぶりに目にする、大和の姿。
 最後に会ったときと、どこか変わっただろうか。

「………………」

 千尋はアイドルたる大和のことを殆ど知らないから。
 千尋の知っている大和は、こんないかにも衣装然とした服を着て、それこそキメ顔で歌って踊っていたことなどないから。
 こういう姿を見るのが初めてなわけではないけれど、あまりにも『そうでないとき』の顔を知りすぎてしまったから、何だか全然知らない人のように思える。

 これが、FATEの一ノ瀬大和なのだ。
 何万人もの女の子たちを魅了し、虜にする国民的スーパーアイドル。

 千尋はFATEの曲なんて、遥希がスマホの着信音にしているヤツくらいしか、それもその部分くらいしか知らなくて、ここまで何曲か歌われてきたのも全然分からなくて。
 だから、ただ大和のことを見つめているだけだ。
 アイドルの、千尋の知らない顔をした、アイドルの大和のことを。



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恋の女神は微笑まない (166)


 何曲か終わって、また新たな曲が始まると、観客の歓声がひときわ大きくなる。ステージ上の2人が二手に分かれ、それぞれトロッコに乗ったことが、歓声の理由のようだ。
 2人の乗ったトロッコが、アリーナ席とスタンド席の間の通路を通って、後方へと向かっていくのだ。今まで遠くに見えていたFATEの2人が近くにやって来るのだから、喜びで声が大きくなるのも無理はない。

 幸いにも、千尋たちの席のほう側へは琉が来て、大和はそれとは反対側のほうへと行ったので、千尋は少しホッとする。
 だって、これだけ観客がいるとはいえ、大和は関係者席の位置を知っているだろうから、もしこちら側にやって来たら、そこにいる千尋を見つけてしまうかもしれない。
 千尋が来ていることは知っていても、どこにいるか分からないでいるうちは、来ていないも同然に振る舞っていられるだろうけれど、万が一にも、実際に千尋を見掛けたら、やっぱり気まずいと思う。

 それに、紛うことなき琉ファンである遥希にしたら、近くに来るのが大和でももちろん喜ぶだろうけど、琉が来てくれたほうが断然嬉しがるだろうから、後々の面倒くささのことを考えても、このほうがよい。
 現に遥希は、ペンライトを握り締めて、キャーキャー言っている。

(…いや、ハルちゃん、しょっちゅう水落と会ってるでしょ)

 大好きな琉が近くに来て、浮かれる気持ちは分かるが、いつももっと至近距離で琉に会って、そして愛し合っているだろうに…。完全にただのファンと化している遥希に、千尋は心の中で突っ込む。

 そんな遥希に対して、琉はといえば。
 アリーナ席とスタンド席の両方に、万遍なく手を振ったり歓声に応えたりしていたけれど、関係者席の辺りに差し掛かると、完全に関係者席のほう……いや、遥希を見て歌っているのが、千尋にも分かった。
 トロッコの速度的に、前を通り過ぎるのにそれほど時間を要しないから、その間、反対側の観客が蔑ろにされていたわけではないが、とにかく琉は、ある程度の位置を知っていたとはいえ、これだけいる観客の中から遥希の姿を見つけ出し、彼に向かって笑い掛け、手を振ったのだ。
 それが単なる偶然だとか、そう見えただけで、実は琉にそんなつもりはなかったとか、そんなことないのは、遥希の隣にいた千尋が保証する。琉は確実に遥希に向かって、あらん限りの愛情を表現していた。

(ケッ)

 どうせ琉は遥希しか見ていないだろうから、千尋は憚らず、嫌そうな顔をした。公私混同ヤロウめ。
 琉へのそんな若干のムカつきとともに、呆れつつ隣に目をやれば、そこには千尋の想像どおり、瞳をハートにさせて、ポワンとなっている遥希がいるわけで。
 …何が悲しくて、何万人もの観客がいる会場の中で、千尋1人だけがこのバカップルの所業を目の当たりにし、こんな気持ちにならないといけないのだ。



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恋の女神は微笑まない (167)


 そう思っているうち、琉を乗せたトロッコは、関係者席の前を通り過ぎていった。
 遥希は名残惜しそうに、いつまでもそちらを見つめていて、千尋は何となくそんな遥希を見ていたが、視界の隅に入ってきたものにギョッとして、視線を向けた。

(ウソ…)

 千尋たちの席とは反対のほうへ行ったはずの、大和を乗せたトロッコが、こちらへと向かってきているのだ。
 一体どうしてなのかと千尋は焦ったが、ステージの左右それぞれに分かれて出発したトロッコは、アリーナの外周を一回りしてステージに戻るようになっているから、よく考えなくてもそれは当然のことだった。
 実際、千尋たちの前を通過していった琉は、こちらとは反対側の、当初大和がスタートした場所へと向かっている。

 例えば、下を向いて、顔が見えないようにするとか。
 それなら、一見しただけでは、それが千尋だとは分からないだろう。
 …いや、そうだとしても、遥希と一緒に来ているのが千尋だと知っていたら、遥希を見つけた時点で、その隣で下を向いているのが千尋だとばれてしまう。
 いや、髪型を変えてから大和に会っていないから、顔さえ見られなかったら、ばれないか?

(でもそれって、不自然すぎる…!)

 コンサートを見に来ているのに、一瞬ならまだしも、ずっと俯いているのは、やはりおかしい。それも、トロッコが前を通っている最中だ。
 周囲から変な目で見られるのも嫌だし(それがたとえもう2度と会わないであろう、全然知らない人であっても)、大和に、何か意識していると思われるのも嫌だ。

 なら、とりあえず、大和から目を逸らしておこうかな。
 これなら千尋の行動を誰にも気付かれないし。

 …て、いやいやいやいや。
 目を逸らして、だからどうした。
 普通に顔を上げているから、大和に千尋の存在がバレバレじゃないか。

(てか、ハルちゃんがいる時点で、どうにもなんないし!)

 千尋がどう顔を隠そうと、この場にいる限り、遥希が見つかれば、必然的に千尋も見つかるのだ。
 だったら、トイレにでも行く振りをして、席を離れるか? コンサート中、そうしたことで席を立つ人がいないばかりではないから、おかしくはないだろう。
 しかし、『今このタイミングで?』感は半端ない。
 席を外している間に目の前をトロッコが通過して行ったら、タイミング悪い! と突っ込まれても、残念がっていれば済むが、もうすぐトロッコが来ると分かっているのに、あえて席を離れるのは…。

(あーあーあーもうどうしようっ!)



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恋の女神は微笑まない (168)


 いっそ、関係者席の前を通るとき、千尋たちとは反対側を向いていてくれたらいいのに。
 いや、そうすべきだろう。千尋が来ることを知っているなら、自分が気まずい思いをしないためにも、大和はこちらを見ないようにしなければならない。
 大人の事情的に、全然まったく見ないわけにはいかないというのであれば、先ほど琉がしたように、何よりも遥希を見つめながらも反対側も疎かにしなかった、あれの逆バージョンをやるとか、そのくらいのテクニックは見せてもらいたい。

(でも、俺が来るの、実は知らなかったら…?)

 遥希が来ることは、絶対に琉から聞いているだろうが、一緒に来るのが千尋だと知っているとは限らない。琉と遥希の事情から、千尋だと想像は出来ても、飽くまでもそれは想像の域を出ないわけで。
 もしそうなら、大和は何も知らずに、こちらを見ながらトロッコで通過していくかもしれない。
 だとしたら、たとえ不自然でも、たとえ遥希が大和に見つけられても、千尋はやっぱり下を向くなりして、ばれないように顔を隠しておく必要があるのでは…。

(――――て、何で俺がこんなに気にしなくちゃなんないんだよっ!)

 別に千尋は、今日このコンサートに来ることを拒まれたわけではない。というか、そんなに行きたかったわけでもないのに、遥希にせがまれて、わざわざ来てやったのだ。
 それなのに、どうして大和が気まずくならないよう、気を遣わなければならないんだ。
 千尋は何も悪くいないし、気まずくなる必要もないんだから、普通に、いや堂々とコンサートを見ていればいいだけの話だ。

 大体、大和が前を通り過ぎたからといって、たとえこちら側を向いていたとしたって、千尋に気付くとは限らないではないか。
 千尋がわざわざ顔を隠さなくても、大和はこれだけの観客の中から千尋を見つけ出せないかもしれないし、千尋を見ても、髪を切ったから分からないかもしれないし。

(あわわわわわわ)

 そうやって千尋が、都合のいい展開に結論を持って行っていたら、もうそこまで大和が来ていた。

 いや、慌ててどうする。
 逃げも隠れもする必要などない。千尋はただ、より近くにやって来たアイドルに、喜び、歓声を上げていればいいだけだ――――そう、それだけ。

「、」

 これだけの観客が、ドームを埋め尽くしている中で。
 みんな自分を見てもらいたくて、手を振ってもらいたくて、笑い掛けてもらいたくて必死にアピールするけれど、そんな何万分の一かの確率、叶うことなんてまずあり得なくて。

 ――――なのに。



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恋の女神は微笑まない (169)


 確かに、大和は千尋を見た。
 いや、より正確に言うならば、大和と目が合った。

 目が合っちゃった! なんて言って喜んでいる女の子には、それ気のせいだから、と内心突っ込んでいたくせに、その自分が何なんだと言ってやりたくなるけれど。
 もしここが関係者席でなく、周囲に女の子がたくさんいたら、その全員が、もれなく『目が合った!』と言うんだろうけど。

 しかし、今、千尋が大和と目が合ったのは、間違いない事実だ。

「…………」

 ほんの一瞬だったけれど。
 どっちが先に逸らしたのかは分からない。千尋に目を逸らした覚えはないから、大和か? それとも単に、トロッコが移動する中で、自然と逸れてしまったのか。

(大和くん、めっちゃ驚いた顔してた…)

 目が合った瞬間の、大和の顔。
 千尋を見て、ひどく驚いた顔をしたのは、やはり千尋が来ることを知らなかったからだろうか。
 千尋が来ることを知っていて、目が合えば驚くと分かっていたら、たとえこちら側を向いていたとしても、そういう状況にならないよう、意識していただろうから。

 ねぇ、千尋のことを見て、どう思ったの?
 まさか来るとは思ってなかった?
 遥希が来るから、一緒に来ると予想していた? ――――なら、あんなに驚かないよね?

 …いや、驚いた顔をしていたなんて、そんなの千尋の見間違いかもしれないけれど。
 目が合ったせいで、自意識が肥大しすぎて、そんなふうに見えただけで。

(…バッカじゃね?)

 気が付けば、大和はもうステージに戻っている。
 何事もなかったかのように。

 それは、千尋が一番望んでいたこと、だったけれど。

「…バッカじゃね?」

 その呟きは、自身に向けたものか、それとも大和に向けたものか。
 しかしそれは、ステージ上で始まった次の曲の前奏と、女の子たちの歓声に掻き消され、隣にいる遥希にも届かなかった。



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